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第四章『因縁、交錯して』

第三百三十一話『涼やかな音を響かせて』

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「……わたくしの振る舞い、変じゃありませんでした?」

 ちびちびとグラスの中の飲み物を口に運びながら、すっかり緊張が解けた様子のアネットが俺たちに問いかける。騎士服を脱いでパーティ用の礼服に着替えたその姿は、途端に貴族としてのオーラを増したように思えた。

「大丈夫よ、貴女の後ろ姿は格好いいものだったわ。というか、そうじゃなかったらあそこまで拍手も起きてないわよ」

「そうそう、お世辞や社交辞令であの勢いの拍手は起きないからね。そのあたりは、君も経験上よく分かってることなんじゃないかい?」

「……まあ、そうですわね。騎士団の方々がそういう方面に強くないことも、わたくしは知ってますわ」

 そう言って、アネットは小さくカットされたステーキを口に運ぶ。そういう所の礼儀もやはりしっかりしている様で、舌鼓を打つ姿すらなんだかおしとやかなように俺の眼には映った。

「しっかし、あの事件からもう二か月ぐらいが経つのか……。なんつーかあっという間だったな」

「そうね、王都も王都でいろいろあったもの。いくら人間的にアレな存在だったとしても、『双頭の獅子』ってパーティがどれだけ冒険者の界隈で力のある集団だったかってのを思い知らされたわ」

 独り言のつもりで発した言葉に反応して、リリスはしみじみと首を縦に振る。叙勲の儀までに差し迫った面倒な部分があらかた終わったからよかったものの、王都の情勢に関してはまだまだ安定したとは言えないのが実情だった。

 というのも、俺たちがクラウスを打破したという確固たる根拠を示すことが出来ないからだ。クラウスがバラックに向かったっきり姿を消したというのはもう王都で広まっている噂ではあるが、その身元が今どこにあるのか分からない以上その末路を確定することはできない。頼みの綱の情報屋も『情報網にちっともかすりもしねえ』と頭を抱えるばかりな以上、俺たちがクラウスを撃破したと王都の冒険者全員に信じてもらうことは不可能だった。

 それに加えて『双頭の獅子』全体が壊滅したわけじゃねえから、その残党との決着もおいおいつけないといけないんだよな……。クラウスに嫌気が差してる奴が過半数だったとはいえクラウスの強さに心酔してる奴らも少なからずいるし、まだまだ王都の新たな勢力図が確定する日は遠そうだった。

「『双頭の獅子』っていう絶対的な邪魔者を取り払った瞬間皆野心家になるんだから、冒険者の魂胆にそういう感情があるんだなってのがよく分かるよね。……貴族も冒険者も、本質的なところだけを見るならあんまり変わんないのかもしれないや」

 絶対一枚岩になれないところとかね、とため息を吐いて、ツバキはグラスの中のジュースを豪快に飲み干す。細いのどがごくりと鳴って、色々な感情の混ざった息がぷはーとこぼれてきた。

「招待状を届けてくださったわたくしの先輩が、『冒険者ってあんなに忙しいものなのでしょうか』と困惑していましたものね。そんな中でも来てくださって本当にありがたい限りですわ」

「そりゃ行くわよ、なんてったってあなたの騎士叙勲の瞬間ですもの。この二か月大変な思いをしてこの場所にこぎつけたこと、私達だって知ってたんだからね」

「だな。そもそもお前ひとりだけのために叙勲の儀が行われるなんて後にも先にもねえだろうし、そこにご招待されたとあっちゃあ無下にするわけにはいかねえよ」

 リリスの意見に同意しながら、俺は大きく首を縦に振って意志表明をする。俺たちにとってこの二か月が騒がしいものだったのは間違いない事だが、それ以上にアネットがせわしなくあれこれと動いていたのも俺たちはちゃんと知っていた。

 古城襲撃事件の調査こそ終わったが、それで俺たちと騎士団の縁が切れたわけじゃねえからな。ロアルグも俺たちを歓迎してくれるし、騎士たちの厚意に甘えている部分も数多くある。事件で得た騎士団との綿密な連携体制がなければ、王都のごたごたは今頃もっと面倒なことに突入していただろう。

 そうやって騎士団と接触していれば、アネットに関する話は自然とたくさん聞こえてくるものだ。――騎士叙勲の儀まで準備期間二か月で臨むことがいかに強行スケジュールであるかとかも、な。

「正式な手順を踏んで叙勲の儀に臨む騎士たちは、四か月から五か月ぐらいかけて動きの練習とかそこに向けた心構えとかを作ってくんだろ? そこを半分以下に短縮するとか、どう考えても無理したとしか思えねえんだけど」

「ああ、他の騎士たちも心配していたからね。……今日の様子を見れば、皆その心配が杞憂だったことに気づいてくれただろうけどさ」

「ええ、そうだと良いですわね。騎士としての基礎訓練なんかは既に終わっているから省略しても問題なかったにしても、叙勲の儀に関する立ち振る舞いなんかにはすごく時間をかけましたもの。二か月って勢いで宣言したことは、少しだけ後悔してますわ」

 恥ずかしげに頬を掻いて、アネットは自分の計算違いを告白する。それでもいざ本番となればあれだけのことが出来てしまうあたり、生来アネットは勝負強い性格なんだろうな。

 そんなことを考えながら、俺は手元にあったサラダを口に運ぶ。歯ごたえのあるそれをじっくり味わっていると、ふとアネットの視線がこっちに向けられているのに気が付いた。

 レーヴァテイン家の証だという黄金色の瞳はキラキラと輝いて、俺の――もっと言うなら俺たち三人の姿を優しく映し出している。その表情はずいぶん大人びて見えて、俺の背筋が無意識のうちにピンと伸びた。

