上 下
58 / 583
第二章『揺り籠に集う者たち』

第五十八話『彼がいるから』

しおりを挟む
「負傷者を放置したら体に障るもの。……生憎と、手加減はできないわよ‼」

 リリスが纏う影の衣から、カレンの細剣を悠々と切り裂いた刃が無数に生み出される。鍛え上げられた鋼をも両断するそれは、人が一太刀でも貰えば致命打は避けられないだろう。それを上下左右全方向からクラウスに向かって差し向けながら、リリスはツバキが待つ方向に向かって大きく飛びのいた。

 ヒットアンドアウェイをほぼ同時期に行うことが出来るその一手は、両手を使えないが故に防御には不安が残るリリスが打てる最善手と言ってもいい。仮にそれがクラウスの命を切り裂かなくても、対応に手間取ればそれで十分だ。

 ……だが、影の刃を見やるクラウスの表情に焦りはない。むしろそれを楽しむかのように、クラウスは愛剣を堂々と構えた。

「へえ、コイツはすげえな。カレンのパワーじゃあっけなく剣を折られてもしょうがねえや」

 真っ先に迫って来た上からの斬撃を剣で受け止め、それの勢いを受け流しながら飛びのくことで防御の隙間を狙った下からの攻撃を回避。その着地際を狙って一本の影がまっすぐ伸びていったが、それを意に介することなくクラウスは愛剣を大上段に構えた。……その表情は、リリスから見ても分かるくらいに獰猛に歪んでいる。

「……だが、たったそれだけの事実で『双頭の獅子』の名を甘く見てもらっちゃあ困るな」

 振り抜かれた刃が放たれた影と衝突し、しばらくの拮抗ののち影が両断される。今まで数多くの防御を、そして命を切り裂いてきた影が、初めて切られる側に回った瞬間だった。

「ッ……‼」

 その光景に歯噛みしながら、リリスは追加で影の刃を放つ。……だが、それが有効打にならないだろうという確信にも似た諦めがあった。あの程度の物量では、クラウスは止まらない。

 リリスは知り得ないことだが、こうして冒険者と向かい合うことにクラウスは慣れている。長い間トップに君臨していれば、当然その首を狙って来る冒険者もたくさんいた。……一度だけでも上回られたのは、リリスたちが初めてなのだけれど。

 だが、クラウスは平然とその悉くを切り抜けてここに立っている。挑みかかってきた奴に見込みがあれば、時には暴力でその力を『双頭の獅子』の糧にしながら。

 それを繰り返すうちに、いつしか王都の冒険者たちはクラウスに支配されていった。……暴君が暴君足りえるには、そこに至るまでの足取りがあるのだ。……その歴史は、マルクでさえも拾い損ねている情報の一つだった。

「ご生憎様だが、お前たちとは積み上げてきた時間の濃さが違う。……叛逆には慣れてんだよ」

 影の刃を悠然と切り伏せても、クラウスの額には汗一つ浮かんでいない。今まで見て来たクラウスの焦りが全て演技だったのかと思いたくなるくらいに、その表情には余裕があった。

「……もしこうなることまで含めた作戦なら、悪趣味としか言いようがないわね」

「悪いな、そういうのはカレンの得意分野だ。……焦らされたのもイラついたのも、全てが本物だよ」

 悪態をつくリリスに向かい合って、クラウスは自嘲気味に笑う。予想外の出来事が起きた時に感情を制御しきれなくなるのだけは、暴君になってからの悪癖と言ってもいいところだった。感情を爆発させれば何でも思い通りになるのは快い事だったが、その後始末には幾度となく苦労させられたものだ。この街に奴隷市場があって助かったと、クラウスはしみじみ思う。

 だが、ことこの戦場に至れば予想外など起きはしない。一対一のこの舞台は、クラウスにとって最も心地のいいものだ。……クラウス・アブソ―トの原風景が、そこにはある。

「俺は負けねえよ。……王都最強、ナメんじゃねえ」

 放たれた影の刃を全て捌き切って、クラウスは反撃の構えを取る。ここからはクラウスの土俵。……もう、訳の分からない影にイライラさせられるのはお終いだ。

「……最強に手を伸ばしたこと、後悔しながら終わりやがれ‼」

 地面を鋭く蹴り飛ばし、音を置き去りにせんとばかりの速度でクラウスはリリスに向かって突進する。カレンを優に上回るそのキレの良さに軽く舌打ちをして、リリスは大きく飛びあがった。

 軽く身をひねって影を練り上げて、今度は小さな弾丸の形を取らせる。どんどんと増やされていくそれが使用されるのは、今まで数えるほどしか使ってこなかった集団殲滅用の一手においてのことだ。

 影の弾丸が雨の如く降り注げば、それに打たれたすべての生命に穴が開く。それを防げる傘なんて、この世には一つたりとも存在しない。……この弾丸が放たれた時点で、殲滅は決定づけられたようなものだった。

