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第四章『因縁、交錯して』
第二百九話『準備期間の使い方』
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「……っと、オレから話せる情報はこんなとこだ。面倒な契約も終わったことだし、今この時を以てオレはただの情報屋に戻るとするよ。お前らに不自由なく依頼を受けてもらうようにするところまでが、クライアントから託された使命だからな」
無事に終わってくれてよかったよかった――と。
満足げにそう言って情報屋が唐突に立ち上がったのは、依頼を受諾すると決めてから大体五分ぐらいが経った頃のことだ。立ち上がる直前まで流暢に依頼についての説明をしていたのが嘘のようなその行動に、俺は思わず目を疑わずにはいられなかった。
「おい、待て――」
「悪いな、これ以上は喋りすぎって怒られちまうんだ。……健闘を祈ってるぜ、新進気鋭のルーキー?」、
咄嗟に呼び止める声もむなしく、ドアノブを握った情報屋はするりとドアの外へ去っていく。……ばたりと音を立ててドアが閉まった時、残された俺たちの間には沈黙が落ちていた。
今からでも追いかければ情報屋に追いつくことはできるのだろうが、それをしたところでさっきまでの五分間で聞いた以上の情報を手に入れることはできないだろう。立ち上がった瞬間に仲介人としての情報屋は死んだも同然なのだと、俺の本能が告げていた。
それはほかの二人も同意見のようで、外に出ていく様子もなく俺たちの視線はある一点へと向けられている。……それは、依頼書以外に情報屋が唯一残していったものだ。
手のひらに収まるぐらいの長方形をしたそれは、依頼で指定された土地へと向かう乗合馬車の乗車券であるらしい。現地への足のことを配慮してくれるのはまあありがたい話ではあったが、クライアントの思惑が見えてこない以上それを素直に喜ぶことも難しい話なわけで。
そんな事情もあり、俺たちの沈黙は三十秒、そして一分と続いていく。だんだんと雰囲気が重くなっていくのを肌で感じ始めた最中、久々に口を開いたのはリリスだった。
「『バラック』……ねえ。ツバキ、護衛時代にこんな町見たかしら?」
「いいや、ボクの記憶の中にはない名前だね……。古城が近くにあるから、観光資源で栄えてきた土地なのかもしれないな」
現に王都からの直行馬車もあるわけだし、とツバキはリリスの疑問に答える。……王国全土をめぐる機会があったリリスたちが知らないというのは妙な話だったが、その問いは張り詰めた雰囲気をいくらかほぐしてくれたように思えた。
「なんの意図があるのかわからねえけど、情報屋もやたら詳しく城の情報を話してくれたしな。……ま、それが役に立つとは思えないけどさ」
「聞いた話じゃ大した仕掛けもないらしいしね。……ほんと、なんで私たちに依頼したんだか」
ついさっきまでこの場にいた情報屋のことを思い、リリスは深いため息をつく。いなくなってもなおこの部屋にこびりつき続けるアイツの存在感は、正直なところとても厄介なものな気がしてならなかった。
結局のところ、最後まで情報屋のペースで話を進められたわけだからな……。交渉の場において情報の差というのは大きく出やすいから仕方なくはあるが、それにしたって少しの隙もなさすぎる。……まあ、逆に言えばあれだけできなきゃ情報屋としては失格ってことなんだろうけどさ。
「ま、考えても答えが出てこない問題であるってことだけは確かだ。……とりあえずは、今分かってることだけをもとに整理しよう」
戸惑いの感情を一切隠さないリリスに対して、ツバキがそう切り出して話の方向を修正する。クライアントの謎も解き明かさなくてはいけないものなのは間違いないが、今この場ではツバキの提案の方に正当性があった。
「情報屋が『出さない』って遠回しにでも断言した以上、気軽に踏み込んでいい事だとも思えねえしな。どんな罠がそこにあるか分かったもんじゃねえ」
簡単にたとえるならば、どこに逆鱗があるかもわからないままで竜の体に手を触れるようなものだ。不用意に逆鱗に触れればその瞬間に俺たちは焼かれ、影も形も残らず消し飛ばされる。……あの情報屋の声色からすると、それぐらいのことが俺たちに起こってもあながちおかしくないというのが恐ろしかった。
