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第六章『主なき聖剣』

第四百五十六話『再会と、初対面と』

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「――皆様、お待ちしておりましたわ。団長から先んじて事情は伺っております、どうぞ遠慮なくおかけになってくださいませ」

 騎士団本部内の一室に通されたリリスとツバキ、そしてフェイとレイチェルの四人を、騎士服に身を包んだアネットが丁寧な騎士礼とともに出迎える。揺らめいた長い銀髪が、天井からの光を受けてきらきらと輝いた。

「あの男の使者と言うからどのような堅物が来るかと思っていたが、なかなかどうして麗しい娘じゃのぉ。おまけに妙な雰囲気も漂っているあたり、お主もお主でただものではない様じゃな」

「そちらこそ、一目見ただけですぐにそうだと分かりましたわ。……御伽噺に語られる大精霊様にお目にかかれたこと、心から光栄に思いますわよ」

 皮張りの椅子に腰かけたフェイが向けた好奇の視線に、アネットはもう一度深々と騎士礼をすることで応える。話にしか聞いていないアネットは知らないだろうが、フェイが自発的に他者へ興味を抱くことはかなり珍しいことだ。

「かしこまった呼び方は好かん、気軽にフェイと呼ぶがよい。今から貴様と共闘するのは御伽噺に伝わる大精霊ではなく、ただ一精霊としての妾なのじゃからな」

「ええ、承知いたしましたわ。では改めて、フェイ様と」

「うむ、その方が快い。よろしく頼むぞ、騎士の小娘」

 フェイの頼みにすんなり順応して見せたアネットに、フェイは満足そうな表情を浮かべながら体重を背もたれに思い切り預ける。まだすわりが悪そうにしているレイチェルが隣にいることも相まって、その尊大さな態度がなおのこと際立っているように思えた。

「……なんというか、思った以上に順応が早いのね」

 一連のやり取りが一段落したのを見て、リリスは素直な感想をぽつりとこぼす。勿論フェイの方から歩み寄ったことも大きいが、それを差し引いても初対面とは思えないほどに二人のやり取りはスムーズだった。

「そうだね、もしもの事があったらフォローしなくちゃとか思ってたんだけど。……もしかして、この時に備えてかなり準備とかしてたのかい?」

「そんなことしてませんわよ、ただわたくしは出来る限りの敬意を払って接しているだけですわ。……何せフェイ様は、物語にその生き様が語られているお方なんですもの」

 四人が座ったのを見届けてからアネットも椅子に腰を下ろし、目をキラキラと輝かせながらツバキの問いに答える。その紅い瞳の中に憧憬の光が宿っているのを見て、リリスはその態度の理由を悟った。

 正式な騎士となった今も、アネットは叙事詩に綴られた憧れの騎士の背中を追いかけて研鑽を積み続けている。たとえ文字で読んだものだけであったとしても、アネットにとってそれが人生を変えるほどの輝きであったことは間違いない事実だった。

 そして、文章に綴られているという点ではフェイもまたその騎士と同等レベルの存在であると言えるわけで。……そりゃ端から最大限の敬意を払うわけだと、リリスばワンテンポ遅れて納得する。

「大切な存在を守るために自らの身を投げ打つフェイ様の在り方は、確かに騎士のそれと呼んで差支えのない物ですわ。……幼い私にそれを教えてくれた方と肩を並べられるなんて、これだけ幸運なことはそうそうあったもんじゃありませんわよ」

「……ふむ、面と向かってそこまで称賛されるとさしもの妾も面映ゆいものじゃな。妾は誰も彼も無差別に守る人間ではない故、全てを守らんとする騎士とはどこまで行ってもそりが合わぬぞ?」

 故にこそ騎士団と共同戦線を組む価値があるのじゃが――と。

 珍しく照れたような様子で頬を掻きながら、フェイはどことなく柔らかい声を発する。アネットと対面してまだ二分も経過していないほどなのだが、その短い間にフェイの見たことのない側面が次々と顔を出しつつあった。

「ええ、尊敬するのにその方の全てを理解する必要などありませんもの。わたくしの見た貴女の姿はわたくしの生き方に確かに影響を与えている、それが分かっているなら十分すぎますわ」

「尊敬するのにその人の全てを理解する必要はない――うん、いい言葉ね」

 笑顔とともに堂々と断言したフェイの言葉を、リリスもまた瞑目しながら噛み締める。瞼の裏に映るのは、今ここにいないマルクの姿だった。

 マルクの記憶が取り戻されたからと言って、記憶が欠けているときのマルクの行動や在り方が偽物になるわけではない。魔術神経を致命的に傷つけ、どん底にまで沈んでいたリリスを見つけ出してくれたのは、マルク以外の誰でもないのだから。

 半年以上の時間を一緒に歩んできたマルクの在り方を、リリスは心から尊敬している。……記憶が戻ることでそれが変わってしまうのは、本音を言うと少しだけ怖いけれど。

「ありがとうね、アネット。貴女が肩を並べて戦ってくれること、本当に心強く思うわ」

 自分に向けられた言葉でないことも構わず、リリスはフェイに感謝を告げる。フェイから向けられる視線は、リリスが何を想っているのか完璧に見透かしているように思えた。

「……ええ、わたくしの方こそ光栄ですわ。進むべき道に迷っていたわたくしをまばゆい光で導いてくださった恩、今こそ全身全霊で返させてもらいますわよ」

 腰元の剣に手を触れながら、アネットはリリスの感謝に笑みで応える。まっすぐにこちらを見つめるその視線は、少し見ないうちにまた揺るがなさを増しているように思えた。

「魔石の中から垣間見ていて何となく察してはおったが、あの小僧は本当に顔が広いな。これも小僧が掲げる『人徳』とやらの賜物と言うわけか」

「そういう事だよフェイ、これがボクたちのリーダーが積み重ねてきたものさ。共同戦線を張ろうと動いた誰もがマルクのことを心配してて、どうにか取り戻そうと頭を回してる。……まあ、心配する理由には色々と個人差はあるだろうけどさ」

