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第五章『遠い日の約定』

第三百七十一話『想いも誓いも詰め込んで』

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「お待たせ、二人とも。……待たせてしまったかい?」

「ううん、そんなことはないわ。私もマルクをコーディネートするのにかなり時間がかかってたから」

 軽く手を振りながら俺たちの下に駆け寄ってくるツバキに、リリスは軽い調子で答えを返す。その言葉の通り、俺の服装は上から下まですっかり変わっていた。

「マルク、随分変わったねー……。これ全部リリスが考えたの?」

「ああ、俺はこういうのに疎いからな。リリスが見ていいって思ったならきっと変になってることはないだろうし、大部分はリリスに任せることにした」

 上から下までまじまじと視線を動かすレイチェルに、俺は頭を掻きながら答える。ファッションがらみの知識に乏しいのは恥ずかしい限りだが、そんな俺にもレイチェルがうまくコーディネートしてくれたことは何となく分かった。

 黒地にワンポイントの刺繍が施されたインナーシャツの上からカーキ色のジャケットを羽織り、わざわざ裾上げをしてまで丈を合わせてもらったネイビーカラーのズボンを合わせた今の服装はよくまとまっていて、姿見で確認した時に思わず驚かされたほどだ。もの言いたげに周囲をうろうろとしていた店員たちも結局リリスのチョイスには口を出そうとしなかったし、本業が何も言えないぐらいの仕上がりになっているという事なのだろう。

 少なくとも、宿を出る前にあった従者と令嬢と言った雰囲気は一切感じられなくなっている。服のブランドとかにこだわりがない身からすればそれだけでもう進歩としては十分すぎた。

「護衛時代のややこしいあれやこれやは大体ボクがやってたけど、服選びは自分でやってたぐらいだもんね。……それにしても、君もかなり色濃く染めたなあ」

「染めてなんかないわよ、ただマルクに合う服を見繕っただけだもの。……その選択に好みが入ってないと言ったら、それは嘘になるかもしれないけれど」

「今リリスが言ってたみたいなことを、多分『染める』って言うんじゃないかなあ……?」

 ツバキの言葉にどこか歯切れの悪い返しをしたリリスに、レイチェルの遠慮がちな指摘が突き刺さる。それにリリスは珍しく目を見開いて、そして言葉を失っているようだった。

「……ツバキ、『染める』ってなんだ?」

「ボクからは言えないよ、これもガールズトークの一環だからね。どうしても気になるならリリスから聞くことをお勧めしようかな」

 ふと気になってツバキに問いかけるも、ツバキは楽しそうな笑みとともに首を横に振るばかりだ。助言で挙げられていたリリスはと言うと複雑そうな表情で口元をもごもごさせていて、とてもではないが素直に答えを聞かせてくれる雰囲気ではなさそうだった。

「こういうのは自分の口から言うのが大事だからね。想いってのは人づてなんかじゃなく、直接伝えたい人の下に届けるべきものだよ。……それが大切な物であればあるほど、特にね」

「……貴女は楽しそうでいいわね、ツバキ」

「そりゃ楽しいさ、親友が一歩ずつ進んでいく姿を隣で見られるんだもん。恵まれてると思うよ、心の底からね」

 その様子を見つめながら鼻歌交じりに呟くツバキに、リリスはどこか恨めしげな視線を向ける。しかしそれはのらりくらりとかわされるばかりで、先に観念したようにため息を吐いたのはリリスの方だった。

「……そうよ、このコーディネートには私の好みが多分に入ってるわ。このネックレスとか、特にね」

 いっそ開き直るようにして俺の方を向き直り、リリスは俺の首からぶら下がったネックレスを手に取る。細めのチェーンの先にひし形に加工された宝石が施された、この店の中でも結構値の張る代物だった。

 そういえば、このネックレスだけは『私が自分の金で買うわ』と言って譲らなかったな。俺は服を見繕ってもらっている側だから少しばかり値が張ろうと別に構わなかったのだが、結局リリスが折れることは最後までなかった。

 結果的に言えば、このネックレスはリリスからの贈り物だという事になる。その形式に落ち着いたのはてっきり値段が跳ね上がってしまうからだと思っていたのだが、もしかしてそれだけじゃない……のか?

「こういうアクセサリーに想いを込めるの、いいなって思ったのよ。あまり願掛けとかを信じる方じゃないけど、それも無意味じゃないって思えたし。……それに」

 いつもより少しばかり早口になりながら説明を続け、リリスは大切そうに握りしめていたネックレスを手放す。……そして、その指先を自分の首元へと向けた。

「あの時のチョーカーのお礼、まだしてなかったもの。これ、今も私の宝物なのよ」

「何なら寝る時だって枕元に置いてるぐらいだからね。このチョーカーが贈られた経緯を思えば無理もないことだけど」

 ツバキから新しい情報がもたらされて、リリスの頬がまた赤くなる。同じ宿で寝たことはあっても同じ布団で寝たことはないから、そのことについてはこれが初耳だった。……そうか、そんなに大切にしてくれたんだな……。

 チョーカーを指さしたままの姿勢でリリスはしばらく固まっていたが、やがて意を決したように首をぶんぶんと振る。そして俺の方を見上げると、首元で揺れるネックレスをまっすぐに指さした。

