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第十八話「大都攻略」
しおりを挟む大都攻略
一
朱元璋、南方で覇権確立。
この知らせはすぐさま元朝にもたらされた。だが元朝はもはや政権とは呼べないほど内部崩壊を起こしていた。
この頃、蒙古軍で最も力を持っていたのはココティムールである。ココは他の武将たちよりも卓越した才覚を有していた。だが皮肉なことに有能なことが彼を窮地に立たせていたのである。
――今は派を作って争っている場合ではない。
ココは誰よりも元朝の状況を把握している。そのため一刻も早く派閥争いを収め、国家一丸とならなければならないと焦燥していた。調べによると朱軍はかつての龍鳳政権と比べ物にならないほどの国力と統制力を有していると云う。
――危急存亡とはまさにこのこと。
日々奔走しているが、誰も国家的視野がなく、ココの言葉に耳をかたむけようとはしなかった。心身共に疲れ果てたココは眠れぬ日々が続いている。そんなココを心配したのは末妹の王遵陽(おうじゅんよう)であった。
「兄様。お顔の色が優れませんね」
彼女は十歳で、ココの生家である王氏の末娘である。歳の離れたこの妹をココは娘のように可愛がり、遵陽もまた兄を父のように敬慕していた。
ココはにこやかに笑い「大事ない」と答えた。戦場において勇猛であったが、この妹の前では常に笑みを絶やさない。
「私、李伯父様が大嫌い」
遵陽は口を尖らせて、李思斉を悪く言った。
思斉はココの養父・チャガンティムールの義兄であったが、今はココと対立関係にある。
「私には義父上(チャガン)のように人徳がないからな」
「伯父様は意地悪なのです。兄様がどれほど頑張っておられるのか、ご存知ないのです」
そう言うと遵陽は泣き出して、奥の部屋へと走って行ってしまった。
――何ともあどけない。
ココは妹の幼さに苦笑した。だが今この国で自分を応援してくれるのは妹だけであった。他の者は妙な勘ぐりをするばかりで心を開いてくれない。
「疲れ果てたな……」
ココは崩れるように椅子に座り込むと、力なく酒を口にした。
――どうしてこうなってしまったのか……。
大元のために国を一つしようと動くと、「野心あり」と見られて誰も協力しようとしない。いや――協力をしないどころか、ココを排斥する運動まで起こるなど救いようがなかった。
――いっそこの身体に蒼き狼の血が流れていなければ……。
何度そう思ったかわからない。もし蒙古族でなければこのような腐れきった王朝を見捨てることもできたに違いない。だが誰よりもココは蒙古に誇りと愛着を抱いており、どのような末路が待ち受けていようとも裏切ることも見捨てることも出来なかった。
――埒もないことだか……。
ココは自嘲しながら、苦い酒を臓腑に流し込み、過去を振り返ってみた。
一時期、蒙古軍も一つにまとまりかけたこともあった。龍鳳政権が北伐を敢行していた頃である。
チャガンが健在であった頃で、朝廷は皇太子アユルシリダラがまとめつつあった。
宋の故都・開封を奪い取った小明王と劉福通たちであったが、思斉や良弼を従えたチャガンによって撃退され、安豊へと逃亡した。その後、各地で龍鳳軍は各個撃破され、山東の有力者である田豊と王士誠を降し、チャガンは彼らの兵を自軍に組み入れることに成功した。
――だがあれが義父上の誤算であった。
今思うと田豊たちを傘下に入れたことは大きな過ちであった。田豊は智謀の士だが、忠良な士ではなかった。彼らはチャガンを謀殺して、その軍を乗っ取ろうと企んでいたのであった。チャガンは益都(えきと)という地を攻略したが、隙を突かれて暗殺されてしまった。二人はチャガン軍を乗っ取ったと狂喜したが、それは糠喜びであった。
凶事を知ったココは軽兵を引き連れ、益都に急行した。そしてすぐさまチャガン軍をとりまとめ、手中に収めてしまったのである。濠州撤退時もそうであったが、ココは軍中では人望篤く、臨機応変の才に富んでいる。
田豊たちは益都に立て篭もったが、復讐に燃えるココと思斉の猛攻を受けてあっけなく滅ぼされてしまったのである。
チャガンの死は元朝にとってトクト失脚に続く痛恨事であった。後継者たるココは将としての才覚はチャガンのそれよりもはるかに上回っている。だがチャガンの代りになるほどの信望がまだなかった。
