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第五章『遠い日の約定』

第四百五十二話『紐解かれる御伽噺』

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「……確か、妾にまつわる物語は『精霊の献身』とかいう名の御伽噺になっているのだったか。小娘、その内容は覚えておるな?」

「ええ、マルクたちと一緒に結構読み込んだもの。中身は大体把握しているつもりよ」

 ベルメウに向かう馬車に備え付けられた本棚にもご丁寧にその本があったから、少し手が空いた時間なんかには細かく読み込んでいた。見れば見るほどその物語は御伽噺そのもので、それにモチーフがあるなんてことは言われなければ分からないほどだ。

 それは作者の腕の問題なのか、それともフェイの生きざまがそもそも物語じみたものであるのか。――どちらにせよ、四百年もの間語り継がれ続けるぐらいにはクオリティの高いものであることには間違いないのだが――

「おお、それなら話が早いな。単刀直入に言えば、アレに書かれていることのほぼすべてが真実じゃ。多少の脚色や名前の変更こそあれ、嘘は一切書かれておらん。妾がグリンノートの人間に助けられたことも、それをきっかけに器を得て家が発展するための助力をしたことも、降りかかった災いを振り払うために器と名を犠牲にして魔術を行使したことも。全て全て、歴史に刻まれた真実に他ならぬ」

「……つまり、あなたは本当に一度消滅しかけたと?」

「当然じゃ、それをも厭わぬ覚悟で妾は魔術を行使したのじゃからな。……しかし、とある一人の人間によってその運命はかくも容易く捻じ曲げられた。その男が何者かであるかと言う所こそ、『精霊の献身』に描かれていない部分に当たる」

 リリスの確認にすぐさま頷き、フェイは一度瞬きをする。その後両の掌をふわりと重ね合わせると、フェイは懐かしむような仕草を隠さないままに言葉を続けた。

「先にも説明したが、妾が『約定』という制限付きではあれ消滅せずにいられたのは修復術師の介入があったからじゃ。摩耗した魔術神経を正しい形に修復するのは、貴様の想い人も得意としているところだったであろう?」

 片目を瞑り、少し悪戯っぽい仕草でフェイは分かりきった質問を投げかけてくる。マルクの存在がズクリと胸に痛みを走らせるのを感じながら、リリスは首を縦に振った。

「ええ、そうね。魔術神経を限界以上にまですり減らしたあなたの前に現れたのが『設計者』――修復術師だったってことでいいのかしら」

「そういう事じゃ。妾が限界を超えて魔術を行使できたのは、器を器たらしめる根幹に当たる魔力とありったけの魔術神経を犠牲にした故の事。大規模な魔術神経の損傷は不可逆であり、精霊でさえもその摂理からは逃れられぬ。――そんな妾の認識を容易く覆したのがあの男よ」

「成程ね。……私もあなたも、修復術師と対面した時の感想はそう変わらないみたい。私だけがそうじゃなかったみたいで安心したわ」

「そりゃそうじゃろう、魔術神経の修復など全ての魔術師が望みながら叶わぬものじゃ。それをいともたやすく、それもただの人間がやってのけるなど認めたら魔術界が激震するわ」

 クスリと笑みをこぼしたリリスに、フェイもまた肩を竦めながら答える。その反応を目にしたことで、ようやくリリスは騎士団の二人を先に行かせた理由を悟った。

 あの会議の場で発言をしていたフェイは、言うなれば『守り手様』『約定に伝わる大精霊』としての側面が強く出ていた。知識面でも戦力面でもカギを握る、マルク奪還には欠かすことのできない鍵。……それに対して、今リリスの前にいるのはそのどれでもない、ただの一精霊としてのフェイだった。

 おこがましいかもしれないが、リリスはフェイにだんだんと親近感を感じつつある。修復術との出会い方も、それを前にして抱いた感想も、聞いているだけでマルクとの初対面を思い出す様で。……ツバキに抱くそれとはまた違うような感慨が、リリスの胸の中に生まれつつある。

「しかしまあ、奴が妾の存在を繋ぎとめたのもまた事実じゃった。奴は器の魔術神経を一つ残らず完璧に修復し、グリンノート家が家宝としていた魔石に刻まれた術式を書き換えることで剝離していく妾の魂の拠り所とした。……妾と同じように、グリンノートの者たちもその所業にはあんぐりと口を開けておったよ」

「……目に浮かぶわね、その光景。単なる魔術神経の修復でも離れ業なんだもの、そこに加えてあなたの魂さえも繋ぎとめて見せたらもうひっくり返るどころじゃ済まないわ」

 もう消えゆくしかないと諦めていたフェイが石に封じられるという形ではあれ繋ぎ留められたのだから、その感動はきっとひとしおだろう。……これはきっと、あのダンジョンでリリスを待ち続けたツバキの方がより深く共感できるかもしれない。

「ああ、当然グリンノートの家は喜びに沸いたとも。……じゃが、修復術師にできるのは魔術神経の修復まで。大規模な魔術を行使するにあたって消費した魔力までもを補填することは流石に不可能じゃった。……そこで奴が考え出したのが『約定』、そして魔構都市ベルメウと言うわけじゃな」

「……そういう事ね。ベルメウにあなたの器が封印されたんじゃなく、あなたの器を守り抜くためにベルメウという一つの都市が生まれた。私たちが考えてた順序は完全に真逆だったってわけ」

