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第二章『揺り籠に集う者たち』

第七十五話『肌を刺す感覚』

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まともな力勝負では、確かにもうリリスの勝ち目はない。プナークは自分の力を把握しつつあるうえに、まだまだ伸びしろが存在する可能性まで考えられると来たものだ。もしそれが事実だったとき、リリスたちにまともな勝ち筋が存在するとも思えなかった。

「……だから、悪いけどそうちんたらはしてられないのよね」

 背後に無数の魔術を展開しながら、リリスはプナークに向かってそう宣言する。今までと同じように突っ込んでくるリリスの姿を認めて、プナークは咆哮を上げた。

 その瞬間、ただ無為に噴き出していただけの血液が指向性を持ち始める。急激に噴き出す方向を顔の前へと変えたそれは、リリスの全力の一撃すらを防いで見せる無敵の盾だ。あれを突破する方法がない以上、近接戦を挑むのはお世辞にもいい作戦だとは言えないだろう。

 だが、そこまではリリスの期待通りだ。プナークはリリスの戦術を学習し、来るであろう一撃に対して先んじて対策を打った。それ自体は魔物としてとても特異な例ではあるが、そうなることが分かっていればやりようはいくらでもある。……相手が学習してくることまで、リリスが織り込んでしまえばいい。

「私の手札、そう簡単に尽きるとは思わないでちょうだいね!」

 ひときわ力強く踏み込みながら、リリスはプナークに向かってそう宣言する。普段ならそこから跳躍し、一太刀を叩きこむために氷の剣を構えるところだ。事実、今までプナークが学習してきたであろう二回の攻防ではそうしてきた。

 故に、プナークは防御行動を取る。本能的な防御ではなく、学習に基づいた理性的な防御を。それは反撃につなげるためのいわば罠と言ってもいい構えであり、不用意に飛び込めばリリスの命はいとも簡単に脅かされてしまっていただろう。

……だが、リリスはそこで前に踏み込まない。プナークの学習は、すでにリリスの頭の中に入っているのだから。

「……風よ!」

 踏み込みと同時に烈風が巻き起こり、リリスの体を真横へと運ぶ。今までの学習とは違うパターンが現れたことに、プナークの体がわずかにこわばった。

 いくら学習と言っても、それは子供のするそれだ。来たものに対して学習をするだけで、まだ来ないものに関しては想像が回らない。……幼体の未熟な学習ならば、いくらでもその裏を掻く方法など存在するに決まっているだろう。

「……さあ、風穴を開けてきなさい‼」

 そのフェイントがプナークの思考に間隙を生んだことを確信して、リリスは背後にとどめていた魔術たちを解放する。その号令に従うかのように、様々な属性の魔術がプナークに向かって超高速で向かっていった。

 そのどれもが王都最高峰の魔術であり、甘んじて喰らってもいいものなど一つたりとも存在しない。判断を間違えれば最後、どんな魔物でも大ダメージを被ることは避けられないだろう。……そして、これはプナークにとって初見の行動だ。

「今のあなたの技量で、その弾幕が防げるかしらね――‼」

 獰猛な笑みを浮かべながら、リリスは次弾を次々と装填する。そこに一切の手抜きはなく、ただ敵を殲滅するという意志だけがある。その弾丸たちは、どうしても違和感を感じざるを得ない獣じみた四本の足へと向けられていた。

 学習能力がある魔物、大いに恐ろしい。それが全てを学習した時、この世界はプナークの脅威におびえながら生きることになるのだろう。災害が学習能力を持ってしまえば、それに対して冒険者たちが抗うすべなどないに等しかった。

 だが、今のプナークはまだそれに至っていない。何も学習していないまっさらな幼体でも十分に恐ろしいが、いくらでも隙は見つけられる。それは、リリスたちにだって積み重ねて来た戦いの記憶というものがあるからであって――

「……学習は、あなただけの特権じゃないのよ!」

 上半身に飛来した攻撃に、プナークは戸惑ったかのように三本の腕を振っている。それと血の盾でいくらか防がれてしまっていること自体が割と恐ろしくはあるが、その上体は大きくよろめいていた。……当然、そんな中で飛んでくる追撃を捌くことなんてできるはずもない。

