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第三章『叡智を求める者』

第百二話『アポストレイ、前へ』

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「……結構、中は広いんだな?」

「そうね。外見からしてもう少し窮屈な内装を想定していたのだけど」

『アポストレイ』の中へと踏み入った俺たちの視界にまず飛び込んできたのは、十人くらいは余裕を持って座ることが出来そうな幅広い座席だった。材質も見たところ柔らかそうだし、座りつかれて尻が痛くなるなんてことはなさそうだ。

 その座席の後方にはテーブルも備え付けられており、そこにも座布団らしきものが置かれている。てっきり野営して外で飯を食うことになるのかと思っていたが、これを見る感じ食事もこの箱――いや、バーレイ曰く『舟』の中で済ませられそうだった。

「乗組員にもしっかり配慮がなされているんだね……こりゃあの馬車よりも快適そうだ」

「移動時間にも思索を巡らせることはできるからな。ただでさえ足りない思考時間を、移動の不便さで奪ってしまってはいけないだろう?」

 俺たちのリアクションを受けて、バーレイが自慢げに笑みを浮かべる。どこまでも研究者の事情に寄り添ったその作りは、この舟が研究院の肝いりである事をひしひしと感じさせられた。

「……というか、この舟はお前が設計したのか? さっきからかなり誇らしげだけども」

「ああ、プロトタイプは私が一人で作り上げたぞ。そこからの改良は、研究院合同のプロジェクトとして総力を挙げて取り組まれたものではあるが」

「へえ、これの原型を一人で……てっきり管理役だとばかり思っていたけど、キミも立派な研究者なんだね」

 内装をぐるりと見まわして、ツバキは改めて感嘆の息をつく。それを受けて、バーレイはさらに満足げな表情を深めていた。

「ああ、研究院に所属している者はその多くが研究者とこういった対外的な役割を兼任しているからな。……それを好んで受け入れている者が多くないというのも、また事実ではあるが」

 情報漏洩などの危険もあるのでな、とバーレイはどこか諦めたような口調でそう締めくくる。その姿を見て、院長という役割を毛嫌いしていたウェルハルトの姿が脳内で重なった。

「研究に没頭したいってのは研究院に居れば誰もが思う事でしょうしね。必然的に誰もやらない仕事になる役割を強制的に分担するってのは、まあ悪くない策なんじゃないかしら」

「合理的な話ではあるからな。……私は『アポストレイ』に関することに対して積極的に駆り出される身であるから、落ち着いて研究に打ち込める時間は少なくなってしまっているのが現実なのだが」

 誇らしげに、しかしどこか悲しげにバーレイはリリスの言葉に頷きを返す。ウェルハルトも功績的に自分が一番院長に相応しいみたいなことを言っていたし、成果を上げれば上げるほど立場もくっついてくる仕組みなのだろうか。……それは、少し勿体ないような気もするけどな……。

「まあ、研究者の一番の誇りは自らの研究がこの国の発展に寄与することだ。そう言う意味では、この舟が活躍している様を間近で観測できる私はまだ幸運な方なのだがな」

 そんなことを考える俺をよそに、バーレイは吹っ切れた様子で俺たちにそう断言する。バーレイなりに折り合いをつけた上での言葉なのかもしれないが、その表情は確かに晴れやかだった。

「……それじゃあ、ボクたちにもその成果とやらを見せてもらおうかな。研究者にとって時間は一番大切なものなんだろう?」

「その通りだ。……各々席に着いていてくれ、私はローナンに発進の指示を出してくる」

 俺たちにそう言い残して、バーレイは前方にあるコックピットの方へと足を進めていく。一際重厚そうな扉で区切られたその場所に、あの小さな少年は早々にこもっていた。

「……あ、ほんとにいい素材使ってるのね……これなら快適な旅が出来そうだわ」

「そうだね。外から見たら無骨が過ぎるデザインだけど、その分内装には力が入っているということなのかもしれないな」

「ま、外面を豪華にしたらその分狙ってくる輩とかも多くなるだろうからな……。そう言うとこも考えると、一番都合がいいデザインではあるんだろ」

 もしかしたらあの黒い外装ですら何かの技術が仕込んであるかもしれないしな。それが何かは分からないにしても、俺たちの快適な旅を担保してくれるんならそれに越したことはなかった。

 それぞれ座席に腰を下ろしてそんなことを話していると、重ための振動が俺たちの体を揺らす。……どうやら、もうすぐ発進の時のようだ。

「窓がない事だけが残念だけど、この快適さに免じて相殺ってところね。……それじゃあ、のんきな乗客としての道のりを楽しむとしましょうか」

「そうだね。……ほんと、何事もなくこの旅が終わることを祈ってるよ」

 座席に完全に体重を預け切ったリリスの言葉に、苦笑しながらツバキもしみじみと同意する。すっかりリラックスしているその姿に倣って、俺も体重を座席へと預けた。

 すると、それを見計らったかのように俺たちの頭上から雑音が漏れ出してくる。何かを調整しているかのようなその音声は、ほどなくしてバーレイの肉声へと変わっていた。

『では、これより目的地への移動を開始する。所要時間は予測によると十六時間、諸条件によって駆動時間延長の可能性が認められた場合、適宜安全地帯を見つけて野営に入る予定だ』

「……これ、どんな仕組みなのかしらね」

「研究院の技術だってことは間違いないだろうけどね……。これがもっと遠方にまで声を飛ばせるのなら、冒険者たちにとっても革新的な技術になるんだろうな」

 突然頭上から降って来たバーレイの声に、ツバキとリリスは互いに首をかしげる。それがどんな仕組みであるかはともかく、この技術が可能性に満ちたものであるのは俺にも確かに分かる事だった。

 今はコックピットから俺たちがいる場所への転送でしかないが、確かにツバキが言ったような未来もあり得るかもしれない話だ。……研究院が持つ底知れない可能性を、俺たちは今覗いているのかもしれないな。

『それでは、互いにとって良い旅を。……そして、旅の先に待ち受ける成果が恵まれた物であることを祈ろう。……アポストレイ、発進‼』

 勇ましいバーレイの掛け声とともに、俺たちの体が大きく一度揺れる。……そこからも断続的に体へと伝わって来る振動が、景色の見えない中でも旅が始まったことを示してくれていた。
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