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第五章『遠い日の約定』

第四百二十四話『無人の守備』

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――時間は、マルクたちが九番街にたどり着く約二十分ほど前にまで遡る。

「……氷よ」

 真横からまるで弾丸の如く吹き飛んでくる気配を感じ取り、リリスは低い声で呟く。その瞬間に作り上げられた五メートル四方ほどの氷の壁が、リリスたち一行を撥ね飛ばそうと暴走する車をあっさりと受け止めた。

 まるで車が悲鳴を上げているかのような轟音が響き渡るが、前に進むための機能を全て喪失するまで車が前進をやめる気配はない。まるでそうすることを義務付けられているかのように、もはや永遠に届かない目標へと向かって車は稼働し続けている。

「……難儀な物ね」

 その様をどこか憐れむようなな視線で一瞥したのち、リリスはため息とともに軽く右手を払うような仕草を見せる。他者から見れば何でもないようなその仕草を媒介にして生まれた氷の剣は、壁をぶち破ろうと足掻き続ける車を無慈悲に貫通した。

 傍から見ればやりすぎにも見えるその一撃がとどめとなって、車はようやく押し付けられた役目から解放される。きっとたたくさんの人を運んできたであろう車の最後がこれと言うのは何ともいたたまれないが、その感傷に浸っていられるだけの余裕を求めるのは無理があるというものだ。

「……ふう」

 喫緊の危機が去ったことを確認し、リリスは軽く息を吐く。魔力の消費量的に言えばなんてことはないが、あれほどまでにわかりやすい危険が迫れば緊張もするというものだ。――冒険者ですらない非戦闘員を守りながらの道のりでなら、なおのこと。

「何度見ても見慣れないな、あなたの魔術は。たとえエルフであったとしても、この領域にまでたどり着くには並々ならぬ修練が無ければおかしいぐらいに」

 塔の非戦闘員はと言えば、リリスの魔術が作り出した光景をを呆然と見つめながら嘆息している。リリスの救援が無ければ三人まとめて撥ね飛ばされる直前だったのだが、そのことにはどうも気が付いていないようだ。

 まあ、気が付いていない方が好都合だとも言える。ジーク・ランディアと名乗った都市職員の男は確かに肝が据わっているが、精神力が強いことと『死』に怯まずにいられるかどうかは似ている様で別の話だ。一つ一つの危機に腰を抜かされてもリリスたちの足取りが遅くなるだけだし、どんな形であれ平常心を保っていてくれる方が好都合だった。

「そうなんだよ、リリスの本質は間違いなく努力にあるからね。君は中々見る目があるよ、世の中にはそのことを無視してリリスを評価する人が多すぎるんだから」

 ジークの口から出た称賛の言葉に、ツバキはまるで自分が褒められたかのように堂々と胸を張って見せる。リリスから言わせればツバキの方がよほど努力の人ではあると思うのだけれど、自分が称賛を受ける気はさらさらないようだ。

「魔術というのは使えば使うほど馴染んでいく物だからね。どうすればスムーズに魔力を扱えるのか、どうすれば自分のイメージをより正確に魔術へと落とし込めるのか。駆け出しの魔術師がほぼ確実に抱くであろう疑問に対する回答は全て『経験を積む』ことであると、ボクはそう考えているよ」

 まっすぐに伸ばした指先からゆらゆらと影を立ち上らせながら、ツバキははっきりとそう断ずる。ツバキが指を曲げると影も折れ曲がり、逆にピンと伸ばせばその分だけ高く立ち上り。最後にグッと手を強く握りこむと、それに押しつぶされるようにして影はあっさりと消失した。

 あまりにあっさりとやっているからまるで手遊びのように見えるが、あれの本質もまた正確な魔力のコントロールだ。単純な魔力制御ならリリスはツバキに敵わないのではないかと、研究院で半年特訓を積んでもなお――いや、特訓を積んだからこそなおさらそう思ってしまう。

「そういう意味では、この街のシステムを構築した魔術師はボクたち以上の経験を積んでいたと言ってもいいかもしれないね。製作者が亡くなってから数百年誤作動を起こさない魔道具なんて、どうやって作ったらいいかボクにも分からないんだから」

 軽く苦笑しながら、ツバキはジークから視線を外す。……その黒い瞳の中には、先ほどよりもかなり大きく見えてきた都市庁舎が映し出されていた。

 ジークの願いに応えて都市庁舎を目指すことにしてからしばらく経ったが、今のところはとりあえず順調な道のりと言っていいだろう。特に苦戦することもなく、魔力を無駄遣いするようなこともせずに済んでいる。都市庁舎の制圧は襲撃者にとってさしたる問題ではないんじゃないかと思ってしまうほどに、都市庁舎を守る勢力は手薄だった。

 それだけだったらただ好都合と言うだけで済むのだが、違和感は決してそれで終わりではない。……ツバキの影の恩恵も受けずにリリスたちが堂々と街道を歩けてしまっているのが、その正体を何よりもはっきりと体現していた。

「……やっぱりいないわね、人。ベルメウを偵察しているうちにあっちも自動化にハマったのかしら」

「そんなユーモアのある理由だったらいいんだけど、大方この車たちが人の代わりをしてるってことなんだろうね。……仮にも都市の中心部のはずなのにこれだけで守りを済ませるあたり、あっち側にとってここはそう重要度が高い場所でもないのかな」

