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第三章『叡智を求める者』

第百五話『奇妙な境遇』

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『周辺状況、問題ありません。戦闘態勢を解除し、通常走行へと移行します!』

 堂々としたローナンの声が響くとともに、ガラス張りになっていた壁にまた黒い仕切りが下りてくる。戦闘態勢として部屋がにわかに気色ばんだのも束の間、『アポストレイ』は何事もなかったかのような穏やかさを取り戻していた。

 声色が同じだからかろうじて分かるものの、本当にさっき遭遇した小さな男の子だとは思えない話しっぷりだったな……リリスのことをお姉ちゃんと呼んでいるあたり、ただ人見知りなだけでこっちに敵対心があるとかではないんだろうが。非常に堂々とした舟の運転は、あの見た目とは対照的に円熟味を帯びたものに思えて仕方ない。

「……個性的なメンバーが集まってるんだな、研究院も」

「それに関しては否定できないな。私を含め、あの場所にいられるのは研究に対して一切の妥協を許さないものばかりだ。その分生活能力に問題がある物もいるが、それ等を管理するのもまた研究院と言う場所の業務に当たるからな。そしてそれは、ローナンだって例外じゃないさ」

「研究者が変人なのってどこに行っても同じなのね。……久しぶりに、師匠のことを思い出したわ」

 ローナンの答えを受けて、リリスは小さくため息を吐く。だが、少しうんざりとしたような声色とは対照的にその眼は何かを懐かしんでいるように思えた。

「お前にも師匠って存在がいたんだな。……お前が魔術の修業をしてるとこ、いまいち想像がつかないけどさ」

「実際それであってるわよ。私が師匠のところでしていたのは実験の手伝いだし、今の私の魔術はあの人に教えてもらった理論を勝手に解釈したものに過ぎない。修行と言えるようなものっていうと、出会ってすぐ位のころに狙いのつけ方を教えてもらったくらいね」

 それもすごい雑なやり方だったけど、とリリスは低いトーンでそう締めくくる。確かに懐かしさもそこにはあるのだが、それを差し引いてもリリスの中ではあまりいい思い出ではないらしかった。

「話を聞く限り、相当変わった人だったらしいからね。……リリス、後でボクの知ってることをマルクに伝えちゃってもいいかい?」

「ええ、構わないわよ。飛び切りの変人が私の師匠だったってこと、存分に伝えといてちょうだい」

 くすりと笑みを浮かべるツバキに、リリスも自信ありげにゴーサインを出す。それだけエピソードには事欠かないってことだろうし、本当に変な師匠だったんだろうな……。

「そこまで特異な研究者ならば、私たちもあってみたかったものだな。もしかしたら、研究院の一員としてともに切磋琢磨できたかもしれないものを」

「あー、それは無理ね。あの人、誰かの意見を聞いて自分の理論を変えるなんて絶対にしない人だし。集団活動に放り込んだら一日持たずでつまみ出されるのが目に見えてるわ」

 少し残念そうな表情を浮かべるバーレイに対して、リリスは肩を竦めながら今度は大きなため息を吐く。その苦々しげな顔を見れば、何かしら大変なことがその師匠の下であったことは簡単に想像できてしまった。

「それでもなんとなく認められて生活はできてたあたり、そこそこ目端はよかったんでしょうけどね。ま、今となってはもう関わることもないからどっちでもいいわ」

 どことなく突き放す風にそうまとめて、リリスは師匠についての話を打ち切る。ここまで食いつかれるのは予想外だったのか、話を終わらせたリリスの表情には少しほっとしたような色が浮かんでいた。

「……しかし、院長から聞いていた以上の特異さだな。『他の冒険者とは違う』という言葉をあの人から引き出すくらいだから、只者ではないと思ってはいたが」

「ま、結成の経緯からして他の冒険者とは違うからな。そう言う意味では、なるべくして違った存在になってるかもしれねえや」

「そうね。偶然の重なりが無かったら、私とツバキは冒険者になることなんて有り得なかったわけだし」

 どこか遠い目をしながら、リリスは俺の言葉に追随する。あの出会いからもすでに一ヶ月くらいが経とうとしていることを思うと、二人に出会ってからの日常は本当に怒涛のものだと言ってもよかった。

 ちゃんと休暇も取れてるとはいえ、毎日何かしらの目的を持って動いてた気がするからな……。間違いなく今の方が充実してるし、『双頭の獅子』として動いていた時期が空虚すぎただけなのかもしれないけどさ。

「マルクと出会うまで、冒険者なんて自由な立場とは一生縁がないとすらボクは思ってたからね……。なったらなったで凄く居心地がいいし、冒険者であるボク自身にすごく納得がいくのが不思議な話ではあるけど」

「ははは、それはきっと天職というものだろうな。誰しもが初めから自分の天職を理解しているわけではなく、色々な出来事に流され導かれた先で出会うことだって往々にしてありうる。……と言うのも、私がこの研究院にたどり着くまでにあれやこれやあったから言えることなのだが」

 どこか困ったように笑うツバキに対して、バーレイは笑顔で大きな頷きを一つ。その眼は今じゃないどこかを見つめていて、それが今のバーレイの土台になっているのだとなんとなく思った。

 案外親しみやすいと思うのも、色々あってから研究院に身を置いているからなのかもしれないな……。研究院っていう施設を見てる感じ、外部と関わる機会って相当少なそうだし。しっかり話が出来てこっちへの理解も示してくれるバーレイを俺たちに付けてくれたことは、ウェルハルトの数少ない好采配の一つのようだ。

「……折角の機会だ、お互いに身の上話とでも行こうじゃないか。冒険者と研究者、そう簡単に交わるものでもないだろう?」

 話しているうちに俺たちのこれまでが気になってしまったのか、片目を瞑りながらバーレイはそんな風に提案してくる。……情報交換を装ったその提案がバーレイの好奇心に基づいたものなのはその顔を見れば明らかだが、特にそれを断る理由も見つからなかった。

 特に舟の中でやることも見つからないし、目的地までまだまだ時間はかかるみたいだからな。悪い奴じゃないのはもう分かってるんだから、ここは一つ雑談に花を咲かせるのもいいだろう。

「そうだな。長旅のお供にもなるし、焦らずのんびり話し込むとしようぜ」

「それがいいかもしれないわね。……折角なら、お茶とお菓子があるとより話が弾むと思うのだけど?」

「正論だな。手早く準備するから少し待っていてくれ」

 ちゃっかりとしたリリスの要求に笑みを浮かべつつ、バーレイは足早に後ろにある机の方へと向かっていく。まだ見ぬ目的地を目指して着実に進んでいく『アポストレイ』の旅路は、思っていたよりも朗らかなものになりそうだった。
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