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第三章『叡智を求める者』

第二百三話『手にした時間』

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――次に目覚めた時、俺はまたしてもリリスの膝の上にいた。

「……あら、やっと起きたのね。いつも以上に遅かったから心配したわよ?」

 ゆっくりと目を開けた俺の気配にいち早く気づいて、リリスは俺を見下ろしながら声をかける。いかにもいつも通りの会話といった感じだが、それに応じるよりも先に俺は聞かなければならないことがあって。

「……これ、俺の寝相じゃないよな?」

「当然よ。私がおんぶしてダンジョンから拠点まで運んで、そのうえで私の膝の上に寝かせたの。貴方の寝相なんて入る余地もない、百パーセント自分の意思よ」

 狼のこととかまでもを差し置いて飛んできた質問に、リリスはすました顔をしながら何でもないように答える。そのやり取りを聞いて俺が目覚めたのを察したのか、リリスの体の後ろからツバキがひょっこりと顔を出した。

「リリスってば、十時間ぐらいずっとこうしてたんだよ? きっと足もしびれるだろうに、『これは私の役目だから』ってボクにすら譲る様子を見せないし。愛されてるねえ、君も」

「お前は俺以上に愛されてるよ。そうだろ?」

 どこか茶化すようなツバキの言葉を受け流しつつ、俺はリリスに水を向け直す。それに首をコクリと縦に振って、リリスは小さく笑みを浮かべた。

「何かするたびに倒れることになるのは貴方でしょうから、自然と貴方が私の膝を独占する機会は増えるでしょうけどね。ツバキがそうされたいっていうなら、私も断る理由はないわ」

「いいや、遠慮しておくよ。おめでとうマルク、そこは君の独占席だ」

 にっこりと笑みを浮かべて、ツバキは俺を祝福する構えだ。どこまで行ってもからかうような様子を崩さないツバキの様子を見れば、俺のもう一つの疑問の答えも明らかだった。

「……その感じだと、本当に狼は死んだみたいだな」

「ああ、念のため十分ぐらい観察したけど復活はしなかった。肉片はずっと肉片のまま、不老不死は否定されたってわけだね」

 俺の問いかけに、ツバキは少しだけ表情を引き締めつつ答えを返す。すると、それに付け加えるようにリリスも口を開いた。

「……それとね、気が付けば左手の呪印が消えていたの。『あの狼に備わっている何かとつながっていたのかもしれない』なんてノアは言っていたし、それも狼の死の証拠の一つって言っていいと思うわ」

「なるほど、そんなこともあったのか……。そういえば、ノアはどこだ?」

 話題に出て初めて、俺はノアがこの拠点にいないことに気が付く。まだ寝ているのかとも思っていたが、見まわす限りだと外出しているようだ。妖精族としての力を酷使したのだし、しばらくは安静にしておいた方がいいと思うのだが――

「……ああ、ノアなら今は『魔喰の回廊』にいると思うよ。未回収のノートとかから誰かがここの情報を知っちゃいけないから、それをまとめて燃やしてくるってさ。呪印がなくなった以上探索の制限時間もなくなったようなものだし、慎重にやればウチ一人でも行けるって言ってたね」

「ま、あの子も危機管理能力は低くないしね。まずいことになったら私たちに協力を仰ぎに来るでしょ」

 二人は顔を見合わせつつ、どこか気楽な様子で俺の疑問に答える。……しかし、それはどこか不穏な選択のような気がしてならなかった。

「……ノアが戻ってきたら、一応持ち物検査とかした方がよくないか……?」

 信頼するといった手前最低な発想なのは分かっているが、ここでの単独行動は流石に警戒せざるを得ない。処理するって言ったって俺たちを待った方が確実なんだし、ここで一人になるメリットはもはや皆無だといってもいい。それをわざわざするメリットは、俺の中であまりにも希薄すぎた。

「ああ、それに関してはボクたちも思ったよ。だから、前もってそういう約束は交わしておいた。一冊でも持っていたらボクたちはそれを没収したのち、研究院に裏切者として突き出すって取り決めだ」

「そうなればこの国で研究者としてやっていくのは厳しいでしょうし、隣国にもすぐ噂は広がっていくでしょうね。……自分の生涯をまとめて棒に振るような真似はしないって、私は信じているわ」

「……なるほど、そこは抜かりなくやったうえでってことか。それならお前たちがこんなにどっしり構えてるのも納得だよ」

 というか、俺の方がまだ甘い発想だったとまで言えるくらいだ。研究院に突き出すところまでは考えて居なかったし、せいぜいノートを焼却するくらいが妥協点だと思ってたからな。

