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第四章『因縁、交錯して』

第二百三十四話『忠言を一つ』

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「づ、うッ……‼」

 無理な体勢で衝撃を加えられたことが祟ったのか、リリスの表情が歪む。あえて剣戟の威力に身を委ね、弾き飛ばされることでどうにか距離を取ることには成功したが、今の一合は明らかにアグニが上回っていたと言ってもいいだろう。

 しかし、常識はずれの芸当をやって見せたアグニの表情にも驚きの色は確かに浮かんでいる。……必殺の一撃を外したことは、彼からしても予想外の出来事であったらしい。くすんだ青色をした視線は、リリスの顔に――もっと正確に言うのではあれば耳に注がれていた。

「……遠目から見た分には確信が持てなかったが、やっぱお前エルフかあ。……そりゃ、俺の必殺パターンにも対応できちまうわけだ」

「ええ、妙な魔力の線が見えたもの。……運が悪かったと思って諦めることね」

 肩を竦めながらリリスの正体に触れるアグニに、リリスはあっさりと肯定しながら剣を構え直す。いつの間にやら剣に入ったヒビは修復されており、全て打ち尽くした氷の槍も背後に再装填されていた。

 おそらくだが、リリスが狙っているのは相手の魔力切れだ。転移魔術がどれほどの魔力を使用する大規模な魔術なのかについてはツバキも覚えがあるし、おいそれと連発できるものじゃないのも知っている。転移魔術が失われたとき、アグニにリリスの猛攻を防ぐ手立ては今度こそなくなるだろう。

 もちろんリリスの消耗も激しくはなるが、エルフが生まれつき備える膨大な魔力量とここまで積み上げてきた鍛錬、そしてマルクの存在がそのデメリットを完全に帳消しにして余りあるレベルだ。護衛時代にもましてリリスの戦い方に躊躇がなくなっているのを、ツバキは隣で見てきて実感していた。

「曲芸に驚かされるのは一回限りで十分。……ここからは、私の手番ね」

「へえ、言ってくれんじゃねえか。そこまで言われちゃあ、おっさんも張り切らざるを得ねえなあ?」

 お互いに剣呑な雰囲気を纏い、二人の強者は言葉を交わす。しかし、それはわずかな膠着でしかない。……互いの意志が動けばすぐにでも崩れる、本当に脆い一瞬の平穏で――

「……風よ、吹き荒れなさい‼」

 その認識を肯定するかのようにして、リリスは爆風を炸裂させながらアグニに向かって突進していく。部屋の高貴さを演出していたインテリアが風に巻き上げられ、鈍い音を立てながらカーペットに落下した。

 影魔術による身体強化の上に風魔術による強制的な加速を上乗せしたそれは、リリスが見せるもう一段階上のギアだ。アグニが空間転移を切り札とするならば、リリスの切り札は多属性の魔術を同時に展開のが第一の切り札だ。それをここで切るという事は、『お前はここで排除する』という明確な意思表示に等しい。

 だがしかし、それに真正面から受けて立つアグニの顔には笑顔すら浮かんでいる。それがアグニ生来の本質なのか、それとも数多の感情を笑顔の下に隠しているのか。……どちらにせよ、リリスの暴威の前で笑える人間など今まで片手に収まるほどしか見たことがなかった。

「……いいねえ。久々に、熱くさせられるじゃねえか‼」

 快哉を叫ぶように咆哮し、アグニは右手に携えた魔道具を振り抜く。力感のない構えから一瞬でトップスピードにまで剣速を引き上げるアグニの技術は、実際の速度以上の速さと鋭さを伴っているように見えた。

 本人はのらりくらりとしているが、その一つ一つの動きには見間違えようのない研鑽がある。その積み重ねがアグニをリリスと並び立つレベルにまで引き上げ、一時は主導権すら奪いうるまでに至らしめるのだ。……その領域に至るまで、彼はどんな日々を送ってきたのだろう。

 その力があれば、きっとアグニは何者にでもなれたはずだ。しかし、彼は『何者でもないもの』と自称した。……そこには、一体何が――

「づ……ッ‼」

「ああ、それでいい! 嬢ちゃんの全力、おっさんに見せてみろ!」

 そんなツバキの思考は、響き渡った衝突音の激しさによって一瞬で彼方にまで吹き飛ばされる。今まで考えていたことなどどうでもいいと思えるほどに、眼前で繰り広げられる戦いは白熱していた。

