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第一章『他称詐欺術師の決意』
第十四話『魔獣の餌場』
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――壊滅した商会の馬車から無事な素材や資金を回収する。正直なところグレーな作戦ではあったが、商会の護衛として唯一生存したツバキが一番乗り気ならばもう止める理由もない。ダンジョン脱出の前段階として、俺たちは商会の壊滅した場所を探して歩き回っていた。
「……ツバキ、近くに魔物が居るわ。……そうね、もう十秒も歩いたらかち合うかしら」
「了解。……影よ、帳を下ろせ」
――その道中、魔力感知で魔物の気配を察知したリリスがその後ろを歩くツバキに軽く声をかける。それに反応してツバキが地面に手を当てると、俺たちを中心に三メートルほどの影の領域が発生した。
「……うわ、ほんとに外の様子が見える……これなら奇襲もかけ放題じゃねえか」
「まあ、その分魔力はかなり使う羽目になるんだけどね。どうしても仕留めたい敵とかじゃなきゃあ、ただ影に潜伏しておくのが一番効率的さ」
魔物から知覚されないその領域に身を潜め、俺たちはリリスが見つけ出した魔物がこちらに現れるのを待つ。俺たちの存在など目にも入っていない魔物が俺たちに無防備な脇腹をさらしたのは、その潜伏が完了してから二秒後の事だった。
「……ツバキ、行くわよ!」
「ああ、足止めは任せてくれ!」
獲物が視界に入った瞬間、目にもとまらぬ速度で二人は前進する。それとともにツバキから伸ばされた影が一瞬にして魔物へと絡まり、普通に戦えば苦戦は避けられないような巨体が身動きを取れなくされていた。
「……氷よ‼」
一切の抵抗を許されない魔物の体に、リリスが生み出した巨大な氷の槍が突き刺さる。本来だったら避けられたはずの大ぶりな一撃をまともにくらった魔物は、力なく地面へと崩れ落ちた。
「……話には聞いてたけど、すっげえ連携だな……」
襲撃から決着まで十秒にも満たないような一瞬の討伐劇に、俺は思わずため息をこぼす。一切の無駄なく敵を排除するその姿は、最強を名乗るのに何の不足もなかった。
こりゃ商会も調子に乗るわけだよ……。リリスとツバキのコンビが居れば、大体どんな荒事にも対応できてしまいそうだしな。
「まあ、これくらいはね。踏んできた場数が違うのよ」
「ああ、その通りだ。……そうして築き上げた連携をまた披露できる日が来るなんて、少し前のボクは考えてもいなかったわけだけどさ」
頽れる魔物の死体を解体しにかかりながら、二人は特別な事でもないと言いたげにそう語る。この連携よりもさらに上の段階があることを示唆するその姿は、クラウスなんか比べ物にならないほどに頼もしかった。
「お前らと一緒なら冒険者として名を上げるのも一瞬だろうな……。魔物だろうと人間だろうと、お前たちに正面から勝てる奴なんていないんじゃねえかって思えるくらいだ」
その背中に向けて、思わず俺はそうこぼしてしまう。あまりにも気が早い慢心だったが、魔物の解体にいそしむ二人はそれを肯定するように小さく頷いた。
「実際、ボクたち二人が揃って苦戦したことは数えるほどしかないよ。基本的にリリスの火力があれば制圧は容易いし、それでもマズければボクの影を使ってその場を凌ぐこともできるし。分断されたりしてしまうと少し危うさはあるけど、それにしても安定感のあるチームなのは間違いないだろうさ」
「商会の仕事も、大体は私たち二人だけで事足りてたものね……はいこれ、売ればそこそこの金にはなると思うわ」
商会時代も無双していたことをほのめかしつつ、リリスは俺に魔獣の爪を差し出してくる。まるで金属のような光沢を放つそれを俺は一通り観察すると、他の荷物を傷つけないように慎重に鞄へと収納した。
「……しかしすげえな、何が金になるかまで知ってるのか。そういうのは教えられないもんだと思ってた」
「勿論、普段はそうだったよ。だけど、ここに来るまでの雇い主は明らかにテンションが上がっていてね。このダンジョンの素材は金になるって、酒を飲むたびにボクたちに細かく売値まで教えてきたものさ。この商談が成功すればとんでもない金になるって言ってたし、そうなってしまえば少しのネコババなんて気にならなくなるって思ってたんだろうね」
