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第五章『遠い日の約定』

第三百六十六話『虚しさは誰のせい』

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「……どう、して」

 その表情は、もう絶対に見ることが出来ないと思っていたはずのものだ。レイチェルは皆の期待を裏切って、皆に失望されて。……車の中でかけてくれた優しい言葉だって、レイチェルの事を気遣って発されただけのお世辞だと、そう思っていたのに。

「その様子を見るに、随分色々と考え事をしてたみたいね。……ほんと、あの男には直接文句を言ってやらなきゃ気が済まないわ」

「だね、あの人はちょっと冷徹に物事を考えすぎてる。人の心持ちが計画の成否を大きく左右するときもあるってこと、結果と一緒に教えてやらなくちゃ」

 そのはずなのに、二人は今のレイチェルの姿を見ても引く素振り一つ見せずむしろ気持ちを新たにしているように思える。……その中に、レイチェルを責めるような気配は一つたりとも見当たらなかった。

「どうして……?」

 その様子が不思議でならなくて、レイチェルはひたすらに疑問詞を繰り返す。あれだけ無様を晒したのに、あの場で何も言い返すことが出来ない弱い人間がレイチェルなのに。……どうして、少しも失望することなく目の前に立ってくれるのだ。

「……あたしのこと、最初から期待してなかったの?」

 上手く回らない思考の末に思い浮かんだ可能性を、レイチェルは二人に向かって投げかける。だがそれに二人は一瞬視線を交錯させると、笑みを浮かべながら首を横に振った。

「そんなことあるわけないじゃない、もしそうならこんな僻地までわざわざ一緒に向かったりしないわ。『夜明けの灯』のパーティメンバーとして迎えることも、ね」

「……あれは、あたしの身分を誤魔化すための処置じゃなかったの?」

「ま、表向きにはそうだね。明確な身分を与えてあげれば不用意にレイチェルに近づく人も少なくなるだろうし、気楽に滞在できるっていうメリットはあった。……だけど、それは何も『夜明けの灯』に加入しなくちゃ得られないってわけじゃない。頭のいいマルクの事だ、わざわざそんなことをしなくてもレイチェルを守るための手段はいくつか考え出していたと思うよ」

 王都に来たばかりの時を思い出しながら反論してみるものの、ツバキは笑ってその可能性を否定する。口調事態はとても柔らかいけれど、その根底にはマルクへの強い信頼があった。

 羨ましいなあ、とレイチェルは思う。『夜明けの灯』の三人はお互いにお互いのことを信じあっていて、だからこそたくさんの困難を乗り越えられたのだ。馬車の中で聞いた今までの道のりがどれも壮絶であったことが、その直感をより確かなものへと引き上げていた。

 誰かのことを完全に信じることが出来て、その誰かから完全な信頼を得ることが出来る。それはなんて幸せで光栄なことだろうか。……無力なレイチェルには一生そんなことはできないんじゃないかと、そう思えて仕方がない。

『夜明けの灯』に加入したという実感があまり湧いてこないのには、きっとそういう所も関係しているのだろう。三人の関係はあまりに理想的で、そこにレイチェルなどという不純物を入れる隙間はどこにもないのだ。……入る資格なんてないと、そう思ってしまう。

「……そういえば、マルクは今どうしてるの?」

「マルクなら今は明日に向けて動いてる頃だと思うよ。ガリウスに一泡吹かせるためには、ボクたちも相応の準備をしなくちゃいけないからね」

 マルクのことを思ったついでに投げかけた今更過ぎる問いかけにも、ツバキは笑顔で応えてくれる。その表情は二人揃って誇らしげで、マルクが信じられているのがそれを見るだけでよく分かった。

「明日……そうよね、明日からもうセキュリティに挑まないといけないんだから。あたしも、頑張って気合を入れなくちゃいけないよね」

 胸がきゅうと締め付けられるような感覚を覚えながら、レイチェルは気力を振り絞って意欲的な姿勢を作る。セキュリティを突破するための気持ちなんてちっとも整っていないけれど、それでもここでその姿勢を見せないわけにはいかなかった。

 いくら優しい人でも、我慢の限界はどこかに絶対存在するものだ。三人の優しさに甘えて弱った姿を見せ続ければ、いつか絶対に見放されてしまう。それだけは嫌だと、レイチェルの内心が叫んでいた。

