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第五章『遠い日の約定』

第三百九十二話『滅びへと進む輝き』

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 困惑はある。混乱もある。だが、それ以上の不快感がリリスを埋め尽くしている。何が起きてるか分からないし、こんな魔術は見たことがない。……けれど、潰さなければならないものであるのは確かだ。

 事戦場において、それがはっきりしていること以上にありがたいことはない。目の前にあるのが唾棄すべきものであるのならば、それを破壊するのに何の遠慮もいらないのだから。

 だが、単純に破壊するだけでは何度でも蘇ってきてしまうのはもう目にした通りだ。何度も何度も蘇ってくる様を見せられるのは気分がいいものではないし、どうにか工夫を凝らしてあれらを封じ込める必要があるだろう。

 そう考えた時に、ほどなくしてリリスの脳内に一つの記憶が浮かび上がる。それは、今と同じように不老不死をうたう狼とダンジョンで戦った時のものだった。

 あの不老不死は偽物だったとはいえ、マルク以外に打ち破れるものでなかったことも事実だった。そんな状況の中でもエースとしての役目を果たすために、あの時リリスは考え出したのだ。普段はほとんど使わないような、搦め手を――

「――氷よ」

 その時のことを思い浮かべながら氷の剣を地面に突き立て、リリスは低い声で唱える。まるで号令のようなそれに従い、リリスの背後に無数の氷の槍が出現した。

 相手が物量を頼りに勝負してくるというのならば、こちらもそれを押し潰せるほどの物量を持って対抗するまでだ。……膨大な魔力を制御することは、何もネルードだけの専売特許ではない。

「全部全部、撃ち落しなさい‼」

 空中に待機するそれらに指示を下して、リリスは地面を全開で蹴り飛ばす。吹き荒れる暴風がリリスの背中を押し、ネルードに向けて再び急接近を開始していた。

「させるかよ、そのためのコイツらだ――!」

 それを見たネルードはすぐさま腕を振るい人形たちに指示を下すが、それに先んじて氷の槍が人形たちに向かって放たれている。普段より一回り小さくすることでより速度に特化した氷の槍たちは、人形が行動を起こす前にその胴体へと突き刺さった。

 槍が命中した部分を起点に人形の全身にだんだんと凍結が広がっていき、直撃を受けてもなお立ち上がろうとする従順な人形たちの身体を機能不全に陥らせていく。結果的にリリスの突進を阻める人形はどこにもおらず、氷像と化した人形が折り重なってできた二本の直線がリリスとネルードを繋ぐ花道かのように浮かび上がった。

 仮に死ぬことがないのだとしても、殺さずして機能停止させられる術などいくつも存在する。そのうちの一つがこの氷の檻であり、あの狼をも封じ込めたリリスの搦め手だ。――あの時はノアの補助があって初めて成立するものだったが、今のリリスならば一人でも十分に制御できる。
 
「嘘だろ、そんな簡単に止められるもんじゃねえ筈だぞ……‼」

「止めるも何も、あんな物たちを素材にして動く方がおかしいのよ。あれが本来あるべき姿だわ」

 驚愕を隠し切れないネルードに対し、リリスは冷徹な反応を返す。今までの気怠げな様子からだんだんと余裕が失われていくのを見て、リリスは初めてアゼルにほんの少しだけ感謝した。――あの時の経験がなければ、今頃もう少し戦況は悪くなっていただろう。

「どれだけ破壊しても無駄だって言うんなら、破壊せずに無力化してしまえばいい。強引にあの人形の機能を停止させれば再構築も可能でしょうけど、あなたにそんな惨いことが出来るのかしら?」

 ネルードの詠唱を信じるならば、ネルードは人形たちに偽りとは命を与えたのだ。そしてそれを『不老不死』に繋がる物だとのたまう以上、その可能性たる人形の命を自らの手で奪う事はどうしようもない自己矛盾を孕む行為だ。……だってあの人形たちは、凍り付いただけでまだ死んではいないのだから。

「本当の人間だったらしばらくすれば凍死してしまうけど、人形たちなら氷漬けになっても機能は生きてるものね。――おめでとう、不老不死はここに叶ったわよ?」

「……不老不死を、笑うんじゃねえ‼」

 皮肉たっぷりに笑うリリスに対して初めて声を荒げ、ネルードは巨人の頭に手を当てる。その直後、足元に膨大な魔力が出現したのをリリスの感覚が捉えた。その規模はまるで、ネルードの怒りを物語るかのようだ。

 何か対策を打とうとするが、それが形になる前に魔力は魔術へと変化する。ネルードへと進んでいくリリスの歩みを拒絶するかのように、石畳は大きく隆起した。

「く、うっ……‼」

 その影響をもろに受け、リリスは真上へと大きく打ち上げられる。くるくると回転しながらどうにか姿勢を整えるリリスの視界に、巨人が拳を構えている姿が僅かに映った。

 もとはただの石畳とはいえ、アレが直撃すれば骨の何本かが犠牲になるのは避けられない。治癒魔術が即座に治療できないほどの致命傷を受けることだけは、この状況で絶対にしてはいけないことだ。

