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第五章『遠い日の約定』

第四百九話『絶対強者が望むこと』

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『騎士剣は王国に属する鍛冶師の技術の結晶なんスよ。騎士が安心して『守りの剣術』たる騎士剣を扱えるのは、その切れ味と頑丈さに全幅の信頼を置いているからに他ならないっス』

 いつだか武器についての話になった時、クロアが騎士剣について誇らしげにそう語ってくれたことが今更ながらに思い出される。その言葉通り騎士剣の切れ味は凄まじく、今までそのひと振りに助けられたことは決して少なくない。……そんな王国屈指の剣が、今俺の目の前であっけなく破壊された。刀身を真ん中から折るという、プライドを踏みにじるような形で。

「あ、え……?」

「終わりじゃよ、木っ端。儂に物申そうとしたその蛮勇だけは賞賛に値するが、身の程を知らないのが仇となったな」

 理解が追いつかない様子のユノを一瞥して、ベガはくるりと体を半回転させる。そうしてから繰り出された回し蹴りはあっさりと鳩尾に突き刺さり、一瞬にしてユノの姿は壊れた家屋の山の中へと消えていった。ぽっきりとへし折られた刀身だけが、石畳に悲しく転がっている。

 その光景を、俺たちは声すら上げられずにただ見つめていた。横やりを入れようなんて思えなかった。そんなことをしたら俺もろとも片づけられるだけだと、そんな確信が確かに俺の中にあった。

 なぜ剣に直接手を触れたのかも、その直後に刀身がへし折れたのかも分からない。だが、そんなことをしなくても遅かれ早かれ決着はついていただろう。……百回千回と何度繰り返そうとも、ベガの完勝という形で。

「……なん……なのよ、一体……」

 あまりにもあっさりとユノがあしらわれるショッキングな光景に、レイチェルは声と体を震わせながらそう零す。それを弱音だと責めるのは、流石のガリウスだとしてもできなかっただろう。

 俺たちとこいつの間には、あまりにも実力の隔たりがありすぎる。凡人が努力で超えられない壁の先に、ベガは悠々とした表情で立っている。……知恵とか工夫とか作戦とか、俺たちが積み上げられるものは大した意味を成さない。踏み台とかを駆使してどれだけ高い場所に立ったとしても、そこが雲の下である以上は雲の向こうを見通すことなんてできやしないのだ。

「さて、掃除も終わったところで……童たちよ、会話の続きと行こうじゃないか」

 現実を突き付けられている俺たちに気づいているのかいないのか、ベガはすっきりとした様子で再び俺たちの方を向き直る。すぐにでも殺されないで居られている理由が本当に分からないのだが、こうして見られているだけで俺たちの目的が達成されることは永遠になかった。

 こうして立ちすくんでいる一分一秒の間にも、ガリウスはアグニとの闘いを必死に続けている。少しでも早くこいつを振り切って、九番街までたどり着かなくちゃいけない。……そうしなくちゃいけない、はずなのに。

(クソ……クソ、が……‼)

 何度理性が命令しようとも、足はただ痙攣したかのような震えを返すだけだ。動くなんて出来るはずもない、だってその許可はベガから与えられていない。……ベガが話をしようと言うのならば、俺たちが揃って生き抜く方法はその話とやらに付き合うこと以外になかった。

「見ればわかる通り、儂はエルフの一族に名を連ねる者での。当然、人間よりもよほど長い時間を生きておる。……だがな、長く生きてみるとそれはそれで弊害はある物なのじゃよ」

「弊害……? こんなに好き放題やれる爺さんが、何か不自由な事でもあるってのかよ」

 今すぐにでも逃げ出したい感情を押し殺し、俺はベガに言葉を返す。今アイツが望んでいるのは会話、つまり言葉と言葉のやり取りだ。なら、それを続けていく中でどうにか突破口を見出すしかない。

「左様、不自由なこともあるのじゃよ。例えば――道楽に困る、とかの」

「……俺の眼には、お前が今楽しんで生きてるようにしか見えないんだけどな」

「ああ、童たちのおかげでな。……儂は今、久々に心を躍らせておる」

 皮肉百パーセントで返した俺に、しかしベガは気分を損ねる様子も見せず豪快に笑う。……口調は不遜で終始俺たちの事を見下しているはずなのに、俺たちが強気でいることをなぜか喜んでいるようにも思えた。

「長く生きているとな、どうしても技術は極まっていく。しかし難儀なことに、極めた技術ほど使いどころがないものはないのじゃ。長い時を生きて技術を極めるほど、周囲からの視線は畏怖と敬意になっていく。『超えてやる』と言う気概を持った視線と出会う事は、決してできぬ」

 長く伸びた真っ白な髭に手を当てながら、ベガは少し芝居がかった様子で嘆きの言葉を上げる。それが心からの言葉であることは、俺もはっきりと分かった。

「儂は畏敬の念を向けられるために強くなったのではない、より強い相手と、気骨のある相手と死合うために強くなってきたまでじゃ。技術を磨き、思考を研ぎ澄ませ、自分の全てを賭して相手と命を奪い合う。……それこそが、儂がこの世界に見出す価値だというのに」