「ま、そこまでする価値のある魔術でもないでしょうしね。……私たちがいる限り、あそこにある不老不死は何度だって否定されるんだもの」

 思わず嘆息する俺に、リリスが指を立てつつそう断言する。達成感に満ちたその表情が、この村を取り巻く一連の事件の終わりを示してくれているように思えた。

「村の人たちも、もう不老不死を狂信してるような様子はなかったしね。これはあくまで推測だけど、村人たちを操っていたあの術式に信仰心をブーストするような何かでも仕込んでいたんだろうさ」

 そうでもしないと保たないくらいの信用度しかなかったんだよ、とツバキは肩を竦める。……その一方で、リリスはどこか後味の悪そうな表情を浮かべた。

「ほんと、生きているうちに正気に戻れただけ幸運な話ね。……術式の効果が切れたってことは、私たちが去った後にアゼルがどうしたかは想像に難くないけど」

「……ああ、そういうことか。お前たちが引導を渡すまでもなかったんだな」

 苦虫を嚙み潰したようなその声色に、俺はゆっくりと瞑目する。アゼルが意識を取り戻したとき、その眼前には狼の死体が転がっていたことだろう。……それを見てあの狂信者が何を思うのかは理解できないしするつもりもないが、その結果として死を選ぶことはまああり得ない話でもなかった。

「本当にアゼルが死んでいるなら、あの狼だけがアゼルにとっての可能性だったって証明にもなりうるしね。……どうせ危険人物であることに変わりはないし、その死を気に病む必要はないさ」

「気に病んでなんかないわよ。……ただ、死を選ぶのに躊躇がなさ過ぎて気持ちが悪いだけ。不老不死を目指した研究者が、どうしてその手掛かりを失った瞬間に自ら死を選ぶのよ」

 何のための研究だったっていうの?――と。

 まるで誰かに問うように、リリスは小さくつぶやきをこぼす。だが、それに答えを返せる者はこの空間にも、きっとこの村の中にもいない。……リリス自身も答えを求めているようには思えなかった。

「……ま、それがどうだったところでもう私には関係のない話だけど。そこにどんな答えがあったとしても、私にとって研究者って生き方が理解しがたいものであることに変わりはないわ」

 なんて声をかけようか迷っていた矢先に、リリス自身がその話題を打ち切るように首を横に振りながらそう発言する。少しばかり曇っていた表情も、いつの間にやら普段のどこか不遜な表情に戻っていた。

「……それよりマルク、体は大丈夫なの? 無茶するなって言った矢先からずいぶん体を酷使したみたいだけど」

「ああ、おかげさまでどこもおかしなところはないぞ。……まあ、まだ少しだけ身体は重いけど」

 本題を思い出したかのようなリリスの質問に、俺は軽く右腕を掲げながら答える。体を動かした流れのままに膝枕からもお暇しようとしたが、そのための動きを起こした瞬間に俺の肩口が軽く抑え込まれた。

「体が重いならもうしばらくここで休んでなさい。どうせノアが戻ってくるまでできることもないし」

「そうだよマルク、無理は禁物だ。……ようやく心から一息付けるんだし、心ゆくまでのんびりしようじゃないか」

 真剣な目つきで俺にそう提案――いや、指示するリリスを援護するかのように、ツバキもそう続いてくる。……そういわれてみれば、何にも気を張らずにこうやっているのはずいぶん久しぶりのような気がした。

 日数にしてみれば大体四日か五日間の出来事でしかないのだろうが、それにしてはやけに濃い日々だったように思える。あまりに行動する時間が多すぎたのか、それとも気絶の回数が多かったからなのか。……なんにせよ、ウェルハルトからいただく報酬には色を付けてもらわなくちゃな。

「……それじゃ、お言葉に甘えることにするよ。お前たちも、眠たかったら寝ていいからな?」

「ええ、そうさせてもらうわ。……貴方が無事だって確認するまで、眠るわけにもいかなかったもの」

「ボクたち全員が生き残ってこその作戦だもんね。……そういう意味では、やっと全部が終わったのかもしれないや」

 長い作戦だったね、と呟きながら、ツバキは壁に思い切り体重を預ける。普段ぴんと伸ばされた背筋は少しだけ丸まり、目はもう半分閉じかけている。……ふと上に目線をやれば、リリスもわずかにだが舟をこいでいるように見えた。明らかに無防備と言ってもいい二人の様子は、作戦中には決して見られるものではなくて――

「ああ。……ミッションコンプリート、だな」

 全てが丸く収まったことを確信しながら、俺は再び目を閉じる。窓の外から差し込む光が、俺たちを柔らかに照らしていた。
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