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第三章『叡智を求める者』
第百六十六話『酷似する構図』
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「……づっ、あ」
ダンジョンと外界を隔てる厳かな石の門をくぐった瞬間、俺の左手首を焼かれるような痛みが走る。……全てを知ろうとする者を阻む奪命の呪印が、またしても俺の身に刻み付けられていた。
「やっぱり、何度味わっても慣れられるようなものじゃないね。……慣れたいとも、思えない」
「そうね。さっさと全部ぶっ壊して帰るに限るわ」
俺と並んで足を踏み入れた二人も、不快感を隠さずに呪印を睨みつける。左手首でぼんやりと光を放つ不規則な線の集合体が、俺たちを挑発しているかのようだった。
「……それじゃあ、出来る限り早足で第二層まで向かおうか。せっかく対策のための知識を共有してきたんだし、それを生かせる場所での時間を増やしていかなくちゃね」
そんな俺たちに続く形でダンジョンへと足を踏み入れたノアが、痛みを気にする様子もなく俺たちを促す。慣れがそうさせているのかもしれないが、この痛みを完全に無視できるのは正直羨ましかった。
熱した鉄を当てられるかのようなあの感覚、正直かなり嫌なんだよな……。もちろん現実に火傷を負っているという訳でもないのだが、だからと言ってその瞬間の苦痛が軽減されるわけでもないし。
だがしかし、リリスとツバキが意識を切り替えている以上いつまでも文句を垂れているわけにはいかない。未だに少し尾を引いている痛みを黙殺すると、俺はまっすぐ伸ばされたリリスの手を取った。
その反対の手にはツバキの手が握られていて、ノアはツバキの手を取っている。リリスがそれを目視で確認するや否や、俺たちの周囲を小さな風の渦が包み始めた。
「お望み通り、出来る限り急ぎ足でここは突破するつもりよ。……ま、運が悪いとそうもいかないんだろうけど」
「そればかりは日ごろの行い次第だね。……ま、ボク達なら大丈夫だと思うけど」
薄笑いでそんなことを嘯きながら、ツバキはリリスの言葉に応える。俺たちの不断の行いがいいものかどうかは――まあ、評価する人次第で大きく変わると言わざるを得ないが。
それでも、俺たちがやろうとしている事の方がアゼルを筆頭とした村の連中の目論見より幾分マシなものであることだけは確かなはずだ。……それに免じて、出来る限り早く第二層にたどり着けると祈るしかない。
ぼんやりとそんなことを考えているうちに、俺たちを取り巻く風はさらにその勢力を強めていく。それを完全に俺たちを覆う風の球体へと変じさせながら、リリスは小さく首を縦に振った。
「……なにはともあれ、ここまで来たら行動あるのみね。さあ、しっかり掴まってなさい!」
俺たちに通告した後、リリスは思い切り地面を蹴り飛ばす。それを合図にため込まれていた風が一気に解放されると、俺たちの体は一瞬にして全力疾走を遥かに上回るスピードにまで加速した。
「……一度体験した魔術ではあるけど、びっくりすることに変わりはないね……!」
「そりゃそうさ、リリスはボクたちのエースなんだから! ……振り落とされないようにだけ、意識しておいておくれよ!」
驚きの声を上げるノアにツバキが笑ってその手を握る力を強めると、ノアもツバキの手を強く握り直す。その様子を見つめながら、俺もリリスとつないだ右手を強く握りしめた。
その手の力を抜かないようにすることだけはしっかりと意識しつつ、俺は自分の内側へと意識を集中する。ノアから得られた情報によってほとんど確定しているようなものではあるが、俺の仮説を正しいものにするためには自分の感覚ではっきりと確かめることが必要不可欠なような気がしてならなかった。
目を閉じ、自分の体内の魔術神経の状態を脳内に映し出す。修復術自体は割と大規模な術式を用いる物ではあるが、消費魔力は基本的にさほど多くない方の魔術に分類される。故に、『プナークの揺り籠』の時ぐらいに大規模な修復を多用しなければよほど魔術神経に目立った損傷を起こすこともないのだが――
(――やっぱり、あった)
