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第五章『遠い日の約定』

第四百十四話『暴風の檻』

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 今まで支援に徹していたレイチェルが、ついにベガへと牙を剥く。俺の存在も仕掛けも作戦もすべてを囮として、『強者』になり得るものとして。……その牙は、俺が振るったような貧弱な者では決してない。

「なあ爺さんよ。俺みたいな弱者が格上に勝つための一番の近道、教えてやろうか?」

 耳元でなる風の轟音を聞きながら、俺は眼下のベガへとそんな問いを投げかける。聞こえていようといまいと、それは俺にとってどうでもよかった。これは、ある意味では俺の原点回帰のようなものだ。

『双頭の獅子』に所属していた時の俺にとって、クラウス・アブソートは絶対的な強者だった。その威光に抗う術はなく、目を付けられれば逃げる以外に方法はなく。王都に来た初日に強引な形で『双頭の獅子』へと加入させられたことが最大の失敗であると、そう言わざるを得ないぐらいに。

 だが、その失敗は後に最高の出会いによって塗り替えられた。だから、今俺は自信をもって断言しよう。弱者が弱者のまま絶対的な強者へと太刀打ちしに行く方法、それは――

「俺が逆立ちしても勝てないような強者相手なら、それと真っ向からやりあえるかもしれない強者の力を借りてやればいい。……知恵を絞るだけ絞ったら、後は仲間に託せばいいんだよ」

 弱者の論理だけで届かない相手ならば、その論理を搭載した強者に向かい合ってもらえばいい。俺が知恵を絞りに絞って、最後の刃は強者に振るってもらえばいい。――最後の一撃が俺自身の手である必要なんて、どこにも存在しないんだから。

「……守り手様、行こう‼」

 眼下からレイチェルの勇ましい叫び声が聞こえ、それと同時に風はもう一段階勢いを増す。自分を見守ってくれている精霊の存在を認め、自分に絡みつく無数の責任を背負って進まんとする今のレイチェルの在り方が、魔術師の才能を開花させるきっかけになったという事なのだろう。

 レイチェルが放った風の球体はもはや弾丸と言う規模ではなく、風の檻と表現する方が正しいだろう。規格外の規模と勢力を持って取り込んだ人間をずたずたに引き裂く、暴風の檻。……俺たちを迎える強者として、ベガはそれを受け止める以外の選択肢はない。

「く……お、おおおッ⁉」

 ごうごうとなり続ける風の音に混じり、ベガの唸り声が時折漏れ出してくる。中の様子がどうなっているかは分からないが、少なくともさっきまでより余裕がないのは確かだ。研ぎ澄まして放たれたレイチェルの一撃は、確実にベガの喉元へと迫っている。

 その光景に言い知れない満足感を覚えながら、俺は風に包まれてゆっくりと地面に着地する。あれだけ大規模な魔術を使ってもなお俺へのケアを安定して続けられるあたり、開花したレイチェルの才能も大概規格外なところに位置しているような気がした。

 だがしかし、それが何のリスクもなく打てているというわけでは当然ない。少し離れたところからでもはっきりとわかるぐらいにその額には脂汗が浮かび、これを一秒維持するごとにレイチェルの身体に負担がかかっているのは明らかだ。

 実際にもう苦痛は襲い掛かっているのか、歯を食いしばるレイチェルの表情は今まで見たことないぐらいに険しいものになっている。……だが、それでもなお風の檻がほどける気配は見えなかった。

「あたしは……あたしたちは、この先に進まなきゃいけないの……‼」

 半ば唸り声にも似たようなレイチェルの言葉が、風の中で俺の耳に届く。誰ももうレイチェルの事を『未熟だ』などとは言えないほどに、その立ち姿は大きく見えた。

 レイチェルの気高い意志に応え、風の檻はベガを捕らえて逃がさない。暴風が体を蝕み、やがて立っていられなくなるまでその風はきっと止まないし、止ませるつもりもないのだろう。……享楽に生きる老人を捕らえた風の檻は、同時に風の処刑場でもあったという事だ。

 土壇場でこんな魔術を考え付けることもそれを完璧に制御しきれることも含め、レイチェルの才能はまだまだ留まるところを知らない。リリスとツバキに加えてこんなに頼りがいのある魔術師が加われば、『夜明けの灯』はしばらく安泰だろう。

 そんなことを思いつつ、俺は内部に囚われているベガの事を考える。暇つぶしのために仕掛けた勝負でまさかこれほどのしっぺ返しを食らうなど、きっと想像だにしなかった大事件だろう。たとえそれが長い命の幕切れになるのだとしても、元をたどれば全て自分が招いた災禍でしかないわけだ。

 強者の論理は確かに強い。持って生まれた才覚や磨き上げた才能を存分に振るい蹂躙するそのやり方は、小細工しかできない俺たち弱者にとってあまりにもどうしようもないものだ。……だが、アイツは流石にやりすぎた。弱者だから振るえる論理を、アイツはまだ過小評価している。

 最初から俺たちを叩き潰そうとしていれば、この戦いは十秒とかからずに終わっていただろう。殺すことは出来なくても、殺さず無力化する方法なんて長い生活の中でいくらでも身に着ける機会はあったはずだ。それをしなかったのが俺たちの勝因で、そのままベガの慢心に他ならない。結局のところ、ベガが弱者の論理を完全に理解することなんて出来るわけもない――

