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第五章『遠い日の約定』

第四百四十五話『クライヴ・アーゼンハイト』

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「……づ、あ」

 突然、脳が締め付けられるような感覚が俺を襲う。過去のことを思い出そうとしているときのような、あの妙な夢を見ているときのような。……限りなく不愉快な何かが、俺の思考を制限している。

 その原因は、ほぼ間違いなくクライヴにあると言っていい。だが、クライヴの何がトリガーになっているのかは分からない。灰色の髪か、それとも橙色の瞳か。いや、声と言う可能性もある。……何にせよ、クライヴの存在を認知している限り俺は思うように体を動かせない。

「……ああ、やっぱり奴らの術は不完全だったね。それなら話が早いや」

 苦痛にうめく俺を見つめて、クライヴはくつくつと笑う。……その足がゆっくりと俺に向けての一歩目を踏み出した瞬間、リリスは背後に構えていた氷の槍を無言のままで解き放った。

 リリスの警戒心が形をとったようなそれにツバキの影も即座に追随し、発射速度を意識したとは思えないほどの威力を以て二人の攻撃は容赦なくクライヴの命を奪いにかかる。今までに数多くの敵を打ち倒してきた、もはや鉄板と言ってもいい連携だ。

「なるほど、やっぱりいい練度をしてるね。これはウーシェライトが苦戦するのも納得できる」
 
 だが、クライヴの態度は少しも変わらない。むしろ二人の攻撃を冷静に観察する余裕までも見せつけながら、クライヴは軽く右手を掲げて――

「けれど、戦いはちょっとお断りさせてほしいかな」

 手のひらをまっすぐ槍の方へと向け、クライヴは困ったように笑う。……瞬間、二人の力を結集したはずの槍たちは全てあっさりと砕け散った。

「……は、あ?」

 リリスの口から、無理解を垂れ流すような呟きが漏れる。生まれ持った感覚もあって魔術への理解に長けるリリスが、現状を理解できずに戸惑っている。攻撃を防がれたことも衝撃だが、俺にとってはリリスの理解が追いついていないことのショックの方が大きかった。

 リリスが理解できないものを紐解くヒントを、俺たちが持っているはずもない。そもそもあれが魔術なのか、それとも違う次元にある技術なのか、それすらも分からないままだ。得体の知れない何かを秘めて、クライヴは悠々と俺たちの前に立っていた。――その余裕が崩れない以上、俺たちはクライヴの話に耳を傾けるしかない。

「かなりいい攻撃だとは思うけど、僕にはあまり向けない方がいい。……そもそも、僕は君たちと戦うためにここに来たわけじゃないんだからさ」

 一瞬の攻防への理解が追いつかない俺たちのことなど構わず、クライヴはにこやかな様子で話を続ける。……今の衝突を経て、場の空気は完全にクライヴに支配されようとしていた。

 このままではまずいと、決して鋭いわけではない俺の生存本能が叫んでいる。だが、考えれば考えるほど不快感は増すばかりだ。……ギリギリと脳が締め上げられて、呼吸が浅くなっていくような錯覚に襲われる。クライヴのペースから逃れる術など、思いつけるだけの余裕はない。

「戦いに、来たんじゃないなら……何をするつもり、なんだよ……?」

 その中でもどうにか最善の展開を追い求めて、俺はクライヴが用意した交渉のテーブルに歩みを進めることを選ぶ。たとえそれが罠と悪意に満ちたものなのだとしても、クライヴがすぐさまこちらを殺そうとしているわけではないのは事実だ。

 リリスとツバキが一瞬こちらを向いたが、何も言うことなくクライヴの方へと視線を戻す。その態度はクライヴのお眼鏡にかなうものだったのか、その返事は少し弾んでいるように聞こえた。

「ああ、歩み寄ってくれて助かるよ。何せ僕はね、君たち『夜明けの灯』と交渉をしに来たんだから」

 両手を大きく広げて、クライヴはすんなりとここに来た意図を明かす。まるでそれすらも自らが描いた絵図の通りであるかのように、その振る舞いは堂々としたものだった。

「部下たちを抑え込むのには苦労したんだよ? この場を作れるまでにマルクに死なれちゃあ、僕の立てた計画が全部おじゃんにさせられる。他の人たちはどうなったってよかったけど、君だけは特別だ」

「……抑え、込む」

 心の底から楽しそうなその言葉に、このベルメウでの記憶が呼び起こされる。妄言だとしか思えないようなそれを裏付けるような行動を、俺は確かに目の当たりにしていた。

 十番街で遭遇したあのエルフ――ベガ・イグジスは、俺のことなど指先一本で殺せるぐらいの強者だった。だが奴はそうせずに、俺たちをあくまで生かすことを選んだ。……その時に口走っていた『すでに見出している者』とやらが、クライヴなのだとしたら。

