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第三章『叡智を求める者』

第百三十七話『力任せの迷宮攻略』

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 リリスが一度地面を蹴り飛ばすたびに、俺たちの速度は一つ上の次元へと加速していく。あの魔物を尾行した速度などリリスからしたら相当手を抜いたものでしかないのだと、後ろへとかっとんでいく景色がそう証明していた。

「うわわ、こんな速い速度を出せるものなの……⁉」

「だってリリスだもの、これくらいのことはやってくれるよ。それがボクの相棒で、王都最強の魔術師だからね」

 驚きを隠せない様子のノアに対して、ツバキはいつも通りの調子で頷く。それはリリスに対しての最上級の信頼であり、一片の不安もそこにはなかった。

 俺一人を引っ張る時には発生していた曲がるときの負担も、風の球体に守られた今ならば気にする必要もない。ならあの時もそうしてくれれば良かったと思わなくもないが、それを使うと尾行どころの速度じゃすまなくなるんだろうな、多分。

「……この速度なら、すぐにこの階層を総当たりできちゃうよ。……いくらウチでも、こんな突破方法がある事は想像できなかったな」

「ダンジョンの設計者も想定してないだろうね。力任せの総当たりとか、制限時間付きの呪印と一番相性悪いやり方だし」

 もしかしたらなんかの法則性でもあったのかもね、とツバキはけろっとした顔で答える。さっきまでいろいろと思い悩んでいた様子が見え隠れしていたが、今となってはリリスの力任せなやり方に少しばかり感化されているかのようだった。

「ほんと、舌だけは噛まないで頂戴ね……? 階段が見えたら伝えられるように一応速度は調整してるけど、それでも事故の可能性はないでもないから」

「……え、この速度でも調整してるの……?」

「当然よ、最大出力なんて使おうものなら私たち揃って通路の赤いシミになるだけだもの。……ああ、それも一日たてば消えるんだったわね?」

 ノアの戸惑ったような声に、リリスは少しばかりの皮肉を混ぜ込みながら答える。ハイスピードでの移動でテンションも上がっているのか、その声は少しばかり上気しているように思えた。

 右へ左へ、リリスの風に乗せられた俺たちはダンジョンの中を史上最高速度で探索していく。丁寧な探索なんてのとは真逆の粗雑極まりない方法ではあったが、この階層に通路と小さな部屋しかないのだと分かれば丁寧さなど時間の無駄とそう変わりはなかった。

 ま、これが使えるのは第一階層だけだとも言えるけどな。俺たちの想像が正しいなら本番は第二階層からのはずだし、そこがどんな作りになってるかはノアも知らないって話だし。……それなら、何もないってわかってる第一階層くらいは楽をさせてもらおうじゃないか。

「……邪魔よ、そこをどきなさい!」

 目の前に立ちはだかった――というか居た魔物も、リリスの一声とともに風の刃で薙ぎ払われる。その背中に刻まれていた呪印が、魔物の絶命とともに光の粒になって飛散した。

「……今までチマチマ自分の足で稼いでたの、なんだか馬鹿らしくなっちゃうなあ」

「これも自分の足のうち、ってことだろ。……それに、こうやって回れるのはノアが積み重ねて来たものがあるからなんだぜ?」

 この階層には何もないのだという確信こそが、俺たちを一足飛びの探索へと導いている。無駄なことを無駄だと切り捨てられるからこそ、俺たちは最高速度での探索を続けることが出来ていた。

「しっかし、何もない割には広い階層ね。それだけこの先には進ませたくないってことなのかしら?」

「うん、そうだと思う。ウチは相当慎重に探索を進めてたけど、下へ続く階段を目にすることが出来たのは本当に僅かな回数だけだから」

 少しばかり苛立ってきたかのようなリリスの声に、ノアが自分の経験を改めて語る。階段を見たことは少ないというのはあのセーフルームで聞いてはいたが、今の口ぶりを見る限り俺が想像した以上に階段の希少性は高いのかもしれなかった。

「会談に続くめぼしい情報とかがないのもまた厳しいところだよね……。魔力とかにおいとか、そう言うので感知できたなら少しばかりは楽になるんだろうけどさ」

「匂いはともかく、魔力の気配に関してはあまりにも厳重にカムフラージュが施されてるわね。影の中に隠れたツバキの気配を見ようとしてるみたいな、もやをかけられてるような感じがいつも続いてるわ」

