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第四章『因縁、交錯して』
第二百二十二話『されど否定は許さない』
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「そいつらは……確か、里の誰かが抱えた負債を回収しに来たとか言ってたかな。そんな理論を振りかざして、ボクたちの里を踏み荒らしていった。結局それが誰なのかは詳しく聞けてないから、それが本当の話なのかでっち上げのでたらめなのかもボクには分からないんだけどね」
淡々とした調子で、ツバキは事態をそんな風に説明する。……しかし、それで済ませてはいけないほどに商会のやり口は悪質なものだった。
その話が正しいなら、誰かが犯した借金の代価としてツバキは十年間をあの商会で費やしたことになる。つまり、アイツらが取り立てたのはツバキの未来そのものだ。時は金なりなんて言葉を、アイツらは最悪の形で理解していたらしい。
「当然それに反抗することもできただろうけど、ボクたちは武力でも奴らに制圧されてた。影魔術師は結構な数いたけど、対人戦の経験が絶望的になさ過ぎたのが運の尽きだったってことなんだろうね。ボクたち――というか里には、そのまま滅ぼされてすべてを奪われるか、ボクの存在を差し出してひとまずの落ち着きを手に入れるかの選択肢しかなかったんだ」
「……それでツバキが商会に加入することになった、と。詳しく聞くのは初めてだけど、今まで被害者だった里の連中への印象がガラリと変わったわ」
ツバキの話がひと段落したところで、リリスが剣呑な表情を浮かべてそうリアクションする。リリスの言う通り、自分たちの安寧のためにツバキを差し出したんだとしたら里の面々はなかなかに非情な選択をしたことになる。――そんなの、まるで生贄のようじゃないか。
「ああ、もちろん満場一致ってわけじゃないよ? ボクを手放すことに最後まで抵抗した人もいたし、何とかして別の方法を考えようとしてくれた人もいる。もちろん、メリアもその一人だったし」
「『代わりに僕を連れて行け』、とか言ったんだよな。……その勇気は、純粋にすごいことだよ」
「ええ、そこは認めないとね。……そこから何がどうなったらあそこまで変わってしまうのかは、少し問い詰めないといけない気もするけれど」
里でのやり取りを思い出しながらの言葉に、リリスが感心半分呆れ半分といった様子でため息を吐く。……その様子を見て、ツバキは小さな笑みを浮かべた。
「……ああ、でもボクは里の人たちを恨んでいるんじゃないんだよ? 長く受け継いできたものが途切れることが一人の犠牲で防げるならそうしたいって思うのは自然なことだし、そうやって里を出た先でボクはたくさんの大切な存在と出会えた。……それに、里のみんなだってこの十年間は苦しかっただろうからね」
「……苦しい? ツバキを売って偽物の安寧を手に入れた人たちが?」
「ああ、そうだよリリス。だって、それから里にはいつも十人近くの護衛が見張り兼連絡役としてつくようになったんだから。……ボクが人質を取られているって話は、もうしているだろう?」
納得がいかない様子のリリスに諭すように、ツバキはそう付け加える。……その様子を見ているだけだと、どちらが当事者なのかがよくわからなくなってしまいそうだった。
前から何となく分かっていることだが、ツバキは商会に売られたこと自体はかなり割り切って受け止めているのだ。それがなければ出会えなかった人がいるとか、否定したくないとか。多分その根底にあるのは、リリスと築いた多くの思い出があるのだろう。
だから、ツバキの心に影を落としているのは別の要因なのだ。例えばそれは、ツバキの存在が里にもたらしてしまった影響とか、そういう類のもので――
「ボクが裏切らないように、あるいは里の皆がやけになってボクを助けに来ないように、里には結構大きめの戦力が残されてた。主が言うには、そいつらは里の生活を監視して、特別な動きがないかを逐一報告してたんだそうだ。……つまり、里の皆もまた自由を奪われていたって言ってもいい。護衛として多くの街をめぐっていたボクよりも、ともすればよっぽど」