 図々しい話かもしれない、傲慢だと罵られるかもしれない。……だけど、これ以上失望されるのは嫌だ。だからたとえ虚勢でも張り通して、まだできるんだってアピールしないと――

「――そんな悲しい顔で突破できるセキュリティ、ひとつだってありゃしないわよ」

「……あ、でっ」

 気を張っていた矢先に突如人差し指でつつかれ、レイチェルの身体はあっけなく後ろに転がる。そんな強い力はかかっていなかったはずなのに、不思議と少しも踏ん張ることが出来なかった。

 少し嫌になるぐらいに清潔感のある天井が視界に入ってきて、喉の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。どれだけ気力を振り絞っても虚勢一つうまく張れない自分が嫌で、情けなくて仕方がない。

 だがしかし、そんなことは気にしないと言わんばかりにリリスは倒れ込んだレイチェルの顔を覗き込む。その顔に浮かぶのは失望ではなく、ただただ純粋な困惑の色だった。

「それに、私たちは最初からあなたに『頑張れ』なんて一言も言ってないじゃない。私たちがここに来た理由、ひょっとして聞いてなかったのかしら?」

「……ガールズ、トーク」

 リリスに改めて問いかけられて、レイチェルはゆっくりと二人がここに来た要件を復唱する。確かにそう言っていたはずだが、それはあくまで建前上の事だと思っていた。まさか本当にガールズトークをするためだけにここに来たなんて、到底信じられないことで――

「大正解。夜は長いんだ、どうせなら秘密の話でもして盛り上がりたいだろう?」

 そんなレイチェルの困惑をよそに、ツバキは楽しそうに笑ってオウム返しを肯定する。ここまではっきりと答えられると、流石にそれを嘘だと疑う事も難しかった。

「私達、まだ知り合って一週間とそこらしかないからね。お互いに知らないことが多すぎるし、一度こういう機会を設けておくべきだとは思ってたのよ」

「ボクたちの今までの話はあらかたしてきたけど、そこから一歩踏み込んだプライベートな話は中々する機会がなかったからね。ロアルグが宿一つ丸ごと貸し切りにしてくれたのは本当に幸運だった」

 心の底から嬉しそうに二人は笑いあい、そしてレイチェルに視線を向ける。……その姿を見て、もう何度繰り返したか分からない言葉がまた口を突いた。

「……どうして、そこまで……」

 少しばかり落ち着いた頭はその先の言葉を自然と紡ぎ、何を問いたかったのかを自然に言葉にしていく。天井を見上げたまま発される問いを、二人は口を挟むことなく聞いていた。

「あたしさ、今まで皆に頼りすぎてたんだよ。この問題の当事者はあたしで、最後まであたしが関わらずに問題を終わらせることなんてできるわけもないのに。……ガリウスさんに言われるまで、そんな簡単なことに気づくこともできなかった」

 レイチェルは今まで無知が過ぎた。知的な好奇心もなかった。それが全てを失った原因で、今も自覚というものの本質を掴めていないことの原因だ。ガリウスにいきなり求められたところで、今まで自分の内側に欠片もなかったものが唐突に生まれてくるはずもない。

「自覚がない今のあたしなんて、約定を果たせないただのお荷物でしかない。あたしが情けないからガリウスさんも失望のは当然だし、皆から責められたって文句は言えないよ。……あたしが、全部悪いんだもん」

 罰が自分に降りかかるのは、何らかの罪を犯したからだ。レイチェルの場合、その罪は『無知』だった。その罪を自覚できてしまった以上、罰を受けるのは仕方のない事でしかない。

 だから、『夜明けの灯』の面々からも失望される覚悟はできていた。それは全部受け止めなければならないものだと、訪れる心の痛みをこらえる準備も万端だった。

「……それなのに、どうして皆はあたしのことを責めようとしないの……?」

 だからこそ、レイチェルは二人にそんな質問を投げかける。頭で考えても答えなんて出るはずがないから、二人に答えを求める。……そんなレイチェルの姿を見て、リリスは視線を遠くに投げた。

