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第五章『遠い日の約定』

第三百九十六話『揺らがぬ矜持』

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「都市庁舎……そこに君を連れて行けば、この街の状況に何か手を打つことが出来るのかい?」

 男の頼みに対し、ツバキは瞑目しながらそう問いかける。男の必死な様子を見ていると申し訳ないという気持ちは湧いてくるが、その頼みを即座に引き受けられるわけではないという意味ではリリスもツバキと同意見だった。

 都市庁舎に行けば確かに何かは突き止められるかもしれないが、その行動には大きなリスクが伴っている。リリスとツバキだけで向かうのならやりようは色々と考えられるが、あくまで意志が強いだけの男を連れて行くとなると考えられる作戦は急速に絞り込まれてしまうだろう。

 リリスとツバキにとって何よりも優先すべきは、一分一秒でも早くはぐれてしまった二人と合流することだ。その次に『約定』を果たしてもらう事が来て、騎士団がやるような一般人の安全確保はそれらにある程度の見通しが立った後にようやく考えられることだ。……その考えだけは、何があっても譲ることは出来ない。

 なにもリリスたちはこの戦いを通じて英雄になりたいわけではないのだ。この戦いで得る物が何もなくたって別に構わないが、大切な存在を失う事だけは絶対にしたくない。そりゃもちろん、一人でも多くの人を助けた方がマルクは喜んでくれるのだろうが――

「都市庁舎はこの街の中心で、その重要性は襲撃者の連中も当然理解してることだ。いくらボクたちの助力があったところで、非戦闘員を連れて向かうのには相応の手間とリスクが伴う。……それを乗り越えて得られるメリットは、この状況を覆しうるものなのかい?」

 そんなリリスの思考をまるで読み取っているかのように、明瞭な言葉でツバキは男へと疑問を投げかける。それがたとえ都市全体のためになることなのだとしても、マルクとレイチェルのためにならないのならばその提案は却下だ。……酷な話だが、ロアルグやガリウスを探し当てて頼み込んでもらうしかないだろう。

 それを申し訳ないとは思えど、間違っていることだとリリスは思わない。どれだけの数の失われた命が積み上げられることになろうとも、その重さが大切な存在一人よりも重くなることなんてあり得ないのだから。

「それが提示できないなら、生憎だけどボクたちはそれを引き受けられない。……冷徹とでも人の心がないとでも、いくらでも罵ってくれて構わないよ」

 真剣な声色を崩さないままで、ツバキはきっぱりとそう言い切る。この状態のツバキに対して情に訴えかけることは何の意味も持たないと、リリスは痛いほどによく知っていた。

 その雰囲気に気圧されたのか、男は体を緊張させたままツバキを見つめている。その視線は弱々しかったが、しかし目を逸らしていないだけ大したものだとも言えた。

 リリスたちがマルクを想うのと同じように、男もこの街の事を強く思っているのだろう。たとえ非日常の中で混乱していたとしても、その姿には明確な意思がある。……その意志が果たされずに終わってしまうのが惜しいと、そう思う気持ちはないでもないが――

「――あります。都市庁舎を奪還することによる、圧倒的なメリットが」

「……へえ?」

 ずっと黙り込んでいた男がそう口を開いたことによって、ツバキの態度が僅かに興味ありげなものへと変わる。このまま答えられずに終わってしまうのではないかと思っていたリリスの口からも、思わず吐息がこぼれていた。

「自慢のようになってしまいますが、私は都市庁舎の職員の中でも随分と上の立場の方でして。……それ故に、一般には機密情報と分類されているものも少なからず保持しています」

「機密情報……か。見返りにそれを教えてあげると言われても、ボクたちが腰を上げることはないよ?」

「ええ、そんなことで動いてもらおうとは思っていません。私がメリットとして提示したいのは、襲撃者によって麻痺させられた都市機能の復旧――ひいては、停止させられている防衛システムの起動とコントロールです」

 ツバキの言葉に動じることなく頷き、男はまるで商談でもしているかのように堂々と自らの手札を開示する。……その中身に、二人は思わず目を見開いた。

「都市機能の、復旧――あなたが都市庁舎にたどり着くだけで、そんなことが出来るというの?」

「この街のシステムは遠い昔に作られて、それから一度も誤作動を起こしていない――だったよね。今の人たちが鑑賞できるものだとも思えないけれど、君ならそれが出来るのかい?」

「はい、それは私が保証します。……私の腕でと言うよりは、過去の設計者が残した『保険』を用いて、と表現した方が正確ですが」

 まだ疑念交じりのリリスたちに、男は少し苦笑しながらも力強い肯定の言葉を返す。それにリリスたちが言葉を重ねる暇もなく、すぐに男は続けた。

「お二人の理解の通り、この街のシステムは非常に高度で難解なものです。ベルメウを設計した方しかその全貌を知る者はなく、またメンテナンスできるほどの技士も滅多なことでは存在しません。……ですが、設計者の方もまたそれは理解しているところでした。故に残したのです。もしも自分が居なくなった後でシステムが誤作動を引き起こした時、それを解決するための手段を」

