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第四章『因縁、交錯して』
第二百十一話『カウンターで過ごすひと時』
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「へえ、お前が逃走術をねえ……。しばらく顔を見ねえから心配してたが、そんな面白い事をしてたのか」
「ほんと、あの頃からは考えられないよな……。逃げる逃げないとかじゃなく、そもそも戦場に連れていかれることがなかったんだから」
豪快な笑みを浮かべるラケルにそう返して、俺は手元の紅茶をすする。柔らかな風味と温かさが、俺の体にたまった疲れをいくらかほぐしてくれているような気がした。
「ま、昔と今とじゃ事情が違うからね。……というか、一人で待ってる方が今の貴方は危険なんじゃないの?」
「はっは、それは違いねえ! 守ってくれる美人さんがいてよかったな、マルク!」
冗談めかしてリリスがそう言って見せれば、ラケルはフードを揺らして爆笑する。結構体も動いているはずなのだが、それでもずり落ちないフードがとても不思議だった。
研究院からの依頼を終えてからというもの、ラケルのカフェで一息つくのは俺たちにとっての習慣になりつつある。ここなら無遠慮な奴らから声をかけられることもないし、何より俺たちの事情をある程度ラケルは理解してくれているからな。宿を除けば、ここは一番リラックスできる場所なのだ。
「ま、身を守る術を覚えるってのは大事だからな。俺もあのパーティを追放されたとき、誰も俺の味方に付いてくれねえってんで大変なことになってたからよ」
「そこからこうやって店を構えることができてるの、君も君ですごいことを成し遂げてるよね……。機会があったらそこまでの過程を詳しく聞いてみたいものだよ」
昔を思い起こすラケルの言葉に、ツバキはコーヒーをすすりながら呟く。俺たちのほかにも店の中はたくさんのお客さんで賑わっていて、ラケルの経営が順調であることは言うまでもないようだった。
「いやいや、そんな特別なことはしてねえよ。ただクラウスのことを知らない人のもとで修業して、認識偽装のローブを開発した後に開店しただけだ。……俺からすれば、クラウスの息がかかった奴がうじゃうじゃいる冒険者の世界で再起したマルクの方がよほどとんでもないぜ?」
「生憎、俺には副業にできるような特技がないからな。……失敗したら死ぬしかないぐらいの覚悟だったよ」
それぐらい後がない状況だって分かってたからこそ、俺も奴隷とか借金とかのグレーゾーンに足を踏み入れたわけだしな。そこからこの状況まで這い上がってこれたのはほとんど二人のおかげだし、リリスとの出会いが俺にとって一番の幸運なのはどう転んでも変わらないと言っていいだろう。
「多分、昔から理不尽されてたぶんの不運がストックされてたんだろうな。それが追放されることで一気に爆発した結果、今の幸運極まりない状態にいられるってわけだ」
「へえ、それは面白い考え方だね。……その論に倣うなら、ボクにとっての幸運はリリスやマルクと出会えたことかな?」
俺の理論が気に入ったのか、ツバキは笑みを浮かべながらさらりとそんなことを言う。それが少し照れくさかったのか、カップを置いたリリスは指で頬を掻いた。
「それじゃあ、私にとっての幸運も二人に出会えたことよ。……その前の助手としての日々も奴隷として売りつけられたことも、私からしたら最悪レベルの不運だもの」
これぐらいの幸運じゃないと釣り合わないわ、とリリスは澄ました声色でそう付け加える。できる限り平静を装ったつもりなのだろうが、ほほが僅かに赤らんでいるのがほほえましかった。
「おーおー、見せつけてくれんじゃねえか。二か月前のお前が見たら目を疑うんじゃねえか、マルク?」
「間違いねえな。『お前は本当に俺か?』とか言っても全然おかしくない」
