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第五章『遠い日の約定』

第三百九十四話『人に宿る災害』

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 氷魔術の本質は、虚空に氷塊を作り上げられるような濃密な冷気を生み出せることにある。強度の高い物質をとっさに作り出せるのも、たくさんの武装を同時に作り上げられるのも、全ては氷魔術を通じて冷気を操作することによって実現することだ。

「さっきの一振りを、あなたはどうやら不格好な空振りだと判断したみたいだけど。……種明かしをすると、あの時にはもう巨人は切られてたのよ」

 徐々に砕けていく巨人の身体になおも氷の剣を押し込みながら、リリスは淡々と告げる。どうせ一度しか使えない初見殺しである以上、手の内を明かすことに迷いはなかった。

「私が狙ってたのは最初から二撃必殺、一発目はあくまでその準備でしかないわ。……どれだけ硬い物質でも、芯まで凍り付けば脆くなるのは絶対に避けられないでしょう?」

 剣が巨人の身体に沈んでいくたびに、その崩壊はだんだんと早くなっていく。一瞬だけ見えたまやかしの勝ち筋に目を奪われていたネルードは、それを半ば呆然としながら聞いていた。

 石畳を操って作り上げた巨体はなすすべもなく崩壊し、その頭の上に載っていたネルードも容赦なく地面に向かって落下を始めている。また魔術を展開すればいくらでも巨人は作り出せるだろうが、そんなそぶりを見せようものなら切り伏せるだけだ。たとえその隙が一秒に満たないものであろうと、それを見逃す気は毛頭なかった。

「クソ……クソッ、なんで……‼」

「当たり前の事よ、あなたが私よりも弱かった。……まあ、大方経験不足が原因でしょうけど」

 自身の心を殺して自らの役割を果たすことに終始できる人間であれば、不老不死なんて与太話を語ることがなければ。この戦いにおいて、ネルードにはいくつもの分岐点があった。それ等においてすべて判断を間違った結果がこの結末であり、完膚なきまでの敗北だ。……ネルードほどの才覚があれば、リリスを相手にしていたのだとしてもやりようはいくらでもあった。

 その事実を改めて確認して、リリスは襲撃者の層の厚さを実感する。アグニもウーシェライトもネルードも、方向性は違うがたまらなく厄介な部分を持っていた。……そこらの冒険者が彼らに立ち向かえば、訪れるのは悲惨な結末だけだろう。

 リリスが想像していたよりもアグニ達の組織は粒ぞろいで、その上統制された意識の下で動いている。……なおさら、離れ離れになってしまった二人の身が案じられた。

「――あなたが情熱を持ってるのは分かったけど、あいにく私たちにそれを聞いてる時間はないのよね。話しかけた相手が悪かった、そう思って諦めて頂戴」

 空中に作り出した氷の足場に立って墜落していくネルードを見つめながら、リリスは巨大な氷の槍を構える。たとえそれが過剰な追撃だとしても、リリスはそれに躊躇することはない。――不老不死を探求する人間など、一人でも減らせるに越したことはないのだから。

 鈍い音とともにネルードが地面に衝突したのを確認してから、リリスは軽く右手を掲げる。……それが振り下ろされるとともに放たれた一撃は、街中に氷の墓標を作り出さんとネルードへ迫って――

「……認められるかよ、そんな馬鹿な話が‼」

――思わず身震いするほどの怒気がこもったネルードの咆哮が聞こえたと同時、それは空中で粉々に砕け散った。

 その破片が太陽の光を様々な方向に乱反射し、凄惨な戦場に幻想的な光景を作り出す。それは思わず目を奪われてしまうような輝きを放っていたが、今だけはそれに構っている場合ではない。

 氷の槍が砕かれる直前、ネルードが落ちたあたりからとてつもない魔力の気配が感じられたのだ。何か指向性を持って放たれたというわけでもない、ただただ純粋な魔力。……それは、ネルードの激情をそのまま魔力へと変えて打ち放ったかのようで。

「まだ足掻くって言うの、あなたは……‼」

 状況を確認するべく、リリスは氷の足場からゆっくりと飛び降りる。巨大な氷塊が砕け散ったことによってできた光の幕の向こう側には、全身から血を流しながらも自らの足で立っているネルードの姿があった。

 その体から感じられる魔力は、リリスが降下していく間にもどんどんと肥大し続けて行っている。それが魔術に転用されてこのあたりに悲劇をもたらしていないことだけが、この状況における唯一の幸いだと言ってもよかった。

 精霊の力を解放したノアにはさすがに及ばないものの、その絶対量だけで言うのならばリリスやツバキを優に上回っているだろう。……つまるところ、普通の人間が有せる魔力量を明らかに踏み越えている。

