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第三章『叡智を求める者』
第二百五話『それぞれのこれから』
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「……本当に続けるのね、研究者」
「うん、ウチにはそれしかないからね。……みんなからの提案も魅力的だったけど、そこに混ざってばっかりじゃいられないや」
どこか名残惜しそうなリリスの言葉に、ノアは少しだけ申し訳なさそうにしながら答える。控えめな口調ではあったが、出された結論が揺らぐことは何となくないような気がした。
報告を終えた俺たちは研究院を後にして、近くのレストランで祝勝会としゃれこんでいるところだ。昼下がりだからか人も少なく、俺たちが奇異の目にさらされることもない。この八日間で王都に何が起こっていたかは分からないし、『夜明けの灯』の評価がどれだけ変化したかはまた情報を買わないといけないだろうけどな。
まあ、そんなわけで邪魔が入ることもなく祝勝会はにぎやかに進み、今の話題はもっぱらノアのこれからのことだ。討伐作戦が終わった直後からずっと保留されていたパーティ勧誘に答えが出されたということもあって、俺たちの興味はそっちに強く向いていた。
「生涯をかけて研究したいテーマができた、って言ってたっけ。それを果たすために、研究院は都合がいいのかい?」
「うん、とってもいいと思う。どこの研究施設を見てもここより資料がそろっているところなんてそうそうないし、そんなところにウチが立ち入れる道理はないからね。だから、ウェルハルトさんのところに転がり込むのがウチにできる最良の選択だよ」
ハンバーグを口の中に運びながら、迷いのない口調でノアは答える。あの作戦の中で何がきっかけになったかは分からないが、狼を討伐した後のノアはどこか吹っ切れているようにも見えた。
「研究者の中にも大きく分けて二パターンあってね、ウチはたった一つのために人生を捧げるとかできない方の種類だと思ってたんだ。……だけど、意外なことに違ってさ。一回頭の中に疑問が浮かんだら、どうやってもそれが離れてくれなかった。……間違いなく、今までで一番難しい問題なんだけどね」
「……完全な不老不死の再現とか言い出したら、私は貴方の頬をひっぱたいて更生させないといけなくなるわよ?」
「違う違う、そんなちんけな物じゃないよ! ウチが出会ったのはもっと大きくて、それでいてきっと誰も手を付けていないもの。ほかの誰とも畑が違うから、きっと邪魔も入らないんじゃないかな?」
「へえ、それはいいじゃないか。……俺たちにだけこっそり教えてくれたりしねえか?」
ノアをそれほどまでに変えた研究テーマというのが何か気になって、俺はふとそんなことを問いかける。……それを受けてノアがこちらを見た瞬間、ノアの纏う雰囲気が一瞬変容したような気がした。
それを一言で表すのならば、『蛇』というのが一番しっくりくるのだろうか。何もせずにいると搦め取られてしまいそうな、何とも言いがたい雰囲気。それは間違いなく今までのノアからは一度も感じなかったもので、俺の背中には冷たいものが走ったのだが――
「……ううん、やっぱりマルクにも教えられないかな。せっかく誰も挑んでないテーマに挑むんだからさ、発表するときには皆にも驚いてもらいたいの。それに、これはウチが挑むって決めたテーマだからね」
できる限り助力は受けたくないんだ――と。
そう笑って俺の言葉をやんわりと断るノアに、さっき見た雰囲気は欠片もない。初対面の時のような明るい雰囲気を纏った少女が、元気にハンバーグを頬張っていた。
さっき感じたものは勘違いか何かだったのかもしれないと、ノアの様子を見てふと思ってしまう。変容したのがほんの一瞬の出来事だったということもあって、これ以上考えても何も出てこないような気がしてならなかった。
