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第三章『叡智を求める者』

第百四十話『待ち受けるは扉たち』

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「踏み込むと決めたら最後、安全地帯は与えないってことね。……少し見直し始めてたこのダンジョンへの評価、また逆戻りさせないといけなさそうだわ」

「ボクも同感だね。……ノアは、当然このことは知らなかったんだろう?」

 魔物の亡骸が未だ残る部屋に立ちながら、ツバキはノアを見やる。魔物が一匹いただけのその空間は、守護者が居なくなるとやけにだだっ広く思えた。

「勿論、ここに関しては私だって初見なんだもん。踏み込んだ瞬間に安全じゃなくなることが分かってるのなら、流石のウチでも引き留めるよ」

「そうだよね。……うん、ひとまずはその言葉を聞けて良かった」

 首を振るノアに安心したような表情を浮かべ、ツバキは首と体が分かたれた魔物の下へと駆け寄る。いつの間にやら手に解体用のナイフも握られているあたり、どうやら素材を剥ぎ取るつもりのようだ。

「ツバキ、そいつが気になるのか?」

「うん、ちょっとね。ありきたりな魔物と同じようなのだったら、こんな時にわざわざ解体しようとも思わないんだけど――」

「こんな魔物、今まで仕事をしてきた中で見たことが無いものね。剣を振り回してくる大型の魔物ってところは、あの大獄を思い出すけど」

 あれはもっと動物っぽかったしね、とリリスも肩を竦める。……そう言われてみれば、ツバキがその魔物を気に掛ける理由もなんとなく納得がいった。

「……やっぱり、記憶の中の何とも一致しないな……。呪印みたいな文様があるのも気になるし、そもそもなんでこの部屋に閉じ込められてたかも分からない。……第一階層とは全く違うシステムがあると、そう捉えていいのかな?」

「そうかもな。あっちが通路ばっかりなのに対して、こっちは扉ばっかりだし」

 部屋全体を改めて見まわして、俺はツバキの疑問に答える。四角形のこの部屋の一辺毎にそれぞれ扉が取り付けられているその風景は、少なくとも第一階層で目にすることはない光景だった。

 どうにかして上の作りと足して二で割れないかと思わざるを得ないが、そんな事を考えている暇はない。俺たちが入ってきたものを除いて三つ扉がある以上、この階層も注意深く探索しなければいけない事には何も変わらないからな。

 この場所に関するヒントやら資料やらが何もなかった第一階層とは違って、こっちは扉を使って区画分けがされているように思える。ならば、一見行き止まりに思えてもそこに重要な資料が眠っている可能性は十分にあるだろう。……つまり、この場所こそしらみつぶしに、そして注意深く探索を進めなくてはならないのだ。

 ダンジョンの中にダンジョンが出来た理由についてのヒントがそう都合よく落ちているというのは楽観的な考えが過ぎる気もするが、このダンジョンは今まで訪れたものに比べて異質すぎる。このダンジョンを作り上げた何者かの意志が、このダンジョンを歩いているだけでひしひしと伝わってくるのだ。

 その意思がこのダンジョンの建造に関わっているのなら、それに繋がるヒントがあっても何もおかしくはない。……まあ、それがよりくまなく探索することの必要性を上げるのに繋がってはいるのだが――

「……ノア、ちょっといいかい? この文様、君の言う呪印とやらに似てるような気がするんだけど」

 だんだんと厄介になっていくダンジョンに俺が思わずため息をついていると、解体中のツバキがノアを呼びつける。ノアと一緒に俺もそちらへと視線を投げると、そこには白い線が無数に走っている魔物の左腕があった。

 確かに、呪印と言われれば納得してしまいそうな装いだ。最後に左腕が発光しているのも俺たちは目撃しているし、何もないなんてことはありえないだろう。

「……うん、確かにそうかもしれない。ちょっと待っててね、近くで確認するから」

 素人の俺がそれだけわかるのだから、当然魔術の研究家であるノアがそれに反応しないはずもない。小走りにツバキの方へと駆け寄ると、ノアは何の躊躇もなくその左手を魔物の腕へと当てた。