チャガンは不思議な人物であった。彼一人の才覚はといえば、どの能力も人より劣っている。そのため、素直に賢人の声に耳を貸し、かつ癖人であっても長所を見出し活用する能力を有していた。田豊たちを受け入れたのも、彼の性格に拠る所が大きい。
一方、ココはどの能力も人より抜きん出ており、自他ともにそれは認められている。だがその卓抜した能力が国事を成すに当たって最大の障害となっていた。抜きん出た才覚は羨望と共に嫉妬を招く。
思斉がココと仲違いをしている理由はまさに嫉妬からであった。思斉は病的なまでに自尊心が強く、チャガンだからこそ良き盟友であり続けることができたのだ。だがそのチャガンが横死し、小僧と思っていたココが総帥となることに思斉は我慢がならなかった。
元朝が分裂した理由は他にもある。
皇太子と皇帝トゴンテムルの側近・ロテシャの対立が激しさを増していたからだ。宮廷は両派に分かれ、互いの失脚または抹殺を狙い、暗闘を繰り返していた。
そうした中、ある事件が起きた。皇太子の側近である宦官・ブブハがロテシャによって殺されかけたのである。皇太子はすぐさま報復のため、ロテシャを暗殺しようと刺客を差し向けた。間一髪、ロテシャは大都を脱出し、ポロティムールに助けを求めた。ポロはチャガンと並ぶ大軍閥であり、
「これは天下を掴む好機なり」
と考えて、ロテシャを保護した。だが、このことに皇太子は激怒し、ブブハと丞相ソシカンに命じてポロを弾劾したのである。ポロは官爵を削られ、表面的には失脚をした。だが軍閥としての力はそのままで、皇太子たちの行為はただ単に虎の尾を踏んでしまった結果になったのだ。
「宮廷に巣食う虫けらどもめ。このポロティムールの力、思い知らせてくれん」
怒り狂い、大軍をもって大都へと攻め入ったのである。兵力を持たない皇太子は都を脱出したが、ブブハとソシカンは皇帝トゴンに捕縛され、ポロに差し出されてしまった。
だが収まらないのは皇太子であった。ポロの宿敵であるココの許に亡命し、ポロ討伐の令旨を発したのである。
この皇太子の動きにポロは再び怒り、大都を完全に占領してしまった。皇帝を脅し、自ら丞相となって朝廷の全権を一手につかんだ。だがこのポロの行為は歴とした反乱であり、内外の反感を買った。そしてこの反ポロの気運を見逃すココではなかった。
皇太子を旗頭に挙兵し、ポロ討伐軍を起こした。ここに両軍閥が大激突をしたのだが、ココの巧みな戦術によってポロは大敗した。
元朝において力こそが正義である。敗れ去ったポロに力などなく、反対派によって宮廷内で暗殺されてしまった。しかしこれにて元朝の混乱は収まらなかった。むしろここから混迷の度合いを深めていく。
凱旋した皇太子は、
「大元を復興させるのは余しかいない」
として、父帝を朝廷から追い出そうと画策したのである。しかしこの企みにココは乗らなかった。
「殿下は父君をお援けになり、天下にはびこる逆賊を討たねばなりませぬ」
そう必死に諫言をした。だがこの諫言が新たな火種を生む結果となってしまった。皇太子とココは幼少の頃より兄弟のように親しく、深い信頼関係にあった。そのココが反対するなど想像すらしておらず、皇太子は衝撃を受けたのだ。その衝撃はやがて恨みへと変貌していったのである。
「ココティムールは親しかった王保保と違ってしまった」
そう母・奇皇后に訴え、母子共にココ抹殺を目論むようになった。さらに皇帝トゴンも巨大勢力となったココを疎ましく思うようになり、皇太子とは違う方法で除外する策を練っていた。さすがのココも皇帝と皇太子双方から狙われてはどうしようもない。やむなく大都を脱出する他なかった。
そのような中でなぜか、ココは朝廷より河南王に封じられた。理由は朝廷内に居座られては困るが、と言ってポロを滅ぼし巨大勢力となった彼を敵に回すことは元朝の命取りになるからである。
――栄爵と共に大任を与えるべし。
朝廷はただ王位を与えただけではなく、南征をも命じたのである。
朱呉国とココを相殺できれば、これほど朝廷にとって都合の良いことはない。もっともこの勅命を誰よりも喜んだのは当のココであった。
「ご期待に背かぬよう粉骨砕身、賊どもを討滅してくれん」
感激のあまり落涙し、意気揚々と河南王の名において思斉たちに檄を飛ばしたのである。
ココという人物はあらゆる能力に卓越していたが、宮廷人脈という複雑怪奇な世界を理解するにはあまりにも無垢でありすぎた。