「君の持つ情報によれば、それは都市庁舎の中にある――と。なるほど、それならこの街の機能を奪い返すことは不可能じゃないね」

「はい。都市機能を取り返すことが出来れば、今は停止させられている防衛システムも活動を再開するでしょう。それがあれば、襲撃者と向き合う皆さんの負担も少しは楽になるかと」

 自信に満ちた表情で、男は都市庁舎へと向かう事のメリットを説明する。その話しっぷりを見ていると、この男が上の立場へ至れたのも何となく理解が出来るというものだった。

 この男が自分自身に下している評価と、外から見たこの男の評価はあまりにも違いすぎている。初対面の人間の詰問じみた問いかけに怯むことなく応じることが出来る男が『情けない』などと、そんなことがあるはずもない。

「この街が持つ機能は素晴らしいものです。人の生活を豊かにし、それらを脅かすものからも守ってくれる。それが故障することなく回り続けるのですから、これを設計した人には本当に頭が上がりません。……それ故に、私たちはこの街がもたらしてくれる恩恵に寄りかかりすぎていたのかもしれませんが」

 メリットを説明し終えた男は、少し表情を曇らせて反省の言葉を口にする。二人の襲撃者によって滅茶苦茶に荒らされたこの場所だからこそ、その言葉は重苦しく響いた。

 この街に詳しくないリリスたちからすれば、都市機能の暴走や停止は単なるアクシデントの一つでしかなかった。だが、その機能に信頼をおいて暮らす人々にとってはそれだけの意味ではなかったのだろう。……それこそ、突如現れたウーシェライトに思わず説明を求めてしまうぐらいには。

 そんなシステムを全て司る都市庁舎は、言ってしまえばこの街の心臓のようなものだ。そして今心臓は敵の手に落ち、この街の機能は一般人へと牙を剥き始めている。……その現状を覆せる可能性を、目の前に立つ男は握っているわけで。

「……リリス」

 脳内を駆け巡る様々な思考に意識を集中させていると、隣に立つツバキがそんな声とともにまっすぐな視線を向けてくる。……護衛時代にもたびたび投げかけられてきたそれは、『あとは君の判断に任せる』という意思表示だった。

 リリスはツバキほど頭を回すことは出来ないし、『夜明けの灯』でも交渉を主に担当するのはツバキとマルクだ。だからリリスが口を挟めることなんてないはずなのだが、どういうわけか昔からツバキはこうしてこちらに判断を委ねてくることがあった。

『ボクは君ほど直感に優れているわけじゃないからね。……事実、君の見立ての方が正しかったことは一度や二度じゃないし』

 いつだったかリリスがその理由を問いかけた時、ツバキは笑いながらそんな風に理由を説明してくれたものだ。交渉に直感を持ち込むのには怖さもあったが、頭の切れるツバキが一番の信頼を向けてくれるという事は嬉しくもあって。

「……二つだけ、条件があるわ」

――任される度に困惑しながらも、最後にはこうやって答えを出してしまうのだ。

「あなたの言葉を信じて、これから私たちは都市庁舎の迅速な奪還に動く。少し体力的に厳しいところがあるかもしれないけれど、頑張ってついてきて頂戴。……それぐらいの覚悟は、決めてもらうわよ」

 少し考えた末に出てきた言葉を、リリスは目の前に立つ男に向かって投げかける。その答えがツバキが理性的にはじき出したものと同じなのかは分からないが、その顔には柔らかな笑顔が浮かんでいた。

「それともう一つ、都市機能を奪還したらまずは私たちの手伝いをするために使ってもらうわ。一分一秒でも早く、見つけ出さないといけない人が居るの」

 それでもいいのなら、私たちはあなたに力を貸すわ――と。

 死を目の前にしてなお進もうとするその意志に敬意を表して、リリスはまっすぐに手を伸ばす。それがマルクたちを助けることにつながるかは分からないが、そもそもマルクたちに繋がる手がかりなんてないも同然なのだ。……すでに主導権を握られた状況ならば、賭けに出てみるのだって悪くはない。

「それぐらいならば構いませんとも。……都市機能を奪還した暁には、それをあなたたちの目的のために使う事を約束します。……無力な私に、力を貸してください」

「ええ、交渉成立ね。……この都市のシステムを狂わせた代償は、奴らにしっかり支払ってもらいましょ」

 繰り返された頼みの言葉にリリスは強気な笑みを浮かべながら返し、そして二人はがっちりと握手を交わす。お互いに優先順位こそ違えど、大切な物を取り返すために向くべき場所は一緒だ。その手段も意志もあることがはっきりしたのなら、もう迷う必要はない。

「相手の策に乗せられっぱなしってのも癪なものだからね。ここいらで一つ、あっちの度肝を抜く様な大胆な反撃を食らわせてやろうじゃないか」

 繋がれた二人の手に手を重ねながら、ツバキも強気な言葉を口にする。――唐突に、そして理不尽に都市を覆いつくした悪意への反撃の狼煙が、今ひっそりと上がり始めていた。
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