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第六章『主なき聖剣』

第四百八十八話『証明法は勝利のみ』

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 ――カルロたちに案内されて通された模擬戦場は、とても森の中を切り開いたとは思えないぐらいに広大だった。
 
 辺りを見回せば細かな凹凸や遮蔽物となりそうな岩などが視界に入ってきて、実戦の感興に限りなく近づける努力をしていることが伺える。実際の戦場が綺麗に平らな事なんて、リリスが今まで経験してきた中でも数えるほどしかなかった。

「どうだ、これが帝国式の戦場って奴だ。たまーに何の遮蔽物も凹凸もねえ決闘場みたいなところを作る奴もいるんだけどよ、どーも今の皇帝サマはそれじゃ満足できなかったらしいんだよ」

「さも自分がかかわったみたいに言わないでください、貴方は全てが終わった後に事情を聴いただけでしょう。ここの建て替えに携わったのは、私たちをはじめとした国境警備隊の人間なのですから」

 頭の後ろで手を組みながら笑うカルロに、ケラーが呆れたような表情を浮かべながら口を挟む。その首から下げられたホイッスルが示す通り、今回の模擬戦の審判は彼女が引き受けてくれるようだ。

「ですがまあ、カルロが言っていることは真実です。先代の皇帝は正々堂々とした強さを持つことを直属の部下に求め、模擬戦の舞台から出来る限りの余計な要素を排そうとした。……それも又ある種の正しさだったのは間違いありませんが、敗北してしまえば正しいことも間違いになるのがこの国の常ですから」

 過去を懐かしむように視線を遠くへと投げながら、ケラーはリリスにそう教えてくれる。……ケラーはいったいどれだけの時間を国境警備隊として過ごしてきたのだろうと、そんな疑問がふと首をもたげた。

 パッと見たところ、ケラーの見た目の年齢は多く見積もってもリリスたちより一回り多いかどうかと言ったぐらいだ。フェイという例外中の例外が居る以上見た目をあまり過信することは出来ないが、それでも年が離れていないことは大体想像が付く。

 よほど最近に皇帝の首がすげ変わったのか、それともそれだけ幼い頃から帝国の人間として過ごしてきたのか。……いずれにせよ、ケラーもまた帝国で強く生き抜いてきた人間であることは間違いないのだろう。

「この国に足を踏み入れた以上、望むものがあるならば自らの力で手にするのが流儀と言うものです。……カルロの無茶な申し出を受けていただいた以上、少なくともあなたはそのことを理解して居そうですが」

「ええ、覚悟は出来てるわよ。目的を果たしてここを去るまで、私たちは一度だって負けちゃいけないってね」

 リリスが負ける度に大切な存在はこの指を滑り落ちて、もう二度と手の届かないところへと落ちていくことだろう。それが自分の命であれそれと同じぐらい大切な誰かの命であれ、一つだって取り落とした瞬間にリリス・アーガストの目的は潰える。それを避けたいと思うならば選択肢は一つ、勝って勝って勝ち続けることだけだ。……たとえ他の騎士たちが破れることになろうとも、リリスたちだけは。

「悪いけど踏み台にさせてもらうわよ、カルロ。……一刻でも早く、取り戻さなくちゃいけない人がいるの」

 自分の体の中を巡る魔力に改めて意識を集中させながら、リリスは堂々と宣言する。……それをしばらく見つめていたカルロは、やがて微かにその口元を喜びに歪ませた。

「……ああ、そうか。皇帝サマがオイラを指名した理由、ようやくはっきり分かったぜ」

 心から嬉しそうに、そして晴れやかな様子で。カルロはまっすぐにリリスを見つめ、お互いの瞳にお互いの姿が映し出される。今から起こるのがあくまでも模擬戦だとは思えないほどに、二人の間を流れる空気は白熱した物だった。

「今まで帝国のいろんな奴と顔を合わせてきたけどよ、お前さんぐらいビリビリしてる奴は今まで一人もいなかった。……最ッ高だ、リリス・アーガスト」

「お褒めに預かり光栄だわ。まあ、だからと言って手心を加えるつもりもないけど」

「かははッ、そんなことオイラも望んじゃねえよ! お前さんの全力を受け止めてこそ、オイラもわざわざ国境まで来た甲斐があるってもんだからな!」

 冗談めかしたリリスの返答に豪快な笑みを浮かべ、カルロは待ちきれないといった様子で身震いを一つ。……カルロから立ち上る魔力の気配がまた一段階濃くなったのを、研ぎ澄まされた感覚は確かに捉えていた。

