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16 命長ければ恥多し

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しきみ宗一そういち。私の愛し子よ」

 どこからともなく聞こえるその声に覚えがある。男とも女とも判別できない、穏やかで心地の良い声。こりゃあ聞こえないふりをしちゃおうかな、と宗一は思う。

「私はこの世界の創造神、ティレニア。無視しないでください」

 宗一は予想通りの相手に落胆する。
 家族に見守られて永眠するはずだった宗一を、この摩訶不思議な世界に放り込んだ張本人だ。

「樒宗一、あなたは今、幸せですか?」

 また怪しい宗教の勧誘かい。お断りします。よそへ行っとくれ、と拒絶反応を示す宗一。眠っているせいか、身体の感覚は無いのだが、きっと鳥肌が立っているに違いない。

「おや? ギルバートは幸せそうでしたのに。おかしいですね……。いっそのこと二人ともティレニア教に改宗してはいかがです? 私を信仰すれば、あなた方のことが伝わりやすくなり、非常に楽なのですが」

 笑えん冗談はよしとくれ。それより、神さんよ。ギルバート君が幸せなら、僕はもうお役御免なのかい?

「いいえ。あの子にはあなたが必要です」

 ああ、そうですかい。……はて?
 宗一は残念だと思いつつも、ほんの少し安心した。その理由がわからず、困惑する。

「ふふ、その疑問の答えを見つけなさい、私の愛し子よ。この世界は、あなた方の世界を模して創造し、人々の想像を具現化したもの。人の想像力とは、計り知れませんね。どうか、この小さな世界を救ってください。ああ、それと、あの子に西へと伝えてください。頼みましたよ」

 声が遠退いていく。
 西? ああ、いや、待っとくれ。愛し子って何だい? 君には言いたいことが山ほどありますよ。

「私の加護をあなたに」

 その加護とやらに迷惑しとるんです!
 宗一は叫んだつもりだったが、声の出ている感覚は無く、届いてもいないのだろう。宗一は再び深い眠りに落ちていった。



 身体が水面へと浮上するように、ふわふわと意識が戻ってくる。瞼が小さく痙攣して、手足、指先が動かせる。
 そして、唇にある感触は、やはりギルバートだろう。下唇をそんなに吸わないでくれ、と思いながら、宗一は目を覚ました。
 光の溢れた景色に、金色の睫毛が間近すぎてぼやけて見える。密着した身体にギルバートの体温が伝わってくる。屈強な腕と脚が纏わりついていて、身動きが取れない。

「むうう……」

 宗一は唸った。
 すると、ギルバートは宗一の唇を解放し、眩しそうに微笑んだ。

「おはよう、ソウイチ」

 そう言って、宗一のこめかみや髪に口づけをする。
 宗一は些かげんなりした。
 この摩訶不思議な世界に来て三日目の朝は、夢見が悪かった。一方的な神に、奇行の青年に、欲に抗えない己。
 昨夜を思い、自嘲の溜息を吐き出してギルバートに言った。

「おはよう。君に言伝があるよ」

「なっ!」

 ギルバートは横たえていた身体を勢いよく起こした。その顔は驚いている、というより、戸惑うような焦燥感があった。
 その理由はわからないが、宗一はゆっくりと身体を起こしてベッドに胡坐をかくと、腕を頭上に伸ばした。背中と胸、腕がしっかり伸びて気持ちが良い。
 見れば、昨日も着ていたシャツとズボンだが、着の身着のまま寝ていたとは思えないほど、乱れていないし皺が少ない。寝ている間に、ギルバートがあのすっきりする魔法でもしてくれたのか、と宗一は思う。

「ああ、くそっ! 結界が足りてなかったか!」焦れたギルバートは宗一の両腕を掴んだ。「ソウイチ、誰だった? 何かされた?」

「てれびあ、とかいう神さんだよ」

「あ~~、なんだ、ティレニア君か」緊張が一気に解けて、ギルバートは自身の金髪を掻き上げた。「何て言ってた?」

 曲がりなりにも神様だというのに、ギルバートには敬う気持ちはないようだ。まるで、こうるさい実家の母親を相手にしているようなあしらい方だ。

「何やらいろいろ言っていたけど、君に西へと伝えろってよ」

「西か……」

 宗一には何のことだかさっぱりわからないが、ギルバートは神妙な面持ちで顎を撫でた。暫く黙り込んで、ちらりと宗一を見て矢継ぎ早に言った。

「他には? 何を話した? ソウイチからコンタクトを取ろうとしたの? 向こうから来た? 姿は見た?」

「こらこら、落ち着きなさい。順に話すから」

 詰め寄るギルバートを宥め、宗一は神ティレニアとの会話を思い出しながら、大まかに話した。
 黙って聞いていたギルバートは、時折、険しい顔を見せる。すべて聞き終えると、苦笑した。

