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第五章『遠い日の約定』

第三百三十八話『響く拒絶の声』

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――リリスの言葉通り、森の奥深くには一人の少女が横たわっていた。

 新芽のような明るい緑色をした長髪に、紫がかった紺色の瞳。丁寧な装飾が施されたワンピースのような服装から見るに、そこそこいい家の生まれだろうか。……少なくとも、ここに冒険者として訪れたわけではなさそうだ。

「こいつが突然現れた人間の気配の正体……ってことで、とりあえずいいんだよな?」

「そうでしょうね。この子と私たち以外、この森に人間の気配はないわ」

 俺の確認に再度リリスは頷き、慎重に少女に向かって近づいていく。俺たちより少し年下と言った印象を受ける少女は、俺たちが接近してもなお起きる気配はなさそうだった。

 よく見れば服はあちこち泥で汚れており、広がった裾から露出した足にはいくつかの擦り傷ができている。森の中でのんびりお昼寝――なんて、そんなのんきな理由でここにいるわけではなさそうだ。

「そもそも、どうしてここにいるのかも謎なわけだしな……」

「うん、一番の問題はそこなんだよね。平原ならともかく、この森の奥深くまでこんな装備で来られるとはとてもじゃないけど考えにくい。『突然現れた』ってのをどこかから転移してきたって言う意味に捉えるなら、この子は相応の魔術師だってことが言えるんだろうけど――」

 言いながら自分でも納得がいっていないような様子で、ツバキは首を小さく捻る。そう説明すれば確かに筋は通るのだが、俺も何故だかそれが正解ではないような気がしてならなかった。

「――とりあえず息はしてるわね。傷も多くあるけど、それも全部致命傷にならないところでどうにか踏みとどまってる。……色々と分からないことは多いけれど、それは目覚めた当人に聞くのが一番早そうだわ」

 俺たちがうんうんと唸っていると、少女の隣にしゃがみこんだリリスが少女の容態を確認する。少女の肩口にかざした右手からは既に淡い光がこぼれていて、すでに治療の準備は万端と言った様子だ。

 見る見るうちに規模を大きくした光が少女の身体を包み込むと、足にできていた擦り傷が徐々にその姿を消していく。傷が完全に消えたのは、治療開始から三十秒も立たないうちの事だった。

「……うん、これでとりあえずは大丈夫。傷は全部回復したから、後はこの子の体力が回復するのを待つだけね」

「おう、それならよかった。これでどうにもならない重傷とかだったら寝覚めも悪いしな」

 早足でこっちに戻ってくるリリスの頭に手を置いて、俺はリリスの頑張りをねぎらう。この子を見つけることが出来たのも、リリスがしっかり気を張ってくれていたおかげだからな。そうじゃなければ、突然現れた気配なんて勘付くこともできなかっただろう。

「それにしても、やっぱり突然現れたってところが引っかかるね……。もしそれがこの子の意志じゃないのだとしたら、質問したって答えは出てこないと思うし」

「正直なところ、狙ってこんな場所に転移してくるような理由もないしね。気絶したことで隠密の魔術が解けて、それで気配が感じ取れるようになった――とかの方がまだ納得がいくわ」

 こんなところじゃ助けも期待できないもの、とリリスは付け加える。少女がとりあえず助かったのは朗報だが、そうしてもなお解決の糸口が見えない問題は俺たちの前に立ちふさがっていた。

 ここからどう転んでも彼女を助けることに変わりはないし、問題解決をそんなに急ぐ必要もないんだろうけどな。……だが、転移魔術が使用された疑いがあるというのならそれを無視するわけにはいかないのだ。転移魔術を見ると、どうしてもアイツのことを思いださずにはいられないからな。

 古城襲撃事件から早いもので半年が経ったが、あれ以降アグニ達がどこかで行動を起こしたという話は俺たちはおろか騎士団にも何一つ入ってきていない。それを正しくとらえるならアイツらも息をひそめているという事になるのだろうが、あのアグニが半年間も何もしていないとは少し考えにくかった。

