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第四章『因縁、交錯して』

第三百二十四話『筋書きはどこから』

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「『こっそり潜り込んだ書斎でたまたまその方の生涯が描かれた叙事詩と出会ったんですの』と、レーヴァテイン様ははにかみながら私たちにそう教えてくれた。だが、そのお茶目な雰囲気に同調できるほど私たちは平静を保てていなかった。あろうことかレーヴァテイン家の令嬢が、王国における武力の頂点でありたった一人で全てを解決することを信条とした過去の英雄に憧れてしまったんだからな」

 これが事実なら大事が過ぎる、とロアルグは俺たちに説明する。その口ぶりを聞くに深刻な事件が起きたのは分かるが、それを正しく理解するためには一つ確認しなければならないことがあった。

「……さっきからレーヴァテイン様レーヴァテイン様って、お前だけじゃなくていろんな貴族たちまでもへりくだった様子で来てるけどさ、そうなるまでに特別なものなのか? 名前が知れてるって言っても、他の貴族だってネームバリューはそこそこあるだろ」

 そういう世界に一切かかわってこなかった俺からしたら貴族たちの間に格の違いなんてあるのかとも思っていたのだが、ここまでのやり取りを考えれば嫌でもそういうものだと理解はできる。理解できたからこそ、ここを訪れた貴族たちのバルエリスに対する接し方は明らかに度が過ぎていた。

「ああ、そこに関しても説明不足だったか。済まないな、それが分からなければ確かにこの問題の本質が見えてこないのも納得と言うものだ」

「あなたたちからしたら貴族ってのはそこそこ近くで見られるものなのかもしれないけれど、普通に生きている人たちからしたら名前と顔もろくに一致しない人が殆どだしね。護衛とか冒険者とか、そういう世界に生きているならなおさらよ」

「僕も傭兵として色々動いてた時期があったけど、貴族の名前なんて耳にする機会すらなかったからね。一日一日を必死に生きてる人間には、上に立つ人間を見上げてる暇なんてそうあったもんじゃないさ」

 うなりを上げるロアルグにリリスが同調し、それに続くようにしてメリアも肯定する。今ベッドで寝ている少女の存在が持つ価値を正しく理解しているのは、この場にはやはりロアルグしかいないらしい。

「そうだな、そこは否定できない話だ。だが、知られているばかりが幸いなことではないというのもまた事実だ。……貴殿らも、それはバラックについてから経験しているのではないか?」

 無知な俺たちの意見を正面から受け止め、そしてロアルグは続けざまにそう問いかける。……その指摘は、間違いなく的を得ているものだった。

 名前が知れているという事実は、間違いなく行動を窮屈にする。パーティの準備でも主催の人を目当てにいろんな貴族が群がっているのを見たし、光に吸い寄せられる虫の様にこぞってこの部屋を訪れる奴らの存在は現在進行形で邪魔でしかない。……これが俗にいう有名税、と言う奴なのだろうか。

「貴殿らが思っている以上に、貴族の世界も自由なものではない。積み重ねてきた血筋が、家の歴史が、そして誇りや伝統が彼らの家名には乗っている。……レーヴァテイン様は、私が知る限りその重みに最も自由を奪われている方だ」

「レーヴァテインって家に生まれるだけで求められる役割がある……か。それはどうにも、親近感を抱かずにはいられないな」

 ロアルグの説明を聞いて、ツバキが瞑目しながらゆっくりと呟く。痛みをこらえるような、だけどどこかうんざりしているようなその横顔を、メリアは何か言いたげな表情を浮かべながら見つめていた。

「理解してくれたようで何よりだ、世の中には貴族の生まれと言うだけで何の苦労もしていない気楽な人間だと誤解し嫌悪する民衆も少なくないからな。……貴族には貴族なりの、逃れられない宿命があるというのに」

 ベッドで規則正しい呼吸を続けるバルエリスを見つめて、ロアルグは歯を食いしばりながら零す。バルエリスという一人の人間の境遇に、ロアルグはずいぶんと肩入れしているようだった。

 話を聞く限りバルエリスの周囲には理想を笑うような奴らしかいないように思えたから、ロアルグのような存在がいてくれたことは嬉しい限りだ。出来る助力が僅かだったとしても、ゼロか一かの違いと言うのは数字以上に大きなものだからな。

 どんなに気高い理想だって、理解されないままに何度も何度も踏み荒らされていけばいずれは萎れて立ち上がれなくなっていくものだ。倒れても大丈夫だと、間違っていないから前に進めと背中を押せる味方の存在は、理想が花を咲かせるには絶対に欠かせないものの一つといっても過言ではないだろう。

「……すまない、レーヴァテイン家の話だったな。先ほど例外級に格の高い家だとは話したが、あの家はその中でもさらにトップクラスの名家だ。……なぜならあの血筋は王国を隆盛期から支えた繁栄の立役者であり、今でも王国の内政を支える文官たちのトップに立つことを約束された家なのだからな」

 そう言いながら、ロアルグは思い出したように一枚の紙を取り出す。何やら騎士団の活動に対する記述がされた書類らしきそれの右下には、『バルゲル・レーヴァテイン』という名前と印が目立つ形で刻まれていた。