「愛し子か。またパワーワードをあっさりと使ってくれたな」

「どういう意味だい?」

「ティレニア君の言葉は、時々、縁のある者や、信仰心の強い者に聞こえることがある。今回はソウイチにコンタクトしてきたけど、他の者も聞いた可能性がある。とは言っても、すべてではない。断片的だったり、強調された単語が聞こえた、というニュアンスだ」

 縁のある者ということなら、ギルバートをこの世界に召喚し、後期高齢者を使いにするほど、かの神さんは彼に傾倒していると言える。

「君は、聞こえなかったのかい?」

「まあ、ね。オレもソウイチも、ティレニア君との繋がりがかなり強いけど、オレは魔王の力が強くなりすぎたせいか聞こえ辛い。改宗しろっていうのはオレに言ってるんだろうな。回線落ちたぞ、プロバイダーを変えろって。はははー」

 ぷろ……、例えがわからないが、ギルバートの言わんとしていることを察した。
 改宗するつもりなど毛頭ないギルバートは乾いた笑いを零し、顎を撫でた。
 こうやって考え事をする際に、顎髭の確認をするような手つきは彼の癖だな、と宗一は密かに口元を緩めた。

「気になるのは、オレたちの世界を模して創った、人々の想像を具現化したってところだ。魔王や勇者、ゴブリン、悪魔、ファンタジーに寄りすぎている。人の想像力は計り知れない、か。ティレニア君って、自称神のくせに、俗っぽいところがあるな」

 ひとり考え込んだギルバートは、不意に宗一へ視線を戻すと、青い瞳を光らせた。
 宗一の手を引いてベッドを離れる。
 家具の一切をなくした石床の部屋に立つと、ギルバートは宗一に言った。

「ソウイチ、ティレニア君に呼びかけてみてくれ。キミを愛し子と呼ぶくらいだ。応答するかもしれない」

「どうやって? 僕は魔法なんて使えやしないよ」

「思うだけでいい。名前を呼んで」

 ギルバートは握っていた手を離し、宗一から距離を取った。
 物は試しか、宗一は目を閉ざした。ようは、念じれば良いということだろう。眉間に皺寄せて腕を組む。

 ――神さん、てれびあさん。

 そう、呼びかけながら、宗一は合掌してみたり、額を押さえたりしながら念を飛ばしそうな仕草を模索する。
 だが、聞こえてくるのはどこか遠くの鳥の声のみ。
 虚しさだけが残った。

「ダメか……」

 宗一にとっては当然の結果だと思っているが、些か良い結果を期待していたギルバートはかぶりを振って溜息を吐いた。

「じゃあ、もうひとつ」と言ってギルバートは宗一の両手を掬い取った。「疑問の答えを見つけろって言ったのは、ソウイチに対してだろう。疑問って何? どんな疑問?」

 ギルバートの青い瞳が宗一を覗き込む。
 その瞳を見た瞬間、胸が高鳴ったのを感じた。昨夜の光景が突如、思い起こされる。月明かりの中で妖艶に瞬いた瞳。
 宗一は自身の頬が熱くなるのを感じ、いたたまれなく、視線を逸らした。

「ん? どうした? これは羞恥?」

 疑問について問われ、なぜ、昨夜のギルバートを思い出したのか、宗一は答えを目の前にして蓋をした。
 品性に欠ける。なんと浅ましい考えなのだろう。淫蕩に溺れるなどあってはならない、と自身を厳しく非難した。
 顔を背け、追及を逃れようとするが、ギルバートは必要に覗き込もうとする。
 苛立った宗一はギルバートの手を払い、彼の目元を両手で塞いだ。肌を打ち付ける音が小さく鳴り、その高い鼻を少々潰したが、構いはしない。

「うわ! なに?」

「ただただ、己を恥じるばかりです……」

「意味不明。理解不能。説明求む」

 顔に貼り付いた宗一の手を剥がすギルバートは、不服を露わに宗一を睨んでいた。
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