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第四章『因縁、交錯して』

第三百二十三話『幼き日の彼女』

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 一人の少女が騎士団全体の行動を縛れるなんて荒唐無稽な話に思えてならないが、その証言を前提に考えるといくつもの疑問に説明が付く。……それに加えて、バルエリスの一途さを思えばそれぐらいやってもおかしくないだろうと思えてしまう自分が確かにいるのもまた事実だった。

 貴族たちからの通報がいった直後にロアルグが駆け付けたあたり、きっと騎士団はバラックの街の中で言いつけ通りに待機していたのだろう。『手に負えなくなったらバルエリスは報告してくれるだろう』と、契約を律儀に信用しながら。

(問題なのは、それがいいことか悪いことかはっきりしないところなんだけどな……)

 どっちの判断にもメリットとデメリットがあって、どちらを決断するにも十分な理由は存在する。そんな状況だからこそ、俺は騎士団の働きに対する評価を決めあぐねていた。今はっきり言えるのは、少なくとも俺たちの敵じゃないという消極的な事実ぐらいのものだろう。

「――王国騎士団は、武力によって成立したこの王国が存続していくために最も大きな役割を果たす組織だと言ってもいい。私たちのように明確に隣国へと示せる勢力がなければ、不安定なこの国はとうに他国の侵略を受けて呑み込まれていただろうな」

 それ以上の何かを見出せないかと俺がなおも考えを巡らせていると、ロアルグが沈黙に耐え切れなくなったような様子でぽつりとそう零す。それは確かに王国騎士団の現実的な存在意義とも言えるものだったが、それに俺は思わず首を傾げた。

「……確かにそれは間違いないだろうけど、そうだとしてそれが何の話に繋がるんだ? 今の問題はバルエリスがとんでもない要求を騎士団に対してかましたってとこで、騎士団の存在意義がどうのこうのって話は少し筋違いに見えるんだけどさ」

 実際に騎士団に接触したバルエリスなら、そのあたりの現実的な事情を知らないなんてことはないだろう。そういう現実とかままならない事情とかを目の当たりにしたうえでなお理想を貫くことに決めたからこそ、バルエリスの覚悟は死の恐怖を噛み殺せるまでに研ぎ澄まされたんだろうし。

 確かにバルエリスの理想は途方もなく大きく、それに向かって努力する姿を盲目的だと表現することは多分間違いじゃない。だが、そう見えることと実際に盲目であることは話が違うだろう。……バルエリスは、自分を取り巻く現状も騎士の現実も確かに理解していた。

 少なくとも俺はそうやって理解しているから、ロアルグの言葉はいまいち要領を得ないものとして俺の中で噛み砕かれる。……だが、そんな俺の認識に対してツバキとリリスは揃って首を横に振った。

「マルクの言う通り、そこが一番大きな問題だよ。その問題を読み違えちゃいけないからこそ、『なんでその提案をしたのか、その裏にはどんな考えがあったのか』っていうプロセスの部分をおろそかにしちゃいけないんだ。……ロアルグはきっと、その理由をほぼ正確に把握してると思うからね」

「私もツバキと同意見ね。あの子の理想は間違いなく『騎士になること』で、それは一度だってブレていない。それに則って考えるなら、ロアルグに対して契約を持ち掛けたのも『それが騎士になるための最善策だったから』って答えれば間違ってはいないでしょうね。……だけど、あの子が目指す『理想の騎士』とやらが誰のことを指しているのかを私たちはよく知らないのよ」

「……誰の、ことを?」

 リリスから問いを投げかけられて、はたと俺は考え込む。……そう言われてみれば、俺たちが知っているのはバルエリスがとあるときに目にした『騎士』の姿に憧れたという大まかな経緯だけだ。その騎士が果たして誰を指すのか、個人なのか集団なのか、生きているのか死んでいるのか――もっと言うのであれば、実在するのかそうじゃないのかすら俺たちは分かったものじゃない。

 何度も何度も話を聞いて理解したつもりになっていたが、バルエリスがいつも語っていたのは『理想の騎士』と言うざっくりとしたゴールの輪郭だけだ。それがなんでバルエリスの心の中に生まれたのか、どんな風に大きくなったのか、その理想の根っこには何があるのか――ふと俯瞰して疑問を並べ立ててみれば、俺たちはバルエリスの理想に対して無知であることはあまりにも明らかだった。

「……憧れの矛先や形が少し変わるだけで、人の生き方ってのはとても大きく変わりうる。そのことは、僕がつい少し前に身を以て思い知ったことだよ」

 リリスの説明を聞いて、今まで押し黙っていたメリアがおずおずと口を開く。ツバキと真正面から向き合うことで色々と変わったメリアから発されるその言葉は、とてつもない重みを持っているように感じられた。