「下手に手を打ち間違えれば、その瞬間に俺たちは詰む可能性がある。……それを回避したいのなら、この依頼の裏にある事情に近づかないのが一番賢明なんだろうな」
三千万ルネでようやっと釣り合うクライアントの正体、そして五千万ルネをもらおうと割に合わないクライアントの目的。そのどちらも、普通じゃないということだけが俺たちにとっては確かなことだ。……それにかかわらないで依頼が終わらせられるのであれば、そうするのが何よりの理想だろう。
「……分かったわ。色々と気になるところはあるけど、それはいったんしまっておくことにする。依頼を終えた後にでも顔を合わせる機会があったら、その時は全部聞かせてもらおうと思うけどね」
「うん、その意気だよリリス。多分それが、この仕事に対して今できる最も正しい向き合い方だ」
迷いを抑え込むようにこぶしを握りこんだリリスに、ツバキは笑みを浮かべながら称賛を送る。その方針に関して、俺とツバキの考え方はおおむね一致しているようだった。
「どんな奴かはまだ何も分からないけど、少なくともただものじゃないことだけは確かだからな。……俺たちのことを憎いと思っているなら、この二週間のどこかで潰されてたんじゃないかって思うぐらいにはさ」
なんせ誰にも漏れてないと思っていた宿の場所が突き止められているのだ。俺たちを目の上のたん瘤だと感じている奴らがクライアントならば、こんな回りくどい事をしないでもただ大量の刺客を送り込めばそれで事は終わるだろう。正面からの戦闘でリリスたちが負けることはまずありえないが、奇襲されてしまえばその力を発揮できずに終わることだって十分にあり得るのだから。
「……確かに、一応依頼っていう契約の形を取ってはいるものね。情報屋のポリシーとやらを曲げさせられるぐらいのものを持ってるなら、そんなやり方は遠回しが過ぎるような気がするわ」
「そうそう、俺が言いたかったのもそういうことだ。クライアントが俺たちに接触しない理由は謎だけど、接触しなかったからと言って敵と認定していいわけでもない。……それぐらいに曖昧な状況だから、余計にこの問題は放置しておかなくちゃいけない気がするんだよ」
「……ああ、確かにマルクの言う通りだね。もしもクライアントが自発的に正体を隠しているのではなく、たとえ望まなくても『隠さざるを得ない』ほどの事情があるんだとしたら……うん、たまったものじゃないや」
少し首を傾げた後、得心が行ったかのようにツバキは手をポンと叩く。その後に出てきた言葉を聞く限り、俺の言葉は正しい意味で伝わってくれているようだった。
俺たちの敵だから正体を隠すというならそれは至極単純な理由と言えるのだが、敵でもないのに正体を隠して接触しなくてはいけない状況というのは相当な異常事態だ。……仮にその理由を探し当てたとて、俺たちに何らかの利益が出るとは到底思えなかった。
「……そうね、理由を探るのは不毛だわ。私たちに求められてるのは、あくまで依頼をこなすことでしかないでしょうし」
「だな。……結局のとこ、今の俺たちにはそれしかできなさそうだ」
テーブルに残された二枚の依頼書、そして『バラック行き』と書かれた馬車の予約券を見つめて、俺は小さく息を吐く。……その切符には、今から四日後の日付が記されていた。
厚意なのか何なのか、研究院の依頼に比べたらずいぶんと余裕を持ったスケジューリングだ。だからと言って特別な何かができるわけではないだろうが、どうやら心の準備ぐらいはさせてもらえるらしい。……正直なところ、三日間の空白の存在はありがたいものだった。
「そうと決まれば、今からすべきは依頼達成のための準備だね。と言っても、やれることはそんなに多くないけれど」
切符の一枚を手に取りながら、ツバキはそんな風に続ける。俺たち二人に向けられたその言葉を受け取るかのように、リリスは小さく手を上げた。
「……リリス、何かいい考えがあるのか?」
「ええ、前からやらないといけないって思ってたことよ。三日でどれだけ仕上げられるかは分からないけど、この依頼に挑むなら付け焼刃だろうと教え込んでおく価値はあるわ」
俺の方をまっすぐに見つめながら、リリスは自信満々と言った様子で答える。そんなに優先度の高いことがあっただろうかと俺が首をかしげると、それを咎めるようにリリスは俺の方をびしっと指さして――