左手首付近に靄のようなよく分からない気配を見つけ出したことによって、俺の仮説は確証へと至る。……昨日リリスの左手首に見た妙な気配も、俺たちの体に刻み込まれた奪命の呪印が引き起こした現象であったのだ。
ノアが言っていた『他者の魔力を転用して魔術を成立させる』という呪印のコンセプトから考えれば、この靄が何を目的としたものかもなんとなく想像がつく。……大方、術者の魔術神経に干渉するための横道を作り上げているのだろう。それが構築される時に呪印に刻まれた術式は正確に起動して、結果として俺たちの命は奪われる。そのために必要な準備時間が九十分であり、それがそのまま俺たちの命の制限時間と相成っているというわけだ。
しかし、正体が分かってもなおその靄の不気味さが消えることはない。……というより、分かってしまったからこそその靄は俺の中で別の不気味さを持っていた。……この靄がやっていることが、俺の修復術とある意味では似ているからだ。
修復術と言うのは、『対象の魔術神経になじむような形へと自身の魔力を変質させる』ことがその根底としてある。損傷している魔術神経にただ魔力をあてがうだけでは、人体の拒絶反応によって逆に神経の持ち主を苦しめてしまうことになりかねない。だからこそ、一度損傷個所にあてがった魔力を対象の体に馴染むように変質させる一工程を挟む必要があるのだ。そして、そこが修復術において一番身に着けるのが難しい技術だとされている。
だからこそ修復されても対象に違和感が残ることもなく、何なら最初からあったのと同じレベルにまで馴染むことが出来る。……逆に言えば、そこまでできなければ修復術と言うのは成り立たないものということになるわけだ。それくらいできなければ、傷ついた神経の代替パーツとしてその役割を十全に果たすことなど到底できやしない。
魔術を行使するのに魔術神経の介入が必要なのはもはや言うまでもないことだが、呪印という外付けの魔術を扱おうと思えば当然その呪印に向けて魔力を供給する必要がある。刻印対象が自分から呪印を起動しようとする意志があればそれも簡単な魔力の操作だけで完了するのだが、対象の意志を介在させずに魔力を勝手に利用し、対象の自覚もないうちに魔術を成立させようと思うとそうはいかない。
簡単に言えば、『呪印に向けて直接魔力を横流しし、呪印に刻まれた術式を起動するための魔力操作を対象の意志なしで行う』ための新しい魔術回路を構築する必要があるのだ。もし仮にそれが完成してしまえば、奪命の呪印だろうが吸魔の呪印だろうがなんだって起動できてしまうだろう。
……だが、横道とはいえ魔術神経を勝手に作り上げるというのは言葉以上に困難な事だ。ずさんな仕事をすれば体内が拒絶反応であふれかえる以上、術式の起動のためには刻印対象の魔術神経の特徴を完全に模倣しなくてはならない。それができなければ、術式の起動など夢のまた夢だろう。
ただ刻印した対象を苦しめて殺したいだけなら、体内に適当な魔術神経を作って拒絶反応を起こさせるだけでも十分効果はあるんだろうけどな。……だけど、命を奪うことを目的としているはずの奪命の呪印は不思議とその現象を引き起こしていない。ただ殺すだけならば、そっちの方が何倍も手っ取り早いのに。
それが何らかの目的あっての事なのか、それとも拒絶反応を用いることを良しとしない美学でもあったのか。……そして、その呪印とやらはどうやって拒絶反応を起こさない形で魔術神経をひそかに構築させているのか。その仕組みに修復術の根幹と似たものを見てしまった以上、俺の中で疑問が尽きることは無くて――
「……ねえマルク、聞いてる?」
――眼前から聞こえてくる声に目を開けると、心配した様子のリリスたちが俺をのぞき込んでいる。あれやこれやと考え込んでいるうちに、リリスの歩みはいつの間にか第二層へ続く階段へとたどり着いていたようだった。
「ああ、悪い。思ったよりずいぶん早く着いたもんだから驚いちゃってさ」
リリスの背後に広がる階段を見つめながら、俺は後頭部を掻く。そんな俺をリリスはまじまじと見つめていたが、やがて諦めたように大きく息をついた。
「……ええ、日ごろの行いが良かったみたいね。だからと言って気を抜いていい理由にはならないけど」
「そうだな。……うん、肝に銘じておくよ」