「……馬車の中で、私たちは『魔喰いの回廊』ってダンジョンでライバルと戦ったって話をしたじゃない? 実はその時、私は一回罠に嵌められてるの」

「え……?」

 突然聞いたことのないエピソードトークが飛んできて、レイチェルは無理解の声を上げる。それを見ているのか見ていないのか、つらつらと答える声は続いた。

「それで身動きが取れなくなって、相手の攻撃をただ耐えることしかできなくて。……そんな状況の私を助けるために、マルクが命がけで助けてくれたのよ」

「ああ、そんなこともあったね。……今となっては少し懐かしいけど、それでも絶対に忘れられない話だ」

 リリスの語りに呼応して、ツバキがしみじみと頷く。それを受けてから一呼吸を置いて、リリスはさらに続けた。

「……あの時、私は申し訳なくてしょうがなかったのよ。最強の魔術師なんて名乗って、守るって断言して。それで罠に嵌められて助けられる側になるんだから、失望されたって何もおかしくなかった」

「……っ」

 その独白を聞いて、胸に締め付けられるような痛みが走る。その感情は、たった今レイチェルが味わっているものととても良く似ていて。

「私ね、マルクが大切なのよ。だからこそ失望されるのが怖くて、期待外れだなんて言われるのが怖くて仕方なかった。……だけど、その時マルクはなんて言ったと思う?」

 花が咲く様な笑みを浮かべて、リリスはレイチェルに問いかける。……今まで見てきた笑みの中で一番可愛いななんて、そんな場違いな感慨が胸の中に訪れた。

「『お前が苦しんでるのを見続けるぐらいなら、少しぐらい無茶してその状況を覆しに行く方がよっぽどマシだ』――だよね。リリスが負担をかけたとか、そんなことは少しも思ってなさそうだったのをよく覚えてるよ」

「大正解。腹を貫かれて危うく死にかけたって言うのに、そんなことは全く気にしてなさそうだったのよね。……それはそれで危なっかしくて仕方ないから、ちょっと注意はしておいたけれど」

 どこか呆れた様に、だけどそれ以上に嬉しそうな様子でツバキの答えを肯定して、リリスは愛しむように過去を語る。ここにいない『夜明けの灯』のリーダーがどれだけ二人にとって大きな存在なのか、このやり取りを聞けばすぐに分かった。

 それだけ全幅の信頼を預けられる存在がいることが、レイチェルには羨ましくて仕方がない。『夜明けの灯』の繋がりの深さを知れば知るほど、その輪の中にいられないことが虚しく思えて――

「それでね、その時私は学んだのよ。仲間が失態をしたときにするべきことは責めることじゃなくて、まず自分の手で助けられないか考えを巡らせることなんだって」

「――ッ‼」

 次の瞬間差し伸べられたリリスの手に、レイチェルは息を呑んだ。

「喋れる範囲でいいし、まとまってる範囲だけでもいいわ。……あなたが背負ってるもの、言葉にして私たちに見せてみて頂戴。仲間が重たいものを背負ってるなら、それを分け合うのは当然だもの」

「……リ、リス……」

 その手を見つめて、レイチェルは声を震わせる。この胸を覆っていた虚しさは、自分の思い込みが勝手に作り出していただけのものだった。……リリスたちはずっと、繋がりの中へと続く手を伸ばし続けてくれていた。それに気づけるか気づけないか、問題はずっとそれだけだった。

 その手を取っても、いいだろうか。無知で無力な自分でも、助けを求めていいのだろうか。『夜明けの灯』に知り合ったのだって、きっと運が良かっただけなのに。

 そんな自問が、助けに向かって伸ばそうとする手を躊躇わせる。レイチェルの罪を皆に背負わせてしまってもいいのだろうかと、不安を訴える自分の声は鳴りやまない。

 だけど、それ以上に胸の中で響く声がある。それは何よりも切実で、強くなんども繰り返されている声だ。……紛れもなく、レイチェル自身の本音だ。だから、レイチェルはそれに従う事を選ぶ。

 無意識に握り締めていたペンダントをぎゅっと意識的に握り直して、レイチェルは左手をリリスに向けて伸ばす。そして、ひんやりと冷たいその手を強く握りしめた。

「……お願い。今までのあたしの失敗、一緒に背負ってくれる?」

「当然よ。それも含めてガールズトークって奴だもの」

 恐る恐る投げかけた問いに、リリスの笑顔が返ってくる。……これでようやく『夜明けの灯』の一員になることが出来たかもしれないと、僅かにだがそう思えた。
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