「……貴方が生き残るための力を鍛えるって、あの村で約束したでしょう? この依頼がどんな危険性をはらんでいるか分からない以上、たとえ三日間でもみっちりと生存能力を鍛えるべきだと思うのだけれど」
――そう、有無を言わせぬ口調で断言したのだった。
無事に終わってくれてよかったよかった――と。
満足げにそう言って情報屋が唐突に立ち上がったのは、依頼を受諾すると決めてから大体五分ぐらいが経った頃のことだ。立ち上がる直前まで流暢に依頼についての説明をしていたのが嘘のようなその行動に、俺は思わず目を疑わずにはいられなかった。
「おい、待て――」
「悪いな、これ以上は喋りすぎって怒られちまうんだ。……健闘を祈ってるぜ、新進気鋭のルーキー?」、
咄嗟に呼び止める声もむなしく、ドアノブを握った情報屋はするりとドアの外へ去っていく。……ばたりと音を立ててドアが閉まった時、残された俺たちの間には沈黙が落ちていた。
今からでも追いかければ情報屋に追いつくことはできるのだろうが、それをしたところでさっきまでの五分間で聞いた以上の情報を手に入れることはできないだろう。立ち上がった瞬間に仲介人としての情報屋は死んだも同然なのだと、俺の本能が告げていた。
それはほかの二人も同意見のようで、外に出ていく様子もなく俺たちの視線はある一点へと向けられている。……それは、依頼書以外に情報屋が唯一残していったものだ。
手のひらに収まるぐらいの長方形をしたそれは、依頼で指定された土地へと向かう乗合馬車の乗車券であるらしい。現地への足のことを配慮してくれるのはまあありがたい話ではあったが、クライアントの思惑が見えてこない以上それを素直に喜ぶことも難しい話なわけで。
そんな事情もあり、俺たちの沈黙は三十秒、そして一分と続いていく。だんだんと雰囲気が重くなっていくのを肌で感じ始めた最中、久々に口を開いたのはリリスだった。
「『バラック』……ねえ。ツバキ、護衛時代にこんな町見たかしら?」
「いいや、ボクの記憶の中にはない名前だね……。古城が近くにあるから、観光資源で栄えてきた土地なのかもしれないな」
現に王都からの直行馬車もあるわけだし、とツバキはリリスの疑問に答える。……王国全土をめぐる機会があったリリスたちが知らないというのは妙な話だったが、その問いは張り詰めた雰囲気をいくらかほぐしてくれたように思えた。
「なんの意図があるのかわからねえけど、情報屋もやたら詳しく城の情報を話してくれたしな。……ま、それが役に立つとは思えないけどさ」
「聞いた話じゃ大した仕掛けもないらしいしね。……ほんと、なんで私たちに依頼したんだか」
ついさっきまでこの場にいた情報屋のことを思い、リリスは深いため息をつく。いなくなってもなおこの部屋にこびりつき続けるアイツの存在感は、正直なところとても厄介なものな気がしてならなかった。
結局のところ、最後まで情報屋のペースで話を進められたわけだからな……。交渉の場において情報の差というのは大きく出やすいから仕方なくはあるが、それにしたって少しの隙もなさすぎる。……まあ、逆に言えばあれだけできなきゃ情報屋としては失格ってことなんだろうけどさ。
「ま、考えても答えが出てこない問題であるってことだけは確かだ。……とりあえずは、今分かってることだけをもとに整理しよう」
戸惑いの感情を一切隠さないリリスに対して、ツバキがそう切り出して話の方向を修正する。クライアントの謎も解き明かさなくてはいけないものなのは間違いないが、今この場ではツバキの提案の方に正当性があった。
「情報屋が『出さない』って遠回しにでも断言した以上、気軽に踏み込んでいい事だとも思えねえしな。どんな罠がそこにあるか分かったもんじゃねえ」
簡単にたとえるならば、どこに逆鱗があるかもわからないままで竜の体に手を触れるようなものだ。不用意に逆鱗に触れればその瞬間に俺たちは焼かれ、影も形も残らず消し飛ばされる。……あの情報屋の声色からすると、それぐらいのことが俺たちに起こってもあながちおかしくないというのが恐ろしかった。
「下手に手を打ち間違えれば、その瞬間に俺たちは詰む可能性がある。……それを回避したいのなら、この依頼の裏にある事情に近づかないのが一番賢明なんだろうな」
三千万ルネでようやっと釣り合うクライアントの正体、そして五千万ルネをもらおうと割に合わないクライアントの目的。そのどちらも、普通じゃないということだけが俺たちにとっては確かなことだ。……それにかかわらないで依頼が終わらせられるのであれば、そうするのが何よりの理想だろう。
