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第三章『叡智を求める者』

第百九十二話『不死殺しのカギ』

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「……それはつまり、あの狼みたいにってことだよな?」

 肉塊から触手だけを生やしてリリスを襲おうとした狼の姿を思い出しながら、俺はツバキに確認を取る。それに大きく頷いて、ツバキはさらに続けた。

「だって、あの狼は間違いなく生命として終わっている状態にあっただろう? 生命維持に必要な器官はすべて切り裂かれて、その上あんなにもぐちゃぐちゃにされて。……だけど、あの狼はどういう原理か切られる前の姿に戻ってきた。まるで、その肉体自体があるべき形を記憶してるみたいにさ」

「……想像するだけでゾッとする話ね。どんだけめちゃくちゃにしても元の形に戻ってくるとか、仮に死なずに済むのだとしても苦痛を味わうのに変わりはないじゃない」

 自分で自分の身体を抱きながら、リリスはツバキが建てた仮説にそんな言葉を返す。事実、ただの肉片が狼の姿に戻っていくのはなかなかにグロテスクなものがあった。毛皮なんて血で真っ赤に染まりきっているはずなのに、それすらも忘れたかのように白い毛皮を纏ってたたずんでいるんだから気味悪さはさらに加速するばかりだ。

「どれだけ肉体がぐちゃぐちゃになろうと、意識の主体が死んでいなければそれを死と扱わないのが彼らのスタンスだったのかもしれないね。意識と肉体を切り分けて考えられるなら、身体なんて意識の入れ物にしか過ぎないともいえるし」

 ボクには到底理解しがたい話だけどさ、とツバキは一言付け加える。ツバキが定義したその考え方は確かに極論と言えるものではあったが、あの狼の姿を考えるとあながち間違いでもなさそうなのが恐ろしいところだった。

 肉片から再生した触手もただ闇雲に振り回されるんじゃなくて、背を向けているリリスを的確に狙っていたからな……。生命と呼ぶのも難しいような形状でも思考ができていることを考えるのならば、器官とかの存在をまじめに考えるだけ無駄なのかもしれない。

 リリスの攻撃で出血してるのを見る限り、血管はしっかりありそうなんだけどな……。完全に狼としての在り方を忘れているわけではないのだろうが、明らかに異形な存在である触手をどうとらえるかというのがこの考え方の問題のような気がした。

「……早い話が、『アポストレイ』とその乗り手みたいな関係ってことね。あの舟自体がどれだけ傷ついてても操縦士が無事なら修理してまた動かすことができるみたいに、意識さえ生きていれば身体だけ再生してまた動かせばいいってわけだし」

 そんな感じで俺の思考が少し脇道にそれていると、リリスが毛先をくりくりといじりながら分かりやすいたとえを口にする。ツバキからしてもそのイメージはぴったりだったのか、ツバキは感心したように小さく声を上げた。

「ああ、確かにそのたとえは分かりやすいかもしれないね。それにしたってその発想に行きつく研究者がイカれてることに変わりはないと思うけど」

「大丈夫、その認識は私も持ってるわ。……というか、あの狂人が復活させようとする研究の行きつく先がロクなものであるはずがなかったわね」

 そう言って、リリスは小さくため息をつく。研究者嫌いを公言しているリリスの目から見ても、今回の研究はとびぬけてぶっ飛んでいるものらしい。

 類は友を呼ぶ、ってのはもしかしたらこういう例を指すのかもしれないな……。まさか研究者側も時を超えて同類が現れるとは思っていなかっただろうが、その稀有な同類がやろうとしていることも例外なくロクなものではない。仮に不老不死を実現させたんだとして、アゼルがそれをいい方向に使おうとするビジョンは一切見えなかった。

「そもそも、不老不死なんて概念自体がまともなもんじゃないからな。結局のところ、ぶっ壊す以外の選択肢は残されてねえか」

「うん、その通りだ。だからここからは、その不死をどう打ち破るかの話をしなくちゃね」

 回り道をした末に何も変わらなかった俺の結論にツバキは頷き、話を一つ前へと進める。『不死を殺す』とはまた矛盾したテーマではあるが、それをクリアしない限りは俺たちに先がないのもまた事実だった。

「まず、正面から力押しで殺すのは無理そうってのは共通認識だよな。あの時のリリスは間違いなく全力だったし、生き物をあれ以上グチャグチャにする方法も俺には思いつけねえ」

