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第一章『他称詐欺術師の決意』

第二十六話『足りないものはただ一つ』

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「ああ……?」

 誰とも分からない乱入者に、己の一撃が受け止められる。クラウスからしたら予想外もいいところな出来事に、クラウスは一瞬だけ眉間にしわを寄せる。……だが、それも本当に刹那的なものだ。迷いを振り切ったクラウスが選択したのは、さらに踏み込みを鋭くすることだった。

「づ、うっ……!」

 先ほどよりも増したその威力に、リリスの口元から呻き声が漏れる。片腕だけで受け止められるほど、王都最強の冒険者が放つ攻撃は軽くないようだ。……このままじゃ、リリスの体が先に限界を迎えてしまうだろう。

「……てめえ、背中に庇ってるのが誰か分かってそこにいるんだろうな?」

 そこまでしてクラウスにもようやく状況が見えて来たのか、目の前に立つ乱入者に向かってドスの効いた声でクラウスは問いかける。――それに対して、リリスは力強い頷きを返した。

「……当然でしょ。私だって、素性も分からない人間をだれかれ構わず助けてあげるほどお人よしじゃないわ」

「つまり、お前はマルクの関係者ってことか。それなら中途半端に手加減する理由もねえ、な‼」

 リリスの堂々とした返答を聞き届けて、クラウスは歪んだ笑みを浮かべる。……その次の瞬間、リリスの姿勢が更に低くなった。

 攻撃を受け止める体勢は苦しいものになり、少しでも気が緩めばその全身が地面に叩きつけられてそうだ。それほどの重圧を受けてもなお、リリスが踏みしめている床が軋んでいないのが奇跡的だった。

「ぐ、ああああ……ッ‼」

「お前には直接怨みはねえが、あのマルクの関係者ってだけで俺からしたら我慢ならねえんだ。……悪いが、タイミングが悪かったってことで諦めてくれや」

 その姿を見て自らの優勢を確信したのか、クラウスは邪悪な笑みを浮かべてリリスを見下ろす。確かに、この状態だけを見れば有利なのは明らかにクラウスの方だ。右の拳一つだけでリリスをここまで押し込むその実力は、王都最強に恥じないものだと言っていいだろう。

――だが、俺は知っている。リリスが――いや、二人がこの程度で潰されるようなタマじゃないことを。大きな危機を乗り越えて再び繋がれた、二人の絆は――

「……ふざけんじゃ、ないわよ‼」

「そうだリリス、君の想いは間違っていない‼」

――決して、理不尽に対して屈するようなものではないのだと。

 リリスの右腕にだけでなく、華奢な両足にもツバキから伸ばされた黒い影が絡みつく。まるでそれがリリスの筋肉となったかのように、次の瞬間リリスの体は大きく持ち上がった。その勢いがクラウスの重圧を上回り、渾身の一撃ははじき返された形になる。

「なっ……⁉」

「……悪かったわね。そこら辺にいる教育済みの冒険者たちと違って、私たちは聞き分けが悪いのよ」

 その事実を受け入れられずに目を白黒させているクラウスに、リリスは不敵な笑みを返して見せる。その後ろからはツバキもこちらに歩み寄ってきており、ついにパーティ揃ってクラウスと対面する形になった。

「……リリス、体は大丈夫か?」

「特に体に異常はないわ。……まあ、あのまま続けてたら右腕がポッキリいってたかもしれないけど。ツバキの支援に感謝しないといけないわね」

 右腕をさするようにしながら、リリスはいつも通りの口調で俺の質問にそう答える。クラウスの一撃を直接受け止めていた腕の辺りからは、治癒魔術を思わせる光が漏れ出していた。

「あまりに展開がいきなり動くものだから、リリスへの支援も不完全なものになってしまったよ。商人との会談の時から思っていたことではあったけど、もう少し君はゆっくりとした交渉を覚えるべきなんじゃないかい?」

「そうだな、それは反省点だ。少しばかり煽りすぎた」

 影の鎧を纏ったリリスが受け止めてもあのダメージなのだから、俺に直撃していたら本当に危ないところだった。意識が飛んでいるくらいだったら御の字、顔面に当たっていたらもっとひどい事になっても何らおかしくなかったしな……。

