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第四章『因縁、交錯して』

第二百十六話『その殺意に不純なし』

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――ここまでいろいろな戦いを切り抜けてきた俺たちだが、純然たる殺意だけを俺たちに抱いている人間と敵対した経験というのは実のところない。クラウスも俺たちに殺意を向けてきてはいるが、アレには『できるだけ苦しんで終わってほしい』っていう悪意も混ぜられてるからな。そのためだったら少し迂遠な手だって取るし、事実それが俺たちの勝機になったことだってあるぐらいだ。

 だが、今目の前に立つメリアにはそれがない。一切の遊びもなく、ただ殺すために殺す。……俺たちの死にアイツが何の意味も見出すことはないし、それがメリアの中に何かしらの傷を残すわけじゃない。……ただ、その視線はツバキへと向けられるだけだ。

 つまり、メリアは一切の躊躇もなく殺害への最短ルートを選択してくる。ツバキを取り戻すという悲願のためだけに、最も分のいい選択を取り続ける。――そういった相手が何をしてくるのか、俺には想像がつかなくて――

「――まずは、殺しやすい奴から殺す」

 そう言いながら眼前に飛び込んできたメリアの動きに、俺はとっさに反応できなかった。

「く、おおおおッ⁉」

 それに気づくと同時に本能が警鐘を打ち鳴らし、俺はとっさに倒れ込むようにして回避行動をとる。……この時点で奇跡的だと言ってもいいぐらいの反応速度だったのだが、それでも影の刃を回避することができたのは紙一重のことだった。

 おそらくだが、リリスとの特訓を経ていなければこの反応すらも間に合っていないだろう。それぐらいメリアの動きは早く、そして一切の迷いがない。……リリスとにらみ合っていたところから一息にこちらまで踏み込んでくるとは、流石の俺でも予想することができなかった。

 鍔競り合いから言葉のやり取り、そしてにらみ合いを経て、それでもメリアは眼の前のリリスではなく俺を標的にすることを選択した。その判断は、クラウスですら取らなかったただ勝利のみを目指した一手で。……この舞台を勝負の場と捉えるのならば、決してしないはずの一手で。

 それを躊躇なく実行して見せたことで、俺の中で一つの確信が得られる。――メリアは戦いをしようとしているのではなく、ただ俺たちを殺すことだけが目的なのだ。正々堂々とか礼儀とか、そんな綺麗なものを何一つ背負っていない。

「……ち、外したか。最初の一手にも反応できてなかったから無防備だと思ってたんだけど、そこそこやるみたいだね」

 その事実焦りを隠し切れない俺をよそに、メリアは涼し気な表情をして小さく息をついている。高速で詰め寄ったことの代償なのか、間髪入れずに追撃というわけにはいかない様だった。

 だがしかし、それと息切れとは決してイコールで繋がらない。メリアの眼には相変わらず昏い殺意があり、俺の姿を瞳一杯に映し出している。……そんなことを考えているうちに、メリアは腰を軽く落として俺の方へ踏み込む姿勢を見せたが――

「――あなたの相手は、私よ‼」

「ち……ッ‼」

 背後から迫る氷の剣の気配に感づき、メリアは舌打ちしながら反転して影の刃で攻撃を受ける。奇襲じみた一撃を防がれたことにリリスは顔をしかめた。

 リリスの剣速も十分常人離れしたものだが、それに遅れることなく反応して見せるメリアの身体能力もすさまじいものだ。仮に真正面から立ち会うことになるのだとしても、リリスがすんなり勝てるような相手でないのは間違いなさそうだった。

