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第五章『遠い日の約定』

第三百七十八話『反転する勝敗』

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――読み違えた。

 最大限ウーシェライトのことを警戒しても、それでもなお足りていなかった。一片の油断もせず圧倒するという決意が、かえってこの最悪の展開に繋がった。

 ただ、それをリリスの注意不足だと責めることはできない。リリスも最大限思考を回転させ、見つけ出したやるべきことをやっただけだ。『ウーシェライトの魔の手からマルクたちを守る』という観点において、リリスは最上とも言える成果を出した。失敗があるとすれば一つだけ、ウーシェライト・シュラインという人間そのものを読み違えたという所だけだ。

「……あなたは、最初からこれを……」

「ええ、こう見えてもわきまえている人間ですから。アグニさんにも勝てたことないのに、私があなたに勝てるなんて思い上がりはしませんとも」

 僅かに震えながら問いかけるリリスに、ウーシェライトはゆっくりと、ただはっきりと答える。……最初から、ウーシェライトに生存の意志なんてものは皆無だった。

「私はあくまで囮、ド派手に目立つ陽動役です。そのためだけに行動した結果、あなたは私に最大限の敵意を向けてくれた。――その証が、これでしょう?」

 まだ凍り付いていない指先で、ウーシェライトは自らの胸を貫いている氷の槍を指し示す。ついさっきまで吹雪を纏っていたその槍は、確かにリリスが全力で対処を行ったという確固たる証拠だった。

 その通り、最後の最後までリリスはウーシェライトへの警戒を怠らなかった。最後までリリスのことを殺しに来るだろうと、そう踏んで疑わなかった。……最初から自らの勝利も生存も度外視している可能性など、思いつきもしなかったのだ。

「あなたたち四人が揃って自由に最大限動き回ることが、組織にとっては一番の負け筋でした。……ですが、その可能性はもうありません。他ならぬ私の、献身によって」

 これで痛み分け、ですね――

 全身を氷像へと変えられながら、しかし誇らしげにウーシェライトはそう宣言する。……それを目の当たりにしたリリスは、眼を大きく見開いた。

「……痛み分けなんかじゃ、ないわよ……‼」

 より深く槍を突き立て、それによって凍結は急速に進行を早める。こんなことをしたところで何にもならないと分かっていても、衝動がそれを押さえつけられなかった。……それぐらい、リリスにとっては痛恨の『敗北』なのだ、この戦いは。

 この戦いでリリスたちが得たものなど何もなく、ただマルクとレイチェルを失っただけで終わった。リリスの目の見えないところでマルクたちに何かが起これば、その時の安全は誰が保証するのだ。……もしもその時に、二人が傷つけられるようなことがあれば。

「……なんで、私は……‼」

 持ち手をへし折らんばかりの力で握りしめ、リリスは絞り出すようにその言葉を発する。最後の最後で判断を誤ったリリスの、組織の統率力を見誤ったリリスの完全な失策が、今のこの最悪の事態を招いていた。

 ウーシェライトの実力で囮だというのならば、そうするだけの価値がある『本命』がいるという事だ。『精霊の心臓』を手にするために、それらは命を奪う事すら躊躇わないはずだ。……なんとしてでも、それだけは阻止しないと――

「……いい顔を、していますねえ」

「……は?」

 悲観的な思考に走りそうになる心を制御していたその矢先、息も絶え絶えなウーシェライトの声がリリスを引き留める。……とても満足そうな表情とともに、赤茶けた瞳がリリスの姿を映し出していた。

「自分以外の存在を心から大切に想えるからこそ、あなたは今そんなにも苦しげなんでしょう。……あなたをナイトだと見込んだ私の目に、やっぱり曇りはなかった」

 まるで悟りを開いたかのような穏やかさで、ウーシェライトはリリスに語りかける。戦いに敗れて今から息絶えるというのに、それへの恐怖心なんか微塵もなくて。……ただ自分の役割を果たした事への満足感だけが、浮かび上がっていて。

――自らの死をも必要経費だと思わせるような組織の在り方に、鳥肌が立った。

 どこまでも生き汚かったアグニも大概厄介だが、ウーシェライトのそれはアグニと比べても遥かに上を行っている。なんでそんなにも執着なく、自分の命を手放せるのだ。……囮なんて役割は、体のいい捨て石でしかないというのに。

「……では、私はこれで。……すべてが覆った後の世界で、また会えることを願っています」

 その疑問をリリスへと突き付けたまま、ウーシェライトはゆっくりと瞼を閉じる。……それを最後に、ピクリとも動くことはない。……まるで眠るかのように、彼女は戦場と化した街で息絶えた。多くの犠牲と、リリスたちへの大きな影響を遺して。

「なんで……、なんで、そんな」

 死線を一つくぐったことへの感慨などないまま、リリスは疑問の言葉を繰り返す。だがそれにこたえる者はなく、あるのは毎秒事に悪化していく現状だけだ。……一刻も早く動かなければ、今度こそ否定しようのない喪失を味わうことになる。