「ええ、そこは前提条件として考えていいと思うわ。すごく癪に障る話ではあるけど、私じゃあの狼は殺せない。……だから、できるのはアイツの動きをできる限り鈍らせることぐらいね」

 歯を食いしばりつつ、リリスは俺が打ち出した前提を肯定する。表情を見ればそれがとても悔しい事なのは伝わってくるし、一度全力で切り刻んだからこそそれが意味をなさないことを一番理解しているのだろう。

「大丈夫、正攻法で殺せないからと言ってリリスの力が要らなくなるわけはないからね。邪道を通すんだとしても、そうするための準備時間は間違いなく必要になる。……それを安心して任せられるのは、ボクの知る限りでは一人だけだ」

 そんなリリスの感情を汲んだのか、ツバキはすぐさまリリスの方を見つめてそう付け加える。……それを聞いて、リリスの目が僅かに見開かれた。

「……その言い方は、もうすでに通したい邪道があるって感じね。不死殺しの方法、思いついたの?」

「うん、あくまで可能性の範疇は出ないけどね。……あの狼が『魔喰の回廊』で積み重ねられた技術の結晶であるんだとしたら、それを台無しにするための手札は間違いなくあるよ」

 にいっと口の端を釣り上げて、ツバキは胸を張ってリリスの言葉に応える。その表情は実に晴れやかなもので、情報整理をしていた時の難しい顔がまるで嘘のようだ。

「不老不死が仮にあの狼に宿っているんだとしても、それは魔術によって刻まれた後付けのものでしかない。……別に研究院からしたら無力化からの封印でもいいんだろうけど、ボクたちはそれじゃあ満足できないだろう?」

 ねえ、マルク――と。

 意気揚々と言葉を付け加えながら、ツバキは俺の方を振り向いてそう問いかけてくる。澄み切った夜空のような黒い目はいつもより輝いていて、今もなお何かを考えているようにしか思えなくて。……だけど、その問いかけに対する答えは一つしかなかった。

「ああ、そうだな。アゼルもこのダンジョンもあの狼も、この村にあるすべてがきな臭く見えて仕方ねえ。……どうせなら、全部ぶっ壊して帰るのが理想だよ」

「うんうん、マルクならそう言ってくれると思っていたよ! そう言ってくれるなら、この作戦は問題なく前に進めることができるね!」

 大きく首を縦に振った俺の姿を見て、ツバキはパンと音を立てながら胸の前で両手を合わせる。……その様子を横から見ていたリリスが、少し驚いたように目を見開いた。

「……まさか、貴女が考えているのって……」

「ああ、多分一番可能性の高い不老不死の否定計画だ。……少しばかり脆い橋を渡ることになるかもしれないけど、マルクを守るのはいつだってボクたちの役割だろう?」

 一足先にツバキの計画へとたどりついたリリスに対して、ツバキは片目を瞑ってそう言い返す。……それを聞いたことによって、俺も何となく察することができた。

「……つまり、俺が前に出る必要がある作戦ってことか」

「うん、その通りだよ。だから危険もあるけど、『誰かを守ること』なら護衛の本領と言ってもいい。……だから、あとは君がこの話に乗るだけの覚悟を持っていたかだけだったんだよ」

 だからあんな風に聞いたんだ、とツバキは今更になってそう説明する。それならそうと言ってほしかったものだが、まあこの際それはいいとしよう。いつ聞かれたとしても、俺の答えは変わらないんだから。

「……それじゃ、その計画とやらを聞かせてもらおうか。俺も前に出ることを想定してるあたり、今までにない事にはなりそうだけどな」

「うん、それは間違いないね。……というか、この先もなかなかないと思う。君の持っている技術とこのダンジョンでの研究内容、そして敵の実態が分かったからこそこの作戦は成立するんだ」

 条件を指折り数えながら、真剣な表情でツバキはそう前置く。ツバキがそこまで言い切るということは、かなりイレギュラーな作戦になることは間違いないはずだ。その中で俺は何の役割を果たせばいいのか、あれこれとシミュレートしながら考えを巡らせていたのだが――

「――今回の作戦の主役は君だよ、マルク。……君にしか扱えない『修復』の力で、呪印術式によってあの狼の体に植え付けられたであろう不死のからくりを取り除くんだ」

「……なる、ほど?」

――その矢先に飛び出した唐突な主役宣言に、俺はまずぎこちない頷きを返すことしかできなかった。
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