「……さっきから、邪魔な人だね……‼」

「そりゃそうよ、マルクを傷つけさせるわけにはいかないもの。……たった今、あなたは私の逆鱗に触れたと言っても過言ではないわ」

 苛立ちを隠さないメリアに、リリスは冷徹な声で返す。……その静かな怒りを示すかのように、リリスの足元はピキピキと音を立てて凍り付きつつあった。

「ツバキの弟だから命までは取らないで上げようと思ったけど、気が変わったわ。……マルクを傷つけようとしたこと、骨の髄から後悔させてあげる」

「偶然だね、僕もたった今気が変わったよ。……どうせ姉さん以外の二人は殺すんだ、まずは手のかかる奴から排除する」

 リリスが氷の槍を背後に装填したのに呼応して、メリアも両手に影の剣を作り出す。ツバキとの血のつながりを表すかのようなその影は、しかしツバキのものとは全く違う方向で運用されているようだった。

――そういえば、ツバキは素養を『持っていかれた』みたいな話をしていたっけか。もしその言葉が正しいのなら、メリアが持っているのはツバキが持っていない影魔術の素養なわけで――

「……影よ、僕に力を」

 そんな俺の気づきに応えるかのように、メリアは静かな声で影に銘じる。……次の瞬間、虚空に影の弾丸が練り上げられた。

「……死ねよ、姉さんを奪う外道がッ‼」

 声をからしながらの咆哮に応え、影の弾丸がリリスに向かって打ち放たれる。その弾丸の少し後を追うようにしてメリア自身もリリスに向かって走り込んでおり、攻撃を一つ捌きそこなうだけでリリスが被る被害は途方もない事になるだろう。……もしかしたら、そのままとどめまで行かれるなんて最悪の展開まであり得るかもしれない。

 だが、メリアが相対しているのはリリス・アーガスト、王都最強の魔術師だ。……その称号の重みも価値も分かってるアイツが、簡単に敗北するはずはない――

「あなたの執着に巻き込まれて死ぬとか、何があってもごめんよ!」

 俺から向けられる期待に応えるかのように、リリスが獰猛に拒絶しながら氷の盾を作り上げる。影の弾丸を受け止めると同時に砕け散ったそれは、空中で寄り集まってメリアを貫くための槍へと変じた。

「小器用なことだね、めんどくさい……!」

「誉め言葉よ。……さあ、後悔する準備はできたかしら?」

 先鋒となる一撃を防がれたばかりか反撃に転じる起点とされたことによって、メリアの突進が少し鈍いものとなる。攻守が明確に入れ替わったそのタイミングをリリスが見逃すこともなく、今度はリリスが地面を蹴り飛ばした。

「……さあ、降り注ぎなさい!」

 その疾駆に追随するようにして、何本もの氷の槍がメリアに向けて降り注ぐ。豊富な魔力量を活かしたその攻撃は、ただの人間では絶対に超えられない壁を示すかのように無情な物量作戦だ。どれだけ身体能力が優れていようが、降り注ぐ氷の刃たちを無傷で捌くのは容易ではない。

 メリアがいくら優れていようとも、氷の槍たちの直撃を食らえば無傷ではいられない。客観的に見てもリリスが有利に立ったと言って過言ではないはずなのだが、しかしメリアは焦りの感情を少しも表に出さなかった。

「へえ。……少しは、骨がある相手みたいだ!」



 メリアが声を張り上げた直後、今まで刃だった影たちがメリアの体に絡みつく。一瞬にして鎧へと姿を変えた影を纏い、メリアは右足を思い切り振り抜いた。



 その直後、その足の軌道にあった氷の槍たちが一斉に分割される。まるで鋭利な刃物で切断されたかのような断面をさらしつつ、勢いを失った氷は地面に落ちて砕け散った。

「なるほど。……ツバキの弟を騙る異常者ってわけじゃ、ないみたいね」

「姉さんには劣るけど、僕だって影に選ばれた者だ。……こんなところで、君たちのような下衆に負けるわけにはいかないんだよね」

 六メートルほどの距離を離して、リリスとメリアが皮肉交じりの称賛を送りあう。……ひとまず一合目は互角と言ったところだが、そもそもリリスと互角に打ち合えているという時点で異常事態なのは言うまでもないだろう。

 ――お互いがお互いの力量を測りあい、持ち帰った情報を元手にして次の衝突へと備える。唐突に表れた強襲者との攻防は、また一つ次の段階に移ろうとしていた。
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