「――リリス、動けるかい⁉」

 首を勢い良く振って当面の疑問を棚上げしたところで、支援を終えたツバキが走り寄ってくる。お互いにほぼ無傷なのは幸いだが、それを喜んでいる暇などありはしなかった。

「……まずは、状況の把握からね。ツバキ、レイチェルとマルクに何が起きたか分かる?」

「いいや、ボクにも全貌は分からない。ただ一つ言えるのは、二人がどこか遠距離から狙われてたってことだけだ。多分、ボクたちが戦闘している場所を上空から探してた何者かがいる」

「上空……どこかの屋上とか、高層階とか?」

「だったらまだマシ、最悪なのは何らかの方法を用いて飛行している場合だね。……その場合、見つかり次第どこからでも狙撃される可能性がある」

 お互いの情報と推測を交換して、混迷する現状をどうにか掴もうと必死に頭を回す。こういう方面はリリスの得意分野ではないが、それでもただ戸惑っているばかりよりはよほど気が楽だった。

「おそらく今、マルクたちは精霊の転移魔術によってどこかに飛ばされてる。……それがベルメウの中なのか、それともどこか本当に遠くの場所なのかは分からないけど」

「できるならこの都市の中のどこかにいてほしい――とも、安易には言えないよね。ウーシェライトじゃない何者かから狙撃された以上、この都市全体がもうすでに危険地帯だ」

「ええ、間違いないわね。……魔力反応からして、もういつものベルメウじゃないわ」

 わざわざ感度を上げなくとも伝わってくるほどの強大な魔力反応があちこちの方向から伝わってくるこの状況は、誰がどう見ても異常事態そのものだ。車の暴走もウーシェライトの襲来も、全てはその皮切りでしかなかった。

 今や都市機能は完全にマヒし、人々は混乱の真っただ中にいることだろう。……この惨状の中でまだ生きていられるだけ、それはとても幸運なことだといえるのかもしれない。この都市にあるすべての命はもはや吹けば飛んでしまうほどに軽く、脆い命を蹂躙することに躊躇いのない人間もそこかしこを闊歩している。それらに目を付けられれば、待っているのは悲惨な結末だけだ。

「最低でも騎士団には合流したいところだけど、この状況で騎士団が狙われてないとも思えないわね。もうすでに人的被害が発生していたって何もおかしいことじゃないわ」

「ああ、状況は思っていた以上に切羽詰まってるみたいだからね。……ボクたちにできるのは、これ以上犠牲者リストが長くならないように力を尽くすことだけだ」

 リリスの言葉に頷いて、ツバキはそう断言する。明確な指針が示された瞬間、混乱していた頭がようやく一つの方向へと纏まっていくような気がした。

 犠牲者の数は一人でも少なくなるべきだし、そのリストの中にマルクたちの名前が載るようなことがあってはならない。――もちろん、リリスやツバキの名前だって。誰一人として取り落としたくないなら、今は少しでも動き回るしかなかった。

「行きましょう、ツバキ。精霊の魔力反応は濃いし、この状況の中でもある程度近づけば見つかるはずだわ」

「ああ、頼りにしてるよ。……少しでも早く、レイチェルの所にたどり着かないと」

 手を取ってそう告げたリリスに、ツバキも足に力を込めながら答える。今までに二人で色々な事件に巻き込まれたことはあるが、これだけ大規模なものは流石に初めてだ。だからこそ、なおさらいち早く合流を目指さないと――


「あー…………ごめん、その計画邪魔してもいい?」


――ようやく迷いを振り切って足に力を込めた瞬間、気の抜けるような男の声が二人の耳朶を打った。

 それと同時に、リリスの感覚は半年前にさんざん感じ取った魔力の残滓を久しぶりに拾い上げる。……人間はおろかエルフにも連発が難しいはずの転移魔術の気配が、勘違いしようもないほどにはっきりとこの戦場に現れていた。

「頭のネジは飛びまくってたけど、それでもアイツはアイツなりに役割を全うしてくれたんだよね。……正直めんどいけどさ、そこまでされたらオレも頑張らないわけにはいかないんだわ」

 背後を見やると、痩身の見知らぬ少年がその細枝のような腕を地面へと触れさせながらリリスたちに向かって語りかけている。可能ならば引き留めの言葉なんて無視してしまいたかったのだが、生憎そうするわけにもいかない理由がある。

「……ツバキ、悪い報せよ。この男、並の魔力量じゃないわ」

 地面につけた手を媒介に広がる濃密な魔力を感じ取り、リリスは苦虫を噛み潰したかのような表情で報告する。それを聞いた途端、ツバキの表情も険しいものへと変じ――

「――起きろ」

 たった三文字少年が口にした途端、突如発生した振動がリリスたちの体勢を崩す。それに驚いたのも束の間、直前までただの石畳であった地面が何かに突き上げられたかのように大きく隆起した。

 それだけではない、浮き上がった石畳はまるで意志を持っているかのようにその姿を変えていっている。要らない部分は削り取られ、足りない部分には付け足され。……最初から設計図が用意されていたかのように、その変身は手際よく進んでいる。

「……主の頼みだ、お前たちは逃がさねえ。事が穏便に済まされるまで、オレと遊んでもらおうか」

 そんな過程を経て岩の巨人のような見た目へと変化した元石畳の頭部に腰掛けて、少年はリリスたちへの敵対を宣言する。――硬い石で構成された両腕が、眼下の二人を叩き潰さんと構えられていた。
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