「……なあ、二人とも。あの子の魔術神経が壊れてないか、それだけ確認してきてもいいか?」

 その疑念が、俺の中で一つの仮説を作り上げさせる。それは目の前の少女を全力で助けるために必要な、いわば通過儀礼と言ってもいいようなものだった。

「ええ、それぐらいならいいわよ。知らない人においそれと修復のことは説明できないしね」

「それで君の疑念が晴れるなら安いものだしね。本当に決死の覚悟で転移魔術を使ってここに飛んできたって可能性もまだ残されてはいるわけだし」

 半分立ち上がりながら許可を求めた俺に、二人は快い言葉を返してくれる。その理解の早さに感謝しながら、俺はゆっくりと少女に近づいていった。

 すうすうと息を立てる少女の姿は、ぱっと見ではまるで眠っているかのように穏やかだ。だが、その体の内側がどうなっているかは目で見ただけでは分からない。リリスが言っていた『弱々しい魔力の気配』という説明が、俺の中にはずっと引っかかっていた。

 もしその原因が転移魔術によって魔力を消費したことにあるのなら、彼女は今魔術神経を大幅に消耗しているはずだ。……逆に言えば、そうでなければおかしい。もしも転移魔術を経て魔術神経が綺麗なままだったのならば、俺たちは少女とアグニ達の繋がりを疑わなければいけなくなる。

(……頼むから、そんなことはさせないでくれよ)

 願わくば転移魔術以外の方法で突如リリスの探知に引っかかったのであってくれ。もし仮に転移魔術を使っていたのなら、自然の摂理に従って傷ついていてくれ。そんな修復術師として間違っているとしか思えないような願いを抱えながら、俺は少女の傍に立つ。……彼女の髪色とよく似た色をした宝石が埋め込まれたペンダントが、胸元で淡く明滅しているのが見えた。

 遠目からではペンダントの存在にすら気が付けなかったが、その明滅はまるで彼女の鼓動を示すかのように一定のペースを保っている。宝石の固定具にも細かい装飾が施されていて、見れば見るほど高級品であるような気がしてならなかった。

 アネットがこの場に居たならば、このペンダントについても何か分かったのだろうか。そんな実現しない仮定の話を考えながら、俺は少女の隣にかがみこむ。そして、体内の状況を確認しようと手を伸ばし――


『――気安く触れるな、頭が高い』


「ご、あ……ッ⁉」

 脳内に直接響くような声が聞こえた直後、全身に鈍い衝撃が走る。それが痛みへと変わっていく頃には、俺の身体はくるくると回転しながら宙を舞っていた。

 どんな過程を経てこの事態に至っているのかを必死に整理しようとするが、分厚い壁に叩きつけられたような鈍痛と脳を激しく揺さぶる回転がそれを許さない。突如襲い掛かった暴力に対して何も結論を出すことが出来ないまま、俺は紙切れのように吹き飛ばされていく。

 この森の中でこんなにも派手に吹き飛ばされてしまえば、おそらく俺はどこかの木にすさまじい勢いで衝突することになるだろう。こんなことになるなら受け身の修練をもう少し頼んでおけばよかったなんて、今更どうにもならない考えが頭をよぎる。

 どうにか空中で姿勢を制御しようとあれこれ試してみるが、その過程で得た成果は背後に大木が迫っているという絶望的な情報だけだ。ならばせめて頭だけでも守ってやろうと、俺は両手を頭の方に伸ばして――

「そうは、させない――‼」

 衝撃に備えて全身に力を込めた直後、俺の身体は冷たくて柔らかいものに衝突する。それがどうやら水の球体であるらしいという事に気が付いたのは、空けた口の中に水が滑り込んできてからの事だった。

