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第五章『遠い日の約定』

第四百十九話『一個人の意見』

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 脱力した様子で体をだらりと垂らし、剣先が地面に付くか付かないかスレスレの状態で構える。敵に対して正対することを基本とする騎士剣術とは真逆を行くその構えは、まるで獲物を狙う獣のような印象を俺に与えた。

 そういう意味で言うと、あの構えの本質はメリアのそれに近いかもしれない。儀礼的な意味やルーツなど全く持たない、ただ敵を打ち倒すためだけに磨き上げられた剣術。あの時俺たちの脅威であったと同時に救いにもなったあの姿は、半年たった今でも脳裏に強く焼き付いている。

 ロアルグがそんな一面を秘めていたことを、俺は今この場になって初めて知る。……騎士団長という看板を取り払った先にこんな姿があることを知っていたのは、きっと隣に立つガリウスだけなのだろう。

「……マルク君、グリンノートさんのケアを頼む。無理に加勢しろとは言わない、ただ心が折れないようにだけしていてくれ。きっと、アグニの狙いはそこにある」

 ちらりとこちらを振り返り、ガリウスは俺にそんな役割を託していく。きっと戦力の一部としてカウントしていたであろうレイチェルの存在を、ガリウスは意外にも頼るつもりはないようだった。……無理やりにでも『約定』を果たさせようとしていたことから考えると、それは大きな変化であるように思えて。

「マルク……あたし、あたしは」

「大丈夫だ、無理に何かしようとしなくていい。ちゃんと考えて答えを出せるだけの時間ぐらいなら、あの二人がきっと稼いでくれる」

 ガリウスたちの背中を見つめながら声を震わせるレイチェルの肩に手を置いて、俺はいつもよりゆっくり、そしてはっきりと語りかける。今のレイチェルに必要なのは、自分が置かれた状況を、これまでの出来事の背景にあった真実を呑み込めるだけの十分な時間だ。それさえあればレイチェルはきっと決断してくれると、今ならそう信じられる。

 この一日だけで、レイチェルは見違えるほどに大きく成長した。それを隣で見てきたからこそ、俺はその可能性に賭けずにはいられない。……アグニの悪意に負けてその成長が阻まれるなんてことがあっていいわけがないと、そうも思う。

「レイチェル、大丈夫だ。……今は、二人を信じよう」

 肩に手をかけたまま、俺はレイチェルに言い聞かせる。それでもレイチェルの身体の震えは止まる気配を見せてくれないが、これが俺にできる最大限の事だと信じるしかなかった。

 そうなれば、自然と闘いの行方は残された四人に託される。ガリウスとロアルグ、アグニとマイヤ。……奇しくも二対二のコンビ戦となるわけだが、その内実は微妙に違っているように思えてならない。

「ずいぶんとはしたない構えになったなあ、団長様よ。それがお前たちの追いかける騎士の理想って奴か?」

 戦意を滾らせたロアルグを前にしても、アグニの余裕は揺らがないままだ。それは当人の適性もあるが、きっと背後に立つマイヤの存在も大きいのだろう。……原理は分からないが、アレはロアルグの殺意を込めた一撃すらも跳ね返す魔術を扱えるのだから。

 アグニのどこに心酔するような要素があるのか、生憎俺には全く分かったものではない。だがあの女の心は間違いなくアグニとともにあり、アグニの指示ならばどんなことでもきっとあの女はやってのけるのだろう。……発される言葉や行動の端々を見れば、いっそ狂気じみたその愛情はあまりにもはっきりと分かる。

 どれほどの手練れを相手取っていたのだとしても、その攻撃を食らう事がないのならば少なくとも『敗北』はあり得ない。途方もない力量差がありながら殺意がなかった故に勝負として成立したベガとの戦闘のように、自らの身体が傷つかないという確信は人を多少なりとも大胆にするものだ。アグニの場合、それがあの饒舌っぷりに繋がっているという事なのだろう。

「いいや、今の私に騎士団など関係のないものだ。……私は騎士としてではなく、一人の人間として貴様を殺す。貴様のような人間の在り方を、私は全力で否定する」

「ルグに同じく、僕も一個人として君たちに向かい合ってるよ。騎士団のやり方とか使命とか、そんなものは何の関係もない。……ただ君のことが気に入らないから、完膚なきまでにぶっ殺す」

 しかし、そのあおりに対して二人は純然たる殺意を以て返す。煽られて頭に血が上っているというわけでもなく、至って冷静に。いっそ冷え切っていて怖いぐらいに、二人の声色は淡々としている。

「このやり方は久しぶりだね、ルグ。まさかとは思うけど、君の本能が鈍ってるなんてことはないでしょ?」

「当然だ。……お前こそ、力量不足で私をがっかりさせないことだな」

 騎士としていた時よりも少し乱暴に言葉を交換しつつ、ガリウスはロアルグの持つ剣に軽く触れる。……瞬間、まるで体そのものを直接触られでもしたかのようにロアルグは軽く身震いした。

「行くぞ、アグニ・クラヴィティア。……私たちの前に立ったことを、後悔させてやろう」

「おーおー、随分と大口をたたいてくれるじゃねえか。……まあ、俺的にはそっちの方が好きだぜ?」

 堅苦しいのは好きじゃねえしな――と。

 ロアルグの宣戦布告に応えながら、アグニも両手に持った魔道具を剣の形態へと切り替える。リリスやツバキの猛攻すらも真正面から死の意で見せるその技量は、明らかに常人を逸脱した領域にある物だ。……そこに不可視の障壁まであるとなれば、その脅威度は計り知れない。

