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第五章『遠い日の約定』

第三百五十九話『不可視の歓迎』

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(ベルメウの支部長? ……こいつが?)

 受付の女性に大声で訪ねられて頭を掻く男を見ながら、俺は内心で疑問の声をこぼす。騎士団の受付を務めている人がそう言ったのだから間違いはないんだろうが、それにしたって信じがたい事実なことになにも変わりはなかった。

 立ち姿も立ち振る舞いもその派手な服装も、全てがロアルグと真逆だというのが素直な印象だ。厳格な立ち振る舞いだけがリーダーに求められるものではないにせよ、それが全くないというのもどうかと思ってしまうのもまた仕方のない話で――

(――派手な服装?)

 ふと何かが引っかかるような感覚があって、俺はとっさに現れた男の全身を上から下まで改めて観察する。様々な色や素材があしらわれた服はド派手そのもので、街中をこれで歩こうものならすぐにでも気づかれてしまうだろう。徒歩で移動する必要性がほぼ存在しないこの街でなら、それでも不便はないのかもしれないが。

 服装だけじゃない、明るい茶色の髪も爛々と輝くそれと同じ色の瞳も、全てがこの奇妙な男の存在を強調している。……端的に言えば、こんなド派手な男の登場を俺たちが揃って見逃せるはずがないのだ。

 だというのに、俺たちは声をかけられるまでこいつの存在に気づけなかった。俺だけならともかく、そういった気配の察知に長けたリリスとツバキさえも。……この男は、誰にも気取られることなく『夜明けの灯』の背後を取って見せたのだ。

「はははっ、そんなにじろじろと見られると流石の僕も恥ずかしいな。……あ、さてはこの服が気に入ったんだね?」

 俺の訝しげな視線を感じ取ったのか、男は軽く身をよじって冗談めかした口調で告げる。それが意図的に軽薄に振る舞っているのかそれとも素なのか、それを読み取る余裕は俺にはなかった。

 男が立っている受付の隅にはほとんど何もなく、大の大人一人がこんな派手な服装をして紛れ込めるような場所だとは思えない。仮に入り口から受付に向かう俺たちの死角になって見えていなかったのだとしても、受付の女性はもっと早くそれに気づいていなくてはおかしいだろう。

 反応的に男は受付の女性をも欺いていたことになるのだが、それをどうやって成し遂げたかについては全く仮説が出てこない。――何らかの魔術を使って女性を欺こうとすれば、この半年でさらに研ぎ澄まされたリリスの感覚はそれを確実に捉えるからだ。

 それができないなんてことがあるとすれば、それは男が意図的にその気配をも隠していた時だけだ。……そして、それができることはそのままこの男が実力者であることを意味している。

「……お前、一体どこから現れた?」

「何を言ってるんだい、最初からこの場所で君たちのことを待っていたさ。後ろ姿だけじゃ断定は難しいから、少し話を聞いてからの登場になってしまったけどね」

 警戒を引き上げながら発した問いかけに、男は軽く肩を竦めながら返す。騎士団のベルメウ支部長ならば俺たちの味方ではあるのだろうが、『それはそれ』と俺の本能がそう告げていた。

 もしこの男が認識の阻害や改変を得意とするタイプの魔術師なら、さっき信じる根拠とした受付の女性の言葉にも意味はなくなる。信じたくない可能性だが、受付が認識を弄られて目の前の男を『支部長』と思い込まされていることだってあり得ない話じゃないだろう。

 杞憂であるならばそれでよし、だがそうじゃないなら俺たちは今危険の真っただ中だ。それが分かってしまった以上、無警戒でこいつと接するのはリスクが高すぎた。

「……おっと、こりゃどうも信じられてないみたいだ。やっぱり胡散臭く見えるかい?」

「自覚があるみたいで結構な事ね。お察しの通り、今のあなたはとても支部長に見えないわよ」

 まだおどけた様子を崩さない男に対して、一歩進み出たリリスが鋭い口調で返す。その背後には、不安げに体を震わせているレイチェルの姿があった。

「ボクたちはレイチェルの味方なんであって、ここの騎士団に取り入るためにここに来たわけじゃないからね。……そっちがそれ以上ふざけるなら、ボクたちだって頼らないやり方を考えるまでさ」

「へえ、随分と自信があるんだね。……そいつはいいや」

 リリスに続いてツバキも強気な発言をしたと同時、男の纏う雰囲気が一瞬だけ重苦しいものへと変わる。……それに対して鳥肌が立ったと気づいたのは、少し遅れてからの事だった。

 まるでさっきまでのおどけた様子が嘘かのように、いま男から放たれた重圧は凄まじいものだった。……あれは間違いなく、必要とあらば敵を殺すという選択肢も厭わないタイプのヤツが纏う類のオーラだ。

 ここまでの半年間で俺たちもいろんな人と交流してきたが、その中でも上位に君臨するぐらいにこの男は考えていることが読めない。もしこいつが、本当に俺たちの敵だったとしたら。

(とてもじゃねえけど、楽して勝てる相手だとは思えねえな……‼)

 リリスとツバキは最強のコンビだ、揃った状態で負けるなんてことは起こらない。……だが、かと言って簡単に沈んでくれる相手でもないだろう。無傷での勝利を願うのは夢物語というものだ。

「僕のやり方だとどうしても騎士団に全力は出せないから、君たちみたいなのがいてくれるのは嬉しいんだよね。……このやりかたなら、思う存分試すことが出来る」

「ずいぶんと上から物を言ってくれるじゃない。ふざける相手を間違えたってこと、私が直接理解刺させてあげるわ」

 男が腰を軽く落としたのを皮切りに、リリスは手の中に氷の刃を作り出す。お互いから放たれる闘気は本物で、それがただの受付を戦場へと豹変させていた。ここで行うのは命のやり取りなのだと、立っているだけでそう実感させられる。

