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第六章『主なき聖剣』

第四百七十三話『再興へ進む都市』

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「……よし、それでは移動するぞ。貴様ら、目をよく瞑っておけ」

 修練場に集合したリリスたち一行に向けて、フェイが真剣な口調でそう命じる。ここ数日の特訓によって完全に信頼を勝ち取ったその言葉に反発する者はなく、王国から帝国へと派遣される共同戦線メンバー約五百人が一斉に目を瞑った。

 五百人と言わずとも帝国行きを望む騎士は多くいたが、フェイやロアルグによってその人員は厳選されている。条件は生き残るための術を修得していること、ただその一点だ。……当然、リリスとツバキだってフェイからの手ほどきを受けて贔屓目なしの評価をもらっている。

『妾が貴様らの指揮に加わる以上、屍を積み重ねさせるつもりはない。努々貴様らも、誰かのための捨て駒になろうなどとは思わないことだじゃな』

 出発前に告げられたその一言が、目を瞑ったリリスの脳裏に浮かび上がる。厳しい声音とは裏腹に、温かい言葉だった。自分は自分のために動いていいのだと、そう背中を押された気がして。

 しばらくすると、ぼんやりとした温かい感覚が体の周りを包み込み始める。それが転移魔術の前触れなのだと直感して、リリスは迷うことなく身を委ねた。

 次の瞬間にはその感覚に浮遊感が加わり、修練場に立っているはずの自分がどこにもいないような、そんな不安感が心の中で小さく芽生える。浮いているはずなのにグラグラと揺れる様なその感覚は、まるで空から墜落しているときにもよく似ているような気がしてならない。

 だが、その感覚はすぐにピークを迎えて弱まっていく。だんだん自分の在り処が分かり始めて、最初に感じた温かい感覚が戻ってくる。それもやがて終わったその後に目を開けてみれば、そこには少し前にも訪れたベルメウの入り口から見た景色があった。

「……すごい」

 その景色を目にしたリリスの口から、思わず感嘆の声が漏れる。前にここに来た時も同じような反応をした気がするが、今感じているのは全く別の感慨だ。……クライヴ達の手によって破壊されたはずの都市が、少しずつ再生を始めている。

 破壊された建造物はだんだんと立てなおされ、住人の姿もそこかしこに見える。決して楽な作業ではないだろうに、それに取り掛かる人々の目には希望が満ちていた。……それを目にして、リリスは本当にベルメウへと転移を果たしたのだと確信する。

「……うん、あの子に指揮を任せてきた甲斐があった。しっかり目をかけて育てて良かったよ」

「ああ、あれはとてつもない才能だったな。……採用試験に関してだけはお前に一任してもいいんじゃないかと、そう思えるぐらいだ」

 その復興具合にガリウスがうんうんと頷くと、ロアルグも同意するかのようにその肩を叩く。そんなやり取りの方に目を向けていると、リリスの背中がちょんちょんと突かれた。

 振り向けば、そこにはリリスと同じ方を見つめるツバキが居る。その景色の中に『魔構都市』と呼ばれたものの断片は少しも残っていなかったが、そんなことを気にしている様子はなさそうだった。

「……ボクたち、ちゃんと守れてたんだね。全部は無理かもしれなかったけど、ボクたちが戦った意味は確かにあったんだ」

「そうね。……これを見てると、改めてそう思えるわ」

 ツバキのしみじみとした呟きに肯定を返しながら、リリスは帝国にいるであろうマルクを想う。この景色を隣で見てくれたら、同じ反応を示してくれるのだろうか。『よく頑張ったな』って、そう労ってくれるだろうか。

 リリスが不特定多数の誰かのために動こうと思えるのは、きっとマルクの姿を近くで見てきたからだ。フェイにさえ『冷徹などとは縁遠い男じゃよ』と苦笑されていたその姿に憧れてしまったから、きっともうリリスのスタイルも変わりきってしまったのだろう。

 それを悪いことだとは言わないし、救える人が一人でも多いならその方がいい。……けれど、それは特別な存在を助け出してはじめて言えることだ。ベルメウに戻ってきたのは、そのための第一歩に過ぎない。

「よし、貴様ら全員転移出来たようじゃな。……言っておくが、妾がベルメウに転移できたのは事前の仕込みがあったからにすぎぬ。ここからは普通の移動手段じゃ、多少不便になろうとも文句を言うでないぞ?」

 五百人の訪問者がめいめいにベルメウの景色を見つめる中、フェイが釘を刺すようにそんな言葉を発する。それを合図としたように一団は静まり返り、フェイが発する言葉に耳を傾けた。

「妾たちはここから帝国との国境を目指すわけじゃが、移動開始は明日の夕暮れからじゃ。そして夜中に帝国側の大使と国境で合流し、国境警備所に併設された宿で一夜を明かす。それが完了するまで特に妾から指示は出さぬ故、各々自らの主に従うなり最後の英気を養うなりしておくとよい。妾も集合までは気ままに過ごさせてもらうとしよう」

