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第四章『因縁、交錯して』

第二百八十一話『思考は冷えているか』

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――ふつふつと、熱いものが体の奥底から沸き立ってくる感覚がある。ツバキがアグニに殺されかけていた時にも覚えたそれは、リリスにも制御しきれない奇妙なものだ。体は何かに熱されているかのように火照っているのに、思考だけは冷静にぐるぐると回転する。今はじき出された答えが最適解なのだと、理由も分からないのに確信できる。進むべき道は、目の前に今もはっきりと見えていた。

「この程度で終わりとか、ぬるい事言ってるんじゃないわよ」

 地面に叩きつけられたメリアを一瞥して、リリスは迷うことなく風魔術を起動する。そこに一切の慈悲はなく、これに対処できなければメリアはあっさりと死ぬだろう。そうなってくれればとても助かるのだが、同時にそうはならないだろうという確信もリリスの中には存在していた。

「が……あああッ‼」

 影で作り上げた盾を差し出して、メリアはリリスの追撃を受け止める。重力と風魔術の恩恵を二重に受けたその速度はすさまじいものだったが、それがメリアに直接ダメージを与えることはなかった。

 だが、それもそれで想定通りだ。この程度の攻撃で死ぬぐらいなら、メリア・グローザという人間がリリスたちの前に立つことはきっとなかったのだから。

 メリアの強さを支えているのは、姉弟が離れ離れになってからの十年間に積み重ねてきた思いの数々だ。いくら歪んでいても捻じれていても、メリアがツバキに向ける敬愛の情には一切の偽りがない。……だからこそ、メリアという人間は厄介なのだ。

「……氷よ」

 自分でも内心驚くぐらいに冷たい声で詠唱して、リリスは氷の剣を二本構える。防御を捨てて攻撃に特化したその構えは、リリスがはじき出した現状への最適解だ。生半可な攻めでは打開されると、リリスの本能が告げている。

「し……いいいッ‼」

 風魔術で速度支援を行いながら、リリスはメリアへと躍りかかる。単純な速度に体のひねりまでもが加えらえれた一撃を、メリアは影を纏った右腕で受け止めた。

 しかし、それに構わずリリスは剣を振るい続ける。右が受け止められたなら左、左が受け止められたらな右、それも受け止められたならまた左。繰り返し繰り返し振るって、リリスはメリアを押し込んでいく。氷の剣が衝突するたびにメリアの表情が歪んでいくのが、嫌に冷静なリリスの視界に映った。

 二刀流にデメリットが一つあるとするならば、連続攻撃に特化した分ほかの要素が疎かになってしまう事だ。一撃の重さはどうやっても両手で振るった一撃に劣るし、両手に剣を持てば当然防御は疎かになる。一度でも体勢を崩されてしまえば、リリスは手痛い一撃を食らうことになるだろう。

 だからこそ、反撃に転じる隙を与えないほどに攻撃の密度を上げる。メリアが押し返してくる前に剣を引いて、真っ向からの力比べになる展開を避ける。それを徹底して繰り返した結果、リリスを一時は追いつめた影の爪は防御にしか用いることができなくなっていた。

「クソ、がっ……‼」

 攻守が入れ替わることはなく、ただじりじりとメリアの防御は削られていく。攻撃と攻撃の隙間を狙おうにも速度が足りず、むしろ下手に踏み込めば手痛い連撃を食らうことは確定的だ。肉を切らせて骨を断つとはよく言ったものだが、あの氷の剣撃には一度呑み込まれるだけで骨まで断ち切られかねない危険性があった。

 しかし、防ぐと言っても何の代償もなくそれができるわけはない。……もう何度目か分からない防御を終えた時、綻びは唐突に訪れた。

「……やっと来た」

 じりじりと積み重ねられたダメージに耐えかねて、メリアの身体が小さくのけぞる。それは段差につまずいて少しよろめいたぐらいの些細なものだったが、拮抗していたこの戦場においてはあまりにも大きな変化だ。……事実、リリスはそれを待っていた。

 氷の猛攻、それもまた本命ではない。あくまで隙を作り出すため、最大の一撃を叩きこむための前段階。……それを叩きこむためだけに、リリスはあれこれと遠回りして場を整えているのだ。

(そうでもしないと、メリアを倒しきることはできないからね……‼)

 改めてその一撃までのルートを脳内で確認して、リリスは内心呟く。護衛であった時にもいろいろな魔物や人間と相対してきたが、不思議なことに一人一人の強さで言えば冒険者になった時の方がはるかに上だ。力押しだけで通用しない相手なんてごまんといて、そればかりに頼っていたら足元を掬われる危険性すらある。……リリス・アーガストの絶対性は、護衛でいた時よりもはるかに落ちていると言って間違いはない。