 お互いの剣が軋みを上げ、しかし砕けることはなく拮抗する。違いがあるとすれば、リリスが放った両手での攻撃をアグニは片手で受け止めているという事だけだろうか。どちらが優勢と言うわけでもなく、二つの剣はただ拮抗している。

「……でも、まだよ‼」

 しかし、その拮抗を崩しにかかるのはリリスの手札の多さだ。背後に装填した氷の槍たちがアグニの体を捉え、全身に穴を開けようと鎌首をもたげている。それがいかに興ざめな決着をもたらすことになろうとも、リリスは迷いなくそれを打ち放つだろう。勝利がどんな形をしているかに拘るほど、リリスたちは戦いに対して理想を抱いていないのだ。

「こ……こおッ‼」

 しばらくの拮抗の後、状況を動かさんとリリスが一歩強く踏み込んだと同時に氷の槍が一斉にアグニの体に向かって発射される。アグニへのプレッシャーを強めながら新たな攻撃を加えるその動きは、リリスが今取れる動きの中で最善とも言っていいものだ。

 槍を一撃でも貰えば、アグニにとっては無視できないダメージとなるだろう。それは戦いの流れを一気に傾けるには十分すぎるもので、決着は思っていた以上にあっけないものとなるはずだ。少しでもアグニの体に傷が付けば、リリスの動きに対応できる道理などない――

「……ところで嬢ちゃん、一つアドバイスをするとだな」

――そのはずなのに、アグニは突然いつも通りの口調へと戻ってリリスへと話しかける。自分が死ぬ可能性など一つも考えていないその軽さに、ツバキの背筋がゾクリと震えた。

 言葉の直後、アグニは自らの懐へと左手を突っ込む。その動作の間にも氷の槍は迫っていて、猶予はあって一秒と言ったところだ。それに気づかないほど、アグニも愚かではないはずなのに。

 それなのに、ツバキもリリスも心からアグニを焦らせることができない。裏をかくことができない。むしろ、彼はこの状況を楽しんでいる。一手間違えればすぐにでも命を落とすこの戦いを、まるで遊んでいるかのように。

「……切り札ってのは、あればあるほど得するもんなんだぜ?」

――懐から取り出されたのは、右手に持っていた魔道具とよく似た小さな筒状のものだった。

 茶目っ気たっぷりにアグニが片目を瞑った瞬間、半透明の壁がブウンと言う音を立ててリリスとアグニの間に展開される。アグニの命を狙い撃つ氷の槍たちはすべてそれに受け止められ、氷の粒となって殺傷能力を失った。

「速度も精度も、俺が一生かかっても追いつけないぐらいに嬢ちゃんの技術は洗練されてる。……だからこそ、お前は少し直情的すぎるな。本当に強くなりたいなら、おっさんみたくこすっからい手を覚えるに越したことはねえよ」

 氷の槍を防ぎ切ったことを確認して、アグニはくるりと左手の魔道具を回転させる。眼にもとまらぬその早業の後、それは小さな銃の形へと変じていて。

「……まあ、あれだ。嬢ちゃんの言葉を借りるが、運が悪かったと思って諦めてくれや」

 右手の剣でリリスの全力と拮抗しながら、左手に持った銃はわき腹に照準を合わせている。今までのものと違い、それは明らかなゼロ距離射撃だ。……いくらリリスの反射神経が優れていると言えど、両手がふさがっている状態で防ぎきれるものではない。

「……氷、よ――‼」

「影よ、間に合ってくれ‼」

 右手をふるい、リリスが氷の盾を作り出すであろう場所を目がけてツバキは必死に影を伸ばす。影単体では何の防御性能も持たないが、氷と絡み合えば頑丈な鎧となってくれるのは経験則から明らかだ。だからそれさえ、それさえ完成すれば――

「……俺たちは理想を果たす。そこにどんな障害があろうとも、だ」

 そんな二人の意志にかぶさるようにして、アグニが手にした銃が高い破裂音を立てる。――その直後、リリスの体は大きく後方に吹き飛ばされた。
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