「それが今じゃこの通り――と。武芸の才能がない俺からしたら贅沢すぎる悩みだな」

 ベガにとっては心底重大な闇なのかもしれないが、俺からしたらそんなものは傲慢もいいところだ。ベガ・イグジスというエルフの性格が見えてくるたびに、俺はこいつに対して微塵も共感できなくなりつつある。

 だが、そんな中でも俺たちのことを気にいった理由は何となく分かった。……そっちがそれを望むならば、俺も遠慮なくいかせてもらおうじゃないか。

「アグニ達と組んでるっていうから情報の一つでも聞き出せるかと思ったけど、この調子じゃ無理そうだな。……お前はただ、見境なく死合いたいだけの戦闘狂だ」

 ここまでの話を聞いている限り、ベガは戦う事だけに価値を見出している。お互いの全てを絞り出して、どちらかが倒れるまで止まることのない、ある意味『決闘』とも言えるような戦いを。

 それはきっと、争いが絶えなかった過去の時代にはしばしば起きていたものだ。長く生きてしまったが故に、時代が変わってしまったが故に、こいつは今何にも満足できないでいる。

「戦闘狂――か。その言葉を面と向かって言われるのは久しぶりじゃの。そうとも、儂は戦いに飢えておる。お互いの命を削り合い、その果てに互いの理想を見る、そんな戦いを心の底から求めておる。それから遠ざかって数十年が経ってもなお、この胸の火は少したりとも消えておらぬ」

 そんな俺の言葉に何を思ったか、ベガは心底嬉しそうに胸に手を当てながら答える。年相応にしわがれていた声が、僅かながらに若々しさを取り戻したような気がした。

「血沸き肉躍るような死合いの中に身を投じられるのであれば、どこの誰とも知らぬ小僧の理想に付き従う事も儂は一向に厭わぬ。……その判断が間違っていなかったことは、今ここで証明されたしの」

 ギラギラとした視線を俺たちに向けて、ベガははっきりとそう断言する。……この男は、アグニ達ともまた一線を引いた位置にいる特異な人間だった。

「……お前、アイツらが何をしようとしてるのか理解した上でついて行ってるのか」

「そうとも、何せ小僧が儂のもとに出向いてきたからな。少しでも腑抜けた態度を見せればすぐにでも圧し折ってやろうと思っていたのじゃが、なかなかどうして悪くない首魁じゃよ。……少なくとも、今はもう離反する気も起きないぐらいにはな」

「なるほどな。一時共闘とか、そんなことを少しでも考えた俺が馬鹿だったみたいだ」

 組織に対して忠誠心がない生粋の戦闘狂だったらまだどうにかなるかもしれなかったが、ある程度満足してしまっているならそれを突き動かすのは難しい。……結局のところ、どうにかして正攻法でこの場所を突破する以外に九番街へたどり着く方法はないという事なのだろう。

「ほう、そのようなことにまで考えを巡らせておったか。その狡猾さ、儂らの首魁にも通ずるところがあるな」

「似た者同士の話はもういいよ、さっきも似たようなこと言われたから。……それに、都市を破壊しようとする奴と思考回路が似てても嬉しくないし」

 ガリウスと言いアグニ達の組織のトップと言い、思ってもないところと似ていると言われるのはもうたくさんだ。俺は俺でしかないし、俺以外の誰かになる気もない。それが結果として誰かに似ていたのだとしても、それは俺が選び取った俺だけの結論だ。

「そうか、儂としては誉め言葉のつもりだったのじゃがな。儂と相対するという死地においても活路を探し続けるその胆力、自らの不足を自覚した上で策を練る冷静さ。生まれる時代があと百年早ければ、童の名前は名軍師として歴史書に名を刻むことになっていたじゃろうな」

「そりゃどうも。……けど、本当の名軍師だったらお前との遭遇なんて全力で回避しに行ってたと思うぜ?」

 何せ向き合うだけで『死』をこんなにも濃密に感じさせる男だ、まともにやりあって勝算を探すなんて行為自体が馬鹿らしい。俺がこの状況を動かす軍師なのであれば、まず真っ先に意識するのはこいつとの戦闘を徹底的に回避することだと即答するだろう。

 現状への皮肉を交えながら言葉を返すと、ベガはゆるゆると首を横に振る。まるで年長者が子供に物事の道理を教えているかのような、余裕をたたえた態度だった。

「仕方のない話よ、優秀とは言え童は童に過ぎん。己の手札を堂々と晒し、己の獲物を堂々と宣言し、知恵者が張り巡らせた策謀も罠も小細工もその一切合切を踏み潰す。――それこそが、絶対強者である儂の義務のようなものじゃからの」

「……絶対、強者」

 ベガが発したその言葉を、俺はただ茫然と反芻する。それは大言壮語もいいところで、普段の生活で聞けば冗談だとはっきり分かるぐらいには大げさな言葉だ。だが、ベガ・イグジスが発するその言葉は重みが違う。……その言葉はベガ一人のために存在している言葉なのだと、そんな確信が俺の中にははっきりと存在していて。

「さて、久々の会話も堪能したことだしの。……そろそろ、本題に入るとしよう」

 不敵な笑みを浮かべながら、ベガははっきりと俺たちに宣言する。……ここから先の蹂躙劇を宣言するそれが子供のように無邪気なものであることが、心の底から恐ろしかった。
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