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第六章『主なき聖剣』

第四百七十一話『大人のやり方』

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「いい加減肩の力を抜けよ。大将の客人は俺たちの客人でもあるんだ、仮に手を出そうものなら俺の首が吹っ飛んじまう」

 机の上に手際よく二人分の保存食を取り出しながら、アグニは気さくな様子で俺にそう話しかけてくる。だが、その言葉に素直に乗る気分にはどうしてもなれなかった。

 正直なところを言えば、アグニはクライヴ以上に俺にとって不気味な存在だ。クライヴは発言の一つ一つが本気だと分かるからまだいいが、コイツの場合どこまでが本気でどこからが冗談なのかが全く分かったものじゃない。その態度に乗せられてうっかり背中を向けたところをグサリ、なんてことも十分あり得るわけだ。

 そんなわけで、俺は椅子に着く事すらなくアグニの一挙手一投足を注意深く見守り続ける。それに何を思ったのか、食事の準備を終えたアグニは思い切り肩を竦めた。

「……ま、今更俺の言葉を信用しろって方が難しいか。いっそ毒入りだって嘘でも吐いてみた方が素直に着席してくれてたりしてな?」

「んなわけはねえよ、そもそもお前と仲良く食卓を囲むなんて気がそもそもねえんだ。……今までの事を振り返ってみろ、お前を信用する理由なんてどこにも見当たらねえ」

 部下をあっさりと切り捨てるスタイルも、使える物は環境だろうと嘘だろうと偶然だろうとなんでも使うある種の意地汚さ。なりふり構うことなく計画の完遂を目指して動いてくるアグニのような人物が食卓を用意するなど、そこには何か策があるに違いないのだ。少なくとも、コイツは善意から俺と食事の席を共にしようと思うような奴じゃない。

「ああ、正当な評価だ。捕まったからって変に日和ってすり寄ろうとしないところは評価してやるぜ」

 俺の言葉にけらけらと笑い、アグニは賞賛の言葉を口にする。だが、その直後に続いたのは冷たい声音だった。

「――けどな、こっちとしてもお前に食べてもらわなくちゃ困るんだ。大将がやっとのことで捕まえた客人が疑心暗鬼の果てに飢え死にするとか、ある意味もっとも興ざめな終わり方だからな」

 俺の料理が盛られた皿をこちらに引き寄せ、アグニはそれの一部を小さく切り取る。そして、躊躇することなくひょいとそれをアグニは口の中に放り込んで見せた。――毒見をしてやったとでも言いたげな、そんな表情で。

「保存食はもともと密閉されて仕込みの余地はねえ、おまけに今俺は毒見までした。今俺がぴんぴんしてるってことは、少なくとも即効性のある毒は入ってねえことは間違いねえ。……ここまで誠意を見せたんだ、お前さんからも何か報いがあると嬉しいんだけどな?」

「……お前のそういう所が、本当に苦手だ」

 あっけらかんとした様子で自分の命を賭け皿に乗せるアグニに、俺は思いっきり顔をしかめる。ただの交渉一つのために自分の命を晒すことができるその姿勢は、敵に回すとそれはそれは厄介なものだと言わざるを得なかった。

 それでいて面倒なのは、アグニはおそらく自分が死なないことを確信した上で命を賭ける様な素振りを見せていることだ。今だって、そしてあの古城でだって。最初から自らの逃げ道を定めた上で、アグニは自らの命をちらつかせている。

 そこには衝動的な情熱や強靭な意志があるわけじゃなく、ただ淡々とした打算があるだけだ。それができるようになるのが『大人』だというのならば、俺は大人になんて一生なりたくなかった。

「……この半年で、魔銃の扱いは覚えた。あんな舐めた交渉はもうできないと思えよ」

 せめてもの抵抗にそう告げながら、俺は渋々食卓に着く。疑心暗鬼のままで飢え死にするのだけは避けなければならないという一点だけにおいて、アグニと俺の思惑は一致していた。

「おっと、それはいいことを聞いた。もしそれを知らなかったら、次もお前さんの緊張に期待しちまってたかもしれねえな」

 席に着いた俺に笑みを向けながら、アグニは面白がるような視線を投げかけてくる。それを受けて妙に虫の居所が悪くなるのを感じながら、俺は軽く手を合わせた。

「おー、敵から出された料理だってのに律儀なもんだな。それも大将と一緒にいたころの記憶か?」

「いつとかじゃねえよ、染みついた癖みたいなもんだ。……本当に毒入りじゃないただの非常食なら、誰が出そうが食べ物に罪はねえだろ」

 褒めているのか皮肉っているのか分からない問いかけに声を低くしながら、俺は恐る恐る干し肉を一かけら口の中へと運ぶ。次の瞬間食べ慣れた干し肉と同じような塩気と食感が口の中に広がってきて、呑み込んだ俺の口から安堵の息が漏れた。