「その結果がこのザマだから、どこまでも愚かとしか言いようがないんだけれどね。……まあ、失敗してくれた方が私たちにとっては好都合なのだけれど」
手早く魔物の解体を進めながら、二人は商会への愚痴を次々とこぼしていく。……それを聞いているうちに、俺の中にあったささやかな罪悪感はどこかへ消えていくような気がした。
商会の運営についての知識は持ち合わせがないが、それにしたってひどい主だったのは話を聞いているだけで分かる。というか、この二人を従えていながらそれを生かしきれないのはもう救いようがないとしか言えなかった。
「しっかり気遣ってやれば一生楽に暮らせただろうに、欲ってやつは恐ろしいもんだな……」
「そういうことを思える賢しさがないから、あの人は商人として成功できたんだろうけどね。ボクたちを従えて進んできた道は、明らかに狂気の沙汰としか言いようがなかったし」
呆れたようにため息をつきながら、ツバキはゆっくりと立ち上がる。それに少し遅れてツバキも体を起こし、ついでに魔物の解体も完全に完了されたようだった。
「二人とも、ありがとうな。……一応確認だけど、二人とも体に異常はないか?」
「ええ、大丈夫よ。この程度で壊れるくらいだったら、私はとっくのとうに捨てられているもの」
「まったくの同感だね。二人が居てくれるってだけで、ボクの負担は普段よりもよっぽど軽くなっているよ」
リリスはこくりと頷き、ツバキはぐるぐると肩を回して俺の懸念を一蹴する。この二人のタフネスには心底感心するとともに、リリスを壊すまでにどれだけの酷使をしたのかという謎はますます深まっていくばかりだ。
「それに、ここで足を止めるわけにもいかないしね。……なんせ、リリスのおかげで順調に全滅した場所まで戻って来れてるわけだし」
「ここまで相当歩いてきたけど、私とツバキが居れば基本的に戦闘なんて必要ないものね。理論上は全部の戦闘を避けられるって考えれば気楽なものだわ」
「……ほんと、踏んできた場数が違うんだな……」
和やかに言葉を交わす二人に緊張の色はなく、軽やかな足取りで俺の三歩くらい先を歩いている。商会の護衛というある意味何でもありの勤務形態は、あの二人のメンタルを相当強靭なものへと鍛え上げていたようだ。コスパやらなんやらとうるさいクラウスも、その商会にぶち込んだらいくらか変わるじゃないだろうか。
「……ま、そんなことを言ってもしょうがねえか」
一瞬頭によぎったありえない妄想を振り払って、俺は二人の背中を追いかける。危険なダンジョンを征くはずのリリスたちの足取りは、そうだと思えないくらいに楽し気だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「……さて、この次の通路を抜ければ馬車があるはずだ。どれだけの物資が、そして金が残ってるか、お祈りの準備をしなくちゃね」
初めてにして道中唯一の戦闘が終わってから五分ほど歩いたところで、ツバキは急にくるりと振り返ってそう前置く。一応仲間たちが全滅したポイントのはずなのだが、それを気にしている様子はまるでなさそうだ。
「ツバキがここを離れてから数日は経ってるって話だし、荷物以外は全部食べられてる可能性が高いかしらね。……まあ、そっちの方が後腐れがなくて助かるわ。誰かの死体なんて、仮に仇のでもあまり見たいものではないし」
「そういう意味ではこのダンジョンに感謝だな。俺たちが食われる可能性も、まだ少しだけ残っちゃいるだろうが」
二人の貢献によってかなり楽な探索にはなっているが、ここが『タルタロスの大獄』であることに変わりはない。それを忘れてしまうとどこかで致命的なミスを犯してしまいそうな気がして、俺は軽く自分の頬を叩いた。
「大丈夫、警戒は怠らないさ。またあの怪物が現れたとしても、今度はリリスだっているわけだしね」
「ええ、簡単に力負けしてやる気はないわ。何事もなく帰れるのが一番だけど、だからと言って逃げるだけが私たちの取柄じゃないもの」
「そう言ってくれると頼もしいよ。……それじゃあ、行くとするか」
「ああ。一応ボクたちが先導するから、君はその後ろをついてきてくれ」
そう言い残して、ツバキとリリスは通路の奥へと踏み込んでいく。その五歩後ろを追いかけることを意識しつつ、俺は商会が全滅した場所へと足を踏み入れた。