詳しく聞かないでいてくれるリリスをありがたく思いながら、俺は首を縦に振る。……前に来たときは達成感とともに見つめていたはずの階段が、今はやけに不気味に見えた。
ダンジョンと外界を隔てる厳かな石の門をくぐった瞬間、俺の左手首を焼かれるような痛みが走る。……全てを知ろうとする者を阻む奪命の呪印が、またしても俺の身に刻み付けられていた。
「やっぱり、何度味わっても慣れられるようなものじゃないね。……慣れたいとも、思えない」
「そうね。さっさと全部ぶっ壊して帰るに限るわ」
俺と並んで足を踏み入れた二人も、不快感を隠さずに呪印を睨みつける。左手首でぼんやりと光を放つ不規則な線の集合体が、俺たちを挑発しているかのようだった。
「……それじゃあ、出来る限り早足で第二層まで向かおうか。せっかく対策のための知識を共有してきたんだし、それを生かせる場所での時間を増やしていかなくちゃね」
そんな俺たちに続く形でダンジョンへと足を踏み入れたノアが、痛みを気にする様子もなく俺たちを促す。慣れがそうさせているのかもしれないが、この痛みを完全に無視できるのは正直羨ましかった。
熱した鉄を当てられるかのようなあの感覚、正直かなり嫌なんだよな……。もちろん現実に火傷を負っているという訳でもないのだが、だからと言ってその瞬間の苦痛が軽減されるわけでもないし。
だがしかし、リリスとツバキが意識を切り替えている以上いつまでも文句を垂れているわけにはいかない。未だに少し尾を引いている痛みを黙殺すると、俺はまっすぐ伸ばされたリリスの手を取った。
その反対の手にはツバキの手が握られていて、ノアはツバキの手を取っている。リリスがそれを目視で確認するや否や、俺たちの周囲を小さな風の渦が包み始めた。
「お望み通り、出来る限り急ぎ足でここは突破するつもりよ。……ま、運が悪いとそうもいかないんだろうけど」
「そればかりは日ごろの行い次第だね。……ま、ボク達なら大丈夫だと思うけど」
薄笑いでそんなことを嘯きながら、ツバキはリリスの言葉に応える。俺たちの不断の行いがいいものかどうかは――まあ、評価する人次第で大きく変わると言わざるを得ないが。
それでも、俺たちがやろうとしている事の方がアゼルを筆頭とした村の連中の目論見より幾分マシなものであることだけは確かなはずだ。……それに免じて、出来る限り早く第二層にたどり着けると祈るしかない。
ぼんやりとそんなことを考えているうちに、俺たちを取り巻く風はさらにその勢力を強めていく。それを完全に俺たちを覆う風の球体へと変じさせながら、リリスは小さく首を縦に振った。
「……なにはともあれ、ここまで来たら行動あるのみね。さあ、しっかり掴まってなさい!」
俺たちに通告した後、リリスは思い切り地面を蹴り飛ばす。それを合図にため込まれていた風が一気に解放されると、俺たちの体は一瞬にして全力疾走を遥かに上回るスピードにまで加速した。
「……一度体験した魔術ではあるけど、びっくりすることに変わりはないね……!」
「そりゃそうさ、リリスはボクたちのエースなんだから! ……振り落とされないようにだけ、意識しておいておくれよ!」
驚きの声を上げるノアにツバキが笑ってその手を握る力を強めると、ノアもツバキの手を強く握り直す。その様子を見つめながら、俺もリリスとつないだ右手を強く握りしめた。
その手の力を抜かないようにすることだけはしっかりと意識しつつ、俺は自分の内側へと意識を集中する。ノアから得られた情報によってほとんど確定しているようなものではあるが、俺の仮説を正しいものにするためには自分の感覚ではっきりと確かめることが必要不可欠なような気がしてならなかった。
目を閉じ、自分の体内の魔術神経の状態を脳内に映し出す。修復術自体は割と大規模な術式を用いる物ではあるが、消費魔力は基本的にさほど多くない方の魔術に分類される。故に、『プナークの揺り籠』の時ぐらいに大規模な修復を多用しなければよほど魔術神経に目立った損傷を起こすこともないのだが――
(――やっぱり、あった)
左手首付近に靄のようなよく分からない気配を見つけ出したことによって、俺の仮説は確証へと至る。……昨日リリスの左手首に見た妙な気配も、俺たちの体に刻み込まれた奪命の呪印が引き起こした現象であったのだ。
