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第四章『因縁、交錯して』

第二百七十九話『窓のない馬車の中で』

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「なんか変な気分だよな。今まで普通に歩いて行ってた場所に馬車で向かうなんてさ」

「ええ、一周まわってむしろ面倒な話ですわ。これだって結局突き詰めれば意地の張り合いの一環でしかないんですもの」

 小さいながらも豪奢な作りがなされた馬車を見上げながら俺が呟くと、バルエリスがうんざりしたような様子で応える。準備の時よりもさらに豪華なドレスを着てアクセサリーもばっちりつけているのに、その言葉を聞くだけで急に身近に感じるんだから不思議なものだった。

 ずいぶんと長く感じた準備期間も終了し、今日はついにパーティ当日だ。それはすなわち、俺たちの変装がついに必要なくなったという事でもある。俺たちはバルエリスの護衛として、ついに性別を偽ることなく貴族たちの空間に入り込もうとしていた。

 今日は護衛という事もあって着飾るのは最低限に留め、動きやすさを意識した服装に俺たちは身を包んでいる。と言っても普段の俺たちと比べれば正装なのには変わりないし、着るだけで緊張するってのは変わらないんだけどな。

 周りを見れば、貴族たちが乗るものと思わしき豪華な馬車がほかにも何台か停まっている。デザインの基礎的な部分が似通っているところを見ると、馬車の貸し出しをしている店でもあるのだろうか。

「ま、だからと言って貴族全員が『自分の足で行く』とか言い出しちゃったら馬車屋は商売あがったりだしね……。必ずしも貴族だけの問題じゃなくなるってのは少し複雑なところがあるな」

「このパーティを見越してなきゃ、こんなにたくさん豪華な奴をかき集めたりもしてないでしょうしね。……ほんと、商売人ってのは書き入れ時に敏感だわ」

 俺と同じものを見つめて、元商会の護衛である二人は感心しているのか呆れているのかよく分からないような声を漏らす。俺の中の商売人のイメージというと奴隷市のあの男しかないのだが、二人はいろんな種類の商売人を見てきているだろうからな……。それは確かに、思う所がいろいろとあってもしょうがないのかもしれない。

「この馬車を借りるのにもそこそこのルネが飛んでいきましたもの、売る側も本気という事ですわね。……まあ、せめて支払った分だけのサービスがあることは期待することにしますわ」

 どこか諦めたような口調でそう締めくくって、バルエリスは馬車の中へと乗り込んでいく。バルエリスがしっかり乗り込み終わったのを見てから、俺たちもその中へと足を踏み入れた。

 リリスには常に警戒するよう頼んでいるから、馬車に何か異変があればすでに気づいて止めていてくれるはずだ。商売人が責任をもって貸し出しているのだから信用しておきたいところだが、自分たちの所有物でないものはなんでも恐ろしいというのもまた事実なわけで。

 最低限の保険としてアグニ達から奪った銃も持ってきているが、これもおいそれとツバキたちに渡すわけにはいかないもんな……。これがないと俺の自衛力が消失するというのが三人に説明した表向きの理由ではあるが、これすらも罠だった時のことを思うと俺が食らうのが一番リスクが低いというのも裏に隠れた理由の一つだった。

「……お客さん、出発のタイミングはいかがなさいますか?」

 俺たち全員が席に着いたのを確認してから、御者台から一人の男性が顔を出してそう確認してくる。バルエリスは一瞬悩むように視線を上に投げたが、すぐに御者の方を向き直った。

「一番最後に出発してくれて構いませんわよ。もともと少し遅めに出発する予定を組んでいましたから、最後に到着する参加者になっても何ら構いませんわ」

「はい、かしこまりました。申し訳ありません、流石に参加者の皆様を一律のタイミングでお送りするという事はこちらでも難しく……」

 バルエリスの答えに責めるような気配を感じたのか、少し委縮した様子で御者は頭を下げる。しかし、それを否定するようにバルエリスははっきりと首を横に振った。

「いいんですのよ、わがままを言っているのはわたくしたちの方なのですから。……というか、一斉に貴族が一堂に会したらいろいろと大変なことになりますわ」

「はあ……しかし、それはタイミングが遅れようが遅れまいがいずれ起こってしまう事なのでは……?」

「ええ、もとよりあそこはそういうめんどくさい場ですもの。……どうせそうなら、少しでも滞在時間が短くなる方がマシですわ」

 少し――いやかなり素の部分をはっきりと覗かせて、バルエリスは軽くため息を吐く。いくらそういう場に慣れていようと、パーティという空間への嫌悪感はなくならないらしい。