「……お前ら二人、いったい何者だ?」

 そんなやり取りを交わしているところに、目を血走らせたクラウスが割り込んでくる。自分の懇親の一撃を受け止められたという事実は、時間差でそのプライドを盛大に傷つけていたらしい。

 最強のパーティって称号は決してお飾りでも何でもないからな。仮に俺たちじゃなく『双頭の獅子』がカラミティタイガーの討伐に向かっていたとしても、何の損害もなく奴らはクエストを完遂してくるだろう。俺たちのような奇襲じみたものではなく、もっと正面突破に近しいような形で。

 だからこそ、その拳が受け止められたことの意味は重い。……その事実だけで、クラウスの力の絶対性は大きく揺らぎうるのだから。

「……私はリリス・アーガスト。とある悪徳商会の元護衛で、今はマルク・クライベットのパーティメンバーよ。……貴方の言葉を借りるなら、がっつりマルクの関係者ってわけね」

「同じく、ツバキ・グローザだ。どうぞお見知りおき……は、してもらわなくても別にいいかな?」

「ああ、別にいいだろ。どうせこの先イヤというほど聞くことになるだろうしさ」

 ツバキの問いかけに、俺は気楽な調子で頷く。この街最強のパーティともなれば否が応でもその名前は広がるし、別に無理して今覚えてもらわなくてもその名前は刻まれることになるだろうからな。

 そんな感じで、クラウスを前にしても二人のペースはあくまでいつも通りだ。クラウスと一対一で向き合っていた時は少し高ぶっていた俺の心も、仲間たちが隣にいてくれることで冷静さを取り戻せているような気がした。

「……そうか。悪いことは言わねえから、今すぐそいつを見捨てることをお勧めするぜ。……お前たちは知らないかもしれねえが、そいつは詐欺師だ。……いずれ、確実に後悔することになる」

 そんな二人に向かって、クラウスは低い口調でそう警告する。それはきっと今までこの街の冒険者にも触れ回ってきたことで、事実その噂はしっかりと伝わっていた。……だが、この二人にそれが効くかと言えば――

「……え、あなたは何を言っているの?」

「詐欺師……確かにマルクはかなり頭が切れる方だけど、そんなあくどい立ち回りが出来る人ではないと思うんだけど?」

――当然、その答えはノーだ。

 クラウスの真剣な調子とは対照的に、二人の反応は軽いものだ。クラウスの警告を、まるで妄言だとでも断じているかのように。

「……悲しいな。詐欺師ってのは、いつだってバカを装うもんだぜ?」

 しかし、それに対してクラウスは意外にも感情を爆発させない。あくまでもクラウスの目的はツバキとリリスを丸め込むことであり、まだそれは達成できる目標だと思っているようだ。

 だが、それはあまりにも目の前の二人を侮りすぎている。その証拠と言わんばかりに、肩を竦めるクラウスに向かってリリスは軽く鼻を鳴らして見せると――

「装えてないわよ。マルクは真正のバカだし」

「そうだね。……お世辞にも、演技でこんなふうになれるとはちょっと考えられないな。頭は良いはずなのに、それを差し引いてもマイナスになるくらいのバカなこともするし」

「そうそう、だからお前の説得なんて……っておい、それは褒めてるんだよな⁉」

 予想外の切り口からの反論に、俺は思わず声を上げてしまう。そんなに頭がいいとは思っていないにしても、まさかここまで言われるとは思ってなかったんだけどな……。

 少しだけ凹みそうになる俺に、しかし二人は大きく頷いて見せる。『安心しろ』と言わんばかりに一瞬だけ柔らかい笑みをこちらに向けると、二人はすぐにクラウスへと向き直った。

「……いい? 私たちのリーダーはね、私をパーティメンバーに加えるために五百万ルネの借金をしたの。ただ仲間が欲しいっていう、ただそれだけの理由で。……それを、バカって言わずになんて表現すればいいのよ」

「そうまでしたなら多少横暴でも許されるだろうに、彼ってばすごく臆病なんだ。彼の目的のためにボクたちを迎え入れようとしているはずなのに、何回も何回も意思を確認してきてさ。ボクたちが嫌がろうが何しようが強引に連れていけばいいだけなのに、本当にバカというか、バカ正直というか」