「……うっ、ぐっ……」
その空間に入るなり、俺の嗅覚を濃密な血の匂いが突き刺してくる。ここに降り立ってからしばらくしてその匂いには慣れてきたと思っていたが、まだまだ甘かったようだ。……こんなに濃いそれには、いつまで経っても慣れられそうにない。
「……死体がないところを見るに、本当に食い尽くされてしまったみたいだね。可哀想……だとは、微塵も思えないけど」
「同感ね。野蛮で無謀な彼らにはお似合いの末路だったんじゃない?」
「……お前たち、本当に容赦がねえのな……」
リリスたちが言う通り死体はそこになく、あるのは個人個人の荷物と思われるリュックとひしゃげた馬車だけだ。これだけ濃い血の匂いがなければ、ここで誰かが死んだことなど推測することもできないだろう。
目の前に広がる現実はおぞましいものだったが、それでもペースを崩さない二人を見ると俺の精神も少しは落ち着いてくるような気がする。そのメンタリティがひとえにネガティブな感情からきているところを見るに、商会の積み重ねた業は本当に深いようだが――
「……何はともあれ、こんなところは長居しないに限るな。さっさと貰うもん貰って退却と行こうぜ」
「ええ、そうね。……いくら私たちでも、こんな血の匂いは嗅ぎ続けたくないし」
「まったくその通りだね。太陽の光が恋しいよ」
俺の本音を合図に、俺たち三人は全滅の現場を別々に探索し始める。護衛の奴らの荷物を漁るのは二人に任せて、俺は馬車の中へと向かうことにした。
「何があればこんなにぶっ壊れるんだか、な……っ、と!」
まるで何かに押しつぶされたかのように入り口付近がひどく変形してはいるが、どうやら荷台部分は大きな被害を受けていないらしい。いろいろな関節に無理をさせながらどうにか入り口を抜けると、そこから先は拍子抜けするくらいにあっさりと荷台にまでたどり着くことができた。
「……うお、すっげえ」
やはり金がかかった馬車なのか、荷台部分もずさんになることなく丁寧に作りこまれている。何のためなのか窓まで取り付けられているその場所には、結構な大きさの麻袋が無造作に鎮座していた。
とりあえず一番手近にあったものを覗くと、そこには魔物の毛皮が大量に詰め込まれている。ここに来てからそれなりの量を狩ることに成功したのか、売れば結構な大金になりそうな量がそこには蓄積されていた。それと同じくらいの大きさの袋がざっと十はあるんだから、これだけでも結構な金額だ。
「……二人とも、大漁だぞ! あともう少し見つけられれば、借金完済も夢じゃねえ!」
いちいち無理して外に出るのも面倒なので、荷台の中に身を置いたまま俺は外にいる二人へと叫ぶ。さぞ喜びの声が返ってくるのだろうと、俺は期待していたのだが――
「そう。……じゃあ、しばらくそこで身を潜めていなさい」
「ああ、リリスの言う通りにしてくれ。……ここからの戦いで、君を気にしていられる暇はないかもしれないからね」
――今までに聞いたことがないくらいに剣呑な二人の声が返って来て、俺の背筋が凍り付く。いったい外で何が起こっているのかと、荷台の後部についた窓から外を覗いてみると――
「……なんだよ、あれ」
青い炎を体中に従えた怪物が、リリスたち二人を見下ろしている。一階の番人であった魔物と姿こそ似ているが、その威圧感は段違いだ。――明らかな殺意を纏った怪物と、リリスたち二人は逃げようもない距離で対峙していた。
「……どうして、あんなのが……」
その異様な圧迫感に、俺の口から呻き声が漏れる。窓越しで見つめているだけのはずなのに、本能がこれでもかと言わんばかりに警鐘を鳴らし続けていた。
魔力感知をすり抜けて来た? ……いや、ここまで散開していると影でやり過ごすことも難しいのか。比較的距離が近いリリスたち二人を覆い隠すことはできても、その地点から大きく離れた馬車にいる俺の気配は隠せないのだろう。あの怪物を前にして、逃げるなんて選択肢が通用するか自体定かでもないし。――ダメだ、まだ思考が空転している。
「……どうやら、ここを餌場だと学習していたみたいだね。この場所に来れば人間が食えると、アイツらはヤツにしっかり認識させてしまったらしい。……迷惑な話だよ、本当に」
「……ということは、あれがそうなの?」
常人なら睨まれるだけで魂が削れてしまいそうなその視線から逃げることなく、ツバキは忌々しげに吐き捨てる。……その様子を見て何かの確信を得たリリスの問いかけに、ツバキは重々しく頷いた。