 そこまでの嫌悪感を抱くには何かしらのきっかけがあったのだろうが、今それを掘り返すのは野暮ってやつだ。まだバルエリスへの接し方をはっきりと決められなかった時ならともかく、今は信じるって決めてるわけだしな。

「……とりあえず、承知いたしました。それならほかの馬車の出発を待ちつつ、可能な限り安全運転で古城まで参りますね」

 御者も少し戸惑いつつではあるがその要望を承諾して、そそくさと御者台から顔を引っ込める。その直後にぱたりと扉が閉まって、俺たち四人の空間が完成した。

「……ここ、防音性はどんなものなのかしら?」

「貴族たちが乗ることを想定されてる馬車だからね、そこそこはあると思うけど……気になるんだったら影で音を遮断しておこうか?」

 比較的狭いような気がする空間をきょろきょろと見まわしながら、リリスは落ち着かないような様子で椅子に腰かけている。それを見かねたツバキが指先に影を纏わせて見せたが、リリスが気にしているのはそこではなさそうだった。

「いえ、むしろ聞こえない方が問題よ。窓も採光のためのものしかついてないから、魔力で探りを入れる以外に外からの危険を察知する方法がないんだもの」

「あー、確かにそれは問題だな……アグニ本人がこっちに個人攻撃を仕掛けてくることは流石にないと思うけど、ちょっかいをかけてくる可能性はなくもないわけだし」

 そう言われて考えてみると、俺がさっきから感じている狭苦しさには窓がない事も関係しているのかもしれない。誰が乗っているか悟られないための配慮なのかもしれないが、外の様子が見られないというのは俺の中に言い知れない不安を生み出していた。

 今までの接触を思うと、アグニ達は正面勝負を好むタイプじゃない。あれやこれやと仕掛けを張り巡らせ、自分たちの得意な領域で戦うことをアイツは何よりも好んでいる。トラップを仕込んだりスパイを忍び込ませたりなんて、まさにその代表格じゃないか。

 きっとアイツらにとって、目的が達成されるまでの過程がどうであろうと関係はないのだ。どんな泥臭い手を使っても卑怯だとそしられても、最終的に目的を果たせればそれがアグニ達にとっての勝利になる。……その勝利条件が未だに見えてこないのが、俺からするとすごく不気味なんだけどな。

「……この馬車にいる間、探知の範囲をできる限り大きく広げておくわ。一応、いつでも動けるだけの準備はしておいて頂戴」

「ああ、助かるよ。申し訳ねえけど、この状況じゃお前の感覚だけが確かな頼りだ」

 そんな状況だからこそ、色々と割り切ったかのような潔さでリリスがそう申し出てくれたことに俺は最上級の感謝を返す。相手の動向が見えない状況で、一番現実的な負け筋は『不意打ち』だ。あまりにもあっけないその可能性が極限まで潰れるというだけで、心のざわめきは少し落ち着きを見せていた。

 その瞬間、今まで停止していた馬車がガタリと大きく揺れる。そこからゆっくりと振動は小刻みになっていって、十秒もしないうちにそのテンポは安定した。窓の外の景色が見えないから疾走感はないが、古城に向かう短い馬車の旅がどうやら幕を開けたらしい。

 バラックの市街地から古城までの間には、歩いて大体三十分ほどの平原が存在している。特に魔物も出ないし歩きにくいというわけでもないから普段は徒歩で向かっていたのだが、普段から鍛えていない人からすると拒否感の強い距離ではあるのだろう。