「風、よ!」

 巨人の構えを見た瞬間にその判断を終え、リリスは自らの頭上に作り出した風の球体を即座に炸裂させる。暴風のあおりを受けて急降下したその頭上を、一切の遠慮がない巨人の右フックが物々しい風切り音とともに通り過ぎた。

 とっさに作り出した水の球体で落下の勢いを殺しながら、リリスは状況を改めて整理する。人形の妨害はどうにか止められたものの、魔力を介してそこら中の物体を操作するネルードの魔術が厄介なことに変わりはなかった。

 石畳の隆起によって打ち上げられたように、今やリリスを取り巻くすべての物体がリリスの敵だと言ってもいい。一瞬の魔力の気配で変化の前兆を察知することは出来ても、それがどう変化するかまでは分からないのがなおさら面倒だ。

(――だけど、さっきよりはよっぽどマシな状況ね)

 変化の危険がない事を確認してから着地して、リリスは内心でそう結論付ける。未だにネルードの底が見えないのは面倒だったが、それでもここはもうリリスたちの土俵だった。

 こと単純な命の奪い合いという領域でならば、リリスとツバキのコンビに勝てる人間はそうそういないと言ってもいい。ネルードが『足止め』に強く意識の比重を置いているうちは厳しい部分も多かったが、隆起から右フックの流れには能動的な殺意が確かにあった。……人形たちが打ち破られた瞬間に、リリスはネルードの『標的』へと切り替わったのだ。

 これはあくまで推測でしかないが、ネルードはここまで戦略を打ち破られたことはないのだろう。アグニやウーシェライトと比べても特異すぎるレベルの魔術を有しているが、それへの依存度があまりにも高すぎる。殺し合いのフィールドで向き合う事を考えるならば、今までの二人の方がはるかにやりにくかった。

「たかだか、エルフの分際で……オレの不老不死を、安っぽく語るんじゃねえ……‼」

「あら、随分とお怒りね。最初のお気楽な態度はどこに行ってしまったのかしら」

 憤りを存分に込めてこちらを見下ろすネルードに、リリスはあくまで余裕をアピールしながら煽り返す。それがネルードの心を逆撫ですればするほど状況はリリスたちの有利に傾くのだが、それに気づいている様子は微塵もなさそうだった。

 不老不死の研究者とは皆こうなのかと、リリスは内心ため息を吐きながら思う。不老不死をまるで全能の神であるかのように崇め、それが踏み荒らされればヒステリックに喚き散らす。逆説的に言うのであれば、ネルードもアゼル並みに不老不死に傾倒しているという事になるのだろうか。……だとするならば、嫌な偶然だと言わざるを得ない。

 その気質や理論に違いこそあれ、二人のやり方が業の深いものであることは間違いない。人や物の正しい在り方を歪め、それを『成功』だとして諸手を上げる――そんなこと、認められるものか。

「……決めたよ。お前はここでぶっ殺して、新しい人形の材料にしてやる。そうすりゃお前も不老不死の一員だ、オレの成果の一部として貢献できるぞ?」

「あなたが出せる成果なんてないわよ。……不老不死なんてないんだから、何をしたって成果が出るなんてことはあり得ない」

 成果が出たと思ったことがあるのだとすれば、それは不老不死への願望が生んだ幻だ。一見して死ななくなったように見えただけの、不完全な紛い物だ。完全な不老不死の概念は、空想の中でしか成立しない儚いものだ。それを悲しいとも思わないし、変わるべきだとも思えない。

『この世界にあまねくすべての生命は、いつか来る滅びに向かって燃焼していく宿命を背負っている。それは一見悲劇であるかのように思えるが、当方はそうは思わない』

 いつかウェルハルトが熱弁を振るっていたのを、リリスは何か月かぶりに思い出す。あの時はただ単純に時間の無駄とか思っていたが、今度研究院を訪れたら少しだけ感謝しなければなるまい。

『滅びへの道が宿命づけられているからこそ、生命はその道筋を少しでも輝かしいものにせんと力を尽くす。仮に当方が終わりのない命を手に入れたところで、その輝きが滅びある者たちのそれを上回ることはあるまいよ』

「そうね。……今なら、私もそう思えるわ」

 ウェルハルトの言葉を肯定しながら、リリスは改めてネルードへと視線を戻す。どうやら的確に逆鱗へと触れることが出来たらしく、その眼は怒りと憎しみに満ちていた。……これなら、存分に殺し合いが出来そうだ。

 また氷の剣を突き立てて、意識を集中する。難しいことはない、ただネルードを倒せばいい。……不老不死の否定は、その結果の後に自然についてくる。

「さて、お話もそろそろ終わりにしましょうか。――これ以上私が何を言っても、あなたが納得することはないでしょうしね!」

 こちらに濃密な殺意を向けるネルードにそう告げて、リリスは真上に大きく跳躍する。……その右手に握られた剣が空を切った瞬間、分厚い氷で作り上げられた足場がネルードと巨人を取り囲むように出現した。
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