『実力で気に入られたわけではない』とケラーは分析していたが、とてもそんなことが信じられないぐらいの圧迫感をカルロは放っている。それが期待や高揚と言ったポジティブな感情で構成されている事もまた、彼の纏う雰囲気を独特な物へと変じさせていた。

 それを見つめながらリリスも集中を深めようとしたその折、少し上の方からガチャリと扉が開く様な音がする。それにつられて視線を向ければ、職員に連れられてツバキたちが二階の観覧スペースに現れたところだった。

「……ああ、もう臨戦態勢って感じだね。待たせてしまったかい?」

「いえ、ちょうど今から開始の宣言をしようとしていたところです。ちょうど良いタイミングで到着してくれた職員たちには後でボーナスを出すとしましょう」

 リリスたちを一目見ただけで状況を把握したガリウスの問いに、ケラーは冗談とも本気ともつかないような答えを返す。それを最後にガリウスの方から視線を外すと、首からぶら下がった銀色の笛を強く握りしめながらリリスたちの方へと向き直った。

「ではこれより、帝国の流儀に則った模擬戦を行います。決定打になり得るものは私が判断いたしますので、お互いに寸止めを意識しながら技を振るう事。……それだけ守っていただければ、私からお二方の戦いに口を挟むことはありません」

 リリスとカルロをかわるがわる見つめながら、ケラーは粛々と審判役の役割を果たす。それに二人が頷いたのを確認すると、大きく一歩跳び退った。

「――では、これよりはお二人のみの時間です。……模擬戦、始めッ‼」

 普段の清涼からは想像できない凛とした大声が会場の中に響き渡り、その直後に笛の音が高らかに鳴らされる。その音が止むのを待たずして、カルロは地面にべったりと手のひらを触れさせて――

「……そお、らあッ‼」

 まるで重い物でも持ち上げるかのような声を上げた瞬間、カルロを中心に魔力の気配が一気に膨れ上がる。……次の瞬間に生まれたのは、巨大な泥の波だった。

 まるで地面そのものが一匹の生き物であったかのように唸り、開始一秒でリリスの全身を呑み込もうと迫ってくる。粘性の高いそれに一度囚われれば脱出は困難、後はカルロの成すがままと言う事だろう。模擬戦に慣れていないこちらに対しての先制攻撃、容赦がなくて実にいいことだ。

 先手必勝を地で行かんとするその姿勢に心から賞賛の言葉を送りつつ、リリスは笑みを浮かべる。目の前からは泥の波が侵略を始めているが、そんなことはほぼどうでも良かった。

 空間がどうなっていようと、ここがどんな場所で在ろうと関係はない。リリスの体内を魔力が巡っていて、リリスの周囲には確かに魔力がある。それだけの感興が揃っていれば、もうそれだけで十分だ。

『貴様の魔術の才は凄まじい物じゃが、故にこそ『人間式』の魔術の使い方しか知らぬことがあまりにも惜しい。貴様の力を以てすれば、魔術の展開を短縮するなど容易いことじゃ』

 フェイから受けた手ほどきを思い出しながら、リリスは一瞬瞑目する。瞼の裏に思い描くのは、外の世界に広がっている透明な一枚の布だ。

『貴様が思うよりも魔力は貴様に従順じゃ。貴様の脳内にあるイメージが明確であればあるほど、一度に操れる規模も魔術そのものの複雑さも引き上げられる。……故に、妾たちは唱えるのじゃよ」

 目の前に迫る泥の波を見据え、リリスは右腕をまっすぐに伸ばす。その手のひらから、伸びた指先の一本一本から魔力が外へと伝わっている感覚を手放さないよう、強く強く意識しながら――

『傍から見れば格好つけているようにしか見えぬ、『式句』とやらをな』

「――染め上げなさい」

 リリスの唇が小さく動いたその瞬間、魔力によって世界の在り様が塗り替えられる。リリスを呑み込もうとうねりを挙げて迫っていた泥の波は一秒と待たずに凍り付き、自らの重さに耐えきれなくなってばらばらと崩れ落ちる。宙に舞った細かな氷の粒が、殺伐した戦場の中で光を反射して幻想的に煌めいていた。

「……ふう」

 手ほどきの成果が出たことにひとまず安堵の息を吐きながら、リリスは泥の波の向こう側にいたカルロを見据える。……その表情から戦意が消えていないことは、声をかけるまでもなくすぐに理解できて。

「――あら、先制攻撃はこれでおしまい?」

「……ッはは、随分とド派手なことやってくれやがるじゃねえか……‼」

 リリスの言葉が届くと同時、カルロは心底楽しそうな笑い声を上げる。……その小柄な体から魔力の気配が再び膨れ上がったのは、その直後の事だった。
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