 ガラガラと車輪が鳴る音をぼんやりと聞きながら、俺はそんなことを考える。宣言通り随分と安全運転をしている様で、速度が出ているとき特有の縦揺れはほとんど起こっていなかった。

「ふうん、見た目に見合っただけのつくりは採用してるみたいですわね。いかにも貴族の方々が好みそうな乗り心地ですわ」

 俺が座っている席の右前方に腰掛けながら、バルエリスは少しだけリラックスしたような様子で呟く。城に着いたらずっと気を引き締めて居なければいけないだろうし、せめてここだけでも緊張せずにいられるのはせめてもの幸いだな。

「……その言い方だと、運転だけじゃなくてこの馬車自体にも工夫が施されてるんだね。そういうのに君は詳しいのかい?」

「ええ、お父様に道具のあれこれについては一通り教えてもらいましたもの。『こういう基礎は馬車とかのでっかいものにも通ずる偉大な技術なんだ』って、胸を張っていたのを覚えていますわ」

 その呟きに反応して、ツバキがどこか弾んだ声を上げて話を深堀しに行く。バルエリスにとってもそれは大歓迎だったようで、バルエリスは少し胸を張ってそれに応じていた。

「例えばそうですわね、お父様が挙げていたのは車輪周りの作りですわ。そこに機構を組み込むことで、車内に伝わる振動を軽減できるとか――」

 馬車の床を指さして、バルエリスは楽しそうにツバキへと自らの知識を説明していく。俺がその輪に混ざることはないが、見ているだけで少し緊張がほぐれるようないい光景だ。この雰囲気が馬車の中を満たしてくれれば、城についても気負いすぎずにいられるだろう。

――なんて、楽観的に少し先のことを思ってしまったからなのだろうか。

「……ッ⁉」

 俺の背後からかすかに息を呑むような音が聞こえて、俺はとっさにリリスが座る方を振り向く。……だがしかし、それよりもリリスの行動の方が早かった。

 こっちを目がけて目にもとまらぬ速度で接近して、そのままの勢いでリリスは俺の体を一気に抱え上げる。あまりに突然な出来事に俺の思考が一瞬停止したが、鬼気迫るリリスの表情を見て俺は即座に我に返った。

「リリス、何が起こってる⁉」

「信じられないようなことが起こってるわよ! ……二人も、急いで馬車の前の方に移動して!」

 俺の質問に大声で答えながら、リリスは俺を抱えて馬車の再前方、御者台のすぐ近くに移動する。その異様な雰囲気に二人もすぐに気が付いたのか、即座に会話を打ち切って前方へと踏み込んでいた。

「なんで、なんでよ! ……なんで、アイツも絡んでくるの‼」

 御者台にぴったりと張り付きながら、リリスは訳が分からないと言った様子で声を上げる。……その言葉の真意を問いただそうと俺が息を吸い込んだその時、轟音とともに馬車が大きく縦に揺れた。

「ぐっ、ああッ⁉」

「なんです、の……⁉」

 今までとはまるで異質な振動に揺さぶられ、俺とバルエリスはうめくように戸惑いの声を上げる。その正体を唯一理解しているのであろうリリスは、忌々しげな様子で馬車の後部を睨みつけていた。

 その後も振動は数秒刻みのペースで続き、そのたびに俺たちの身体は大きく揺さぶられる。これだけ揺らされてまだ壊れずに走り続けて居られるのが奇跡的だが、それも長くは続かないだろう。……だんだんと強くなる揺らぎが、馬車の限界を何よりも声高に告げている。

「今こっちはただでさえ面倒な状況に巻き込まれてんのよ! ……それなのに、どうしてあなたまで……‼」

 体勢を崩さないように必死に踏ん張りながら、リリスは周囲の空気を凍り付かせて臨戦態勢を整え始める。顔の見えない何かを恨むようなその言葉が途切れたと同時、今まで何とか耐えてくれていた馬車の後部が地鳴りのような音を立てながらついに崩壊して――

「――やっと見つけたよ、姉さん。一週間ぶりかな?」

――この世界で唯一ツバキのことを『姉さん』と呼ぶ男が、馬車にこじ開けられた大穴の奥から顔を覗かせた。
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