そんな俺の考えを裏付けるように、里の話になった瞬間にツバキの表情が曇る。そこにあるのは、まぎれもない罪の意識だった。
「メリアが今ここにいるという事は、商会の崩壊に伴って里の皆も自由になれたってことなんだろうけどね。……だけど、ボクの存在が里の皆の十年間を縛り付けていたって事実は否定できない。ラケルにも似たようなことを言ったけど、その事実を声高に糾弾されたときにボクは返すべき言葉を持っていないんだ」
悲しげに、そして力ない様子でツバキは里の面々との関係性をそう締めくくる。……そこまで聞けば、あそこで『罪滅ぼし』とツバキがこぼした意味も納得できるというものだった。
そこに至った過程はどうあれ、ツバキにとって商会で過ごした十年は悪いものとは言い切れない。幸せなこともあり、リリスと出会うという一番のターニングポイントに出会ったのもそこだ。……それに比べて里の皆が幸せだったのかは、正直何とも言える話ではない。
その悩みは、ある意味抱え込みすぎだともいえるものだ。どんな事情があれど悪いのは里を襲った商会であり、広げられるんだとしてもその商会と何らかのつながりを持ってしまった里の人間ぐらいだろう。……だが、それを今俺が言ったところでツバキの中の重荷は消えない。心からそのことに納得できない限り、ツバキは故郷に向けて胸を張ることはできないだろう。
「……なんていうか、貴女らしい悩みね。冷徹なフリが上手いくせに根っこが優しすぎるのよ、貴女。……里の皆が貴女に対して怒っているのなら、それはお門違いだとしか言いようがないわ」
そう思って口をつぐんだ俺とは対照的に、リリスはまっすぐにツバキを見つめてそう断言する。その大胆な行動にツバキは一瞬目を見開いたが、ほどなくしてその口元がふっとほころんだ。
「…………ありがとう。君がそう言ってくれると、少しだけ救われるよ」
「ツバキが商会で辛い思いもしてたの、私は知ってるから。……それを知らずにツバキを糾弾するっていうなら、何人で来たって私が氷漬けにしてあげるわ」
静かに紡がれた感謝の言葉に、リリスは拳を握って応じる。……それはきっと、リリスが家族よりも長い時間をツバキと過ごしてきたからこそできることだった。
「はは、力加減はしっかりしておくれよ? ……まあ、メリアに対しては話が別だと思うけど」
「ええ、もちろん。ただ私たちを襲ってくるだけなら強引に頭を冷やさせればいいだけだけど、『双頭の獅子』に入ったっていうなら話が別だわ。マルクの命を奪おうとしたことの代償、もう支払い終えたなんて思わないことね」
周囲の空気を凍てつかせながら、リリスははっきりとメリアとの敵対を再表明する。全身にみなぎらせた戦意だけでやわな魔物なら殺せてしまえそうなぐらいに、その感情は研ぎ澄まされていた。
「ああ、その意気だよ。メリアにも申し訳ないという気持ちはあるが、それとこれとは話が別だ。……さっきの戦いを見つめて、ようやくボクにも決心がついた」
王都と平原を隔てる門を眼の前に見据えながら、ツバキもリリスに続いて力強く断言する。吹っ切れたというわけでもないのだろうが、俺とリリスを見つめるその視線はいつも通りの雰囲気をわずかに取り戻しつつあった。
「里の皆には申し訳ない事をした。いつか十年分の罪滅ぼしもしないとなって、そう思ってる。……だけど、この十年間を根本から否定することだけは誰にもさせたくない。……傍目から見るとひどい我儘だけど、二人は一緒に戦ってくれるかい?」
「今更聞くことかよ。……俺もリリスもツバキを手放したくないってのは、前に表明した時から変わってねえんだから」
「あのねツバキ、それは我儘なんて言わないの。私たちと出会って過ごした時間が大切だって言ってくれるなら、私はそれがこれからも続くように全力を尽くすだけだわ」
ツバキからの頼みに、俺もリリスも迷うことなく協力することを表明する。離れたくないと思うのはみんな一緒、ならば協力以外の選択肢はない。高々血のつながりで、俺たちの間に生まれた絆を引き裂けると思っているなら大間違いだ。
「……さ、それじゃあこの話はいったんここまでだな。今は宿に戻って、明日からの仕事の話をしよう」
「そうね。メリアの事で忘れかけてたけど、そっちも十分にきな臭い案件だし」