至正二十六年二月。
ココは思斉たち関中の諸将に召集命令を出した。ところがこの召集命令が新たなる諍いを起こすことになった。
「青二才が生意気な」
思斉は顔を真っ赤にして召集令状を破り捨てたのである。亡きチャガンは思斉より位階が上であった。だが思斉の強烈な自尊心を考え、チャガンは彼を「兄」と呼んで常に敬っていた。
――チャガン殿でさえわしを敬っていた。
こういう思いが思斉の心にはある。ところが子供時代から世話をしてきたココがにわかに勢力を築き、王位を得て、さらには伯父である自分に下知するなど言語道断、片腹が痛かったのだ。
「保保も偉くなったものだ。王気取りで我らを呼び付けるとは無礼千万。甥だと思えば力を貸してやっていたが、あやつがそのつもりなら、わしにも考えがある」
ココの召集に立腹したのは思斉だけではない。関中で勢力を張っていた張良弼(ちょうりょうひつ)や孔興(こうこう)も同じであった。事もあろうに長安にて反ココティムール同盟を結んでしまったのだ。
事ここに至っては南征どころではない。ココは済南に籠り、思斉たち長安四将を討伐しなければならなかった。
――愚の骨頂だ。
何と情けないことか。ココは悔し涙を流したが、今は思斉たちを一刻も早く討伐し、蒙古軍を一つにまとめあげねばならなかった。
この戦いは膠着し、一年以上も続き、未だ決着していない。そうした中で元璋が南方で覇権を確立してしまったのである。ココの耳には元朝が瓦解していく音が聞こえてくるようであった。
二
応天府は多忙を極めている。朱呉国は大きな三つの課題を同時進行させていた。
一つは南方に割拠する諸勢力の鎮圧。一つは北伐。そしてもう一つは新国家の樹立であった。
小明王亡き後、朱呉国は大きな変貌を遂げようとしている。朱軍では小明王即位より「龍鳳」の元号を使用していたが、至正二十七年に廃止し、「呉国元年」と改元した。この元号はあくまで仮のものであり、新国家樹立までの中継的なものであった。いずれにせよ、これにより名実ともに紅巾軍は滅び、新たな時代を迎えようとしていた。
国家建設に伴って応天では宮殿も新築された。
当初、元璋は、
「天下統一はまだ成っていない。しかるに宮殿建設に巨額を投じるのはいかがなものか」
と、反対していた。しかし李善長はかぶりを振って、宮殿建設の意味を説いた。
「天下に安寧をもたらせるには天子の威厳が必要です。乱世が終わり、新たな時代が訪れることを宮殿でもって世に示し、謀反を企む者の心を砕くのです。その昔、漢の蕭相国(何)が未央宮を建設した故事にならってのことなのです」
元璋は善長に出会った頃、漢の劉邦に倣え、と説かれた。しかし宮殿造りまで模倣しようとは思わなかった。
――だが百室の申すことに一理ある。
しばらく悩み、ようやく宮殿建設を許すことにした。
「ただし――」
と、一つの条件を出した。決して華美に走らず、民を苦しめことは厳禁としたのだ。
――俺たちは愚劣な役人どもに、どれほど苦しめられたことか。
悲しみ、と言うより国家の贅沢に対して元璋は恨みを抱き続けている。国家の贅沢に散々苦しめられてきた元璋が己の王朝で同じことをしなければならないのか。
「とにもかくにも実なき物は徹底して排除せよ。この旨に反したならば、いかなる者も容赦はせぬ」
贅沢は仇よと言わんばかりの語調で元璋はようやく宮殿造りを許可した。善長はその点は抜け目がない。全て国家の威厳を保つことを念頭にして、無意味な装飾などは排除した。装飾の意味を問われても何のよどみもなく答えたため、元璋は新宮殿に満足することになる。
応天府に築かれた宮殿だが、主に次のようなものがあった。
儀式を執り行う宮殿として奉天宮(ほうてんきゅう)、華蓋宮(かがいきゅう)、謹身宮(きんしんきゅう)。
祭壇を執り行う場として圜丘(かんきゅう)、方丘(ほうきゅう)、そして社稷壇(しゃしょくだん)。
内宮として乾清宮(けんしんきゅう)、坤寧宮(こんねいきゅう)が次々と誕生した。
新国家に必要なのは建設物のみばかりではない。法がなければ巨大な国家を運営することはできない。その法は宋濂を顧問として新たな大典が定められた。さらに暦も大統暦(だいとうれき)が採用され、人々は新時代到来を肌で感じ取っていた。
元璋が多忙を極めている中、鈴陶もまた王后としての仕事が山積している。
「人を分けるのは性分ではないのだけど……」