 感嘆するフェイにツバキは胸を張って応えると、最後にちらりとリリスの方を見やる。……その言葉の通り、ツバキとリリスでさえもマルクを取り戻そうとする理由は完全に一致しているわけじゃない。……とはいえ、九割ぐらいは同じものだとは思うのだが。

 問題があるとすれば、リリスにあってツバキにないであろうその一割の感情がリリスの心を強く揺さぶりすぎていることだ。それは勇気になって強くリリスの背中を押すこともあれば、恐怖心になって前に踏み出そうとする足を竦ませることもある。絶えず胸の内を暴れまわる新鮮な感情を、自覚して二週間ほどが経った今もリリスは制御しきれずにいた。

 けれど、その感情は決して否定して封じ込めていい物じゃない。それがリリスの心や思考を際限なく搔き乱していくのだとしても、リリスはそれとまっすぐに向き合わなければいけないのだ。そうじゃなきゃ、次にマルクと会った時に心からの本音で話すことは出来ないだろうから――

「今も昔も、恋心が人を大きく変えるのは同じじゃからのぉ。グリンノートの娘の初恋を影に日向に後押ししてやったあの頃が懐かしいわ」

「……ちょっ、フェイ⁉」

 そんなことを考えているうちに、全部表情に出てしまっていたのだろうか。どこか楽しそうに口元を吊り上げながらこちらを覗き込んでいたフェイが唐突にそんなことを言ってくるものだから、リリスは思わずすっとんきょうな声を上げてしまう。隣でレイチェルが慌てた様子でフェイの肩を結構なペースで叩いていたが、愛しい相棒の制止も今だけはお構いなしのようだ。

「これは妾からのアドバイスじゃが、想い人がいるならばはっきりと口にした方が身のためじゃぞ? その立ち位置をはっきりとしておれば、恋敵の一人や二人は前もって払いのけられるかもしれんからの。少しでも多くの他者を助けたいと思ってしまうあの小僧のような人間を想うならなおさらじゃ」

 あの手の人間は知らぬ間に人間関係が拡大していく故な――と。

 リリスの焦りなど視界にすら入っていないと言いたげに、フェイは四百年余りの間で練り上げたのであろう恋愛理論を語って聞かせる。あえて濁していたところをはっきり言いきられたことに抗議したい気持ちでいっぱいではあるのだが、あながち説得力がないというわけでもないのがまた面倒だった。

「大丈夫だよフェイ、恋心を自覚する前から無意識にそういうことはしてたから。いつだったかマルクが倒れた時、『私が膝枕するんだ』って譲らなかったぐらいだしね」

「……待ってツバキ、なんで貴女まで……⁉」

「ほう、小娘も素質はあるようじゃな。その意気じゃぞ小娘、自らの想いを隠す必要などどこにもないのじゃから」

 なぜかノリノリで追加情報を出してきたツバキに突っ込む暇もなく、フェイは上機嫌な様子でリリスの背中をうりうりとつついてくる。何が二人のスイッチをそこまで刺激してしまったのか、もうリリスの力だけではこの流れは止められそうにない。

 そう思ってアネットの方へと視線を投げるが、帰ってくるのはただじいっとこちらを見つめる意味深な視線だけだ。その注目は二人にと言うより、リリス一人の方に向けて投げかけられているもののような気がして。

「……すみません皆様、一つ質問してもよろしくて?」

 二人のやり取りの合間に挟まってくるように、アネットがおずおずとそんな言葉を投げかけてくる。それを合図にしたかのように部屋の中は静まり返り、様々な感情を孕んだ四人の視線がアネットに集中した。

 一時的にとはいえツバキとフェイの恋愛トークが止まったのは喜ばしいが、アネットが何を言い出すか分からないのが大きな問題だ。……遠慮がちではあるがしっかりと手を挙げて発言しようとしたアネットが、リリスの眼には今の話に参加しようという意思の表れのように思えてならない。

 沈黙してからアネットが話し出すまでのわずかな時間が、リリスには狂おしいほど長く感じられる。それを破るようにアネットが口を開いた時、その瞳の中心にはリリスの姿が映っていて――

「……わたくしはてっきり初めて会った時からもうマルクさんに恋心を抱いているのだと思ってリリスさんを見ていたのですけれど、ひょっとして違ったんですの?」

「…………え?」

 アネットが投げかけたその疑問に、リリスは思わず硬直する。ツバキに見抜かれているのは何となく仕方のない事のように思えるが、当時初対面だったアネットにさえも見抜かれているという事はまた違う意味を持つ。……それすなわち、『リリスの行動はそれだけ極端だった』という証左になりかねないわけで――

「……これはこれは、本当に素質のある娘のようじゃの」

 それはそれは楽しそうな調子でフェイが発した言葉を、リリスはどこか呆然としながら聞いていた。
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