「……あれ、何をしてるのかしら」

 その様子を見て、リリスが怪訝そうな様子で俺にそうささやきかけてくる。その目線はしきりに左手首を見つめていて、リリスの焦りがそれだけでなんとなく伝わってくるようだった。

 俺たち四人の中で、一番スピードクリアにこだわってるのはリリスだもんな。一番手近なセーフルームがなくなって次の拠点を探さなければいけない中で、この時間は確かに無駄なものに見えてもしょうがないかもしれない。

「俺たちには分かんない何かをしてるんだろ。……ほら、俺だってこういうふうにお前の体をチェックするしさ」

 だが、この階層で求められるのは丁寧な探索だ。それをリリスに、そして俺自身にも言い聞かせるようにして、俺はリリスの右手を掴む。その瞬間、リリスの魔術神経のおおまかな状況が俺の中に流れ込んで来た。

 かなりの時間高出力で魔力を使っているが、まだまだ魔術神経は大丈夫そうだ。おそらくの話にはなるが、本人的にはまだ全力を出していないのが体に好影響を与えているのだろう。この調子なら、今日一日と言わずしばらくは軽いメンテナンスだけで大丈夫そうだが――

「……ん?」

 リリスの状況にそう結論を出そうとしたその瞬間、リリスの魔術神経に俺は違和感を覚える。それは珍しく、俺の中でも言語化しにくいような、何とも言い難い違和感だ。あえて言うならば、魔術神経の末端のどこかに何か変なよどみが出来ているかのような、そんな感じ。今までそこそこの人の魔術神経を見てきたつもりだが、これだけ言葉にしづらい感覚もまた珍しいことだった。

「なるほど、具体例を持ち出されたら納得するしかないわね……って、どうして今度は貴方が難しい顔をしてるのよ」

 しきりに首をひねる俺を見つめて、リリスはどこか不満そうな声を上げる。出来るならそれに俺も的確な答えを返してやりたいのだが、その答えまで行きつくのにはもう少しだけ時間がかかりそうなのだ。……そして、その時間はどうやら与えられないらしい。

「……これ、間違いなく呪印だね。この術式が起動したら、多分炎の弾丸が二人に襲い掛かってたと思う。……これよりは単純で簡単な作りだけど、根本的なデザインは同じような呪印を村の人たちも使ってたんだ」

 だから見覚えがある――と。

 俺の違和感が言語化されるより先に、ノアの分析が完了する。それに俺が注目を向けると、リリスもどこか不安そうな表情ではあったがノアの方を向き直った。

 リリスには悪いが、ここで不確定なことを言って不安にさせるのもいけないからな。この場に魔術神経についての専門家が俺しかいない以上、下手なことを言うことはできない。俺が間違えた時に訂正してくれる師匠は、この場に絶対現れないんだから。

「……つまり、この魔物に使われていた技術は何らかの形で村のものとして取り込まれてるってことか。これはますます、丁寧な捜索が必要になりそうだね」

「そうだね。ウチがずっと求めてる手掛かりは、この階層にあるのかもしれない」

 ツバキの結論に、ノアも真剣な表情で頷く。その瞳には今までの明るい少女の物ではなく、真実を探し求める研究者の鋭い光が宿っていた。

「じゃ、当面は手当たり次第に探索を続けていくってことで良いのかしら。最深部に踏み込んだところで、そこにばかり情報が凝縮されているわけでもなさそうだし」

 二人の言葉にリリスも乗っかり、目についた扉のもとへと軽やかに駆けだしていく。情報収集が最優先であると決まった以上、適当に行き先を決めてもそれを咎める理由はなにもなさそうだ。完璧な結論をノアが求めるのであれば、全部屋を探索するのは必須条件みたいなものだしな。

「……うん、そうだね。リリス、ぽちっとやっちゃって!」

「了解。少しでもいい情報が出るように、お祈りするとしましょうか」

 威勢のいいノアの声を受けて、リリスは体ごと押し込むようにしてボタンを押す。すると、セーフルームから踏み出した時よりも重苦しい音を立てながら石造りの扉が開いた。……まるで、先へと進む俺たちを威嚇しているかのように。
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