鈴陶はため息まじりに側にいた侍女に愚痴をこぼした。
――でもそんなことを言ってはいけない。
王后は内宮の統率者である。元璋が帝位に登れば、鈴陶は自然と天下の母たる皇后となる。皇帝の家庭ゆえ侍女の整理や側室たちの身分を制定して統御しなければならない。 皇帝の家庭によって天下が乱れたことは枚挙に暇がなかった。そもそも眼前の大敵である元朝の乱れは皇帝トゴンの家庭が乱れきっているためであった。
そんなある日。鈴陶は妃候補の名簿に眼を通していたが、ある名を見て驚愕した。
「まさか?」
疲労のため、見誤ったのかと思った。だがそうではなかった。
「誰か――」
いつも陽気で明るい鈴陶であったが、珍しく怒りで険悪な表情をしていた。侍女たちはおびえ、近づこうとしなかったが、鈴陶は声を鋭くして侍女を呼びつけた。
「今すぐ大王様に拝謁を」
侍女は戸惑っていたが、これ以上鈴陶を怒らせてはならないと表役人に連絡をした。 鈴陶の願いはすぐさま元璋に伝えられた。だがその返事は、
「多忙につき会えぬ。二日後ならば許す」
と、素っ気ないものであった。
「二日後?」
王后になってから鈴陶は諸事落ち着いており、以前のように賑やかに喜怒哀楽を表すことは少なくなっていた。だが一旦激すると素の鈴陶に戻った。
「大王様はお越しにならないの」
明らかに不機嫌な鈴陶に侍女は無言でうなずいた。
――そう。
すうと息を吸ったかと思うと、部屋から出ようとしていた。
「どちらへ?」
悪い予感がしたのか、侍女は顔を青ざめながら鈴陶に尋ねた。
「知れたこと。お越しにならないのなら、この鈴陶が出向きます」
――また出た。
古くから鈴陶に仕えている侍女長は一度言い出したら聞かない彼女の性格を熟知している。止めても無駄かもしれないが、止めなければどこまでも暴走してしまう。
「離しなさいッ」
侍女長と侍女たちは必死になって止めようとしたが、やはり無駄であった。侍女たちを振りほどき、元璋がいる圜丘へと向かった。
「さ、お供しますよ」
長年、鈴陶の傍若無人に慣れている侍女長は手際よく外出の用意を侍女たちに命じた。まずは止めることにより鈴陶の勢いを抑えるしかないことを侍女長はよく心得ていたのだ。
久しぶりだな――。
善長たち宿将もまた鈴陶の性格を熟知している。昔は随分と主の夫婦喧嘩を目の当たりにしてきたため、苦笑するのみで驚きはしなかった。それどころか懐かしさすら感じている。だがおしとやかになった鈴陶しか知らない新参の官僚たちが驚愕したのは言うまでもない。
「二日後に参る、と申したではないか」
元璋は叱りつけたが、鈴陶は一歩も引こうとしない。ただ厳しい表情で「お話があるのです」と言うのみであった。一度言い出したら聞かない鈴陶である。元璋は諦め、諸臣たちを下がらせた。そして建設指揮用に張られた天幕へ鈴陶を連れていった。
「早く済ませろ」
と急がせたが、睨むだけで鈴陶は中々話を切り出そうとしない。
「用があるのだろう?」
元璋はいら立ち、語気を荒げた。鈴陶はすうと息を吸い、静かな口調で尋ねた。
「何かお隠しですね」
「何を隠すのだ?」
意味がわからず、首をかしげた。すると鈴陶は目を細めながら、刺すような口調で答えた。
「芙蓉のことですよ」
その瞬間、元璋はあっと声を挙げた。鈴陶は顔を真っ赤にして元璋がたじろぐほどにじり寄った。
「芙蓉を妾にするとはどういう料簡ですか。お聞かせください」
「そ、それはだな……」
「他にいくら妾を持とうとも、子を儲けようとも構いませぬが――」
「構わぬのか?」
元璋は強かである。この切り返しに鈴陶は思わず詰まったが、咳払いをして詰問を続けた。
「揚げ足を取るおつもりですか?」
「いや、すまぬ」
鈴陶の剣幕に元璋はたじろいだ。
「とにもかくにも義妹にまでお手を付けるなど言語道断。どこまで見境がないのですか」
「人を獣のように申すな。それにまだ芙蓉に手は付けておらん。そもそもこの話は義母上からの申し出ではないか」
「義母上の?」
小張夫人は今、体調を崩して伏せっている。その義母がなぜ芙蓉を側室にと申し入れたのか、鈴陶にはわからない。考え込む鈴陶から離れ、元璋は襟を正した。
「そなたは王后、いや皇后となる身だ。いつまでも定遠や濠州で走り回っていた鈴陶であっては困る」
そう言うと、逃げるようにして作業場へと立ち去っていった。
――義母上がなぜ?
