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第三章『叡智を求める者』

第二百一話『不死を殺すための手を』

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『狼に巣食った不老不死の術式を狼から切り離せば、その瞬間にボクたちの勝機は開ける。……だけど、そこに至るまでには大きく分けて二つの壁がある。一つ目はマルク自身が狼に触れて修復術式を使わなければならないこと、二つ目は狼の体内の中でどれが不老不死の術式なのかが分からないことだ』

 作戦会議で、ツバキが提示していた二つの壁を俺は今一度思い出す。修復術式を使えるというところにおいて俺は間違いなく狼への切り札になりえるが、それ以外の性能は平凡以下もいいところだ。狼の体全体を修復することは間違いなくできないし、俺が魔力切れに陥れば作戦の失敗は確定する。……だからこそ、正確な修復のためには下準備が必要だったのだが――

「……もう、それも終わったんだもんな」

「ああ、完璧な下準備と言ってもいいね。……ここまでやれば、流石に術式に魔力が集中しているだろうからさ」

 今もなお氷の塊に押しつぶされている狼を見つめながら、ツバキははっきりとそう断言する。俺の能力不足まで織り込んで作戦を立て切って見せたツバキは、その先にある勝利を視界の中にとらえているように見えた。

 作戦の発案なら俺も負けていない自信はあるが、俺自身を織り込んだ作戦を練ることはきっと俺にはできなかっただろう。だからこそツバキが主導してくれたのがありがたいし、ここまでその想定通りに事が進んでいることに舌を巻くしかない。……故にこそ、俺の背に乗る信頼も重たくて気が引き締まるのだ。

「言っとくけど、俺はお前らが想像してるよりも弱いからな。……援護は任せるぞ?」

「当然だよ。……ボクたちの前職、忘れたとは言わせないからね?」

 一歩前に足を踏み込んだ俺の言葉に、ツバキは不敵な笑みを浮かべる。俺たち二人が動き出したのを確認して、狼の近くに立っていた二人もこちらに駆け寄ってきた。

「……ツバキ、ウチの仕事はどうだった?」

「もちろん、二人揃って満点を上げたいぐらいに上出来だよ。君がいなければリリスの負担が半端じゃないことになっていたし、君が戦えることは望外の幸運だ。……もっとも、押しつぶされたまま起き上がってこないことがボクたちからしたら一番都合がいいんだけどね」

 どことなく不安げに問いかけるノアの肩に手を置きながら、圧倒的だった戦闘を称賛する。最後の一言は冗談めかしてこそいたが、俺たちにとってそれが限りなく本音に近いものであることは間違いなかった。

 だが、そんな願いに反して氷の塊には少しずつヒビが入りつつある。どういう原理なのかは分からないが、どんな状態で死んでいようとも原状復帰することは確約されているらしい。

「……ほんと、命ってやつを何だと思ってるのかしらね」

「全くだよ。命が一つしかないから、死んだら何もかもが宙ぶらりんになってしまうから、ボクたちは必死に足掻こうとするのに。……悔いなんて一つも残さないために、懸命にもがくのに」

「ああ、それを放棄するなんて間違ってる。……だから、正しい形に戻さないとな」

 リリスとツバキの言葉を引き継ぎ、俺はもう一度覚悟を固める。……これもまた一つの修復なのだと、俺はそう言い聞かせる。……どういうわけか、師匠の言葉が頭をよぎった。

『修復術は、お前が思うより優しい形をしてないんだ』

「違うよ、師匠。……これだって、一つの優しさだ」

 誰にも聞こえないように、俺は口の中だけでそう呟く。そうしたところで師匠に届くわけじゃないし、俺の自己満足にしかならないけれど。……だけど、俺にとっての修復術は優しい形をしているのだ。それだけは、断言できた。

「……さあ、来るぞ。手筈通りに、迅速に終わらせよう!」

 そんなことを考えていると、ツバキが鋭く、しかし高らかに俺たちに号令をかける。……その眼前では、狼がまたしても再生を果たしていた。

「やっぱり、押し潰されても終われないのね。……ほんの少しだけ、同情しないでもないわ」

「そうだね。……だからこそ、ここでちゃんと終わらせてあげよう」

 その姿を見て先陣を切るのは、氷の剣を構えたリリスと光り輝く翼をはためかせたノアだ。ここまで迅速に狼を屠り、狼の殺意の矛先となっていた二人が、またしても復活直後の狼を叩かんと地面を勢いよく蹴り飛ばす。