そこまで言わないにしても、これが俺の未来だと信じることは絶対にできないだろう。都合のいい幻覚を見られる魔術を仕込まれたんじゃないかとか言い出して、自分の頬をつねることだってあり得るかもしれない。
迷いなくそう断言できるぐらいに、今の状況は間違いなくいいものだ。……だからこそ、俺はさらにいい未来のために進んでいかなければいけないような気がした。
「ほんと、お前たちを見てると『双頭の獅子』越えもできちまうように思えてくるな……。もしもそうなったら、店主お墨付きの永続割引券を進呈してやらないといけねえ」
「へえ、いいじゃない。……ま、問題は倍率次第だけど?」
冗談めかしてそんなことを宣言するラケルに、リリスもどこかお茶らけたようすで片目を瞑って見せる。最初こそ元『双頭の獅子』の人間として警戒していたようだが、今となっては打ち解けたものだ。リリスに近づく人間に厳しいツバキも、ラケルにはある程度心を許しているようだった。
「ああ、『双頭の獅子』で思い出した。お前たちの耳に入れときたい噂が一つあったんだよ」
しばらく三人はじゃれあうように言葉を交わしていたが、唐突にラケルは目を見開いてそんなことを言いだす。それもまた冗談の一つかと思えるようなタイミングではあるものの、『双頭の獅子』がトリガーになっていると聞けば気を引き締めないわけにはいかなかった。
「……聞かせてもらおうか。クラウスが妙な動きをしてるなら、できる限り把握しないといけないしな」
「妙な動き……。まあ、妙っちゃ妙ではあるな。それがお前たちとの闘いを見据えた行動かどうかは置いておくとしても」
「……歯切れが悪いわね。何、そんなに変なことをしてるの?」
いつもの豪快な声色が鳴りを潜めたのを見て、リリスは怪訝そうに問いかける。その間もラケルの視線は宙をさまよっていて、複雑な心境がその態度から透けて見えるようだった。
「いや、変なことじゃないんだが……。どうしても無視できねえというか、この情報の価値を俺の方では判断できねえんだよ。とんでもなく重大なことかもしれねえし、もしかしたら超無価値なものになるかもしれねえ。……だから、俺にとっては妙なこととしか言えねえんだよ」
「……なるほど、ね。とりあえず聞いている情報だけをそのまま話してくれるかい? 推測とかはいったんおいておいて、今は確認できた情報が聞きたい」
迷いに迷っているといった様子のラケルの背中を押すように、ツバキは話の先を促す。……その視線は、いつの間にかツバキの方へと向けられていた。
そのまましばらくラケルは瞬きを繰り返していたが、やがて決心したように息を一つ吐く。……そして、俺たちに向けてこんな風に切り出した。
「最近……と言っても一か月前のことだが、『双頭の獅子』はパーティメンバーを一人減らした。お察しの通り、マルクがいなくなったからだな。クラウスはそれきりメンバーを集めるような真似はしてこなかったはずなんだが、最近噂されてるんだよ。『クラウスの周りに見慣れない奴が一人いる』――ってさ」
「……へえ、それは確かに気になるわね。でも、それのどこが妙なの?」
「ああ、ここまではただクラウスが戦力増強をしてるかもしれないってだけの話だからね。……クラウスの性格を考えれば意外ではあるけど、それ以上の何かがあるってわけでもない」
その言葉を聞いて、ツバキとリリスが揃って同じようなリアクションを取る。俺としても二人と同じリアクションを取らざるを得ないのだが、ラケルはゆっくりと首を横に振った。
「……いや、本題はこっからだ。その新メンバー、目立つ見た目をしてるって噂でよ。いったいどんな特徴があるんだって、気になった俺は聞いてみたんだが――」
そこまで言うと、何かをためらうようにラケルはもう一度息を呑む。……その視線は、やはりツバキに向けられていた。