鈴陶は夫人の許へと急いだ。
病室へ行くと、芙蓉が甲斐甲斐しくその世話をしている。芙蓉は美しく成長し、義姉の目から見てもまばゆいばかりであった。義姉の姿を認めると、芙蓉は申し訳なさそうに涙し平伏した。
「この芙蓉をお許しください」
「何があったのか、お話しなさい」
鈴陶は努めて優しく声をかけたが、芙蓉は泣くばかりで答えようとしない。やがて夫人が身を起こし、替わって事情を話した。
「あなたに黙って話を進めたのはこの母です。許してください」
「義母上……」
夫人は苦しげに身を起こすと、泣きじゃくっていた芙蓉を呼び寄せ、力無くそのほおを撫でてやった。
「鈴陶。……私はもう長くはない」
鈴陶は義母の言葉に声を詰まらせた。夫人は体調を崩して以来、寝たり起きたりの生活になり、近頃はやせ細っている。
――そんなことはない。
誰しも夫人に先がないことを思ったが、鈴陶だけは頑なにその事実を認めようとしなかった。この時もそうで、まるで童女が怪談に怯えるようにかぶりを振った。その鈴陶の様子が夫人には可笑しく、くすくす笑った。
「私は随分と生き、成すべきことをやってきたつもりです。でもね、鈴陶。一つだけやり残したことがあるのです」
「やり残した?」
「血です」
夫人はすうと息を吸い、ささやくようにつぶやいた。
「郭家の血です」
口に出さないが、夫人には痛恨事があった。それは夫・子興との間に出来た二人の息子たちを失ったことである。
――婿殿に殺された。
と夫人は言わないし、無論そのように考えたこともない。だが天叙と天爵のことを口にすれば、必ず人は夫人が元璋に恨みを抱いていると邪推するに違いない。そのことを恐れ、夫人は涙一つ流さず、これまで息子たちの死について語ることはなかった。またそれは鈴陶に対する思いやりでもあった。だが夫人は己の寿命が尽きようとしていることを悟っている。世の平穏、夫の遺志、そして鈴陶の幸せを願い続けてきた。だが郭家の主婦としてどうしてもやっておかなければならない事が一つある。
「郭家の血を残したいのです」
夫人は鈴陶を思いやりながらも、思いつめた表情で答えた。
中国において大事なことは子孫を後世に残すことである。夫人は鈴陶を育て上げ、そして元璋という乱世を終結しうる英雄に嫁がせる功績を立てた。その元璋が帝位に登り、蒙古の支配からこの国を脱却させようとしている。この国の女としてこの上もなく誇りある仕事を夫人は成したわけであるが、このまま命を終えてしまえば郭家の主婦としてその責務を果たしたとは言えない。
――子興様の血を受け継ぐ芙蓉に子を成してもらわねばならない。
夫人が芙蓉を元璋の側室に差し出した理由はここにあった。
「私は何と酷なことを言う母だろう……」
夫人はうなだれる鈴陶に深々と頭を下げた。夫人は自分を酷であると言ったが、それは鈴陶も同様であった。子を成せない自分は年老いた母に対して酷な娘はいない。
――そもそも私は義兄様や義弟を救えなかった。
鈴陶は義母に対して大きな負い目を感じ続けてきた。そんな鈴陶の苦しみを誰よりも夫人は熟知しており、健康を損なうまではおくびにもそのことを口には出さなかった。
――……私には時間がない。
酷だと思いながらも、芙蓉を元璋に嫁がせることを急いでいた。自分の命があるうちに芙蓉の入内を成就させ、できればその孫をこの手に抱いて、郭家の血が残されたことを確認して冥途へと旅立ちたかったのだ。
「義母を許してちょうだいね。決してあなたを責めているのではありませんよ。子は授かり物、仕方のないことです。そもそも息子たちは乱世に生きたのです。非業の死はやむをえないこと」