それに、ここは祝勝会の場だしな。せっかく久々に何も考えずに楽しめる場ができたんだから、それに水を差すような真似は野暮ってものだ。村で着いた警戒しすぎる癖、早めに抜いていかないとな……。
「ま、それなら仕方ないね。君がいてくれたらパーティにとってもいいと思ったのだけど、やりたいことがある人を無理に引き留めることはできないよ」
「提案してくれた時は本当に嬉しかったし、そうしてもいいんじゃないかって本気で考えたんだけどね……。結局のところ、ウチは研究者としての生き方から離れることはできないみたい」
「逃れられない性ってやつね。……ま、その選択を後悔しないなら私も特に言うことはないわ」
小さく息をつきつつ、リリスもノアの判断を尊重する。理解できないと言っていた研究者としての在り方を貫くことにリリスが何を思っているかは読み取りきれないが、少なくとも悪感情ばかりではないような気がした。
「……だけど、何かあったらウチは研究院にいるから! 研究者としての知識が必要になったらいつでも言ってね、ウチが力になるよ!」
「ああ、それはありがたいな。ウェルハルト以外の知り合いがあそこにいてくれるって思うと少しは気が楽だ」
俺たちを元気づけるかのように胸を叩いたノアに、俺は表情を緩めながら返す。ウェルハルトとはどうやっても友人になれる気はしないし、気の許せる友人が研究院にいてくれるというのは想像以上に大きなことのような気がした。
「研究院に足を運びやすくなるってのはいいわね。正直あの男と毎回対面するのは体が保たないのよ」
「良くも悪くも研究者の典型のような人物だからね。純粋さは評価できるけど、それはそれとして交渉しづらい相手ではあるもんなあ」
手際よくナイフを動かしながらしみじみと語るリリスに、ツバキも肩を竦めながら返す。ウェルハルト・カーグレインという人物に対して、俺たちの評かというのはやはり一致しているらしい。研究者としては傑物に当たるのかもしれないが、冒険者から見ると奇人としての側面が強く見えてしまうことは間違いなかった。
「ま、そこの橋渡しとかもウチの仕事になるだろうね。研究院に所属するといってもまずは下積みからになるだろうし、置いておくだけの価値はあるって思ってもらわなくちゃ」
「そういうことなら最初の一か月が勝負でしょうね。……まあ、あなたなら大丈夫だとは思うけど」
鼻息荒く意気込むノアに、リリスは小さく笑みを浮かべながら太鼓判を押す。その言葉から確かに覗く信頼は、確かにノア・リグランという人物に向けられているような気がした。
「まあ、なんにせよここからはお互いの道を進むってことになるわけだね。……顔を合わせる機会がどれだけあるかは分からないけど、君の行く道に幸運が多いことを祈るよ」
「ウチの方こそ、力になれることがあったらどんどん言ってね! ウチの中じゃ皆が王都最強だし、名実ともに証明できる日はそう遠くないと思うから!」
最後のひとかけらを口に運びながらのツバキの言葉に、ノアは感激したような表情とともに激励の言葉を贈ってくれる。……ノアからの評価は、俺たちにとってとても心強いものだった。
「……それじゃ、最後に改めて乾杯でもするか。今までのねぎらいと、これからの幸運を祈って」
「あ、それいいね! そういうのは何回やってもいいものだし!」
ふと思いついて俺が乾杯を提案すると、ノアはノリノリで近くにあったグラスを手に取る。それに少し遅れて、リリスとツバキもグラスを小さく掲げた。……二人の視線が俺に向けられているのは、音頭を取れということなのだろう。
「……それじゃ、不老不死を否定した俺たちの功績に、そしてこれからもっと積み上げていくであろう俺たちの成果に――乾杯!」
「「「かんぱーい!」」」
俺の呼びかけに続いて、三人の少し不揃いな乾杯の声が追随する。ノアは思いっきりノリノリで、リリスは控えめながらも楽しそうに、ツバキはどこか気取った様子で。同じ言葉の中にも三者三様の色があって、それがどこか心地いい。