「うん、それじゃあ戦ろうか。……くれぐれも、失望させないでね?」

 リリスの戦意を本物だと見た男はニイッと笑って、身体をすうっと低く落とす。そしてそのシルエットが唐突に揺らいだ瞬間、男の姿はまたしても完全に見えなくなった。

 一瞬俺の目が男の動きに追いつけていないだけかとも思ったが、レイチェルもツバキも、そしてリリスも信じられないものを見たかのような表情を浮かべていることによってその仮説は否定される。……この場に居る誰もが、男の存在を見失っていた。

 転移魔術の可能性も考えたが、それにしては現れるまでの時間が長すぎる。というか、そもそも見逃すはずがない。転移魔術が大量の魔力の気配を伴うものであると、リリスは知っているのだから。

 原理不明の謎の消失に、俺たち全員が警戒心マックスで受付の中を見回す。受付の女性と言えば困ったと言わんばかりに頭を抱え、完全に現実逃避の構えを取っているようだった。

「……来、ない?」

 しかし待てど暮らせど男が現れる気配はなく、おびえた様子のレイチェルが不安そうな声を上げる。それに気づいたツバキが安心させようと視線を合わせた、その時の事だ。

「――揺れたわ」

 確信のこもった声とともにリリスが突然背後を振り向き、手にしていた氷の剣を虚空に差し出す。体の回転とともに繰り出されたそれは本来なら空を切るだけに終わる、そのはずなのだが――

「――やられたな。全力で丁寧に動いてたのに、それでも騙し切れないか」

「……ああ、そういう事なのね。何が『やられた』よ、最初からあなたの計画通りじゃない」

 困惑した声とともに男が姿を現し、困ったように頭を掻く。その姿を一番近くで捉えたリリスは、まるで何かを悟ったかのように大きなため息を吐いた。

 男の手の中には、自分の得物と思しき長剣が握られている。しかしその刀身は刃こぼれし、もう武器として使い物にはなりそうになかった。

 リリスの剣と衝突した時にそうなったのだろうが、だとしたら随分と脆い剣だ。あまり激しい衝突でもなかったし、武器としてあまりに不十分なんじゃ――

「――リリス、それってもしかして」

 そんな思考が頭をよぎったと同時、ツバキが何かに気づいたかのような声を上げる。ツバキの服をぎゅっと掴んでいたレイチェルが、それに反応してツバキを見上げた。

「ええ、今ツバキが思った通りだと思うわよ。……この男、随分と食わせ物みたい」

「だね。ボクたちは気が付かないうちに手のひらの上で動かされてたってわけだ」

 肩を竦めて肯定するリリスに、ツバキも大きなため息を一つ。……そのすぐ近くで、敵意を消した男が満足そうに笑っていた。

「うん、状況理解も一流だ。ロアルグが君たちのことをしきりに褒めちぎるわけだよ」

「ロアルグから聞いてるなら、無条件で私たちのことを通してくれても良かったと思うのだけど?」

「そりゃ別問題さ、何せ約定がらみの問題だからね。中途半端な才能で護衛に就くなんて言ってたんだとしたらそれはあまりに危険すぎるでしょ」

 支部長としてそれは未然に防がなきゃ、と男はおどけた様子で言って見せる。三人の間で生まれた共通認識に、俺とレイチェルだけが乗り遅れてしまっていた。

「――えっと、そいつは紛れもなく本物の支部長……ってことで、いいんだよな?」

「ええ、正真正銘私たちの協力者よ。……もっとも、私もそれを確信できたのはついさっきだけど」

「演技には自信がある性質だからね。支部長たるもの多芸であれ、ってことさ」

 俺の確認を肯定するリリスの隣で、男が誇らしげに鼻の下をこする。その仕草だけ見るとやっぱり何かをまとめる立場には思えないが、今更それを疑っていてもキリがなかった。

「この人が持ってる剣を見れば、嫌でもそれが正しいってことが確認できると思うよ。最初に姿を現した時からずっと、この人はボクたちを傷つける気なんかなかったってことがね」

 そう分かってもまだ戸惑いが抜けない俺とレイチェルに、ツバキが剣を指し示しながらそんなアドバイスを贈ってくれる。その指の先で、剣の欠けた部分がその断面を晒していて――

「――これ、もしかして真剣じゃないのか?」

「うん、大正解。なんなら修練用ですらなくて、安価で作られた模造品だよ」

 ふと気づいた俺が投げかけた問いに、ツバキは大きく首を縦に振る。……その答えが何を示すか、レイチェルもワンテンポ遅れて気づいたようだった。

「まあつまり、最初から私たちはこの男に試されてたってわけね。騎士団に力を貸すに相応しいだけの実力があるのか、油断や慢心がそこに宿っていないかを」

 模造剣の刀身に軽々しく触れながら、リリスは少し悔しそうな口調で今の出来事の顛末を総括する。それに対して返ってきたのは、男のそれはもう嬉しそうな頷きだった。

「ああ、君たちの実力はロアルグが言っていた通り――いや、もしかしたらそれ以上だ。君たちならば、長くにわたって続いた約定を果たすための力になれる」

 爛々と輝く目を向けて、男は大きな声で俺たちをそう評価する。そして、流れるような優美な動きで騎士団の最敬礼の姿勢を取ると――

「改めて、騎士団ベルメウ支部長のガリウス・サフィニアだ。――こんな辺境にある都市まで来てくれたこと、僕は本当に嬉しく思うよ」

 今までよりも数段真剣身の増した声で、男――ガリウスは名乗りを上げる。……その所作だけはロアルグに似ているなと、そう思った。
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