そのままラケルは言葉を詰まらせていたが、俺たちの視線を受けて軽く一度頷く。……そして、意を決したかのように体を軽く反らして、こう告げた。
「……その新メンバーとやらはな、黒髪黒目らしいんだよ」
「ほんと、あの頃からは考えられないよな……。逃げる逃げないとかじゃなく、そもそも戦場に連れていかれることがなかったんだから」
豪快な笑みを浮かべるラケルにそう返して、俺は手元の紅茶をすする。柔らかな風味と温かさが、俺の体にたまった疲れをいくらかほぐしてくれているような気がした。
「ま、昔と今とじゃ事情が違うからね。……というか、一人で待ってる方が今の貴方は危険なんじゃないの?」
「はっは、それは違いねえ! 守ってくれる美人さんがいてよかったな、マルク!」
冗談めかしてリリスがそう言って見せれば、ラケルはフードを揺らして爆笑する。結構体も動いているはずなのだが、それでもずり落ちないフードがとても不思議だった。
研究院からの依頼を終えてからというもの、ラケルのカフェで一息つくのは俺たちにとっての習慣になりつつある。ここなら無遠慮な奴らから声をかけられることもないし、何より俺たちの事情をある程度ラケルは理解してくれているからな。宿を除けば、ここは一番リラックスできる場所なのだ。
「ま、身を守る術を覚えるってのは大事だからな。俺もあのパーティを追放されたとき、誰も俺の味方に付いてくれねえってんで大変なことになってたからよ」
「そこからこうやって店を構えることができてるの、君も君ですごいことを成し遂げてるよね……。機会があったらそこまでの過程を詳しく聞いてみたいものだよ」
昔を思い起こすラケルの言葉に、ツバキはコーヒーをすすりながら呟く。俺たちのほかにも店の中はたくさんのお客さんで賑わっていて、ラケルの経営が順調であることは言うまでもないようだった。
「いやいや、そんな特別なことはしてねえよ。ただクラウスのことを知らない人のもとで修業して、認識偽装のローブを開発した後に開店しただけだ。……俺からすれば、クラウスの息がかかった奴がうじゃうじゃいる冒険者の世界で再起したマルクの方がよほどとんでもないぜ?」
「生憎、俺には副業にできるような特技がないからな。……失敗したら死ぬしかないぐらいの覚悟だったよ」
それぐらい後がない状況だって分かってたからこそ、俺も奴隷とか借金とかのグレーゾーンに足を踏み入れたわけだしな。そこからこの状況まで這い上がってこれたのはほとんど二人のおかげだし、リリスとの出会いが俺にとって一番の幸運なのはどう転んでも変わらないと言っていいだろう。
「多分、昔から理不尽されてたぶんの不運がストックされてたんだろうな。それが追放されることで一気に爆発した結果、今の幸運極まりない状態にいられるってわけだ」
「へえ、それは面白い考え方だね。……その論に倣うなら、ボクにとっての幸運はリリスやマルクと出会えたことかな?」
俺の理論が気に入ったのか、ツバキは笑みを浮かべながらさらりとそんなことを言う。それが少し照れくさかったのか、カップを置いたリリスは指で頬を掻いた。
「それじゃあ、私にとっての幸運も二人に出会えたことよ。……その前の助手としての日々も奴隷として売りつけられたことも、私からしたら最悪レベルの不運だもの」
これぐらいの幸運じゃないと釣り合わないわ、とリリスは澄ました声色でそう付け加える。できる限り平静を装ったつもりなのだろうが、ほほが僅かに赤らんでいるのがほほえましかった。
「おーおー、見せつけてくれんじゃねえか。二か月前のお前が見たら目を疑うんじゃねえか、マルク?」
「間違いねえな。『お前は本当に俺か?』とか言っても全然おかしくない」
そこまで言わないにしても、これが俺の未来だと信じることは絶対にできないだろう。都合のいい幻覚を見られる魔術を仕込まれたんじゃないかとか言い出して、自分の頬をつねることだってあり得るかもしれない。