手を打ちながら話に区切りをつけて、俺たちは眼の前に控えたもう一つの問題の方に意識を向けていく。ああでもないこうでもないと言葉を交わしながら、俺たちは王都へ続く門へと足を踏み入れた。
淡々とした調子で、ツバキは事態をそんな風に説明する。……しかし、それで済ませてはいけないほどに商会のやり口は悪質なものだった。
その話が正しいなら、誰かが犯した借金の代価としてツバキは十年間をあの商会で費やしたことになる。つまり、アイツらが取り立てたのはツバキの未来そのものだ。時は金なりなんて言葉を、アイツらは最悪の形で理解していたらしい。
「当然それに反抗することもできただろうけど、ボクたちは武力でも奴らに制圧されてた。影魔術師は結構な数いたけど、対人戦の経験が絶望的になさ過ぎたのが運の尽きだったってことなんだろうね。ボクたち――というか里には、そのまま滅ぼされてすべてを奪われるか、ボクの存在を差し出してひとまずの落ち着きを手に入れるかの選択肢しかなかったんだ」
「……それでツバキが商会に加入することになった、と。詳しく聞くのは初めてだけど、今まで被害者だった里の連中への印象がガラリと変わったわ」
ツバキの話がひと段落したところで、リリスが剣呑な表情を浮かべてそうリアクションする。リリスの言う通り、自分たちの安寧のためにツバキを差し出したんだとしたら里の面々はなかなかに非情な選択をしたことになる。――そんなの、まるで生贄のようじゃないか。
「ああ、もちろん満場一致ってわけじゃないよ? ボクを手放すことに最後まで抵抗した人もいたし、何とかして別の方法を考えようとしてくれた人もいる。もちろん、メリアもその一人だったし」
「『代わりに僕を連れて行け』、とか言ったんだよな。……その勇気は、純粋にすごいことだよ」
「ええ、そこは認めないとね。……そこから何がどうなったらあそこまで変わってしまうのかは、少し問い詰めないといけない気もするけれど」
里でのやり取りを思い出しながらの言葉に、リリスが感心半分呆れ半分といった様子でため息を吐く。……その様子を見て、ツバキは小さな笑みを浮かべた。
「……ああ、でもボクは里の人たちを恨んでいるんじゃないんだよ? 長く受け継いできたものが途切れることが一人の犠牲で防げるならそうしたいって思うのは自然なことだし、そうやって里を出た先でボクはたくさんの大切な存在と出会えた。……それに、里のみんなだってこの十年間は苦しかっただろうからね」
「……苦しい? ツバキを売って偽物の安寧を手に入れた人たちが?」
「ああ、そうだよリリス。だって、それから里にはいつも十人近くの護衛が見張り兼連絡役としてつくようになったんだから。……ボクが人質を取られているって話は、もうしているだろう?」
納得がいかない様子のリリスに諭すように、ツバキはそう付け加える。……その様子を見ているだけだと、どちらが当事者なのかがよくわからなくなってしまいそうだった。
前から何となく分かっていることだが、ツバキは商会に売られたこと自体はかなり割り切って受け止めているのだ。それがなければ出会えなかった人がいるとか、否定したくないとか。多分その根底にあるのは、リリスと築いた多くの思い出があるのだろう。
だから、ツバキの心に影を落としているのは別の要因なのだ。例えばそれは、ツバキの存在が里にもたらしてしまった影響とか、そういう類のもので――
「ボクが裏切らないように、あるいは里の皆がやけになってボクを助けに来ないように、里には結構大きめの戦力が残されてた。主が言うには、そいつらは里の生活を監視して、特別な動きがないかを逐一報告してたんだそうだ。……つまり、里の皆もまた自由を奪われていたって言ってもいい。護衛として多くの街をめぐっていたボクよりも、ともすればよっぽど」
そんな俺の考えを裏付けるように、里の話になった瞬間にツバキの表情が曇る。そこにあるのは、まぎれもない罪の意識だった。
「メリアが今ここにいるという事は、商会の崩壊に伴って里の皆も自由になれたってことなんだろうけどね。……だけど、ボクの存在が里の皆の十年間を縛り付けていたって事実は否定できない。ラケルにも似たようなことを言ったけど、その事実を声高に糾弾されたときにボクは返すべき言葉を持っていないんだ」
