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第三章『叡智を求める者』

第百五十一話『その人格を覗くとき』

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「……ごめん、一番のチャンスで取り逃した。まだまだ実力不足だね、ボクも」

「いや、それを責めるつもりもねえよ。……アイツは、何かがおかしかった」

 沈痛な面持ちでか細く言葉を漏らすツバキの背中に手を当てて、俺は去って行ったアゼルの姿を思い返す。やせ細った体に、掻き毟るたびに抜けていく毛髪。そして泥のように濁った茶色の目。そのどれを見ても、俺たちに抗えるような力があるとは思えなかった。

 だからこそ、アイツの異様な雰囲気はさらに際立っていたのかもしれない。ああして俺たちの前にのこのこと姿を現せたこと自体が、アゼルの狂気の証明のようなものだった。

「アレにおかしくないところなんてないわよ。……まるで、私たちとは違う世界を見ているかのようだったわ」

 俺たちを代表してアゼルの提案を拒絶したリリスが、その時よりもさらに吐き捨てるような口調でアゼルのことをそう評する。砕けてしまいそうなくらいに強く歯を食いしばっていることが、その嫌悪感を分かりやすく表していた。

「……アレはきっと、防御の呪印をあらかじめ服の内側に仕込んでたんだと思う。事前に紙にでも書いて服の内側に縫い付けて置けば、特定の動作を起点として呪印を起動することは不可能じゃないみたいだから」

 俺たちの中で最も呪印に身近なノアが、あの防御劇のタネをそう予測する。それは確かに納得のいく仮説ではあるのだが、それを聞いた俺の中には新たな疑問が生まれてきていた。

「……つまり、アイツは力づくの展開になることも予期したうえでああして待ち伏せしてたってわけだ。……自分から声をかけるまで、誰にも気づかれることなく」

 俺たち四人とも、アゼルが声を発するまでその存在に気づくことはできていなかった。声が背後から聞こえてきた、つまりは一度アゼルの横を通っていたということに他ならないのに、だ。

 それほどの隠密行動が出来るのなら、俺やツバキを仕込み呪印による奇襲の一撃で行動不能にするくらいは容易にできたはずだ。だが、アゼルはそうしなかった。……いずれ俺たちがこの村の思想に染まると、そう信じ切っているから――

「……くそ、考えれば考えるほどこっちまで頭がおかしくなりそうだ」

 ここに至るまでに有り得た死の可能性が頭をよぎるたびに、アゼルが発した『もっと上手くやる』という言葉が何度も何度も脳内で反響する。アゼルの思惑を理解しようとすればするほど、俺たちに向けて発した言葉が真実である事を前提にしなければいけなくなるのがどうにも不快だった。

「マルク、あまり深く考えすぎない方がいい。……人を理解しようとするっていうのは、その人物を自分の思考の中に投射するってことに他ならないからね。いくら思考上の存在だとは言え、あの男を脳内で思い描くのは危険すぎる」

「それこそあの男の思うつぼって奴ね。アレは理解できない怪物、そう思っておけばいいのよ」

 話し合いで分かり合える存在でもないわ、とリリスは肩を竦める。考えることをやめないのが俺の役割ではあったが、今ばかりはリリスたち二人の意見の方が正しいように思えた。

 アゼル・デュ―ディリオンは、深く底の見えない穴のようなものだ。のぞき込んだが最後、その果てには何があるのかという疑問が脳みそにずっと巣食い続ける。底を目指して真っ逆さまに墜ちてみたいという黒い願望が、穴を覗く度にずっと俺の背後をついて回る。……それを防ごうと思うなら、その穴をのぞき込まない事しかない。

 リリスに止められなかったら、俺はさらにアゼルの思惑を読み解こうとしていたことだろう。あまりに狂った思想を読み解いた後に俺はまだ正常な判断が出来るのか、そう聞かれると自信がなかった。

「いいマルク、アレはあの男なりの宣戦布告なの。それ以上の意味は無くて、言い回しはただ老化が進んだ結果の産物。……本当の意味はどうであれ、今はそう思っておきなさい」

 俺の中の考えを塗り替えるかのように、リリスは一言一言はっきりと俺にそう言い聞かせる。今はそう結論付けるのが正しいと信じられたから、俺はその暗示に思考を委ねた。

「……ああ、そうするよ。俺たちが俺たちの目的を持って動いてるのを、アゼルは潰そうとしてるだけ。それをわざわざ宣言しに来たんだから、俺たちは売られた喧嘩を買うだけでいいんだな」

「そういうこと。相手の思惑とか理想とか、そんな物は知ったことじゃないわ」

 リリスの言葉を噛み砕いて言い換えるにつれ、脳内に居座っていた気持ちの悪い感覚が少しづつ薄れていく。……相手が何を考えているにしても、俺たちのやるべきことを邪魔するのならば敵と認定して何の間違いもなかった。

 理解もいらない。慈悲もいらない。ただ俺たちはダンジョンに秘められた秘密を暴き、危険なものだと感じたのならそれを排除する。ここまでの感覚的には十中八九ロクなものではないし、俺たちはこの村に渦巻く信仰を排除するためにこの場所に来ていると言ってももう過言ではなかった。

「……結局、ウチらのやれることは変わらないしね。ダンジョンを攻略して、そこに隠された謎を、秘密を、遺産を読み解く。……きっと、アゼルたちも何らかの方法でそれに触れてるから」

「聖地とか新たな神とか、明らかにあのダンジョンのことを指してるからね。どこを見てそう思ったかは、精神衛生上思いを馳せないでおくけど」

 アゼルの影響を振り払うかのように、ツバキはぶんぶんと首を横に振る。アゼルの存在はたまらなく不気味なものではあったが、『魔喰の回廊』とこの村の繋がりを確固たるものにしてくれていた。

「それじゃ、今後のプランには何も影響なしってことだな。俺たちが極端に敵対的な態度を取らなきゃ村の連中が命を取りに来ることもないし、おかげで俺たちはダンジョン探索を進められる。……あの場所に眠っているのが何なのか、村の連中とドンパチやるのはそれを解き明かしてからになりそうだ」

「うん、ウチもそれでいいと思うよ。……次の定期連絡の時、戦力を準備しておくようにバーレイに進言しておくつもりだったから」

 真剣な表情を浮かべて、ノアは右手を軽く握りしめる。この村に対する敵意だけは本物だと、俺はその姿を見てぼんやりと思った。

 アゼルが何を思って俺たちに接触してきたかは分からないしもう分かってやるつもりもないが、それによって俺たちの計画や立ち回りが変わるわけでもない。アゼルがわざわざ俺たちにご高説を垂れ流したことの意義は、ただ自分たちの信じる物の寿命を縮めるだけに終わるのだ。

「……さ、そうと決まれば早いとこ拠点に入ろうか。また不審者に絡まれないとも限らないしね」

「そうね。……もっとも、次に現れた時には容赦しないけど」

 冗談なんだか本気なんだか分からないノアの言葉に呼応して、リリスが手の中に小さな氷の剣を作り出す。少しの迷いもないその姿勢に、俺とツバキも思わず表情を引き締めて。

――より強い覚悟を固めながら、俺たちはノアの拠点がある方へと向き直った。
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