 都市庁舎に向かい始めた時はちらほらと見えていた黒い人型のシルエットは、今となってはもうどこにも見当たらない。まるでその代理をしているかのように視界の中をいくつもチラついているのが、今さっきリリスたちに突っ込んできたものと同じタイプの車たちだった。

 この様子を見るに、この都市の車は一台残らず全て掌握されてしまっているようだ。自分の縄張りを主張するかの如く何度も同じ場所を往復する大量の車たちに捕捉されれば、車は暴走する鉄の弾丸へと姿を変えるだろう。全速力で突っ込んでくる車は、迂闊に近づく人間を処理するのに十分すぎる威力を秘めているのだから。

「……いや、そんなことはないと思うわよ。うかつに都市庁舎へ人を通さないための仕掛けとしてはこれ以上の物はないしね」

 ツバキの推測に首を横に振り、リリスは淡々と答える。今こうして外側から観察しているリリスたちへと襲い掛かってこないぐらいには融通の利かない車たちではあるが、厄介さだけで言えば下っ端を並べているよりよっぽど高いのも事実だった。

 一台や二台襲い掛かってくるぐらいならばリリスの魔術でどうとでも処理できるが、それ以上の数が一気にかかって来られるとジークの安全までもを保障できるかは怪しいところだ。今見えているだけで十台以上の車が都市庁舎を守るように稼働しているところを見ると、無人だからと言って防衛力とは言い難いだろう。

「あっちになんの意図があるかは分からないけど、きっと何らかの意図はあってここを無人にしてるんだと思うわ。簡単に都市庁舎を奪還できるなんて可能性は今の内に捨てておいた方がよさそうね」

「……かもね。相手の手の内が見え切ったわけじゃないんだ、気を抜くのは迂闊だった」

 リリスの言葉に頷いて、ツバキは先の発言を引っ込める。ツバキが希望的観測を話すのは珍しいことだったが、この状況にもなれば小さなところに希望を見出したくなっても仕方ないことではあった。

 都市庁舎に向かうべくそこそこの距離を移動してきたはいいが、そこに転がっていたのは鉄の弾丸に撥ね飛ばされた人間の亡骸たちだけだ。施設への被害はまだ薄めだが、人的な被害が甚大なものであることはもう疑いようもない。……事実、この街の住人と思しき人にはジーク以外一度も遭遇できていないわけで。

 端的なことを言ってしまえば、この襲撃はもはや取り返しのつかない領域にまで進行していたっておかしくはないのだ。ここから最速で相手を撤退させることに成功したのだとして、それまでに出てしまった被害がなかったことにできるわけではない。絶対的だと思っていた魔道具が暴走してしまったことも含めて、今までのベルメウの在り様を取り戻すのはとても難しいことであるように思えて仕方がなかった。

 ただ、だからと言って膝を折ってしまえばそこで話は終わってしまう。襲撃を終わらせるために動いている以上、その先に一つでも多くの価値があると信じて行動し続けるしかない。それがアグニ達に少しでも損害を与えることにつながると、そう信じて。

「……しかし、あれほどの車をかいくぐって進んでいくのは難しそうですね……。お二人はともかく、私はあの速度で迫ってくる車を避けるなんて無理ですし」

「あなたどころか並の冒険者でも無理よ、あんな速度で迫ってくる鉄の弾幕を避け切るのは。……だから、ちょっと贅沢に行くとしましょうか」

 申し訳なさげなジークの言葉に呆れの混じった笑みをこぼしながら、リリスは両手を軽く掲げる。それに呼応するようにして、リリスの周囲の空気が一瞬として冷たさを纏った。

 ジークの言う通り、この車全てを避け切って向こう側へとたどり着くのは到底無理な話だ。風魔術を使えれば最も安全に突破できるのだが、あの速度感にジークが耐えられるとも思えない。それを鑑みれば、今から打つ横着な一手が一番安全かつ確実だ。

 自分の内から放たれる魔力に意識を集中しながら、視界はしっかりと眼前の車たちを見つめる。本来の役割とは全く違ったものを与えられたそれらも本来被害者なのだが、だからと言って傷つけずにいられるほど現実は甘いものではない。事情はどうあれリリスたちの邪魔をするのなら、徹底的に叩き潰すまでだ。

(巡り巡って、それもマルクのためになるわけだし)

 リリスたちのゴールは四人揃って無事に帰る事、都市庁舎の奪還はあくまでその通過点だ。だからこそここでうかうかはしていられないし、車の群れ如きにいつまでも手こずるわけにもいかなかった。たとえそのために、普段よりも多めに魔力を消費することになるのだとしても――

「――ちょこまかちょこまかと、いい加減目障りなのよね」

 声に確かな不快感をにじませて、リリスは掲げた両腕を思いっきり振り下ろす。……その直後、リリスによって張り詰められた大量の魔力が一気に炸裂して。

「……う、わあ」

 一台の車につき一本割り当てられた氷の槍たちが、一糸乱れぬタイミングで轟音とともに車を突き上げるようにして刺し貫く。宙に浮いたことによって何の意味も成せなくなった車輪が、状況を呑み込めないままで空転を続けていた。
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