「……アネット、どうかしたか?」

 サラダを呑み込み切ってから、俺はアネットに視線の真意を問おうと声をかける。それにアネットはコクリと頷くと、軽く目を瞑りながら言葉を続けた。

「いえ、特にこれと言ったことはございませんわ。……ただ、この二か月は本当に濃いものだったなと思い返しているばかりで」

「そうだね、ここにいる全員にとってこの二か月はとても濃いものだったと思うよ。この先どれだけ長い時間を過ごすことになっても、これだけの密度の日々を送るのはあまりないことだろうね」

「ええ、むしろこれ以上の密度の時間は勘弁してほしいわ。……そんなこと、マルクと出会ったばかりの時も何となく言ったような気がするけど」

 しみじみと振り返るアネットに引きずられるようにして、リリスとツバキもここまでの二か月をそうまとめる。俺にとってみても、この二か月はあまりに激動の日々が過ぎた。

 ただ冒険して魔物と対峙してってだけの日々が続くなら今更そう負担にもならないんだろうが、この二か月は同業者と対峙する機会があまりに多かったからな……。単純な疲労感で言うのならば、魔物を相手にするよりも人間を相手にする方が蓄積量は遥かに上回っていた。

「力をつけていけばいくほど、冒険者もしがらみからは逃れられなくなっていくものなんだな。責任とか評判とか、気が付けばいろいろなものが背中に乗りすぎてる」

「あ、それは確かに言えてるね。怪訝な視線を向けられなくなったのだけはありがたいけど、その代わりに出てきた感情がどれも背負うには重たいものだからいけないや」

「だよなあ……。そもそも背負いに行ったのが俺だから文句も言い辛えけど、単純な人付き合いの話で言うならクラウスたちが居た時とややこしさがそう変わってねえんだよ」

 同意してくれたツバキに感謝しながらさらに続けて、俺は大きく息を吐く。こんなめでたい会場で愚痴なんて言うものじゃないのかもしれないが、目の前に立つ今日の主役はそんなことを気にしていないらしい。それどころかむしろ楽しそうな笑みまで浮かべて、アネットは俺たち三人を見回していた。

「……でも、それから逃げるつもりは微塵もないのでしょう? 本当に王都の勢力図に嫌気が差しているのなら、この街を出てどこか別のところを拠点にすればいいだけですもの」

「……まあ、それはそうだな。めんどくさいとは思ってるしこれからも思い続けることになるけど、だからと言ってそれを放り投げて逃げるつもりは微塵もねえよ」

 完全に図星を突かれて、俺は少し目線を逸らしながら頷く。アネットが言う通り、王都の面倒事に背を向けようという考え方は俺の中で一度も出てきたことがなかった。

「多分、まだクラウスたちへの反撃は終わってないからなんだろうな。ここから冒険者たちが生き生きとやれる街を作らなきゃ、本当の意味でクラウスを超えたなんて言うことはできねえ」

 クラウスの絶対的な強さに関しては、俺の頼れる仲間たちが否定してくれた。だが、俺たちのやり方がクラウスのやり方よりついてきてくれる皆を幸せにできるかどうかに関してはまだ結論が不明瞭だ。結局絶対的な強さでこの街を統べてしまうなら、それはクラウスがやったことと何も変わらない。

 そうなってしまえば、いずれあの時の俺のような人間が俺たちの体制を壊しにやってくるだろう。その連鎖が続くことだけは、意地でも阻止しなくてはいけなかった。

「クラウスが居なくなったからと言って、アイツの残した影響が全部この街から消えるわけじゃないからな。少なくともそれがなくなるまでは俺たちはこの街を拠点にするよ」

「ええ、それはもうみんなで決めてることだものね。私たちのリーダーが目を背けないって決めたのなら、私たちはその隣に立って支えるだけだわ」

「今までボクたちはそうやって進んできたんだもん、今更変わることもないさ。そもそもボクたちは、マルクの進む道の先にいいことがあるって信じられたから君の傍にいるんだからね」

 俺の決意表明に続いて、リリスとツバキはしっかりと頷いて同じように意思を表明してくれる。出会ってから今までずっと二人が俺の背中を押してくれるのが、俺にとって最大の幸運だと言ってもよかった。

「まあ、俺たちはこれからもそんな感じでやってくと思うからさ。その姿を間違ってないって思ってくれるなら、アネットも力を貸してくれると嬉しい。理想を見守ってくれる存在は一人でも多い方がいいからな」

 グラスに飲み物を注ぎ直して、俺はアネットに向けて軽くグラスを差し出す。それを見てアネットの表情に微かな驚きの色が浮かんだが、それもすぐに笑顔へと変わった。

 アネットの手がグラスを軽く持ち上げたのを見て、リリスとツバキも手元のグラスを少し慌てて構え直す。誰が音頭を取るまでもなく、そのまま俺たちのグラスは近づいて行って――

「――ええ、当然ですわ。騎士としても一人の私人としても、皆様の理想をわたくしは最後まで見届ける心づもりで居ますもの」

 グラス同士が触れ合う涼やかな音が会場の片隅に響いて、俺たちは全員で笑顔を交換する。気が付けばほかの参加者たちの視線はこちらに向けられていて、なぜかあちこちからパラパラと拍手すら湧いてきて。少し気恥ずかしいけれど、それ以上になんだか誇らしい。

「ありがとうな。――皆が見ててくれるなら、俺はどんな理想だって実現できそうな気がするよ」

 誰にも聞こえないように小さな声で呟いて、俺はグラスに改めて口をつける。シャンデリアの温かい光が、この会場にいる全員を柔らかく包み込んでいた。
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