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第五章『遠い日の約定』

インタールード③『信仰に関する一考察』

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「権能で後押ししてもこの程度、ですか。……ベルメウの冒険者に期待したのは間違いでしたかね」

 せっかく築いたベルメウの人々との『繋がり』が一つ残らず消滅したのを感じ取って、アルバート・イーズノルグは椅子の背もたれに思い切り体重を預ける。丁寧に切り揃えられた銀髪が、男の失望を体現するかのように荒々しく揺れた。

 そもそも繋がりはいずれ切れる物だからそこはまあいいのだが、ここまで何の成果も得ることなく終わるというのは流石に予想外だ。街の人々の基礎能力がそもそも低かったのか、それとも標的がここに来て大きな成長を見せているのか。……大方前者なのだろうと、アルバートは願望交じりの結論を出した。

「やはり『魔構都市』などという場所は毒でしかありませんね。楽をすることを覚えれば人間は腐り始め、本来の能力を失っていく。戦う事を生業にしている冒険者ですらそうなのですから、某の手ではもう救いようがありません」

 人は誰しも救われるべきで、神はこの世界の誰をも見捨てることはない。故に人間にできることは神を信じ、その期待に応えるべく真摯に生きることである――そんな教えを叩きこまれたのは、アルバートがまだ幼い少年だった頃だった。無垢だった頃と、そう言い変えてもいいかもしれない。

 それを信じる人々の集まりがアルバートの生まれ故郷だったから、それが正しいのかを疑う機会なんてものはやってこなかった。ひとたびそういう疑問を浮かべれば最後、『私は神を疑わない』と宣誓するまで出られない部屋に連れ込まれるのがオチだ。周囲の言う『神』とやらを信じるのは、アルバートが真っ当に成長するための必須条件だった。

「――こんな人間たちをもすら、神はお救いになるのでしょうか。……だとしたら、随分と心の広いお方だとは思いますが」

 だが、その信仰はあくまで昔の話だ。もうアルバートの中に神はおらず、代わりにあるのは冷徹かつ不変の論理だけだ。その論理こそが『神』の正体であることに気づいたことが、アルバートの人生の転機だと言ってもよかった。

 それ以前の記憶なんて大体が今となっては馬鹿らしい茶番でしかないし、全てを救済する『神』とやらに縋ろうだなんて思いは微塵も湧いてこない。――むしろ、今でも神の実在を疑わずにいられる人々のことが羨ましくて仕方がなかった。

 ベルメウの人々を見ていると、嫌でも故郷のことを思いだしてしまうのだ。誰が作り出したかも、どんな仕組みで動いているのかも分からない機構が絶対であると信じ、それに守られた生活がこの先も永遠に続いていくのだと確信する様は、神を疑うことなく信仰する――いや、『していた』アルバートの友人たちと何も変わらなくて。

「……結局のところ、人は信じたいものを信じるしかない。それが神であろうと魔道具であろうと、拠り所になってくれるなら何でもいいのでしょうね」

 人は一人じゃ生きていけないから、寄りかかれる場所を求める。人に、物に、そして概念に。――自分にとって都合のいい拠り所でありさえすれば、その正体が何であろうと別に大した問題ではないのだ。追い詰められたベルメウの人々が詐欺師の言葉を拠り所とし、自らの意志で二人の罪なき少年少女を打ち倒そうとしていたように。

「仮にも聖職者の装いをしている人が言うセリフではないな、アルバート。……その様子だと、君の計画は失敗したのかい?」

「――主様」

 すがるような視線をこちらに向けてきたベルメウの人々に内心唾を吐いていると、ドアの開く音とともに一人の少年が足を踏み入れてくる。……今のアルバートに拠り所があるのだとすれば、それはこの少年だと言って間違いはなかった。

「はい、残念ながら。『魂灯しソウルライト』を使って支援はしたのですが、元の身体能力が不足していると十分な戦力にはなりきらない様ですね」

「そうか、それは一つ課題点だな。聖皇国の魔術体形は面白いものが多いと思っていたのだけれど、流石に万能と言うわけにもいかないのか」

 目を伏せながら発した報告に、少年は声を荒げることもなくただ淡々と考えを巡らせる。――少なからず叱責が飛んでくると思っていたが故に、アルバートは逆に拍子抜けしてしまっていた。

「……主様、お怒りにならないので?」

「お怒り? なんでだい?」

 だが、それを問うても少年は不思議そうに首をかしげるだけだ。その様子は子供じみている様で、だけど瞳に宿る光は恐ろしく大人びていて。……どうしてだか、背中に冷たいものが走る。

「何故と言われても、某は任務を失敗した身。自らの手を煩わせない手法を選び失敗するなど責められてもおかしくないと、そう考えたまでですが」

「なるほど、確かにそれは一つ君のミスではあるけれど――でもまあ、それで君を叱責しようとは思わない。確かに標的の撃破には失敗したかもしれないけれど、ベルメウの一部を君が制圧したという事実がそれで霞むわけではないからね」

 あくまで穏やかな姿勢を崩さないままで、少年はアルバートに沙汰を下す。慈悲や温情で許そうとしているわけではないのがそれではっきりしたことにより、アルバートは自らの浅慮を恥じることになった。