「ええ、間違いないわね。……マルク、これで分かってくれたでしょう? バルエリスが何でこんな契約を持ち掛けたのかを理解するためには、まずあの子の理想のスタート地点がどこだったのかを突き詰めていかなくちゃいけないのよ」

「ああ、お前たちの言う通りだったな。五日間一緒に過ごして分かったつもりになれるほど、アイツの理想は簡単なものじゃなかったってことだ」

 リリスの結論に頷いて、俺は自分の考えが浅かったことを反省する。バルエリスが何かを隠していることは分かっていたはずなのに、隠された部分に対して俺はちっとも考えが及んでいなかった。

 俺が知っていたのはバルエリスにとってその理想が絶対的で揺らがないものであるというほんのわずかな事実だけで、アイツが抱く理想全体からすればほんのわずかな要素でしかない。でもそれさえ分かっていればバルエリスを信じるには十分だったし、それ以上のことを無理に知ろうとする必要もなかったのだ。――少なくとも、古城を巡る事件が解決するまでは。

 差し迫った脅威を退けた今、俺たちは今一度バルエリスに――いや、その偽名の奥にいた『アネット・レーヴァテイン』の本質と向き合う必要がある。……それがきっと、アイツの背を押した事に対してとるべき責任って奴なのだろう。

「そんなわけで、ボクたちは少しでもあの子に関する情報を一つでも多く知らなくちゃいけないわけだけど――そこの橋渡しは、ロアルグがしてくれるってことでいいんだよね?」

「無論だ。レーヴァテイン様を正しく理解する方が一人でも増えることは私たちにとっても喜ばしいことだからな」

 ツバキの問いかけにロアルグは深々と頷いて、視線がいつかを思い出すように上の方へと向けられる。その口元が少しだけほころんでいるのが、俺の眼にはやけに印象的に見えた。

「――初めてレーヴァテイン様が騎士団に現れたのは、あの方がまだ七歳にも満たない頃の事だ。そのころはまだ当主様も幼心の範疇だと思っていたようで、親子揃って修練の視察に来たのをよく覚えている。……そのころは、私もただの一騎士に過ぎなかった」

「七歳……そんな早くから、あの子はもう行動を起こしてたのね」

「ああ、そのころからあの方は好奇心旺盛だった。どんな鍛え方をすれば剣を自由に震えるようになるのか、心構えはどこでどのように身に着けるものなのか。……『騎士を目指そうとしたきっかけは何か』と、そう聞かれた騎士も少なくなかったな」

 指折り数えて十年ほど前の問いかけを思い出しながら、ロアルグは俺たちの知らないバルエリスの側面を語って聞かせる。実際に俺たちが立ち会っていないはずのやり取りなのに、やけに鮮明にその光景が思い浮かべられるのがなんだかおかしかった。

 初対面の相手であろうと距離を詰めるのが上手いのは、バルエリスが持つ生まれながらの才能って奴なのだろう。そこに加えて貴族の世界で揉まれた経験が加われば、どんな相手にであろうと物怖じすることのないコミュニケーション力の鬼が完成するのも納得できるというものだ。

「その時の私たちは、多くの質問を投げかけてくるレーヴァテイン様のことをただ微笑ましく思っていた。子供が成長していく過程で様々な知識を身に着け、より広い見識を得ていく過程を見守れることを嬉しく思っていた。……その問いの一つ一つが、レーヴァテイン様の生き方を決定づけていくなどとはつゆほども考えずにな」

「でも、実際のところはそうじゃなかった。その質問も好奇心も、全ては騎士への憧れが根底にあったから出てきたものだったんだね」

「ああ、それに私たちは気づいていなかった。……その意志が本気であると知ったのは、レーヴァテイン様と騎士団の交流が二年ほど続いた時の事。普段は質問される側であった私たちが、恐れ多くもレーヴァテイン様に問いかける機会を得た時の話だ。その時、とある騎士がレーヴァテイン様に向けてこう問いかけた。『なぜ騎士にそれほどまでの興味を抱いているのですか』――とな」

「……ッ」

 その言葉をきっかけに話の雰囲気が切り替わり、俺たちの背筋が思わず伸びる。俺たちもはっきりと知らないその答えこそがバルエリスの行動原理を作り上げた一番大きな部分なのだと、ここまでの話し合いを経て理解することが出来ていたから――

「その答えを聞いた時、私たちは全員天と地がひっくり返ったかのような衝撃に見舞われたよ。……あの方が口にした名前は、この国の叙事詩に名を遺す古き騎士のものだったのだからな」

――およそ十歳に満たない子供が、知っていていい名前じゃないのさ。

 そう言って、ロアルグは掠れた声で僅かに笑う。……その自嘲的な雰囲気こそが、当時のロアルグが味わった衝撃を最も如実に表しているように思えた。
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