「……刺し貫け‼」

 粒ぞろいの魔弾の中に揃って、リリスはひときわ大きな氷の槍を背後に構える。リリスの一声で発射されたそれは、プナークの下半身へと迷うことなく向かっていった。

 当然、それを回避するという思考も余裕も今のプナークには存在しない。氷の槍が鈍い音を立てながらプナークの前足を刺し貫き、断末魔のような叫び声が大部屋に響き渡った。

 だが、それを聞いてもなおリリスの手が止まることはない。大小さまざまな魔術をあらん限りの速度で展開し、氷の槍に追随させるようにして幾度も幾度も叩きつけていく。生き残ればその度に学習する魔物に対して、リリスは一切の容赦なく初見殺しを見舞い続けていた。

 プナークとリリスを分けているのは、今まで積み重ねてきたものの差だ。戦いに身をやつす中で少しずつ増えていったリリスの手札が、今になってプナークの学習を上回る攻撃の多彩さを生み出している。冒険者よりリアルな命のやり取りを知っているからこそ、リリスの放つ策はそのどれもが致命的なものになりえるのだ。

「次は、これで――‼」

 上半身以上に酷い有様になってきた下半身を見つめながら、リリスは魔術を練り上げる。その機動力を完全に奪ってしまえば、後は身長に遠距離から攻撃を重ねるだけで決着はつくだろう。学習能力を備えるプナークとはいえ、そう成ってしまえば抵抗する策などない。

 極大の氷の槍を背後に構えて、リリスは不敵な笑みを浮かべる。天に掲げた右腕を振り下ろし、勝負を決定づける一撃を放とうとした、その時――

「……ッ、また……⁉」

 ――最初の奇襲を失敗に終わらせた要因である魔力の感覚が、リリスの肌に突き刺さった。……その瞬間、背中に怖気が走る。

 得も言われぬ不快感が叫ぶままにリリスは氷の槍を分解し、自分とプナークの間を遮る分厚い壁へと作り替える。そうしなければマズいと、今までの生活で培ってきたリリスの本能が告げていた。

「ガ……ガアアアアアアーーーーッ‼」

 それが完成した直後、天を仰ぐような姿勢のプナークがひときわ大きく咆哮する。鼓膜を直接殴りつけてくるようなそれに思わず耳を塞いだ瞬間、リリスの視界がぐらりと揺れた。

「何、が……‼」

 ものすごい速度でプナークの姿が離れていくところから、どうやら吹き飛ばされているらしいとリリスは察する。視界の端にひび割れた氷の壁が見えるあたり、どうやらあれでも防御行動としては不適切だったらしい。

「……風よ、お願い!」

 しかし、その失策だけで死んでしまうほどリリスも甘くはない。体をひねって右手を地面に向けると、その先から吹き出した風がリリスの体勢をくるりと戻した。

 優しい風に助けられて、リリスはどうにか無傷での着地に成功する。まだ少しめまいが残ってはいるが、この程度ならば戦闘中でも治療できる程度のものだ。……それよりも、今の現象が何なのかを考えなければ。

 リリスが吹き飛ばされる直前、魔力が変質したような反応はなかった。だがしかし、今の攻撃が魔力を通じて行われていたのは疑いようもない事実だ。そうでなければ、咆哮だけであそこまで吹き飛ばされることなどありえない。

「……なら、考えられる可能性は一つしかないわけだけど――」

 たった一つだけ残ったそれは、あまりにも荒唐無稽な仮説でしかない。だが、それを否定していては話が一向に進まないのも事実だ。嘘みたいな現実にリリスはため息をつきつつ、大ダメージを負っているであろうプナークの方を向き直って――

「……はっ」

 ――そこに見えたもう一つの嘘みたいな現実に、思わず息を詰める。そこにいたのは、プナークであってプナークでない何かだった。

 体色はより黒ずんだものへと変化し、今まで空いていた背中には大きな黒い翼が二枚生えている。全身血まみれになりながらもどこか悠々としているように見えるその姿は、今までよりもさらにグロテスクに映った。

 黒い翼が生えたところで、ここの天井はそんなに高くはない。プナークがそもそも大きなこともあり、翼が役に立つ機会はないと言ってもいいだろう。あまりに無駄な方向性に進化したことは、本来ならば幸運だと笑い飛ばしていいはずのところではあるのだが――

「……子供の成長が早いって通説は、魔物にも適用されるのね?」

――さっきまでよりもさらに大きな魔力がプナークの下に集っているのが感じ取れてしまった以上、リリスはひきつった笑みを浮かべるしかなかった。
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