「このバルゲル様こそがレーヴァテイン家現当主であり、アネット様の父に当たる方だ。……これが騎士団の運営予算に関わる申請書類だと言えば、そこに署名された『レーヴァテイン』の名の重みが分かってもらえるか?」

「ええ、これだけ見せられれば私達でも分かるわよ。……騎士を目指すには最悪な家にあの子が生まれちゃったっていう、運命の悪趣味な仕込みとしか思えない事実が」

 苦虫を噛み潰したような表情で、リリスはロアルグの説明に頷く。分かりやすく示された現実はアイツにとって逆風ばかりで、騎士になるなんて願いを口にするのもはばかられてしまうような状況が完成されていた。

 封印されているとはいえ魔剣を持っていたり修練を欠かさずにいられるだけ、バルゲルは寛大な処置をしていると言ってもいいだろう。レーヴァテインの血筋に従うなら、騎士を夢見ることなどちゃんちゃらおかしい与太話だと言われたって何もおかしくはないのだから。

「ああ、だがその中でもレーヴァテイン様は騎士になるという自らの理想を捨てようとはしなかった。かつてたった一人の武力で戦場を動かしたとされる伝説の騎士の叙事詩に惹かれ続け、現代にもその伝説を体現しようとした。……その行動が極まった結果が、この事件において交わされた私達との契約だ」

「全部ひとりで解決し、そして騎士として正式に認められる……確かに、叙事詩に語られる主人公のような立ち振る舞いね」

「逆に言えば、そうでもしなければ自分が騎士として認められることはないって考えてたってことでもあるだろうね。……少なくとも、他の騎士の力を借りてちゃ騎士として相応しくはないってのがあの子の考え方だったんだろう」

 しっかりと段階を踏んでロアルグが下した結論に、ツバキとリリスは同意を示す。その説明は確かに筋が通っていて、この事件を覆っていた暗闇はずいぶん晴れようとしていた。

「私たちが犯した失態は二つだ。まず一つはレーヴァテイン様の覚悟を侮っていたこと、もう一つはレーヴァテイン様に対して肩入れをしすぎていたこと。……たとえあの方が積み重ねてきた研鑽を昔から知っていたのだとしても、あのような状況になってしまうまで静観していていいわけがなかった」

「まあ、その結果があの重傷だものね。ケガ自体は治ってるからいずれ起き上がりはするでしょうけど、生死の境にあの子が立っていたのは言い訳しようがない事実だわ。……それに関しては、援軍に駆けつけるのが遅れた私たちの責任もあるけれど」

「いいや、貴殿らが責任を負う必要はない。……むしろ、私たちは貴殿らに謝罪しなければならないのだ。レーヴァテイン様を見守る者としてのエゴによって、貴殿らを危険な死地へと向かわせてしまったことを」

 悔しさを隠さずに呟くリリスの方に視線をやって、ロアルグは首をぶんぶんと横に振る。……一見するとただリリスを励ましているだけの言葉にも思えたが、それを聞いた俺は半ば無意識に首を傾げた。

(……『向かわせてしまった』?)

 それはおかしい、と俺の中の本能的な部分が声を上げる。俺たちは熾烈な戦場へと巻き込まれ、その中で命の危険を感じることも多々あった。……だが、そこに向かったのは俺たちの意志だ。ロアルグの要請なんて受けた覚えもないし、ロアルグ以外の誰かの指図に動かされてあの戦場に立ったわけでもない。

 というか、バルエリスと遭遇せずとも俺たちは結果的に古城襲撃事件に巻き込まれることが宿命づけられていたようなものだ。バルエリスと出会ったから俺たちは古城に向かったのではなく、俺たちはあの馬車に乗ってバラックの街へ、そして古城に向かっていたのだから。

 その道中でバルエリスと出会ったことでその道のりが早まりこそしたが、俺たちは遅かれ早かれあの古城に向かい、依頼者から伝えられた『噂』の正体だったアグニと敵対することになっていただろう。もし仮に依頼者がこの事態を予見していたんだとしたら実に悪趣味な罠だと言わざるを得ない、が――

「――いや待ってくれ、おいおいおいおいおいおい……‼」

 思考が事件の始まり――『情報屋』がわざわざ俺たちに直接持ち込んだ依頼のところまで戻ってきたところで、俺の脳内に散らばっていたピースが突如惹かれ合うようにして一つの絵を描き始める。あの時の『情報屋』は、間違いなくいつもの調子ではなかった。

 依頼主の情報は不確定なものですら販売することにとんでもない代価を伴い、正式な対価を支払ってくれるならば顧客が人であろうが獣であろうが頓着しない『情報屋』が指示に従って俺たちだけに情報を売りつける。『常にオレのためにしか動かない』と断言するアイツが利益を追わなかったという事は、従わなければ身に危険が及ぶと感じる『何か』が『情報屋』と依頼主の契約の間にあったという事だ。

 そこまではもとからある程度考えられていたところだが、『双頭の獅子』をも恐れようとしないアイツが何を恐れたのかというのが最も大きな問題だった。それが分からないからずっと答えは出せなくて、だからこそ妙な依頼のことは考えても無駄だと思っていた。