「……ハッタリで襲撃者のボスを名乗ってるってわけじゃあ、なさそうだな」

「そりゃそうさ、目的のために僕がゼロから作り上げた組織だもの。それをすぐに理解してくれる当たり、頭が切れるのは相変わらずみたいで嬉しいけどね」

「相変わらず……? まるで前からマルクを知っているような物言いをするんだね、君は」

 愉快そうに笑うクライヴの物言いに、今まで無言を貫いてきたツバキが噛みつくように言葉を挟む。その指摘はあまりにもっともなものだったが、クライヴは一切怯まなかった。

「そうさ、僕はずっと前からマルクの事を知っている。……君たちが思っているよりもずっと、僕とマルクの縁は深いものだ」

 俺の方をまっすぐに見つめ、大真面目な様子でクライヴは断言する。……その様子を見つめていると、なぜだか脳を締め付ける痛みが激しくなっていくような気がした。

 俺の記憶のどこを掘り起こしても、クライヴとの記憶なんてものは残っていない。同じ名前の誰かと俺のことを間違えているのか、それとも自分だけの盲信に取りつかれているのか。……どちらにせよ、厄介極まりない思い違いだ。

「……ああ、別に信用してくれなくてもいいよ。成功するにしろ失敗するにしろ、僕の言ってることが間違いじゃないことはすぐに分かる。……少なくともマルク、君は確実にね」

 そんな考えが表情に出ていたのか、少し拗ねたようにクライヴはそう付け加える。少し幼いようなその態度が、この状況ではあまりに不気味に映った。

 男と言うより少年と呼んだ方がいいその立ち姿は、高めに見積もったとしても俺より二年ほど年上ぐらいにしか考えられない。その態度や顔つきにはどこか子供らしさが残っていて、俺が想像していた襲撃者のトップとはあまりに異なっている。……こいつ一人の策で一瞬にして大都市が支配されたなど、言われなければ想像もできないだろう。

「いい感じに流れもできたところで、そろそろ本題に入るとしようか。と言っても、中身はごく普通の交渉だ。僕が交換条件を提示して、それに従ってくれるなら僕も約束を果たす。単純でいいだろう?」

「ええ、回りくどくなくて助かるわ。……問題があるとすれば、あなたたちが口約束を守るような集団には見えないところね」

「それは僕だって同じさ、君たち『夜明けの灯』はみんな頭が切れる。――だからこそ、安易な誤魔化しはしないさ。約束の履行は僕達が先にやる、そっちの要求はその後に満たしてくれればいい。……それなら、少しは要求を聞く気にもなってくれるかな?」

 それ以上譲れというなら、この交渉自体をなかったことにするしかないけど――と。

 リリスの皮肉を歓迎するかのように笑いながら、クライヴは即座に追加の条件を提案する。……あまりに気軽な様子で交渉の破棄を持ち掛けてきたことが、むしろ俺の警戒を強めていた。

 そう簡単に交渉の破棄をちらつかせるという事は、『仮に交渉が失敗しようがやりようはある』と宣言しているのとほぼ同義だ。虚勢だと断じて強硬姿勢を取るのも手の一つだが、それをやろうにも先の攻防がちらついてしまう。……クライヴとやりあった時、無事に逃げ切れる保証など一つもない。

 考えすぎかもしれないが、俺たちの目の前に現れてからのクライヴの行動すべてが俺たちを交渉のテーブルへと誘導しているかのようだ。現に今、俺たちはクライヴの話を聞かざるを得ない方向へと誘導されている。

「……分かった、とりあえず要求を言え。返事はそのあと考える」

 苦痛を噛み殺して思考を回しながら、俺はクライヴに続きを話すよう促す。クライヴはパンと高らかに手を打つと、俺たちに向けて一歩歩み寄った。

「さすがマルク、話が分かるし頭もよく回る。……それじゃあお言葉に甘えて、僕から交換条件を提示させてもらおうかな」

 今度は氷の槍に遮られることもなく、どんどんとクライヴは俺たちの方に歩み寄る。そうして俺たちに肉迫した奴はまっすぐに手を伸ばし、ついにその交渉の中身を明かした。

「……僕の計画を成就させるために、『修復術師』マルク・クライベットの力がどうしても必要だ。……君たちがマルクの身柄を引き渡してくれるなら、僕が奪い取ったベルメウの都市機能を全て返還し、速やかに全戦力を撤退させることを約束しよう」
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