 俺の速度を殺しきると同時に球体は弾け、俺は地上に帰還する。まるで冗談みたいな一連の出来事だが、身体に残った鈍い痛みだけがそれを現実の出来事だと証明してくれていた。――どんな原理かは置いておくにしても、今俺は何者かに吹き飛ばされたんだ。それも、明確な拒絶の意志を持って。

「マルク、怪我はないかい⁉」

 改めてその事実を受け止め直したころ、慌てた様子で二人が俺の下に駆け寄ってくる。その額には少なくない量の汗が浮かんでいて、それだけでこの出来事がいかに予想外だったのかがよく分かった。

「ごめんなさい、突如あの子の魔力がとんでもなく膨れ上がったことに気づけなくて……。水魔術が間に合ったからよかったけど、貴方を危険に晒してしまったわ」

「謝ることなんてねえよ、むしろ俺は感謝したいぐらいなんだから。お前の魔術がなかったら、俺は今頃気絶してたって何もおかしくねえ」

 あんまり詳しい状況は把握できなかったが、俺が結構な速度で吹っ飛ばされていたのは確かだろう。それに反応して正確な魔術を使えるのはリリスの修練の賜物であり、間違いなくそれに俺は危ないところを救われていた。

「しっかし、手を取ろうとしただけであんなに嫌がられるとは思わなかったな……。確かに無断で触れようとしたのは問題だけどさ、『頭が高い』とまで言われると流石に凹むぞ」

 衝撃とともに響いてきた声を思い返しながら、俺は思わず苦笑する。『双頭の獅子』に居た頃も俺に触れられるのを嫌がるメンバーは当然いたのだが、あそこまで痛烈になじられるのは初めてだった。

「まあでも、治療行為って分かってなけりゃ嫌がるのも当然か。それにしたって、魔術神経の状況が確認できなかったのが痛手だけれど――」

「――マルク、ちょっと待ってちょうだい。『頭が高い』って、いつ誰がそんなことを言ったの?」

 俺の言葉を遮るように、リリスが身をこちらに乗り出しながらそんな問いかけをしてくる。……その質問が意図するところを、俺はすぐさま理解することが出来なかった。

 戸惑いのあまり視線をさまよわせていると、ツバキもまたリリスと同じような真剣な視線をこっちに向けていることに気が付く。……どうやら、俺のことをからかってそんな質問を投げかけてきたってわけではなさそうだ。

「誰が、って……あの女の子じゃないのか?」

「ううん、少なくともボクたちはそんな声を聞いてはいないね。修復術を使おうとしたマルクは、何の前触れもなくいきなり吹き飛ばされていたよ」

 戸惑うあまり思わず質問を返した俺に、ツバキは神妙な表情で頷く。……それが冗談やからかいの類でないことは、顔を見れば。痛いぐらいによく分かった。

 つまり、あの声は俺にだけ聞こえたという事だ。まるで罪人にでも浴びせかけるような、体温のない少し掠れた女性の声。――その主は、狙って俺にだけ声を届けたのか……?

「……ん、うう……」

 俺の身に起きた不可解な出来事に思わずうつむいて考え込んでいると、少し離れたところから女性の唸り声が聞こえてくる。まるで眠りから覚めた時のようなそれは、俺たち三人の誰のものでもなくて。

「……どうやら、証人のお目覚めのようだね」

「みたいね。起き抜けのところ悪いけれど、色々と聞かせてもらおうかしら」

 少女が倒れ込んでいた方に戻りながら、ツバキとリリスは剣呑な口調で言葉を交わす。置いて行かれないように俺もその三歩後ろを追いかけていると、視線の先で少女は大きな伸びを一つして――

「……あれ、ここはどこ? ………………やっぱりあたし、死んじゃったの?」

 まだ夢の中にでもいるかのようなぼんやりとした様子で、少女はきょろきょろとあたりを見回す。舌足らずであどけない声色が、幼く見える彼女の印象をさらに子供っぽいものへと変化させていた。
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