(……けれど、この仮説が正しいなら)

 もしこれが真実ならば、今まで見えてこなかった全貌がようやく明確な輪郭を見せてくれる。……そしてその場合、俺たちは間違いなく『巻き込まれた側』だ。

「なるほどな。謝罪したいってのはそういうわけか、ロアルグ」

「……マルク、どうしたんだい? この場の雰囲気に相応しくないぐらい、目が爛々と輝いているように思えるけど……」

 いきなり声を上げたことに面食らったのか、ツバキが少し控えめな様子で俺に問いかけてくる。いきなりのひらめきで驚かせてしまったことは申し訳ないが、正直それを気にかけていられないぐらいには大きな進歩だった。……ようやく、この事件の構図がはっきり見え始めてきたんだから。

「ロアルグ、お前もかなり頭が切れるんだな。確かに『これ』なら契約破りにはならないし、騎士団としての最低限の義務も果たすことが出来る。まさに一石二鳥、ロアルグにとっては渡りに船ってわけだ」

 なぜわざわざ馬車を指定したチケットを俺たちに渡したのか、その俺たちの座席の周りにどうして誰も座らなかったのか。バルエリスがなぜ護衛も従者も連れていないのかというところまで、今までに浮かび上がってきた数々の疑問が全て一つの仮説を元に辻褄の合う形で収束していく。……俺を見つめるロアルグの視線は、驚いたように見開かれていた。

「……まさか貴殿が真っ先に見抜いてしまうとはな。本当ならば私がこれから打ち明け、頭を下げる心づもりだったのだが」

「大丈夫だよ、これが真実だとしても俺たちは抗議するつもりはねえ。確かにお前のやり方は回りくどいしいろんなものを巻き込みすぎだけど、そのおかげで得られたものがたくさんあるからな」

 参ったと言わんばかりに苦笑するロアルグに笑みを返して、俺はバルエリスの方へと視線を向ける。……その視界の端に、無理解を宿したツバキとリリスの瞳が見えた。

「マルク、そろそろ私達にも説明して頂戴。そうじゃないと話に入っていけないわ」

「ああ、悪い悪い。俺も気づいた時には信じられなくてさ、確信が持てるまでおいそれと口には出せなかったんだ」

 何せ最後のピースはついさっきのロアルグの発言だしな。それがあるから答えにたどり着けたって考えると、実質ロアルグが打ち明けて判明したのとほぼ同じことだろう。……まあ、ロアルグを驚かすことが出来たって点ではこっちのほうがいいかもしれないけどさ。

「安心しろ、ロアルグはどうやっても俺たちの味方だ。俺たちを裏切ったってわけでもないし、何か嘘をついてたってこともない。……ただ、どでかい隠し事はしてたんだけどな」

「ああ、本当に申し訳なかった。あの契約を持ち掛けられた私に思いつく対策はこれぐらいが限界だったということだ」

「いーや、決して悪くない考えだと思うぜ? うまく行けば誰も正体に気づかずに傷つかずに終われるし、もしもの事があっても手練れが近くにいるから最低限のリスクヘッジはできる。もし仮にバルエリスが怪しんだところで、これを騎士団の仕込みだって糾弾できるだけの証拠は揃わないしな」

「……は、仕込み? 騎士団がこの事件において何かを仕込む余地なんてあったかい?」

 俺の言葉を聞いて、ツバキが驚いたような声を上げる。なんの脈絡もなく出てきた言葉だし、そんな反応も無理もないだろう。だからこそ、俺は大きく頷いた。

「ああ、確かにあった。何せ俺たちに騎士団からの依頼が届いたのは九日前、騎士団がバラックにまつわる情報を掴んだのは大体十日前。……一日あれば、情報屋に接触して冒険者宛ての依頼を預けるぐらいのことはできるだろ?」

 そう、最初からヒントはあったのだ。一個人とは思えないほどの財力を持つことも、そんな奴の情報を売ることを『情報屋』が恐れたことも。最初から一個人の所業じゃなく、国家組織を挙げて打った一手ならば全部納得がいく話に変わる。

「騎士団とバルエリスの契約によって縛られたのは、騎士団が直接バルエリスの調査活動を手助けすることだ。裏を返せば、『たまたま行き会った冒険者』がバルエリスの助けになるならそれは別にいいんだよ。たとえそのたまたまが騎士団によって仕込まれたものだとしても、さ」

「……ねえマルク、それってつまり」

 俺が言わんとしている答えに行きついたリリスが、目を見開きながら俺に曖昧な問いかけを投げかける。まるで先を急かすようにも聞こえるその声に、俺は鷹揚な頷きを返して――

「ああ、俺たちとバルエリスの遭遇は偶然なんかじゃねえ。わざわざあいつが乗り込むのと同じ高級馬車の座席を用意して、お互いが顔を合わせるように仕向けた正体不明の依頼人――騎士団の介入によって、最初から仕組まれてたことってわけだ」

――そう言って、この事件の始まりを俺はゆっくりと紐解いた。
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