 少なくとも味が何か変と言うわけでもないし、アグニの言っていることはだんだんと信憑性を増してきている。……クライヴは本当に、俺を殺す気はないのかもしれなかった。

「もう食べたから種明かししちまうけどよ、それは俺たちの部下が帝都で買ってきた市販品だ。だから何か仕込みをしようにもできねえし、そもそもやるつもりがねえ。……お前さんには聞きたいことがたくさんあるんだ、もう少し肩の力を抜いてくれるとありがたいんだけどな?」

「生憎談笑する気にはならねえよ。俺とお前で出来ることなんて腹の底を探り合うことぐらいだ」

 期待のこもったアグニの視線を一蹴し、俺は少し大きく切った干し肉を口へと運ぶ。久々の食事に身体が喜んでいるのが、一口食べる度にひしひしと感じられた。

 これが一人の食事だったら美味い美味いとどんどん食べ進めているところなのだが、目の前にアグニが居る状況ではそうもいかない。……殺す気はなかったにしろ、コイツが何らかの意図をもって俺を訪ねてきたのは間違いないんだから。

「ああそうだな。意味の姉会話をして笑いあうなんて、そんな温かい食卓をお前と囲めるなんて思ってねえ。……ただ、お前が一方的に損をするような話を持ち込むつもりもないんだぜ?」

 そんなこともあって俺は強硬な姿勢を取り続けていたのだが、アグニが発したその一言で僅かに風向きが変わる。それを感じ取った俺を見て、アグニは笑みを深めながらすかさず続けた。

「まず最初に一つ断っとくが、俺は大将の差し金でここに来たわけじゃねえ。俺は俺の意志でここに来てるし、それに大将が気付いてることもないはずだ。そのためにわざわざウチが誇る魔導技士の力を借りたぐらいだからな」

 アイツを引っ張り込むのも中々苦労したんだぜ――と。

 先制攻撃、あるいは誠意の証だと言わんばかりに、アグニは先んじて情報を開示する。それも、俺が今まで考えていた前提を全て覆すようなものを。――否が応にも、俺は交渉のテーブルにつかざるを得なかった。

「……それは、クライヴを裏切ったってことか?」

「裏切るなんてとんでもねえ、ただ部下には部下なりの考えがあるってことだ。その全てを見通されて管理されるんじゃあ、我慢強い俺でも流石にやってられねえよ」

 俺の問いを笑顔で否定し、アグニはさらに情報を付け加える。……それは、自ら組織の弱点を晒すような真似にも等しいような気がして。

「お前たちの組織、意外と一枚岩じゃないんだな」

「そりゃそうだろ、なんてったって大将の実力があってやっと軸が成立してんだからな。その力の後ろについて行けば自分の目的も達成できるって考えてるから、俺たちは大将に付き従う事を選択してる。『友情』とか『信頼』で繋がってるお前たちとは違って、俺たちはただ単に『利害の一致』でここにいるだけだ。少なくとも、オッサンはそう解釈してるぜ?」

 肝心の結論部分をはぐらかすように一人称を冗談めかしたものへと変え、アグニは自分が所属する組織の本質を堂々と晒してみせる。それを受け取ってしまったからには、俺はもう『交渉相手』として求められる振る舞いに応えなければならなかった。

「さて、こっちはここまで手の内を明かしたんだ。個人的な質問の一つや二つぐらいは許してくれたっていいよな?」

 話題を変えるチャンスすら与えないほどの速度で問いかけを重ね、アグニは俺をまっすぐに見つめてくる。……視線の奥に何を見ているのか全く分からないその瞳が、無性に恐ろしい。

「分かったよ、でも答えるのは個人的な質問だけだ。俺の仲間たちの情報を売るつもりはねえぞ」

「ああそれでいい、もともと聞きたいのはお前さんの事だ。……それじゃあ、ありがたく質問させてもらうけどよ――」

 俺の張った最低限の防衛線を快く受け入れ、アグニは瞳をわずかに揺らめかせる。そして、普段よりもゆっくりと間をおいてその口を開くと――

「――お前さんや大将が使ってる『修復術』とやら、アレは一体何なんだ?」

 いつになく真剣な口調の問いかけが、広々とした部屋全体に響いた。
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