「……後悔するのは、あなたの方よ‼」

 その咆哮を合図の代わりにして、リリスは影の弾丸を眼下の敵に向かって叩きつける。剣より強度があるわけではないが、その代わりに物量が段違いだ。クラウスの太刀筋がいかに優れていようとも、一度に二十の弾丸を切り伏せられるような剣術はありえない。人の身である以上、その限界は確実に存在しているのだ。

 絶対にすべてを防げない弾丸の、その一つ一つが致命傷を生む。世界一物騒な雨を見上げて、クラウスは剣をひときわ強く握りしめると――

「その程度の魔術で、勝った気になるんじゃねえ――‼」

 両手で構えた愛剣が地面に突き立てられた瞬間、リリスの感覚が膨張する魔力の様子を捉える。……それは、影の弾丸を防ぎきるのに十分すぎるもので。

 影の弾丸がそれと衝突し、しばらくの拮抗のうちに消滅する。全てを貫くはずの影の雨は、突如として開かれた白い魔力の傘によって全て遮られた。

「とことん力任せなやり方ね……‼」

「それに関してはお互いさまって奴だろ? ……まあ、俺の方が力比べじゃ強いみたいだが」

 必殺の一手が防がれた焦りをどうにか抑え込みながら、着地したリリスはクラウスを睨みつける。クラウスはゆっくりと愛剣を引き抜きながら、その悪罵を余裕の表情とともに受け止めた。

「ここで殺しちまうのが本当に惜しいくらい、お前が強いのも事実だけどな。……どうだ、その両手を塞いでる邪魔者を放り捨てて本気で戦う気はないか?」

 力なくリリスの両手の内に収まっているマルクに視線をやって、クラウスはその命を放棄することを提言する。それはリリスへのせめてもの恩情であり、自分とここまで渡り合える存在に送る精一杯の敬意だ。

 ツバキを攻撃しないのだって、言ってしまえばこの戦いを楽しむためのものだ。『商会を潰すならまず馬を殺せ』なんて格言を聞いたことがあるが、クラウスにとってはナンセンスなものでしかなかった。……何かを潰したいと思うのなら、最初からその大将首を取ってしまえばいいだろうに。全力全開の敵を倒してこそ、クラウスは完全な勝利を手にできるのだ。

「このままだとまず間違いなくお前は負ける。なら、そいつを捨てて自分だけでも生き残ろうって気にはならないのかよ」

「ならないわね。そんなことをしても私たちに先はないわ」

 信念に基づくクラウスの問いかけに、リリスは迷うことなく即答する。……その眼は、勝機を見失った剣士の目ではなかった。その戦意に、ゾクリとクラウスの背筋が震える。

「あなたはどうやら、私たちのリーダーのことを相当甘く見てるみたいね。……マルク・クライベットが私たちに与える影響を、甘く見過ぎている」

「そりゃ詐欺師だからな。……俺からしたら、アイツを信じる価値なんてものが最初からねえ」

 修復術師という肩書は偽物だった。誰の傷も癒せないような術師は、間違いなくクラウス達にとって必要のないものだった。マルクの真実を知らないクラウスは、その決断をいまだに正しいと信じている。……それが、リリスとのズレを生むのだ。

「……あなたにとっては詐欺師でも、私たちにとってのマルクは希望なの。戦闘センスはからっきしだし、少し心配性が過ぎるところもあるけれど」

 マルクを慈しむような目で見つめるリリスの背後で、影が大きく膨れ上がる。今までの規模を遥かに超えるそれは、間違いなく一つ限界を突き破ったものだ。……今潰さなければ、その割を食うのは間違いなくクラウスでしかない。

 その確信が、クラウスに地面を蹴らせる。目にもとまらぬ速度に加え、会話の途中での不意打ち。いくらリリスであろうとも、それに対応することは不可能だ。このような汚い手段を使うことに抵抗はあれど、そうしなければ勝利を取りこぼすならば遠慮はしない――

――そんな勝利への渇望を込めた一太刀は、あっけなく受け止められた。……虚空から伸ばされた、大きな氷柱によって。

「な、に…………⁉︎」

 驚きに目を見開くクラウスの姿を、リリスはどこか嘲笑うかのように見つめている。クラウスの力の前に追い詰められていたはずのリリスの姿は、今やどこにも見当たらない。純然たる強者が、クラウスの目の前に立っている。

「……『修復術師』マルク・クライベット。彼がいるからこそ、私は安心して限界を踏み越えられるのよ」

 クラウスを見つめたままそう断言すると、リリスは背後に大量の氷の槍を生成する。影と氷の競演は、リリスが魔術師としての階段をまた一歩上り詰めたことの証明だった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界転移で生産と魔法チートで誰にも縛られず自由に暮らします!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:255pt お気に入り:2,450

【BL】えろ短編集【R18】

BL / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:153

ざまぁから始まるモブの成り上がり!〜現実とゲームは違うのだよ!〜

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:401

【R18】俺とましろの調教性活。

BL / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:558

処理中です...