迷いなくそう断言できるぐらいに、今の状況は間違いなくいいものだ。……だからこそ、俺はさらにいい未来のために進んでいかなければいけないような気がした。
「ほんと、お前たちを見てると『双頭の獅子』越えもできちまうように思えてくるな……。もしもそうなったら、店主お墨付きの永続割引券を進呈してやらないといけねえ」
「へえ、いいじゃない。……ま、問題は倍率次第だけど?」
冗談めかしてそんなことを宣言するラケルに、リリスもどこかお茶らけたようすで片目を瞑って見せる。最初こそ元『双頭の獅子』の人間として警戒していたようだが、今となっては打ち解けたものだ。リリスに近づく人間に厳しいツバキも、ラケルにはある程度心を許しているようだった。
「ああ、『双頭の獅子』で思い出した。お前たちの耳に入れときたい噂が一つあったんだよ」
しばらく三人はじゃれあうように言葉を交わしていたが、唐突にラケルは目を見開いてそんなことを言いだす。それもまた冗談の一つかと思えるようなタイミングではあるものの、『双頭の獅子』がトリガーになっていると聞けば気を引き締めないわけにはいかなかった。
「……聞かせてもらおうか。クラウスが妙な動きをしてるなら、できる限り把握しないといけないしな」
「妙な動き……。まあ、妙っちゃ妙ではあるな。それがお前たちとの闘いを見据えた行動かどうかは置いておくとしても」
「……歯切れが悪いわね。何、そんなに変なことをしてるの?」
いつもの豪快な声色が鳴りを潜めたのを見て、リリスは怪訝そうに問いかける。その間もラケルの視線は宙をさまよっていて、複雑な心境がその態度から透けて見えるようだった。
「いや、変なことじゃないんだが……。どうしても無視できねえというか、この情報の価値を俺の方では判断できねえんだよ。とんでもなく重大なことかもしれねえし、もしかしたら超無価値なものになるかもしれねえ。……だから、俺にとっては妙なこととしか言えねえんだよ」
「……なるほど、ね。とりあえず聞いている情報だけをそのまま話してくれるかい? 推測とかはいったんおいておいて、今は確認できた情報が聞きたい」
迷いに迷っているといった様子のラケルの背中を押すように、ツバキは話の先を促す。……その視線は、いつの間にかツバキの方へと向けられていた。
そのまましばらくラケルは瞬きを繰り返していたが、やがて決心したように息を一つ吐く。……そして、俺たちに向けてこんな風に切り出した。
「最近……と言っても一か月前のことだが、『双頭の獅子』はパーティメンバーを一人減らした。お察しの通り、マルクがいなくなったからだな。クラウスはそれきりメンバーを集めるような真似はしてこなかったはずなんだが、最近噂されてるんだよ。『クラウスの周りに見慣れない奴が一人いる』――ってさ」
「……へえ、それは確かに気になるわね。でも、それのどこが妙なの?」
「ああ、ここまではただクラウスが戦力増強をしてるかもしれないってだけの話だからね。……クラウスの性格を考えれば意外ではあるけど、それ以上の何かがあるってわけでもない」
その言葉を聞いて、ツバキとリリスが揃って同じようなリアクションを取る。俺としても二人と同じリアクションを取らざるを得ないのだが、ラケルはゆっくりと首を横に振った。
「……いや、本題はこっからだ。その新メンバー、目立つ見た目をしてるって噂でよ。いったいどんな特徴があるんだって、気になった俺は聞いてみたんだが――」
そこまで言うと、何かをためらうようにラケルはもう一度息を呑む。……その視線は、やはりツバキに向けられていた。
そのままラケルは言葉を詰まらせていたが、俺たちの視線を受けて軽く一度頷く。……そして、意を決したかのように体を軽く反らして、こう告げた。
「……その新メンバーとやらはな、黒髪黒目らしいんだよ」
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