「……ああ、アイツこそがボクたちを追い込んだ元凶だよ。……命を喰らうことしか本能に刻まれていない、怪物そのものさ」
「……ツバキ、近くに魔物が居るわ。……そうね、もう十秒も歩いたらかち合うかしら」
「了解。……影よ、帳を下ろせ」
――その道中、魔力感知で魔物の気配を察知したリリスがその後ろを歩くツバキに軽く声をかける。それに反応してツバキが地面に手を当てると、俺たちを中心に三メートルほどの影の領域が発生した。
「……うわ、ほんとに外の様子が見える……これなら奇襲もかけ放題じゃねえか」
「まあ、その分魔力はかなり使う羽目になるんだけどね。どうしても仕留めたい敵とかじゃなきゃあ、ただ影に潜伏しておくのが一番効率的さ」
魔物から知覚されないその領域に身を潜め、俺たちはリリスが見つけ出した魔物がこちらに現れるのを待つ。俺たちの存在など目にも入っていない魔物が俺たちに無防備な脇腹をさらしたのは、その潜伏が完了してから二秒後の事だった。
「……ツバキ、行くわよ!」
「ああ、足止めは任せてくれ!」
獲物が視界に入った瞬間、目にもとまらぬ速度で二人は前進する。それとともにツバキから伸ばされた影が一瞬にして魔物へと絡まり、普通に戦えば苦戦は避けられないような巨体が身動きを取れなくされていた。
「……氷よ‼」
一切の抵抗を許されない魔物の体に、リリスが生み出した巨大な氷の槍が突き刺さる。本来だったら避けられたはずの大ぶりな一撃をまともにくらった魔物は、力なく地面へと崩れ落ちた。
「……話には聞いてたけど、すっげえ連携だな……」
襲撃から決着まで十秒にも満たないような一瞬の討伐劇に、俺は思わずため息をこぼす。一切の無駄なく敵を排除するその姿は、最強を名乗るのに何の不足もなかった。
こりゃ商会も調子に乗るわけだよ……。リリスとツバキのコンビが居れば、大体どんな荒事にも対応できてしまいそうだしな。
「まあ、これくらいはね。踏んできた場数が違うのよ」
「ああ、その通りだ。……そうして築き上げた連携をまた披露できる日が来るなんて、少し前のボクは考えてもいなかったわけだけどさ」
頽れる魔物の死体を解体しにかかりながら、二人は特別な事でもないと言いたげにそう語る。この連携よりもさらに上の段階があることを示唆するその姿は、クラウスなんか比べ物にならないほどに頼もしかった。
「お前らと一緒なら冒険者として名を上げるのも一瞬だろうな……。魔物だろうと人間だろうと、お前たちに正面から勝てる奴なんていないんじゃねえかって思えるくらいだ」
その背中に向けて、思わず俺はそうこぼしてしまう。あまりにも気が早い慢心だったが、魔物の解体にいそしむ二人はそれを肯定するように小さく頷いた。
「実際、ボクたち二人が揃って苦戦したことは数えるほどしかないよ。基本的にリリスの火力があれば制圧は容易いし、それでもマズければボクの影を使ってその場を凌ぐこともできるし。分断されたりしてしまうと少し危うさはあるけど、それにしても安定感のあるチームなのは間違いないだろうさ」
「商会の仕事も、大体は私たち二人だけで事足りてたものね……はいこれ、売ればそこそこの金にはなると思うわ」
商会時代も無双していたことをほのめかしつつ、リリスは俺に魔獣の爪を差し出してくる。まるで金属のような光沢を放つそれを俺は一通り観察すると、他の荷物を傷つけないように慎重に鞄へと収納した。
「……しかしすげえな、何が金になるかまで知ってるのか。そういうのは教えられないもんだと思ってた」
「勿論、普段はそうだったよ。だけど、ここに来るまでの雇い主は明らかにテンションが上がっていてね。このダンジョンの素材は金になるって、酒を飲むたびにボクたちに細かく売値まで教えてきたものさ。この商談が成功すればとんでもない金になるって言ってたし、そうなってしまえば少しのネコババなんて気にならなくなるって思ってたんだろうね」
「その結果がこのザマだから、どこまでも愚かとしか言いようがないんだけれどね。……まあ、失敗してくれた方が私たちにとっては好都合なのだけれど」
手早く魔物の解体を進めながら、二人は商会への愚痴を次々とこぼしていく。……それを聞いているうちに、俺の中にあったささやかな罪悪感はどこかへ消えていくような気がした。