「来いよ、初段は譲ってやる。……お前たちの殺意が騎士って概念に植え付けられたものじゃないこと、オッサンにとくと見せてくれや」

 まるで手招きするかのように剣先を揺らし、アグニはなおもロアルグを挑発する。それは余裕の表れなのか、それとも騎士の看板を下ろした二人に対する興味からくるものなのか。……そのどちらが動機だったにせよ、その行動がロアルグたちへの軽視から来ているのは疑いようもないが――

「いいだろう。……貴様のその慢心、消えぬ傷へと変えてやる」

――アグニの表情から笑顔が消えたのは、その直後の事だった。

 ゆらりと身震いしたと同時、ロアルグの姿は一瞬にして掻き消える。次に俺がその姿を目で捉えられたときにはもう懐へと潜り込んでいて、地面スレスレに垂らされた剣がアグニに向かって振り抜かれるまであとわずかと言ったところだ。

「う、お……ッ」

「――下郎如きが、アグニ様に近寄るなと言っているだろう‼」

 卓越した速度に息を呑むアグニの声と、その接近を拒絶するマイヤの声が同時に響き渡る。それと同時にロアルグの身体ははじき返され、よろめきながら二、三歩と後退した。

 だが、ロアルグの全身はそれでも止まらない。そのよろめきをも起点とするかのようにまた体を揺らし、障壁を纏っているであろうアグニに向かって何度も踏み込んでいく。ある時は体そのものを弾かれ、ある時は振り出した剣の先端が思い切り押し返され。両者を隔てるようにして障壁が存在することでアグニから攻撃を仕掛けることも難しいが、ロアルグがこれ以上攻め入るのも難しい状況だ。
 
 それに気づいているのかいないのか、ロアルグは前進してははじき返され、前進してははじき返されを繰り返す。壁一枚隔てた先にある命へと続く風穴を、強引にこじ開けようとするかのように。

「成程、こいつは確かにすげえスピードだな。……けど、力づくじゃあマイヤの防御は破れねえぜ? 認めるのも実に癪だけどよ、こいつの壁は俺も壊せねえぐらいの優れものだからな」

 そのやり取りの内にアグニもだんだんと余裕を取り戻してきたのか、一度は消えていた皮肉げな笑みが再び戻ってくる。ただ愚直に正面から壁を破ろうとするロアルグの事を、アグニは確かに嘲笑していた。

 目に見えやすい形ではないにせよ、アグニもマイヤの事を信じているという事なのだろう。その壁がある限り永遠に彼我の距離が縮まることはなく、剣戟はアグニの身体へと届かない。……このまま逃げ続けているだけで、アグニ達は事が済むまで騎士団の最高戦力を足止めできるというわけだ。

「お前自身は捨て去ったつもりかもしれねえけどよ、お前の身体にはもう救えないぐらいに騎士団としての在り方が染みついちまってる。出来もしない理想を掲げて、現実なんてこれっぽっちも見りゃしねえ。……現実を受け入れられないのは、人間として致命的だぜ?」

 なおも続く剣戟を拒絶しながら、アグニはロアルグを、あるいは騎士団を嘲笑する。それがアグニ達を逆撫でしうるものだと分かってもなお、少しもためらうことなく言葉を紡ぎ続ける。……それは少し前、騎士としてのロアルグが激昂した物ともよく似ているような気がしたが――

「現実か。……そんな物なら、もうとっくに受け入れている」

――それを聞いて、ロアルグはむしろ笑って見せた。今までに受けた分のお返しだと言わんばかりに、目一杯の嘲りを込めて。

「もう知っていることだろうが、私の友人は偽装魔術の使い手だ。普段は変装したり姿を隠したりとロクな使い道が出来る物ではないが、今回私にかかっている偽装魔術は特別製でな。……いつもより強く、偽装された概念がこの世界に紐づいているんだ」

 今まで一方的に話された分もやり返すかのように、ロアルグは滔々と語りながらまたアグニへと踏み込んでいく。それは勝機がないと分かって繰り出すものではなく、その先に間違いのない勝利を、アグニを切り裂く未来を見据えたもののように思えた。

「当然仮初の偽装だ、そう長く続くわけでもなければ絶大な効果を発揮するものでもない。だが、それも使いよう次第で化けるというものだ。……その点、アイツは私より圧倒的に頭の切れる奴だよ」

 普段の何倍も雄弁に語りつつ、ロアルグは地面スレスレに構えた剣をアグニへと向けて振り抜く。今まで何度も見てきたとおり、それは障壁を前に弾き返される代物だ。

――だが、それを放つロアルグは確かに笑っている。少し離れたところから見ていても分かるぐらいに、はっきりと笑っている。……戦いの中でこれだけ満面の笑みを浮かべるロアルグの姿を、俺はこれまで一度も見たことがなくて――


「――ただの騎士剣を『魔法の杖』に偽装するなど、私では逆立ちしても思いつかなかったよ」


 障壁に阻まれてはじき返された剣を落ち着かせながら、ロアルグは不敵に笑う。……それと同時、その壁の向こう側へと生み出された水の刃がアグニの胸元を浅く切り裂いていた。
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