悲しげに、そして力ない様子でツバキは里の面々との関係性をそう締めくくる。……そこまで聞けば、あそこで『罪滅ぼし』とツバキがこぼした意味も納得できるというものだった。
そこに至った過程はどうあれ、ツバキにとって商会で過ごした十年は悪いものとは言い切れない。幸せなこともあり、リリスと出会うという一番のターニングポイントに出会ったのもそこだ。……それに比べて里の皆が幸せだったのかは、正直何とも言える話ではない。
その悩みは、ある意味抱え込みすぎだともいえるものだ。どんな事情があれど悪いのは里を襲った商会であり、広げられるんだとしてもその商会と何らかのつながりを持ってしまった里の人間ぐらいだろう。……だが、それを今俺が言ったところでツバキの中の重荷は消えない。心からそのことに納得できない限り、ツバキは故郷に向けて胸を張ることはできないだろう。
「……なんていうか、貴女らしい悩みね。冷徹なフリが上手いくせに根っこが優しすぎるのよ、貴女。……里の皆が貴女に対して怒っているのなら、それはお門違いだとしか言いようがないわ」
そう思って口をつぐんだ俺とは対照的に、リリスはまっすぐにツバキを見つめてそう断言する。その大胆な行動にツバキは一瞬目を見開いたが、ほどなくしてその口元がふっとほころんだ。
「…………ありがとう。君がそう言ってくれると、少しだけ救われるよ」
「ツバキが商会で辛い思いもしてたの、私は知ってるから。……それを知らずにツバキを糾弾するっていうなら、何人で来たって私が氷漬けにしてあげるわ」
静かに紡がれた感謝の言葉に、リリスは拳を握って応じる。……それはきっと、リリスが家族よりも長い時間をツバキと過ごしてきたからこそできることだった。
「はは、力加減はしっかりしておくれよ? ……まあ、メリアに対しては話が別だと思うけど」
「ええ、もちろん。ただ私たちを襲ってくるだけなら強引に頭を冷やさせればいいだけだけど、『双頭の獅子』に入ったっていうなら話が別だわ。マルクの命を奪おうとしたことの代償、もう支払い終えたなんて思わないことね」
周囲の空気を凍てつかせながら、リリスははっきりとメリアとの敵対を再表明する。全身にみなぎらせた戦意だけでやわな魔物なら殺せてしまえそうなぐらいに、その感情は研ぎ澄まされていた。
「ああ、その意気だよ。メリアにも申し訳ないという気持ちはあるが、それとこれとは話が別だ。……さっきの戦いを見つめて、ようやくボクにも決心がついた」
王都と平原を隔てる門を眼の前に見据えながら、ツバキもリリスに続いて力強く断言する。吹っ切れたというわけでもないのだろうが、俺とリリスを見つめるその視線はいつも通りの雰囲気をわずかに取り戻しつつあった。
「里の皆には申し訳ない事をした。いつか十年分の罪滅ぼしもしないとなって、そう思ってる。……だけど、この十年間を根本から否定することだけは誰にもさせたくない。……傍目から見るとひどい我儘だけど、二人は一緒に戦ってくれるかい?」
「今更聞くことかよ。……俺もリリスもツバキを手放したくないってのは、前に表明した時から変わってねえんだから」
「あのねツバキ、それは我儘なんて言わないの。私たちと出会って過ごした時間が大切だって言ってくれるなら、私はそれがこれからも続くように全力を尽くすだけだわ」
ツバキからの頼みに、俺もリリスも迷うことなく協力することを表明する。離れたくないと思うのはみんな一緒、ならば協力以外の選択肢はない。高々血のつながりで、俺たちの間に生まれた絆を引き裂けると思っているなら大間違いだ。
「……さ、それじゃあこの話はいったんここまでだな。今は宿に戻って、明日からの仕事の話をしよう」
「そうね。メリアの事で忘れかけてたけど、そっちも十分にきな臭い案件だし」
手を打ちながら話に区切りをつけて、俺たちは眼の前に控えたもう一つの問題の方に意識を向けていく。ああでもないこうでもないと言葉を交わしながら、俺たちは王都へ続く門へと足を踏み入れた。
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