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第六章『主なき聖剣』

第四百七十七話『夢の中の矛盾』

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――今まで奪ってきた命たちを、夢に見た。

 ここまで生きてきた中で、リリスはいくつもの命を手にかけている。魔獣だけじゃない、人間の命もだ。明日も護衛として生きていくために、苦しい境遇の中で得られた相棒を手放さずにいるために、あるいはその先で掴んだ日常をこれからも続けていくために。奪った命一つ一つに理由があって、殺すことに躊躇いなどなかった。

 今更その事実から目を背けるつもりはないし、これからいくら温かい日常を送ったところでその過去が拭えるわけでもない。……ただ、忘れ去ったと思っていたのだ。殺しの瞬間を一つ一つ律儀に記憶し続けるような生活を送れば、遠からず心は擦り切れてしまうから。

 その時はそれ以外の方法が思いつけなかった、だからそうするしかなかった。そうやって割り切って、リリス・アーガストは自らの手で奪った命を過去のものにする。そうやって今までやってきたし、これからだってそうだ。殺しそれが必要な場面に直面すれば、リリスは一切の躊躇をしない。

――そう、思っていたのだが。

(……私って、本当に私自身の事をよく知らないのね)

 目の前に走馬灯のように流れ込んでくる死の風景に、リリスは思わず自嘲気味なため息を吐く。ある者は胴体を切り裂かれ、ある者は心臓部分を凍り付かされて。酷いものでは氷漬けになった足を粉々に砕かれた挙句、巨大な氷の槍で胴体を串刺しにしているものまであった。――どれもこれも、リリスがやってきたことだ。

 その殺し方も、手にかかった人間が最後に浮かべた表情も、全てが鮮明にリリスの目の前で再生される。忘れてなどいないのだと、過去として割り切れてなどいないのだと、そんな現実を突き付けるように。目の前に積み重ねられる死は目まぐるしく切り替わり、その度にリリスの過去が刺激される。

 ユノやツバキと話をしたせいなのだろう、とリリスはやけに冷静にこの悪趣味な夢を考察する。自分が半ば無意識の内に確定していた『死』に対する価値観に、ユノの手によって新たな一面が書き加えられた。それはきっと、リリスも真剣に受け止めなければいけないものだ。

(そのための方法がこれなら、私の無意識は相当センスがないってことになるけど――)

 今までに殺してきた人間の死に顔がリリスの目の前に浮かんでは消え、その一瞬のうちにリリスに強烈な印象を残していく。いくら死に対して慣れていると言っても、ここまで立て続けに見せられては気分も沈んでくるのは仕方のないことだ。

 だが、その不快感から逃れる術は今のリリスには与えられていない。リリスの目の前には延々と今まで奪ってきた命が浮かんでは消え、鮮烈な『死』の不快感を焼き付けていく。それはきっと、今までリリスが忘れたと言い張って噛み殺してきたものだ。

 目を閉じることも逸らすことも許されないまま、リリス一人のために開かれた死の展覧会は続いていく。終わりの見えないそれに心がだんだんと摩耗し始めたその時、リリスの目の前に一つの死体が現れた。

 今までに浮かんできた死体たちとは違い、それはまるでリリスに訴えかけるようにいつまでも目の前に残り続けている。……それは、この展覧会の中でもさらに異質な存在だった。

 全身を氷漬けにされて絶命したその表情は、敵を出し抜いてやった満足感と恍惚に満ちている。氷漬けにされてゆっくりと死んでいく時間の中、その女はただ満足感だけを抱いて目を閉じた。その長髪は、鉄にも似た鼠色をしていて。

(ウーシェライト・シュライン――)

 ベルメウの街で殺した女の名前を、リリスは胸の内で反芻する。戦闘には勝利し、しかし勝負と言う点においては完全にリリスを出し抜いて見せた女。自分の命を惜しげもなく差し出し、一生覆すことのできない勝ち逃げをしていった女。頭の頂点からつま先まで理解できない、どうしようもない破綻を抱えた――

『――あら、この期に及んでまだそのようなことを仰いますか。貴女があくまでそう言い張るのならば、一つ質問させていただいても?』

 リリスの胸の内に嫌悪感が浮かび上がったその瞬間、氷に包まれたウーシェライトの身体がパキパキと音を立てて動き出す。すでに死んだはずの冷たい手が、リリスの首筋に触れた。

『私はただ、自らの命を捧げて作戦を成功させる糧としたのみです。私が生き残る事よりも、あの方――クライヴ様の計画が首尾よく運ぶことの方が私にとっては大切だった。――大切なお仲間のために命を投げ出すことを良しとしていた貴女と、一体何が違うのですか?』

「……ッ!」

 そう指摘されて、冷たい手を這わされて、初めて気づく。ウーシェライトの遂げた思いは、リリスにもあり得る末路だったのではないかと。……リリスがウーシェライトに見出した破綻は、己の中にも確かにある者ではないかと。

 そう気づいてしまった瞬間、ウーシェライトの手はリリスの首筋をすり抜けて心臓へと向かっていく。まるで死者の特権だとでも言いたげに肉体的な制限を無視して、リリスの本質を外へと引きずり出そうとしてくる。『目を背けることなど許さない』と、そう告げるかのように。

 これが夢の産物だと、自意識が生んだ幻想だと、そう断言することは簡単だ。理解だってできている。だが、解ってもなお冷たい感覚は心臓をつかんで離さない。血液の循環が乱れ、もとよりおぼろげだった視界がさらに霞み始める。

『想いをかける方が安寧の中で生きることができるならば、己の命などどうでも良い。それは私の本質であり、貴女の本質でもあります。……もしや、貴女はあの殿方と自身の命を天秤にかけて自身を優先するので?』

「……それ、は」

 言葉が出ない。ウーシェライトが突き付けた矛盾に、リリスは返す答えを持たない。かつて敵に見出した破綻の中には、間違いなくリリスの本質も同居している。……少なくとも少し前まで、リリスはマルクのために命を投げ出すことを無条件に肯定する立場だったのだから。

『私が貴女に勝てたところがあるとすれば、その一点だけです。自らの想いに素直で在れたかどうか、従順で在れたかどうか。……私の想いの深さを、貴女は完全に読み違えた』

 それがリリスの急所であると理解したかのように、ウーシェライトはさらに言葉を続ける。マルクに自分自身の欠点を見出したガリウスの心情を、リリスはたった今味わっていた。

 それを直感した瞬間、心臓を締め上げる力はさらに強くなる。歪なリズムで巡る血はだんだんと冷たさを増して、感覚が消えて行って。……ウーシェライトはこんな状況の中で笑っていたのだろうかと、そんな益体もないことを考えた。

『せいぜい見間違わないことです。命を投げ打つことで叶う願いもある事を、命を投げ出さないことで訪れる悪夢もある。……命を大切にすることとわが身を可愛がることは、似ていながら全く異なる代物ですよ』

 そう告げると同時、夢の中でリリスの心臓が握りつぶされる。瞬間的に視界が赤く染まり、この夢の世界が崩壊していくのを自覚する。この夢を忘却することなどできないのだろうと、確信に満ちた予感を抱きながら――

『忘れないことです。……貴女は、貴女が思っている以上に強くない』

 意識が途切れるその刹那、ウーシェライトの声が聞こえた気がした。
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