「……だけど、私たちはそんな人間だから一緒に旅をすることを選んだの。……そんなリーダーに拳を振るおうとしたあなたの言葉に耳を傾ける価値なんて、何百万ルネ積まれたってありはしないわね」

「……お前ら……」

 『バカ』という評価に絶対的な信頼を乗せて、リリスたちはクラウスの言葉を拒絶する。それが絶対的な交渉決裂の意であることに気づいた瞬間、クラウスの表情は大きく歪んだ。……今までのいつよりも濃い、怒りの色に。

「……そうかよ。口で言っても分からねえなら、痛みでお前たちに教え込んでやるしかねえなあ⁉」

 拳を大きく振り上げ、クラウスは一番近くに立っていたリリスに向かって拳を振り下ろす。その一撃は目で追うのがやっとなくらいの速度を誇っていたが、リリスはそれに対して軽く鼻で笑って見せると――

「……怒りで単調になった相手ほど、御しやすいものはないわよ」

 空中に創り出された氷の盾が、クラウスの拳を正面から受け止める。これが一般術師が作り上げたちゃちな防壁だったならばすぐにでも破れてしまうだろうが、この術式を編んでいるのはリリス・アーガストなのだ。……彼女の魔術は、拳一つで敗れるほど甘くはない。

「速くて重いのは最初がピーク。……それさえ越えてしまえば、こんなものよね」

「クソ、が……ッ‼」

 その強固な守りに阻まれて、クラウスの体勢がわずかに崩れる。……その一瞬を見逃さないのが、これまで二人の積み重ねてきた時間の証だった。

「……ツバキ、今のうちに」

「了解。……万が一にでも傷つけはしないから、まあ安心してくれ」

 リリスの合図を受けたツバキは無数の影を伸ばし、クラウスの体に巻き付くようにしてその身動きを封じる。両手両足を影の触手に囚われた状態は、生殺与奪をツバキに握られているも同然だ。……誰の目からしても、俺たちの優位は明らかだった。

 身動きが完全に取れなくなったのを確認して、俺はゆっくりとクラウスに向かって歩み寄る。身をよじって俺を睨みつけるその眼は、得体の知れない状況への怒りで満ちていた。

 まあ、クラウスからしたら今の状況は理解できない……いや、理解したくないだろうしな。最強たる自分がなんでこうなっているのかなんて、少し考えたらいやでも答えが出てきてしまうだろうし。

 だが、世界はそんなに甘くない。……現実は、ちゃんと叩き込んでやらなくちゃな。

「……なあクラウス。さっきの問題、覚えてるか? ……なんて言っても、頭に血が上りすぎたお前はもうそんなこと忘れてそうだけどさ。なんせ俺は詐欺師らしいし」

 詐欺師の言葉なんて真に受けるだけ損だし、クラウスは俺の言葉なんて端から聞き流してしかいないだろう。その予想通り、俺の言葉を聞いたクラウスの反応は鈍かった。

「お前は基本的に何でもできる。俺の持ってないものも持ってる。ある一点だけを除けば、基本的にお前は俺の上位互換だ。……だけど、一つだけお前が俺より劣ってるものがある。……それが、今のお前を生み出している要因だよ」

 だからこそ、さっきよりも丁寧に俺はそう語り掛けてやる。なぜクラウスがこんな目にあっているのか――その理由を伝えたいのは、なにもクラウスだけにってわけじゃないからな。

「……そんなもの、あるわけがねえだろうが……」

「あるんだよ。あるからお前はこうなってるんだ。……もういいや、せっかくだから教えてやるよ」

 これだけのヒントを得てもなお、クラウスは問題の答えにはたどり着けていない。……まあ、たどり着けてないからこそこんな人間が完成しているんだろうけど。……いい機会だし、クラウスには一つ単語を覚えて帰ってもらおう。

 俺が必死に積み上げて、どうにか二人から信頼してもらえた理由。俺には人並みにあって、クラウスには一ミリたりとも存在しないもの――

「――人徳が致命的に足りてねえんだよ、お前にはさ」

 ピンと人差し指を立てて、俺ははっきりと問題の答えを口にする。……それを聞いた瞬間、クラウスの目が大きく見開かれた。
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