「なるほどねえ……。一分だけでもそれを打破できれば、大きな突破口になるのかもしれないけど」

 それはそれで時間のかかる作業だね、とツバキはため息をつく。総当たりにしてもこのダンジョンにかかっている仕掛けの解除にしても、実行するのに相応の時間を必要とする作戦をしっかり呪印の存在が抑制しているあたりいやらしいダンジョンだ。

「永続的な解除は難しくても、術式の不活化くらいならできなくもないかもしれねえな。……だけど、今はその必要はなさそうだぞ?」

 ツバキたちの仮説を肯定しつつ、俺は前方のある一点を指さす。そこに覗いていたのは、今までセーフルームくらいでしか見ることのなかった小部屋らしき空間だった。

 しかし、セーフルーム特有の青い光がその空間からは放たれていない。つまり、この空間はセーフルーム以外の何かのために創り出された空間と言うことだ。

「ようやく運が回って来た、ってところかしらね。この村に来てからというもの災難ばっかりなのよ」

「かもしれねえな。……ほら、ぶつからないように気を付けろよ?」

 俺の指が伸びた先を一瞥したリリスが笑みを浮かべ、ひときわ強く地面を踏み込む。その右足がブレーキとなり、俺たちはほぼ直角になるような形で曲がりながらその小部屋へと滑り込んだ。

「わっ、とと……‼」

 減速と同時に今まで俺たちを覆っていた風が弱まり、それによって俺たちの体勢がにわかに崩れる。勢い余って壁に激突しかけるよりはよっぽどマシだが、それでも転倒することは避けられない――

「……でも大丈夫、だよな?」

「勿論。リリスのフォローは、いつだってボクとマルクの仕事さ」

――この場にツバキが居なければ、の話ではあるが。

 勢いを殺しきれずによろめく俺たちの先に、影の空間が俺たちに腕を広げるかのような形で展開される。それに向かって思い切り倒れ込むと、まるで水の中に飛び込んだ時のような浮遊感が俺を包んだ。

「……流石ツバキね、完璧な仕事だわ」

「もうこの役割には慣れっこだからね。……もう少し安全な減速方法を身に着けてくれた方が、ボクとしては有難いんだけどさ?」

「今回ばかりはマルクに文句を言ってちょうだい。さっさと見つけたって言わなかったせいであんな無茶な曲がり方をする羽目になったんだもの」

 影から顔を出したツバキとリリスが、笑みと一緒に言葉を交わす。それの矛先が突然俺に向けられてきて、俺は思わずのけぞった。

「もったい付けたのは悪かったって……。俺からしたらあそこで曲がり切ってくれたことだけでも拍手物だよ」

「マルクもだいぶリリスに甘くなって来たよね……。ま、今までだったらあそこからじゃ曲がり切れなかっただろうってのはボクも思ってるけどさ」

 俺の賞賛に肩を竦めつつ、しかし最後にはツバキも同調する。それに対してリリスが誇らしげに胸を張っていると、その後ろでノアが思い切り影の中から飛び出してきた。

 その顔色はとても悪くなっており、突然のダイブに驚いているのがよく分かる。……『プナークの揺り籠』で初めて影に突っ込んだ時の俺も、これくらいの顔色をしてたのかもしれないな……。

「……はあ、溺れるかと思ったよ……」

「ごめんごめん、伝える暇すらなかったからさ。どう、ケガはない?」

「うん、とりあえずは大丈夫。凄くびっくりしたってこと以外は特に何もないからね。……それより、ほら」

 小部屋の中をせわしなく見まわして、その視線がある一点でぴったりと止まる。ノアが見つめたその視線の先には、曰く僅かな回数しか見ていないものがあって――

「……とりあえず、第一関門は突破したってところか」

「そうだね。……不安なことがあるとしたら、ここから先にどれだけの関門があるかも分からないってことかな?」

 先の見えない階段が俺たちに向けて口を開けているのを見て、ツバキはおどけた様子で返す。その中に僅かながら交じっていた緊張感が、探索が新たな段階へ突入したことを雄弁に物語っているような気がした。
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