昼下がりのレストランに、グラスとグラスが触れ合う涼しい音が響く。……この瞬間を手に入れられるなら、多少なりの苦労も悪くないと思えた。
「うん、ウチにはそれしかないからね。……みんなからの提案も魅力的だったけど、そこに混ざってばっかりじゃいられないや」
どこか名残惜しそうなリリスの言葉に、ノアは少しだけ申し訳なさそうにしながら答える。控えめな口調ではあったが、出された結論が揺らぐことは何となくないような気がした。
報告を終えた俺たちは研究院を後にして、近くのレストランで祝勝会としゃれこんでいるところだ。昼下がりだからか人も少なく、俺たちが奇異の目にさらされることもない。この八日間で王都に何が起こっていたかは分からないし、『夜明けの灯』の評価がどれだけ変化したかはまた情報を買わないといけないだろうけどな。
まあ、そんなわけで邪魔が入ることもなく祝勝会はにぎやかに進み、今の話題はもっぱらノアのこれからのことだ。討伐作戦が終わった直後からずっと保留されていたパーティ勧誘に答えが出されたということもあって、俺たちの興味はそっちに強く向いていた。
「生涯をかけて研究したいテーマができた、って言ってたっけ。それを果たすために、研究院は都合がいいのかい?」
「うん、とってもいいと思う。どこの研究施設を見てもここより資料がそろっているところなんてそうそうないし、そんなところにウチが立ち入れる道理はないからね。だから、ウェルハルトさんのところに転がり込むのがウチにできる最良の選択だよ」
ハンバーグを口の中に運びながら、迷いのない口調でノアは答える。あの作戦の中で何がきっかけになったかは分からないが、狼を討伐した後のノアはどこか吹っ切れているようにも見えた。
「研究者の中にも大きく分けて二パターンあってね、ウチはたった一つのために人生を捧げるとかできない方の種類だと思ってたんだ。……だけど、意外なことに違ってさ。一回頭の中に疑問が浮かんだら、どうやってもそれが離れてくれなかった。……間違いなく、今までで一番難しい問題なんだけどね」
「……完全な不老不死の再現とか言い出したら、私は貴方の頬をひっぱたいて更生させないといけなくなるわよ?」
「違う違う、そんなちんけな物じゃないよ! ウチが出会ったのはもっと大きくて、それでいてきっと誰も手を付けていないもの。ほかの誰とも畑が違うから、きっと邪魔も入らないんじゃないかな?」
「へえ、それはいいじゃないか。……俺たちにだけこっそり教えてくれたりしねえか?」
ノアをそれほどまでに変えた研究テーマというのが何か気になって、俺はふとそんなことを問いかける。……それを受けてノアがこちらを見た瞬間、ノアの纏う雰囲気が一瞬変容したような気がした。
それを一言で表すのならば、『蛇』というのが一番しっくりくるのだろうか。何もせずにいると搦め取られてしまいそうな、何とも言いがたい雰囲気。それは間違いなく今までのノアからは一度も感じなかったもので、俺の背中には冷たいものが走ったのだが――
「……ううん、やっぱりマルクにも教えられないかな。せっかく誰も挑んでないテーマに挑むんだからさ、発表するときには皆にも驚いてもらいたいの。それに、これはウチが挑むって決めたテーマだからね」
できる限り助力は受けたくないんだ――と。
そう笑って俺の言葉をやんわりと断るノアに、さっき見た雰囲気は欠片もない。初対面の時のような明るい雰囲気を纏った少女が、元気にハンバーグを頬張っていた。
さっき感じたものは勘違いか何かだったのかもしれないと、ノアの様子を見てふと思ってしまう。変容したのがほんの一瞬の出来事だったということもあって、これ以上考えても何も出てこないような気がしてならなかった。
それに、ここは祝勝会の場だしな。せっかく久々に何も考えずに楽しめる場ができたんだから、それに水を差すような真似は野暮ってものだ。村で着いた警戒しすぎる癖、早めに抜いていかないとな……。
