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第三章『叡智を求める者』

第百四十二話『浮かび上がる印』

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「ヤバい……ね。私たちに協力を仰いだだけの価値は、もう見つけられたと思ってもいいのかしら?」

「うん、もちろんだよ! まだ一ページ目だけど、それでもかなり重要な情報が書いてある。ノートの取り方とかからも、これを書いた人が几帳面なんだなあってことがよく分かるようになってるね……」

 視線をノートから上げようとしないまま、ノアは弾んだ声でリリスの問いかけに応える。会話を続けながらもその意識は七割くらいノートに吸われているようで、今も目はものすごいスピードでノートに綴られた文字を追いかけていた。

 ま、初めて見つかる文書化された情報だもんな……村の中で見つけられたことも色々ありはするんだろうが、ここにある情報は間違いなく純度が違うと言ってもいいだろう。このダンジョンと村にどんなつながりがあったのかとかは、また別で調べを進めないといけないんだろうけどさ。

「読むのに夢中になるのは良いけど、ここがダンジョンの中だってことは忘れないようにね。読んでるうちに呪印が起動してドカン、とか笑い話にもなりゃしないからさ」

 興奮を隠せない手つきでページをめくっていくノアを落ち着けるかのように、ツバキは冷静な言葉をかける。それを聞いてふと我に返ったのか、ノアは手にしていたノートをパタリと閉じた。

「……はは、確かにそうだね。すっかり夢中になるところだったよ」

「ま、呪印のことを夢中になるくらいの情報がそこにあるってのは収穫だな。後はそれを落ち着いて読める場所があるといいんだが……一回村に戻った方が確実か?」

 セーフルームを探すのもまあ悪くはないが、この階層のセーフルームで安全確保が出来るという保証もないしな。さっき二人に襲い掛かって来たみたいな魔物がうじゃうじゃいたら、流石のリリスたちでもある程度の苦戦は免れないし。

「うん、それが一番いいかも。この村の中でなら私の拠点が一番安全って言っていいからね。問題は、二人がそれで納得してくれるかどうかなんだけど――」

 俺の提案に同意しながら、ノアは俺の横に立つリリスとツバキへと目を向ける。早期の踏破を目指していた二人からするとここでの撤退は時間のロスに他ならないが、二人は迷う様子も見せずに揃って頷いた。

「このダンジョンの中に安全な場所なんて求める方が間違ってるもの。情報を丁寧に集めようってなった時点で、今日一日でここを攻略しきる道理なんてないわよ」

「ボクもリリスと同感だね。勝利条件が変わった以上、立ち回りも柔軟に変えていかないと」

 少し驚く俺たちに、リリスは肩を竦めながらそう付け加える。それにツバキも同意することで、俺たちの方針が一時撤退と言う形で一致した。

「よし、それじゃあとっととおさらばするか。三冊のノートだけが戦利品とはしょっぱい気もするが、ここからが第一歩だもんな」

「その通り。研究者にとって、長い事ゼロだったものが一に変わるっていうのは途轍もない価値を持っている事なんだよ」

 だってそれが一番難しい事だから、と笑みを浮かべ、ノアは俺たちが入って来たドアの方を見やる。少しでも安全に、そして迅速に帰還するべく、リリスはまたしても壁の方に駆け寄った。

 リリスにばかりその役割を押し付けるのは申し訳なくもあるが、ボタン周りで危険なことが起こった時に一番早く対応できるのがリリスだ。それをきっとリリス自身も理解したうえで、ボタンを押す役割を引き受けてくれているのだろう。……この仕事が終わったら、また美味しいスイーツがあるところを探さないとだな。

「さて、それじゃあさっさと帰りましょうか。こんな奇妙な場所、出来るなら長居なんてしたくないし――」

 少し疲れたような声色でそう呟きながら、リリスは壁に取り付けられたボタンへと手をかける。手のひら大のそれを押し込めば、来た時と同じように扉が開くはず――

「――ッ⁉」

 だったのだが、その予想は脆くも打ち砕かれた。

 開く代わりに扉には青い呪印が刻まれ、それを見たリリスはとっさに俺たちの方まで飛び退る。でかでかと扉に浮かび上がったその文様は、俺たちの手首にある物と違ってとても整然としているように思えた。

 それの正体が何かは分からないが、予定していた退路が塞がれてしまったことだけは間違いない。あの呪印の問題を解決しない限りあの扉は開かないのだろうということも、なんとなく。

「……これ、何……?」

「ノアが分かんないならボク達にはもっと分からないだろうね。……ただ言えるのは、遠目で分からないなら君が直接触れて分析してもらうしかないという事かな?」

 どう考えてもただ事ではない状況の中、ツバキが鋭くノアに指示を飛ばす。それを聞いたノアが少し危うい足取りでドアに向かったのと同時、この部屋全体を揺るがすような地響きが俺たちを襲った。

 揺れの発生源を探して俺たちは部屋全体を見回すが、しかしそれが手掛かりに繋がることはない。こんな揺れにもかかわらず倒れる様子一つも見せない棚の姿が、妙に俺たちを煽っているかのようだ。

「くそ、このまま崩れたらシャレになんねえぞ……‼」

「これはきっとダンジョンの防衛システムだ、ダンジョンそのものを潰すような真似はしないはず! ……だけど、それが分かっていても冷静でいられないくらいの状況なのは間違いないね‼」

 少しずつ激しくなっていく揺れに足を取られそうになった時、ツバキが俺の手を取りながら珍しく声を張り上げる。その黒い瞳が見つめる方に俺も必死に目線をやると、ダンジョンの床面にもいつの間にか呪印が浮かび上がっていた。

 扉に浮かび上がったのとは違って円形がベースになっていないそのデザインは、開かずの扉にかかっている物とは違う術式が刻み込まれているのだと素人の俺にも直感的に理解させる。共通点があるとするのならば、この術式は間違いなく俺たちにロクでもない事態をもたらすということだけだろう。

「マルク、大丈夫⁉」

「ああ大丈夫だ、ちゃんと立ててる……っと、とと⁉」

 リリスからの声にそう答えた矢先、ひときわ強い揺れが俺の足元を揺るがす。ツバキが俺の手を取って支えてくれてはいたが、それでもなお俺の体は地面へと倒れ込んでしまった。

「……マルク、ごめん!」

 さっきよりもさらに大きく傾いた俺の体は支えきれないと直感したか、巻き添えを避けるべくツバキが申し訳なさそうな声とともに俺の手を放す。支えを失った俺は、背中を打ち付けるような形で転倒した。

 最低限衝撃を殺せるような動きはしたつもりだが、それにしたって痛いもんは痛い。この地響きは何によるものなのか、原因を探し出して文句を言ってやらねばならないところだが、どうやらその必要はなさそうだ。

「……お前か、これをやりやがったのは」

 倒れ込んでいるせいでほぼほぼ真上を向いている今の俺の視界にも映り込むくらいに大きな魔物が、いかにも犯人ですと言ったたたずまいで俺たちの前に姿を現していたのだから。
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