「……分かったわ。色々と気になるところはあるけど、それはいったんしまっておくことにする。依頼を終えた後にでも顔を合わせる機会があったら、その時は全部聞かせてもらおうと思うけどね」
「うん、その意気だよリリス。多分それが、この仕事に対して今できる最も正しい向き合い方だ」
迷いを抑え込むようにこぶしを握りこんだリリスに、ツバキは笑みを浮かべながら称賛を送る。その方針に関して、俺とツバキの考え方はおおむね一致しているようだった。
「どんな奴かはまだ何も分からないけど、少なくともただものじゃないことだけは確かだからな。……俺たちのことを憎いと思っているなら、この二週間のどこかで潰されてたんじゃないかって思うぐらいにはさ」
なんせ誰にも漏れてないと思っていた宿の場所が突き止められているのだ。俺たちを目の上のたん瘤だと感じている奴らがクライアントならば、こんな回りくどい事をしないでもただ大量の刺客を送り込めばそれで事は終わるだろう。正面からの戦闘でリリスたちが負けることはまずありえないが、奇襲されてしまえばその力を発揮できずに終わることだって十分にあり得るのだから。
「……確かに、一応依頼っていう契約の形を取ってはいるものね。情報屋のポリシーとやらを曲げさせられるぐらいのものを持ってるなら、そんなやり方は遠回しが過ぎるような気がするわ」
「そうそう、俺が言いたかったのもそういうことだ。クライアントが俺たちに接触しない理由は謎だけど、接触しなかったからと言って敵と認定していいわけでもない。……それぐらいに曖昧な状況だから、余計にこの問題は放置しておかなくちゃいけない気がするんだよ」
「……ああ、確かにマルクの言う通りだね。もしもクライアントが自発的に正体を隠しているのではなく、たとえ望まなくても『隠さざるを得ない』ほどの事情があるんだとしたら……うん、たまったものじゃないや」
少し首を傾げた後、得心が行ったかのようにツバキは手をポンと叩く。その後に出てきた言葉を聞く限り、俺の言葉は正しい意味で伝わってくれているようだった。
俺たちの敵だから正体を隠すというならそれは至極単純な理由と言えるのだが、敵でもないのに正体を隠して接触しなくてはいけない状況というのは相当な異常事態だ。……仮にその理由を探し当てたとて、俺たちに何らかの利益が出るとは到底思えなかった。
「……そうね、理由を探るのは不毛だわ。私たちに求められてるのは、あくまで依頼をこなすことでしかないでしょうし」
「だな。……結局のとこ、今の俺たちにはそれしかできなさそうだ」
テーブルに残された二枚の依頼書、そして『バラック行き』と書かれた馬車の予約券を見つめて、俺は小さく息を吐く。……その切符には、今から四日後の日付が記されていた。
厚意なのか何なのか、研究院の依頼に比べたらずいぶんと余裕を持ったスケジューリングだ。だからと言って特別な何かができるわけではないだろうが、どうやら心の準備ぐらいはさせてもらえるらしい。……正直なところ、三日間の空白の存在はありがたいものだった。
「そうと決まれば、今からすべきは依頼達成のための準備だね。と言っても、やれることはそんなに多くないけれど」
切符の一枚を手に取りながら、ツバキはそんな風に続ける。俺たち二人に向けられたその言葉を受け取るかのように、リリスは小さく手を上げた。
「……リリス、何かいい考えがあるのか?」
「ええ、前からやらないといけないって思ってたことよ。三日でどれだけ仕上げられるかは分からないけど、この依頼に挑むなら付け焼刃だろうと教え込んでおく価値はあるわ」
俺の方をまっすぐに見つめながら、リリスは自信満々と言った様子で答える。そんなに優先度の高いことがあっただろうかと俺が首をかしげると、それを咎めるようにリリスは俺の方をびしっと指さして――
「……貴方が生き残るための力を鍛えるって、あの村で約束したでしょう? この依頼がどんな危険性をはらんでいるか分からない以上、たとえ三日間でもみっちりと生存能力を鍛えるべきだと思うのだけれど」
――そう、有無を言わせぬ口調で断言したのだった。
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