「……リリス、アレは一体⁉」

 ネルードに起きた異変を感じ取ってこちらに駆け寄ってきたツバキが、ほぼ同じタイミングで石畳へと着地したリリスに焦りをにじませながら問いかけてくる。だがしかし、それにリリスはただ首を横に振ることしかできなかった。

「ごめんなさい、私にも分からないわ。――ただ一つ言えるのは、あの男はどこかおかしなところを持ってる人間だってことよ」

 二人の視線を浴びながらネルードは苦しげにふらつき、しかし確かに意識を保っている。……長らく下を向いていたその視線が、突然リリスとツバキを捉えた。

「……負けてねえ、否定されてねえ……お前は、お前たちだけは……ッ‼」

 まるで呻き声のように低い声で、ネルードはその内に秘めた激情をこぼす。そこにあるのは怒りさえ通り越した憎悪、人を突き動かす根源的な感情の一つだ。……ボロボロになった体は、それだけを頼りに駆動しているように見える。

「オレは不老不死を証明する、ボンクラどもの理論が間違ってることを証明する! ……でなきゃ、オレは――‼」

 ネルードの言葉が響くたびに、その体から感じられる魔力はどんどんと膨れ上がっていく。街中から感じていた嫌な気配が消え去った代わりに、それらが全て大本であるネルードの下に集ったかのようだ。

 それが何らかの魔術として解き放たれたとき、リリスたちがその影響範囲から逃れることは不可能だろう。それよりはここで全力を尽くしてどうにか二人だけでも生存する可能性を追いかけた方がまだマシで、賭ける価値のある可能性だ。この街に生じる被害全てを無視すれば、二人だけでも生き残ることは不可能ではないはず――

「――イディアルの嬰児、ネルードが告げる‼」

 一度目に聞いた時は神聖な唄の一節であるように感じられた言葉を、ネルードは怒鳴りつけるように叫ぶ。……その瞬間、魔力の気配がまたしても大きく膨れ上がって。

「――何か、来る――‼」

「ツバキ、私たちの身を守ることだけ考えて! ……それ以上を求めるのは、あまりにも無茶だから‼」

 ツバキの声と半ば重ねるようにして指示を出し、自分の中にある魔力に意識を集中させる。今動かせるだけの全てを準備して、いつどこから破壊が訪れても対応する準備は万端だ。

 この後動けなくなるかもとかどうとか、そんな思考は今だけ脳の隅に押しやっておく。どれだけ体力を使う事になろうと、ここを凌ぐことが出来なければ二人に待っているのは死だけだ。そういう意味では、今の男は敵と言うよりも『災害』に近しい存在であるような気さえしてしまって。

「オレは、オレの理論を証明する‼ ……意志亡き者に、真の命が与えられんことを!」

 人の形をした災害は地面に手を触れさせ、自らの魔術を完成させようと吠え猛る。それを見つめながら、リリスは次に来る変化の気配へと意識を集中させて――


「……はいはい、癇癪タイムはそこまで。キミがすぐブチ切れるのはいつもの事だけど、それでここまで暴走されるとあーしらの研究にも関わるんだよね」


――その災害が街を蹂躙すると思われた直前、背後から前触れもなく現れた人影がネルードの首筋に何か鋭いものを突き立てる。……その瞬間、膨れ上がっていた魔力の気配がまるで嘘であったかのように消滅した。

「……う、が?」

 ネルード自身もそれに気づくのが遅れているのか、理解できないといった顔で力なく地面に崩れ落ちていく。……この場で何が起こったのかを知っているのは、突如現れた存在だけだ。

 だがしかし、その人物がリリスたちの味方かと言われると否と言わざるを得ないだろう。遠目から見る限り女性と思しきそのシルエットは右腕を使ってネルードの身体を支え、反対方向に伸ばした左手を虚空に向かってかざしている。――そ個から感じられるのは、すっかり感じ慣れてしまった転移魔術の気配だった。

「……ああ、ウチのヤツが迷惑をかけたね。安心していいよ、ネルードをここまで怒らせた時点でこの勝負はチミらの勝ちだから」

 これ以上戦力をつぎ込めるだけの余裕はあーしらにもないだろうしね――と。

 たったそれだけの言葉を言い残し、ネルードを連れてその女性は姿を消す。呼び止めたとしても彼女が振り向くことはなかっただろうし、強引に足止めしようにも転移魔術がそれを許してはくれなかっただろう。……分かったことはただ一つ、二人がどこを目標として転移したのかという事だけで。

「……あの男、一体何を隠してるって言うの……?」

――煮え切らない感情を二人の中に残したまま、ウーシェライトの襲来をきっかけに始まった戦闘は唐突に幕を下ろす。ひとまずの勝利を手にしたというのに、巨人を崩壊させたときのような満足感は微塵も残っていなかった。
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