「……そのネックレス、できるだけ長い間つけてほしいわ。御伽噺みたいな奇跡は起こせないかもしれないけど、その分思いはたくさん込めたから。……さっきした話のことを思えば、ちょっとは付けてると良いことが起こるような気がするでしょ?」

 にやりと笑いながら付け加えられたその一言に、俺は内心で息を呑む。そして同時に理解した。……このネックレスは、レイチェルにとってのペンダントも同然なのだと。

 精霊もエルフも妖精もそのルーツは変わらないと、リリスはさっき話してくれた。……ならば、エルフであるリリスの意志も何かを起こしてくれるかもしれない。何一つ根拠のない話だったけれど、その分夢のある話だった。

 リリスが頑なにこのネックレスを自分で買おうとしたのも、今ならその理由がはっきりと分かる。……思いを込めたからこそ、このネックレスは贈り物でなくてはいけなかったんだ。

「ああ、肌身離さず付けることにするよ。お前を見習って寝る時も枕元に置いておく」

「私を見習って、は少し余計だけど……。ええ、そうしてくれるととても嬉しいわ」

 俺の答えに困ったような仕草を見せながらも、リリスは嬉しそうな笑みを浮かべる。……それを遠くで見ていたツバキは、満足そうな表情で何度も首を縦に振っていた。

「レイチェル、ちゃんと見ていたかい? これが想いをちゃんと形にすることの大切さってやつだよ」

「うん、あたしにも伝わってきた。……『あなたが大切だよ』って伝えるの、とっても大事なんだね」

 その頷きを継続させながら器用に投げかけた質問に、レイチェルがどこか感服したような様子で同意する。やり取りが一段落した俺の中では遅れて照れくささが湧き上がってきていたが、レイチェルの中ではどうやら違う感慨が生まれているらしい。

「『大切だ』ってどれだけ思っていても、言葉にできなきゃそれを正しく伝えるのは難しい。君のお父さんとかお母さんみたいに態度や接し方だけでその想いを伝えられる特別な人もいるにはいるけれど、それはあくまで少数派さ」

「うん、そうなのかもしれない。……言葉にするって、こんなに大きなことなんだ」

 ツバキの言葉に頷いて、レイチェルはどこか感慨深そうにペンダントを握り締める。……その瞳は、ここではないどこかを見つめているように見えた。

「……あたしのところに来るまで、これもいろんな思いの証として受け継がれてきたのかな。ちょうど今、リリスが贈ったネックレスみたいに」

「先祖代々受け継がれてきたものと今見繕ったアクセサリーを同列に並べるっては、少しばかり恐れ多いことではあるわね。……けれど、本質はそう変わらないんじゃない?」

 ほとんど独り言のような疑問に、リリスはくるりと振り返りながら答える。そのまま自分の首元に手を当てると、リリスはきゅっと目を瞑った。

「……このチョーカーはね、マルクが私の頼みに応えて贈ってくれたものなの。これからは奴隷って言う上下関係じゃなくて、横並びの仲間として歩いていくって思いが此処には込められてる。初めてつけてもらった時の事は今でも鮮明に思い出せるわ」

「『貴方が着けてくれ』って言って聞かなかったもんな、お前。あの時はかなり照れ臭かったけど、今じゃそれもいい思い出だよ」

 それはまだ俺たちが『夜明けの灯』なんて名前を付ける前にあった、一つの節目のような出来事だ。リリスに似合うチョーカーを求めてずいぶんいろんな店を駆けまわったし、だからこそ今も使ってくれていることが嬉しく思える。我ながらいい選択ができたと、今でも少し誇らしくなるぐらいだ。

 目を開けたリリスは俺の返答にニッと笑い、そしてレイチェルの方へと向き直る。小柄なはずのその背中が、俺にとってはとても頼もしかった。

「あなたのペンダントも、きっと無言で受け渡されたわけじゃないでしょう? お母さんから何かのメッセージと一緒に贈られて、それは今でもあなたの中にある。あなたのお母さんも、お祖母さんからそうやってペンダントを受け継いできたはずよ」

「メッセージと、一緒に……」

「ええ。……そしてその中には、愛する人を守ろうとした精霊の言葉だってあるはずなのよ」

――そのペンダントの始まりは、精霊から人間への贈り物なんだもの。

 一切の迷いなくそう断言して、リリスはくるりと俺の方を向き直る。「そこから繋がる最後の答えは自分で見つけ出すことね」と、そう言いたげな仕草だった。

 そのやり方は少しスパルタにも思えるが、今のレイチェルにはそれが最も必要な事だろう。自分が最後に信じられるような答えは、自分で見つけられなくては意味がない――

「……ッ⁉」

 そんなことを考えていた刹那、どこかから突き刺さるような視線を感じて俺は咄嗟に辺りを見回す。朝から昼に移り変わりゆくベルメウの街中で、たくさんの視線が俺たちに集まっていた。

 奇異の視線、好奇心からくる視線、あるいは喧騒への不快感をあらわにした視線。店の前であれこれと話しすぎたからそういったものを集めるのは仕方のない話だが、さっき俺が感じた視線はそういうのではない。あんな視線は、不特定多数の人間に向けられるべきものじゃない。

――その視線が向けられたときに感じたぞわりとした感覚は、鳥肌となって今も残っているのだから。
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