商会の運営についての知識は持ち合わせがないが、それにしたってひどい主だったのは話を聞いているだけで分かる。というか、この二人を従えていながらそれを生かしきれないのはもう救いようがないとしか言えなかった。
「しっかり気遣ってやれば一生楽に暮らせただろうに、欲ってやつは恐ろしいもんだな……」
「そういうことを思える賢しさがないから、あの人は商人として成功できたんだろうけどね。ボクたちを従えて進んできた道は、明らかに狂気の沙汰としか言いようがなかったし」
呆れたようにため息をつきながら、ツバキはゆっくりと立ち上がる。それに少し遅れてツバキも体を起こし、ついでに魔物の解体も完全に完了されたようだった。
「二人とも、ありがとうな。……一応確認だけど、二人とも体に異常はないか?」
「ええ、大丈夫よ。この程度で壊れるくらいだったら、私はとっくのとうに捨てられているもの」
「まったくの同感だね。二人が居てくれるってだけで、ボクの負担は普段よりもよっぽど軽くなっているよ」
リリスはこくりと頷き、ツバキはぐるぐると肩を回して俺の懸念を一蹴する。この二人のタフネスには心底感心するとともに、リリスを壊すまでにどれだけの酷使をしたのかという謎はますます深まっていくばかりだ。
「それに、ここで足を止めるわけにもいかないしね。……なんせ、リリスのおかげで順調に全滅した場所まで戻って来れてるわけだし」
「ここまで相当歩いてきたけど、私とツバキが居れば基本的に戦闘なんて必要ないものね。理論上は全部の戦闘を避けられるって考えれば気楽なものだわ」
「……ほんと、踏んできた場数が違うんだな……」
和やかに言葉を交わす二人に緊張の色はなく、軽やかな足取りで俺の三歩くらい先を歩いている。商会の護衛というある意味何でもありの勤務形態は、あの二人のメンタルを相当強靭なものへと鍛え上げていたようだ。コスパやらなんやらとうるさいクラウスも、その商会にぶち込んだらいくらか変わるじゃないだろうか。
「……ま、そんなことを言ってもしょうがねえか」
一瞬頭によぎったありえない妄想を振り払って、俺は二人の背中を追いかける。危険なダンジョンを征くはずのリリスたちの足取りは、そうだと思えないくらいに楽し気だった。
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「……さて、この次の通路を抜ければ馬車があるはずだ。どれだけの物資が、そして金が残ってるか、お祈りの準備をしなくちゃね」
初めてにして道中唯一の戦闘が終わってから五分ほど歩いたところで、ツバキは急にくるりと振り返ってそう前置く。一応仲間たちが全滅したポイントのはずなのだが、それを気にしている様子はまるでなさそうだ。
「ツバキがここを離れてから数日は経ってるって話だし、荷物以外は全部食べられてる可能性が高いかしらね。……まあ、そっちの方が後腐れがなくて助かるわ。誰かの死体なんて、仮に仇のでもあまり見たいものではないし」
「そういう意味ではこのダンジョンに感謝だな。俺たちが食われる可能性も、まだ少しだけ残っちゃいるだろうが」
二人の貢献によってかなり楽な探索にはなっているが、ここが『タルタロスの大獄』であることに変わりはない。それを忘れてしまうとどこかで致命的なミスを犯してしまいそうな気がして、俺は軽く自分の頬を叩いた。
「大丈夫、警戒は怠らないさ。またあの怪物が現れたとしても、今度はリリスだっているわけだしね」
「ええ、簡単に力負けしてやる気はないわ。何事もなく帰れるのが一番だけど、だからと言って逃げるだけが私たちの取柄じゃないもの」
「そう言ってくれると頼もしいよ。……それじゃあ、行くとするか」
「ああ。一応ボクたちが先導するから、君はその後ろをついてきてくれ」
そう言い残して、ツバキとリリスは通路の奥へと踏み込んでいく。その五歩後ろを追いかけることを意識しつつ、俺は商会が全滅した場所へと足を踏み入れた。
「……うっ、ぐっ……」
その空間に入るなり、俺の嗅覚を濃密な血の匂いが突き刺してくる。ここに降り立ってからしばらくしてその匂いには慣れてきたと思っていたが、まだまだ甘かったようだ。……こんなに濃いそれには、いつまで経っても慣れられそうにない。
「……死体がないところを見るに、本当に食い尽くされてしまったみたいだね。可哀想……だとは、微塵も思えないけど」