 しかし、狼とて学習していないわけではないらしい。復活の余韻に浸るかのような咆哮は放たれることなく、自らを押し潰した氷塊の残骸を蹴って狼は大きく跳躍した。

「ま、流石にそう何度も使える手じゃないわよね……最後に取っておくべきだったかも」

 どことなくうざったそうに零して、リリスは氷の槍を背後に装填する。一番の得意分野である力押しの構えを見せつつ、リリスは腰を軽く落とした。

「ま、相手も知能がある生き物だもんね。……それくらいは、認めてあげないと!」

 ノアもそれに続くように跳躍の姿勢を取り、狼の姿を色違いの両目の中に収める。やはりその翼は空をはばたけはしないようだが、そんなことは少しも気にしていないようで――

「……風よ、我らを空へと導け!」

 ノアが床を蹴り飛ばすと同時に突風が吹き荒れ、その華奢な体を大きく押し上げる。それにワンテンポ遅れるようにして、リリスも空へとその身を躍らせた。

 リリスには風の恩恵はないが、それでもノアと同等の跳躍を見せられるのは影魔術の支援があってこそだ。それに加えて空中で氷の足場を作ることで細かい姿勢の制御にも成功しており、機動力だけで言えば地上と遜色ないほどのクオリティを発揮している。

「悪いわね。……一方的に攻撃されてやるほど、私たちも優しくないの」

 離れた距離が一瞬にしてまた詰まり、リリスは獰猛な笑みを浮かべる。狼の足元が輝いているのを見るに呪印魔術による遠距離攻撃を企んでいたのだろうが、不意の肉薄によってそれもまた潰された形だ。……狼の生存戦略は、一番初めの再生を終えて以来何一つとしてリリスたちに通用していない。

 誰が見ても圧倒的な戦いがどうして続いているかと言えば、何度敗北しようともそれをなかったことにできる狼の不死性があるからだ。……しかし、それだって後付けのものに過ぎない。それをはぎ取られたとき、狼に太刀打ちの余地なんて何もありはしないわけで――

「……氷よ‼」

 リリスの勇ましい号令とともに、背後に控えていた氷の槍が一斉に狼へと打ち放たれる。それに対抗するようにして狼の周囲にも岩の弾丸が生成されたが、その物量差は圧倒的だ。どこまで言っても付け焼刃でしかない呪印魔術が、ずっと研鑽を続けてきた気高き氷に敵うはずもない。

 双方の魔術は拮抗することもなく優劣が決し、リリスの氷槍が無慈悲に狼の身体へと突き刺さる。それが次々と数を増やしていく中で、ノアは大きく翼をはためかせた。

「――水よ、柔らかな抱擁を!」

 空中で舞い踊るように体を回転させながら、ノアは唄うように詠唱を重ねる。……その直後、まるで湖の一部をそのまま転送してきたかのような大きな水の塊が狼の全身を包み込んだ。

「リリス、一気に冷やしちゃって!」

 突然の浮遊感に戸惑う狼を見つめながら、ノアはリリスに指示を飛ばす。それを受けたリリスは一瞬言葉を発しなかったが、すぐに得心したといった様子で笑みを浮かべた。

「なるほど。……それは確かに、合理的ね!」

 言うと同時、リリスの背後にあった小さな槍たちが一気に砕け散る。……そしてそれと入れ替わるように、大きな一本の槍が形作られた。

「……さあ、凍り付きなさい‼」

 これで仕上げだと言わんばかりに、リリスは特大の氷槍を水の檻にとらわれた狼に向けて差し向ける。……その先端が水の球体に触れると同時、宙を舞っていた水はまとめて氷の塊へと変じた。

 それは、結果だけ見れば最初に狼と会敵した時にリリスが見せた氷の檻とよく似たものだ。しかし、狼がそれに囚われたのは空中でのこと。魔術的な支えを失ってしまったそれがどうなるかは、たとえ狼だとしてもはっきりわかりそうなことで。

「……仕上げは任せたわよ、マルク!」

 落下していく氷の檻を見やりながら、リリスは鋭く俺に声を投げかける。それを聞きながら、俺は檻の落下地点と思しき所へ少しずつ近づいて行って――

「……ああ、任された‼」

 地面に落下した衝撃で氷の檻が崩壊し、狼の体が外に露出する。粉々に砕け散った氷の粒を全身に浴びながら、俺は必死に手を伸ばして、そして。

「……触れ、たあッ‼」

 思った以上にゴワゴワとした毛の感触が手に伝わり、俺は作戦の第一段階が成功したことを確信する。このまま何事もなく決着がつくようにと願いながら、俺は修復術式を起動した。
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