 最後の言葉を言い終えたフェイはくるりと踵を返し、隣に立っていたレイチェルを連れて都市の中へと繰り出していく。その背中がだんだん遠くなっていくにつれ、騎士たちの話し声はだんだんと大きくなっていった。

「皆聞いてくれ、僕とロアルグからも基本的に指示はなしだ! ここまで結構予定が詰まっていたし、体を休めるのも兼ねて自由行動とする! 集合の時に最高の状態でまた集まる事、それだけ守ってくれれば大丈夫だ!」

 騎士たちのざわめきがピークを迎えるその直前、ガリウスが張り上げた声が街の中に響き渡る。その中身を理解するとともに騎士たちはにわかに色めき立ち、頼もしい返事の声を上げたかと思えばそれぞれの目指す方向へきびきびと歩き出していった。

 各々向かいたい場所でも決めていたのか、時間の過ごし方に悩むリリスたちをよそに騎士たちはどんどん都市の中へと入り込んでいく。何か案はないかとツバキの方を振り返ってみると、やはり少し困った様子のツバキの視線とまっすぐに衝突した。

 お互いの瞳の中には似たような表情を浮かべた相棒の姿が映し出されていて、それに思わず苦笑してしまう。極論二人でのんびりと過ごせるならば場所はどこだっていいようにも思えたが、それにしたってとりあえずここからは移動しなければならないだろう。

「……ねえ、貴女はどこに行きたい?」

 その前提を不思議と共有できているような感覚に駆られて、リリスはふとそんな風に問いかけてみる。あの時をきっかけにちょくちょく思い出話の時間を作っているのもあってか、ツバキが何を考えているのか前よりもはっきりと察することができる様な気がした。

「そうだね、強いて言うなら宿みたいなところかな……。明日に疲れを残さないためにも、最大限体と心を休めておきたいし」

「ええ、私もそれでいいと思うわ。――まあ、問題は宿とかも相当破壊されてるだろうって所なんだけど」

 宿で休みながら思い出話に耽ることが出来れば、それだけで二人の心は際限なくリラックスできるだろう。もとより劣悪な環境で寝るのには慣れているし、室内ならばどこでだって快適に過ごせる自信はある。あるのだが、先ず今の都市の状況で部屋を貸してくれる人たちがいるかどうかと言うのが問題だった。

 もちろん臨時の休養場所なんかはあるのだろうが、そういう所は音が筒抜け過ぎて話し込むには向いていない。精神的なリラックスを求めるのならば、ぜひとも個室を探し出したいところだが――

「――話し込んでるところごめんね、二人とも。ついさっきあんなことを言っておいてなんだけど、僕から君たちに少し頼みごとをしてもいいかい?」

 深まっていくリリスの思考に割って入るようにして、ガリウスのどこかお茶らけたような声が聞こえてくる。二人を移すその瞳は、何か考えているときの揺らめき方をしているように見えた。

「……中身によるわね。あなた相手に二つ返事は危険だってのが今までの教訓よ」

「やだなあ、少し会って話してあげてほしい人が居るってだけだよ。前々から君たちに会いたいって言ってる部下の事をさっきたまたま見かけたから、ルグに今話を付けにいってもらってるところなんだよね」

「……それ、ボクたちに選択権はないようなものじゃないかい?」

 ガリウスから為された事情説明に、ツバキがじっとりとした視線を向ける。それに耐えかねたようにガリウスは頭を掻くと、流れを変えるように軽く手を叩いた。

「ごめんごめん、けど君たちにとっても有意義な話なんだよ? 何せこれは、あの襲撃の時のマルクにも関係する話なんだからね」

 何でもない会話の一部であるかのような調子で、ガリウスはマルクの名前を二人の前に持ち出してくる。……だからこいつとの会話は苦手なのだと、リリスは久々に痛感させられることになった。

「それに、さっき個室が欲しいみたいなことも言ってただろう? 僕の頼みに応えてくれれば、会話の場兼宿泊場所として騎士団支部の一室を貸してあげられるよ。何とか被害の少ない場所もあったみたいだから、きっと君たちが望む条件は満たしてるはずだ」

 さあ、どうかな――と。

 今度こそ自分が持ってる手札を全て公開し、ガリウスはリリスたちの答えを待つ。期待されている通りの答えを返すのはこの上なく癪だが、しかしこの交渉をひっくり返す手札がリリスたちに残っているはずもなくて――

「……うん、そう来てくれると思ってたよ。安心してくれ、きっと君たちに損はさせないからさ」

 二人揃って頷いたのを見て、ガリウスは心から嬉しそうに笑みを浮かべる。……その表情に悪意の影が見えないのがまた、リリスの中でガリウス・サフィニアの評価を難しいものにしていた。
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