「ま、それなら仕方ないね。君がいてくれたらパーティにとってもいいと思ったのだけど、やりたいことがある人を無理に引き留めることはできないよ」
「提案してくれた時は本当に嬉しかったし、そうしてもいいんじゃないかって本気で考えたんだけどね……。結局のところ、ウチは研究者としての生き方から離れることはできないみたい」
「逃れられない性ってやつね。……ま、その選択を後悔しないなら私も特に言うことはないわ」
小さく息をつきつつ、リリスもノアの判断を尊重する。理解できないと言っていた研究者としての在り方を貫くことにリリスが何を思っているかは読み取りきれないが、少なくとも悪感情ばかりではないような気がした。
「……だけど、何かあったらウチは研究院にいるから! 研究者としての知識が必要になったらいつでも言ってね、ウチが力になるよ!」
「ああ、それはありがたいな。ウェルハルト以外の知り合いがあそこにいてくれるって思うと少しは気が楽だ」
俺たちを元気づけるかのように胸を叩いたノアに、俺は表情を緩めながら返す。ウェルハルトとはどうやっても友人になれる気はしないし、気の許せる友人が研究院にいてくれるというのは想像以上に大きなことのような気がした。
「研究院に足を運びやすくなるってのはいいわね。正直あの男と毎回対面するのは体が保たないのよ」
「良くも悪くも研究者の典型のような人物だからね。純粋さは評価できるけど、それはそれとして交渉しづらい相手ではあるもんなあ」
手際よくナイフを動かしながらしみじみと語るリリスに、ツバキも肩を竦めながら返す。ウェルハルト・カーグレインという人物に対して、俺たちの評かというのはやはり一致しているらしい。研究者としては傑物に当たるのかもしれないが、冒険者から見ると奇人としての側面が強く見えてしまうことは間違いなかった。
「ま、そこの橋渡しとかもウチの仕事になるだろうね。研究院に所属するといってもまずは下積みからになるだろうし、置いておくだけの価値はあるって思ってもらわなくちゃ」
「そういうことなら最初の一か月が勝負でしょうね。……まあ、あなたなら大丈夫だとは思うけど」
鼻息荒く意気込むノアに、リリスは小さく笑みを浮かべながら太鼓判を押す。その言葉から確かに覗く信頼は、確かにノア・リグランという人物に向けられているような気がした。
「まあ、なんにせよここからはお互いの道を進むってことになるわけだね。……顔を合わせる機会がどれだけあるかは分からないけど、君の行く道に幸運が多いことを祈るよ」
「ウチの方こそ、力になれることがあったらどんどん言ってね! ウチの中じゃ皆が王都最強だし、名実ともに証明できる日はそう遠くないと思うから!」
最後のひとかけらを口に運びながらのツバキの言葉に、ノアは感激したような表情とともに激励の言葉を贈ってくれる。……ノアからの評価は、俺たちにとってとても心強いものだった。
「……それじゃ、最後に改めて乾杯でもするか。今までのねぎらいと、これからの幸運を祈って」
「あ、それいいね! そういうのは何回やってもいいものだし!」
ふと思いついて俺が乾杯を提案すると、ノアはノリノリで近くにあったグラスを手に取る。それに少し遅れて、リリスとツバキもグラスを小さく掲げた。……二人の視線が俺に向けられているのは、音頭を取れということなのだろう。
「……それじゃ、不老不死を否定した俺たちの功績に、そしてこれからもっと積み上げていくであろう俺たちの成果に――乾杯!」
「「「かんぱーい!」」」
俺の呼びかけに続いて、三人の少し不揃いな乾杯の声が追随する。ノアは思いっきりノリノリで、リリスは控えめながらも楽しそうに、ツバキはどこか気取った様子で。同じ言葉の中にも三者三様の色があって、それがどこか心地いい。
昼下がりのレストランに、グラスとグラスが触れ合う涼しい音が響く。……この瞬間を手に入れられるなら、多少なりの苦労も悪くないと思えた。
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