「……目覚めよ」

「――は?」

 そんな風に結論付けようとしたその時、風の檻の中からはっきりとベガの声が聞こえてくる。……その次の瞬間、今までレイチェルが必死で維持してきたそれは一太刀の下にあっさりと切り裂かれた。まるで最初から、造作もないことであったかのように。

「え……え、えっ?」

 その光景を前に、レイチェルは息を荒くしながら困惑の声を上げることしかできない。……渾身の魔術がかくもあっさりと打ち破られれば、そうなるのも当然の話だろう。アレは間違いなく、戦いを終わらせるための渾身の一手、俺たち二人だけで切れる中では最強の手札なのだから。

「……謝罪を、しなければならぬの」

 呆気に取られている俺たちに向かって歩み寄りながら、ベガがそんな風に話を切り出してくる。……風が巻き起こした砂煙を超えて見えてきたその全身には、小さな擦り傷のようなものが無数にできていた。

 それに加えて額には大きな切り傷が出来ており、赤い血がたらりと垂れている。……どうも、あの中でただ涼んでいたというわけではなさそうだ。

 だが、あの暴風の檻の中にいたことを考えればそれでもあまりに軽傷過ぎる。あの風の中に呑み込まれれば、なすすべなく全身を細切れにされていたっておかしくはないのだ。少なくとも、外から見た印象はそうだった。

「童どもの振るう『弱者の論理』を、儂はまだ舐めておったようだ。まさか自分の全てを囮とし、自分ではない強者に決着を託すとは。……あの暴風に囚われた時、儂の心は久々に躍ったぞ」

 そんなイメージとは裏腹に二本の足でしっかりと立ちながら、紅く輝く剣を握ったままでベガは賞賛の言葉を贈る。……その刀身の輝きが、なぜだか少し強まっているように思えて。

「あの魔術は見事だった、余人ならば十秒も経たずに細切れとなっておるだろうな。……魔剣の権能を解き放たなければ、儂も同じ運命を辿ることになったじゃろう」

 その直感を裏付けるかのように、ベガはとても愉しそうに笑う。……その顔に浮かんでいたのは、紛うことなき満足だった。

 つまり、俺たちの目的はあの風の檻によって達成されたというわけだ。俺たちは十番街での遭遇を切り抜け、ガリウスたちが苦闘しているであろう九番街へと向かう権利を手に入れた。――それも、一度きりの『切り札』を温存した状態で。

 大勝利も大勝利、成果としては申し分ないと言っていいだろう。なのに、俺はそれを喜ぶことは出来ない。……その代わりに、ただただ濃密な敗北感だけがあった。

「童ら如きの攻撃など、全てこの身一つで受け止めることが出来ると思っておった。じゃが、現実はこの様じゃ。『魔剣が強かった』と文句を言われても仕方のないほどに、儂は窮地へと追い込まれておる」

「……どうせ、魔剣以外の解決方法もあったんだろ?」

「ない、とは言えぬな。だが、どれを使ったとて謝罪しなくてはならぬことに変わりはない。……童らの存在を、儂はあまりにも小さなものとして見ていた。その気骨を味わうことが出来れば十分と、高をくくっておったのだ」

 一片の言い訳もない謝罪が、ベガの口から滔々と紡がれる。それは勝者となった俺たちへの称賛でもあり、俺のやり方がベガに通用したことの証でもある。だというのに、俺の心を支配するのは相も変わらず敗北感だ。……『通用なんてしていないだろう』と、そう糾弾する俺の声が聞こえた気がした。

 俺は間違いなくベガを殺す気で臨み、そして最大の一手を通すことも成功した。だが結果はこのザマだ、殺すどころか意識すら刈り取れていない。この状況を勝利と呼べるのは、ただベガがこの状況を暇つぶしへと変えたからだ。そのフィルターを外してもう一度見てみれば、俺たちは最大の攻撃をたったこれだけの負傷で凌がれた敗北者でしかない。

「過小評価を詫びよう、童ども――いや、マルク・クライベットとレイチェル・グリンノート。貴様らは確かに強者で在り、儂が死合うに値する存在だ。……今ここで壊せぬことが、本当に惜しい」

「そりゃどうも。……約束通り、ここは通してもらうぞ」

 重く濁った泥のような失意を抱えながら、俺はこの会話を打ち切ろうとほんだいを提示する。それにベガは軽く頷くと、俺たちが着た方向を向いて手をまっすぐに伸ばした。

「ああ、それが死合いの条件だからの。儂は傷を癒す故、どこへなりとも向かうと良い。……首魁に啖呵を切って出てきた手前、これだけ傷だらけでは格好がつかないんじゃよ」

 それもまた『強者』に課せられる宿命の如きものよな――と。

 ため息とともにそんなことを告げたと同時、ベガの姿は唐突に眼前から消失する。……その瞬間、このあたり一帯を覆っていた得体の知れない威圧感も同時に消失して。

――俺の心に決して浅くない爪痕を残しながら、十番街の戦いは決着した。
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