 そんな状況なのに、勝たないといけない理由ばかりがどんどんと増えていくのだ。大切な物が増えて行って、守りたいと思うものが増えて行って。それを脅かすものばかりが周りに寄ってくるから、リリスはそのたびに死力を尽くしてそれを打ち払うしかない。少し前はツバキさえ守れればそれでいいと思っていたのに、全く巡り会わせとは奇妙なものだ。

『嬢ちゃんは少しまっすぐすぎるな』

「うるさい。……分かってるのよ、そんなことぐらいは」

 脳内で再生されたアグニの声を一瞬にしてシャットアウトして、リリスは目の前に意識を戻す。剣戟を受けて僅かに姿勢を崩したせいで、足元が少しだけ疎かだ。……だから、そこをつけばいい。

「ふ……っ!」

 今まで幾度となくメリアに叩きつけた剣を、リリスは二本同時にメリアの足元へと投擲する。腕をしなやかに使って放たれたそれは狙い通りにメリアを襲い、体勢を整えさせる暇もないままもう一歩飛び退かせた。

 それによって隙がさらに広がったのを確認して、リリスは躊躇なく前へと踏み込む。その道中に地面へと転がった氷の剣があって、踏み砕かれた氷の結晶がきらきらと宙を舞った。

 その右手に作り上げられたのは、射程距離を意識した手持ち式の氷の槍だ。槍術にはあまり自信がないが、しかし今の最適解はこれだと冷静な思考が結論を下している。それに無理して逆らう理由は、今のリリスには見つからなかった。

 心はこんなにも熱いのに、思考だけはそれから切り離されているかのように冷えている。いつもより魔力が身近になったように感じられて、自分の身体の中をどんな風に巡っているのかまで今なら把握できてしまいそうだ。

 それの原動力となっているのがどんな感情なのか、リリスには判別ができない。する必要もない。……今はただ、メリアの考え方を破壊することができればそれでいい。

「ら……あああッ‼」

 槍を構えながらもう一段速度を上げ、よろめいているメリアに向かってリリスは渾身の一撃を放つ。今までの攻撃は全て上から下へ振り下ろすような軌道を描いた攻撃だったが、この一突きは一点をまっすぐ狙って伸びてくる異質な攻撃だ。……その変化に、メリアの対応が遅れる。

「づ、うう……っ」

 不完全な形でリリスの突きを受け、メリアの上体が大きくのけぞる。それを見逃すことなくリリスば即座にかがみこんで、がら空きになった下半身に槍の照準を定めた。

 メリアの身体能力も十分常人離れしているが、それをもってしても今生まれた隙をカバーしきることはできない。懸命な体のひねりも虚しく、リリスが放った槍はメリアの腰を穿ち抜いた。

 リリスの手に今までとは違う手ごたえが走り、命中した地点から赤い血がこぼれる。それを確認したリリスは即座に氷の槍を放棄して、最も振るい慣れた氷の大剣を再度作り出した。

 おまけに氷の弾丸も背後に装填して、一気に仕留め切るための準備は万端だ。もとよりこれは前哨戦、リリスたちが止めなければならない悪意はもっと他にある。……こんなところで、グダグダと時間をかけているわけにはいかない。

「……沈みなさい、粘着男‼」

 風魔術も存分に行使し、リリスは今持てる最大速度でメリアに向かって突貫する。攻撃自体は単調そのものだが、色々と崩された今それを防ぎきるだけの手段は今のメリアに存在しない。故に、これですべてが終わる――

「……口を閉じろよ、横取り女がァッ‼」

 その確信を覆すかのようなメリアの咆哮が平原に響いて、黒いひずみが虚空に突如展開される。メリアに向かって一直線に進むはずだった剣戟はそれに受け止められて、手がしびれるような嫌な感覚が手から全身へと広がった。

 それと同時、背筋がゾクリと震える。『仕留めろ』とだけ命じていた思考が、突如『一旦引け』と逃げ腰な指令を下す。……一秒前とは状況が変わったのだと、すぐさまリリスは理解した。

 すぐそこにまで迫っていたとどめを放棄して、リリスは今できる全力で大きく飛びのく。……その直後、リリスの一撃を阻んだひずみが一瞬にして切り裂かれた。

 それをして見せたのは、ひずみによく似た色をした三本の刃だ。射程は相応に長く、あのままひずみの近くに立っていたらリリスは今頃縦に四分割されていただろう。……というか、今の一撃はもとよりそれを狙いにしたもののはずだ。

「……諦めが悪いわね、本当に」

 いったん呼吸を整えながら、リリスはそれをやって見せた下手人に改めて語りかける。ここまでは押せ押せの展開で進めることができたが、今からはまた話が別だ。

「十年間諦めなかったんだ。……お前の存在如きで、今更足を止めるわけないじゃないか」

――右腕を変容させるにとどめていた影をほぼ全身へと行き渡らせたメリアからは、今までよりも遥かに濃い魔力の気配がこれでもかと放たれているのだから。
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