「その通りじゃ。……そう考えれば、『なぜかように複雑な都市を作り上げたのか』という疑問にも結論を出すことが出来るじゃろ?」

 リリスがたどり着いた結論に、フェイは満足そうに頷きながら肯定を返す。どれほど考えてもぼんやりとしか捉えられなかった『設計者』のシルエットが、ここに来てようやく形になりつつあった。

「魂だけの状態でもあの小僧と意思疎通ができたように、妾もあの男と言葉を交わす機会があっての。ベルメウの基礎的な仕組みが完成するまでの数か月間、妾たちはあれこれと言葉を交わしたものよ。……つかみどころがないがきちんとした芯を持っている、温和な男じゃった」

「……さっき言ってた『修復術師の扱いが厳しくなった』って話も、そこで?」

「ああ、アレはもうすぐでベルメウの仕組みが全て組み上げられるという所になってからのことじゃったな。妾がふと問いかけたんじゃ。『修復術師がお主のほかにいるのならば、世界はもっと豊かな物へと進化していくのではないのか』とな。……妾からすればなんてことない、ただ好奇心から出た質問じゃった」

 何気なく挟んだ質問に、フェイの表情が明らかに硬い物へと変わる。心配そうに背中に触れたレイチェルに温和な表情こそ返していたが、その話がフェイにとって大きな意味を持つことは間違いなさそうだった。

「あの男が明らかな不満を示したのは、そのやり取りの時が初めてじゃったよ。どれほど修復術の事を問われても、無粋な者たちに詰め寄られても相手にしなかった奴が、初めて明確に表情を歪めた。……『頭の固いあの人たちは死んでも個人に肩入れしませんよ。こちとらそれが嫌で命からがら抜け出してきたんですから』と、吐き捨てるような答えとともにな」

「……その、言葉は」

 リリスも、同じような言葉を聞いたことがある。少し表情を曇らせながら、マルクは口を酸っぱくしながら繰り返していた。その二つの言葉が無関係だとは、どうしても思えなくて。

「あ奴はそれ以上自らの過去を語ろうとはしなかった。ただ、『誰かに肩入れできる立場の人間で居たいんですよ』と繰り返すだけじゃった。じゃが、それを聞くだけで分かることもある。修復術は、本来なら隠蔽されなければならない魔術であるという事がな」

 苦い過去を振り払うように首を横に振りながら、フェイは自らが得た結論を堂々と語る。それを確定させる証拠は何もないが、しかしその結論は不思議と納得のいくものだった。

「妾はグリンノート家の生活を通じて外の世界を観測しておったが、あの小僧らと出会うまで修復術師の類は一人たりとも現れてこなかった。そして今見つけ出した修復術師も、その片割れが自らの魔術の本質について断片的な理解しかできておらぬ。――それだけなら月日とともに修復術の本質が失われていったと結論付けることもできるが、もう一人の修復術師が本質を掴んで居る時点でその仮説は否定されたも同然じゃ。……あの小僧は、何かしらの影響によって修復術の本質を見失っておる」

「それがさっき話してたことの結論、ってわけね。……つまり、その何かしらが取り払われれば」

「ああ、小僧も修復術の本当の扱い方を思い出すじゃろう。……問題はそれをクライヴが望んでいるのか否か、と言う所じゃが」

 そうでないなら攫った意味はますます分からなくなるがの――と。

 独り言のように付け加え、フェイは顎に手を当てる。そのまましばらく考え込むような姿勢を取ってからしばらくして、軽く頷いたフェイはリリスの方を向き直った。

「それぞれの意図は違うとしても、『あの小僧を取り戻す』と言う一点で妾たちは協力することが出来る。貴様が望むのならばクライヴに対抗できる策も妾手ずから授けてやろう。……じゃが、覚悟はしておけ。仮に封じられた記憶を小僧が取り戻したのだとすれば、それに影響されて人格が変わる可能性は大いにあり得る話じゃ。――記憶こそが、一存在としての生命を形作る何よりの要素である故な」

「人格が、変わる――」

 それは、リリスの中で考えてもいなかった可能性だった。クライヴに触れられたとき確かにマルクは苦しんでいたが、けれどそれが何によるものなのかは分からなくて。……それでもマルクは無事でいるはずだと、そう論理的に説得してくれたのは他でもないフェイのはずで。

「無理にでも受け入れろとは言わぬ。……だが、失望だけはしてやるな。死力を尽くして取り戻したマルク・クライベットが、仮に貴様の惚れ込んだ姿と全く異なってしまっていたのだとしても」

 そんな忠告を残して、フェイは椅子を引いて立ち上がる。そこからワンテンポ遅れてレイチェルも続き、話は完全に終わりと言った様子だ。……今その言葉の真意を問うても、きっと答えは返ってこない。

「……マルク」

 誰もいなくなった部屋で、リリスは一人愛しい人の名前を呼ぶ。今はもう帝国にいるはずの、いずれ必ず取り戻す人の名前を。――今まで見せてきたいろいろな表情が、リリスの記憶の中には焼き付いている。

 奪われた時点で閉ざされたと思ったマルク奪還の道は、周囲の助けもあって再び目の前に開かれた。……けれど、その先で待っているのは本当にリリスの知るマルクなのか。もしも変わってしまっていたら、そのマルクをリリスはまた好きになれるのか。――その自問に、『はい』と即答できない自分がいて。

「……お願い」

 体も、そして心も無事でありますようにと、リリスはらしくもなく手を組んで祈る。リリスの知るマルクが壊されていないことを願う事しかできないほど、今のリリスはあまりに無力だった。
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