「同感ね。野蛮で無謀な彼らにはお似合いの末路だったんじゃない?」
「……お前たち、本当に容赦がねえのな……」
リリスたちが言う通り死体はそこになく、あるのは個人個人の荷物と思われるリュックとひしゃげた馬車だけだ。これだけ濃い血の匂いがなければ、ここで誰かが死んだことなど推測することもできないだろう。
目の前に広がる現実はおぞましいものだったが、それでもペースを崩さない二人を見ると俺の精神も少しは落ち着いてくるような気がする。そのメンタリティがひとえにネガティブな感情からきているところを見るに、商会の積み重ねた業は本当に深いようだが――
「……何はともあれ、こんなところは長居しないに限るな。さっさと貰うもん貰って退却と行こうぜ」
「ええ、そうね。……いくら私たちでも、こんな血の匂いは嗅ぎ続けたくないし」
「まったくその通りだね。太陽の光が恋しいよ」
俺の本音を合図に、俺たち三人は全滅の現場を別々に探索し始める。護衛の奴らの荷物を漁るのは二人に任せて、俺は馬車の中へと向かうことにした。
「何があればこんなにぶっ壊れるんだか、な……っ、と!」
まるで何かに押しつぶされたかのように入り口付近がひどく変形してはいるが、どうやら荷台部分は大きな被害を受けていないらしい。いろいろな関節に無理をさせながらどうにか入り口を抜けると、そこから先は拍子抜けするくらいにあっさりと荷台にまでたどり着くことができた。
「……うお、すっげえ」
やはり金がかかった馬車なのか、荷台部分もずさんになることなく丁寧に作りこまれている。何のためなのか窓まで取り付けられているその場所には、結構な大きさの麻袋が無造作に鎮座していた。
とりあえず一番手近にあったものを覗くと、そこには魔物の毛皮が大量に詰め込まれている。ここに来てからそれなりの量を狩ることに成功したのか、売れば結構な大金になりそうな量がそこには蓄積されていた。それと同じくらいの大きさの袋がざっと十はあるんだから、これだけでも結構な金額だ。
「……二人とも、大漁だぞ! あともう少し見つけられれば、借金完済も夢じゃねえ!」
いちいち無理して外に出るのも面倒なので、荷台の中に身を置いたまま俺は外にいる二人へと叫ぶ。さぞ喜びの声が返ってくるのだろうと、俺は期待していたのだが――
「そう。……じゃあ、しばらくそこで身を潜めていなさい」
「ああ、リリスの言う通りにしてくれ。……ここからの戦いで、君を気にしていられる暇はないかもしれないからね」
――今までに聞いたことがないくらいに剣呑な二人の声が返って来て、俺の背筋が凍り付く。いったい外で何が起こっているのかと、荷台の後部についた窓から外を覗いてみると――
「……なんだよ、あれ」
青い炎を体中に従えた怪物が、リリスたち二人を見下ろしている。一階の番人であった魔物と姿こそ似ているが、その威圧感は段違いだ。――明らかな殺意を纏った怪物と、リリスたち二人は逃げようもない距離で対峙していた。
「……どうして、あんなのが……」
その異様な圧迫感に、俺の口から呻き声が漏れる。窓越しで見つめているだけのはずなのに、本能がこれでもかと言わんばかりに警鐘を鳴らし続けていた。
魔力感知をすり抜けて来た? ……いや、ここまで散開していると影でやり過ごすことも難しいのか。比較的距離が近いリリスたち二人を覆い隠すことはできても、その地点から大きく離れた馬車にいる俺の気配は隠せないのだろう。あの怪物を前にして、逃げるなんて選択肢が通用するか自体定かでもないし。――ダメだ、まだ思考が空転している。
「……どうやら、ここを餌場だと学習していたみたいだね。この場所に来れば人間が食えると、アイツらはヤツにしっかり認識させてしまったらしい。……迷惑な話だよ、本当に」
「……ということは、あれがそうなの?」
常人なら睨まれるだけで魂が削れてしまいそうなその視線から逃げることなく、ツバキは忌々しげに吐き捨てる。……その様子を見て何かの確信を得たリリスの問いかけに、ツバキは重々しく頷いた。
「……ああ、アイツこそがボクたちを追い込んだ元凶だよ。……命を喰らうことしか本能に刻まれていない、怪物そのものさ」
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