「君の持つ魔術――あっちだと『神術』とか言うんだっけ? まあいいや、とにかくそれにはとんでもない価値がある。僕もこれからどんどん頼っていく心づもりだけど、それを盲信していてはいつか足元を掬われることになりかねないからね。大規模なこの作戦の中で欠陥が見つかったのはむしろ好ましいよ」

「主様……」

「それに、計画の大部分は順調に進行しているからね。ウーシェライトが犠牲になったのは惜しいけれど、そのおかげもあって状況は大体僕の思う通りに動いている。一つの失態で盤面が崩壊するほどやわな戦術の組み方はしていないさ」

 アルバートのフォローをしっかり入れつつ、少年は自らの立案した計画に対して絶対的な自信をのぞかせる。まるでボードゲームを前にした子供のような様子だが、その手の中にベルメウと言う大都市の命運が握られているのは疑いようもない事実だ。騎士団と冒険者の介入があってもなお、この戦いの主導権はアルバート達が握っていると言っても過言ではない。

 自らの失敗が計画の頓挫に繋がるかのような言動を取ってしまったことを、アルバートは無言のままで大きく恥じる。アルバートの存在など、少年にとってはせいぜい便利な人手ぐらいのものでしかないというのに。その分際で責任が何たるかを語るなど、傲慢にもほどがあるというものだろう。

 アルバートにとって、少年の意志こそが絶対だ。故郷の人々が神を信じていたように、ベルメウの人々が魔術機構を信じていたように、アルバートは少年に全幅の信頼を置く。その意志が揺らぐことなど、たとえ世界に何が起ころうとあり得ないことだった。

「僕ももう少し出張らなくちゃいけなくなるかと思ってたけど、意外に早くやるべきことを終わらせられたしね。……僕の仕事はあと一つ、一番いいところを持っていくことだけだ」

「ええ、見事な段取りです。……時に主様、一つお伺いしても?」

 気楽な様子でこの先のことを口にする少年に対して、アルバートは思わずそんなことを口にする。少年の意志は絶対だし、その選択が間違っているだなんて思ったことは一度もない。……それでも、全ての行動を疑問なく受け入れられるかと言われるとまた話が違った。

「ああいいよ、まだ僕の出番までには時間があるしね。……それで、何が気になったんだい?」

「いえ、些細な事ではあるのですが……。なぜ主様直々にベルメウに降り立つ方針に突然切り替えたのか、それが少し気になりまして。アグニ殿も少し戸惑っていたような様子でしたし、主様に直接聞かなければ答えは得られないものだと判断しました」

 少年の意志に付き従う面々の中でも、アグニ・クラヴィティアはどこか異質だ。彼を盲信しているような様子もなく、かと言って忠誠心がないわけでもない。少年に何か異変があった時、普段はガサツなはずの彼が一番に気づくことからもそれは明らかだった。

 彼も今頃は、ベルメウのどこかで計画遂行のために戦っているのだろうか。今回は同行者もいるから気苦労が増えていそうだが、無事に帰還してくることを内心で祈っておく。……まあ、無事じゃなくなる可能性の半分以上はその同行者が要因な気がしないでもないが。

「ああ、確かにそれの説明は直接してなかったか。……ちなみに、アルバートはどう考えているんだい?」

「どう……と、言われますと――」

 微かに笑う少年にまぜっかえされて、アルバートは顎に手を当てながら考え込む姿勢に入る。少年の思考などアルバート如きに読み切れるものでもないが、わざわざそう聞いてくるという事はアルバートにも正解のチャンスがあるという事だろう。絶対に解けない理不尽な問いを出すほど、アルバートの主は曲がった性根をしていない。

 少年が直接出る意思を表明したのは、それこそ計画実行前夜ぐらいの事だ。しかもそれが伝えられたのはアグニからで、現に組織全体はにわかに混乱していた。その時確か、アグニはもう一つぐらい変わった伝言をアルバート達に伝えてきていて――

「――マルク・クライベット」

『決して殺さないように』という強い命令とともにアグニの口から伝えられたのは、確かそんな名前だったような気がする。茶髪に焦げ茶色の目をした、一見すると何の変哲もない一人の冒険者。

 そんなのを殺してはいけない理由は分からないが、それが主の意向と言うのならそれは絶対に遵守しなければならない。ベルメウの人々に『男の方は倒すだけにとどめなければいけない』とひときわ強く信じさせる必要があったのは、アグニからの伝言を聞いていたからだ。

 その名前を何の気なしに口にした瞬間、隣に立っていた少年の表情がアルバートの見たことのないものへと変化する。まるで何かを愛おしんでいるような、底なしの幸福に打ち震えているような。……あえて故郷の表現を借りるならば、それはまるで『運命の相手』を見つけた時のようで――

「――ああ、アグニはちゃんと皆に伝えていてくれたみたいだね。そうだよ、僕が出るのはマルクのためだ。……アイツだけは、僕がこの手で迎えに行かなくちゃいけないんだよ」

 だからこそ全力を尽くす必要があるのさ――と。

 アルバートの回答に満足げに返し、少年は半ば恍惚とした様子でそう口にする。……少年が特定の人物に対する執着を見せるところを見るのは、アルバートにとって初めての事で。

――その感情の発露が恐ろしいものだと、なぜだかそう思った。
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