ノアが言っていた『他者の魔力を転用して魔術を成立させる』という呪印のコンセプトから考えれば、この靄が何を目的としたものかもなんとなく想像がつく。……大方、術者の魔術神経に干渉するための横道を作り上げているのだろう。それが構築される時に呪印に刻まれた術式は正確に起動して、結果として俺たちの命は奪われる。そのために必要な準備時間が九十分であり、それがそのまま俺たちの命の制限時間と相成っているというわけだ。
しかし、正体が分かってもなおその靄の不気味さが消えることはない。……というより、分かってしまったからこそその靄は俺の中で別の不気味さを持っていた。……この靄がやっていることが、俺の修復術とある意味では似ているからだ。
修復術と言うのは、『対象の魔術神経になじむような形へと自身の魔力を変質させる』ことがその根底としてある。損傷している魔術神経にただ魔力をあてがうだけでは、人体の拒絶反応によって逆に神経の持ち主を苦しめてしまうことになりかねない。だからこそ、一度損傷個所にあてがった魔力を対象の体に馴染むように変質させる一工程を挟む必要があるのだ。そして、そこが修復術において一番身に着けるのが難しい技術だとされている。
だからこそ修復されても対象に違和感が残ることもなく、何なら最初からあったのと同じレベルにまで馴染むことが出来る。……逆に言えば、そこまでできなければ修復術と言うのは成り立たないものということになるわけだ。それくらいできなければ、傷ついた神経の代替パーツとしてその役割を十全に果たすことなど到底できやしない。
魔術を行使するのに魔術神経の介入が必要なのはもはや言うまでもないことだが、呪印という外付けの魔術を扱おうと思えば当然その呪印に向けて魔力を供給する必要がある。刻印対象が自分から呪印を起動しようとする意志があればそれも簡単な魔力の操作だけで完了するのだが、対象の意志を介在させずに魔力を勝手に利用し、対象の自覚もないうちに魔術を成立させようと思うとそうはいかない。
簡単に言えば、『呪印に向けて直接魔力を横流しし、呪印に刻まれた術式を起動するための魔力操作を対象の意志なしで行う』ための新しい魔術回路を構築する必要があるのだ。もし仮にそれが完成してしまえば、奪命の呪印だろうが吸魔の呪印だろうがなんだって起動できてしまうだろう。
……だが、横道とはいえ魔術神経を勝手に作り上げるというのは言葉以上に困難な事だ。ずさんな仕事をすれば体内が拒絶反応であふれかえる以上、術式の起動のためには刻印対象の魔術神経の特徴を完全に模倣しなくてはならない。それができなければ、術式の起動など夢のまた夢だろう。
ただ刻印した対象を苦しめて殺したいだけなら、体内に適当な魔術神経を作って拒絶反応を起こさせるだけでも十分効果はあるんだろうけどな。……だけど、命を奪うことを目的としているはずの奪命の呪印は不思議とその現象を引き起こしていない。ただ殺すだけならば、そっちの方が何倍も手っ取り早いのに。
それが何らかの目的あっての事なのか、それとも拒絶反応を用いることを良しとしない美学でもあったのか。……そして、その呪印とやらはどうやって拒絶反応を起こさない形で魔術神経をひそかに構築させているのか。その仕組みに修復術の根幹と似たものを見てしまった以上、俺の中で疑問が尽きることは無くて――
「……ねえマルク、聞いてる?」
――眼前から聞こえてくる声に目を開けると、心配した様子のリリスたちが俺をのぞき込んでいる。あれやこれやと考え込んでいるうちに、リリスの歩みはいつの間にか第二層へ続く階段へとたどり着いていたようだった。
「ああ、悪い。思ったよりずいぶん早く着いたもんだから驚いちゃってさ」
リリスの背後に広がる階段を見つめながら、俺は後頭部を掻く。そんな俺をリリスはまじまじと見つめていたが、やがて諦めたように大きく息をついた。
「……ええ、日ごろの行いが良かったみたいね。だからと言って気を抜いていい理由にはならないけど」
「そうだな。……うん、肝に銘じておくよ」
詳しく聞かないでいてくれるリリスをありがたく思いながら、俺は首を縦に振る。……前に来たときは達成感とともに見つめていたはずの階段が、今はやけに不気味に見えた。
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