夫人は暗い表情の鈴陶に微笑みかけた。
「でもね。鈴陶は親不幸ではありませんよ」
「でも……」
夫人は微笑しながらかぶりを振った。
「貴女は婿殿と共に大きな親孝行をしたではないですか。あなたと婿殿はついに成し得なかった子興様の志を果たそうとしてくれている」
鈴陶は涙目になりながら、顔を上げた。
――そうです。
夫人は穏やかに笑いながら、懐かしげな表情で天井を眺めた。
「子興様が旗揚げをされた夜、嬉々として私に話されたものです。自分の志は天下万民が汗水流して全うに暮らせる世を創ることだ。その志を遂げられるように夫を助けよ、と。あの時の子興様の眼が美しかったことは今でもよく覚えています」
――眼が美しい、か……。
思えば小鬼と忌み嫌われていた元璋を好きになったのも、元璋が美しい眼を持っていたからだ。義母もまた義父のそうした眼を愛していたことが何とも不思議であった。
「子興様は志半ばで旅立たれ、私は一人残ってしまった。私だけでは子興様の想いを果たすことはできなかったでしょう。でも鈴陶――」
夫人は満面に笑みを浮かべながら、鈴陶の手を強く握り締めた。
「貴女と婿殿が子興様の志を受け継ぎ、そして今果たそうとしてくれている」
鈴陶の両眼からとめどなく涙が流れる。
「あとはあの方の血を遺してさしあげたい」
「血?」
「芙蓉には子興様の血が流れている。その血をこの世に残すために芙蓉をしかるべき方に嫁がせねばならない。それも天下第一の方に」
「それが……」
「そう。朱元璋殿です。天下広しといえども芙蓉を護り、郭家の血を埋もれさせないことができるのは婿殿以外にはいない」
夫人はそう言うと、息を乱しながら身体を横にした。鈴陶と芙蓉は夫人の手を握りしめ、顔を義母の許に寄せた。
「その昔、話しましたよね。夫婦は琴瑟の如し、と。私はもう子興様と奏じることはできなくなってしまいましたが……貴女たち二人をこの世に送り出せました。鈴陶はこれから天下の母となる身。子興様の志を咲かせるのはこれからです」
――芙蓉。
そう言って、夫人は芙蓉の手を握った。
「芙蓉は朱元璋殿との間に子を儲け、郭家の祭祀を絶やしてはなりませぬ。子興様と私の志と血を……後世まで遺すのです」
夫人は何度も何度も拝むように二人の娘にそう告げた。鈴陶と芙蓉は目に涙を浮かべ、そして深くうなずいた。
安心したのか、それとも話すことに疲れたのか。夫人はそれから寝入ってしまったため、二人はそっと部屋を出た。
「芙蓉」
鈴陶は一つだけ尋ねた。
「良いのですか」
芙蓉は何のことかよくわからず、小首をかしげた。
「義母上はあのように願っておられますが……芙蓉は国瑞様に側に上がることは承知しているの?」
「義姉様……」
「いくら郭家の血を残すためでも、芙蓉が国瑞様をお慕いしていなければどうしようもない。何より――」
刺すような目つきで、芙蓉の顔を見つめた。
「お慕いもしていない者を妃として私は認めない。王后としてではなく朱国瑞の妻として中途半端な気持ちの女子は許しません」
この迫力に芙蓉はたじろいだ。しばらくうつむき、無言でいた。だが次に言葉を発した時は、鈴陶がはっとするほど凛とした表情になっていた。
「この芙蓉、国瑞様をお慕いしております」
――本当に?
無言であったが、鈴陶の顔は芙蓉をそのように問い詰める。
「この気持ち、嘘偽りはございません」
今度は鈴陶がうつむく番であった。
「生涯を……」
思わず芙蓉が顔を近づけたほど鈴陶の声は小さかった。
「生涯を……生涯を捧げても良いと思うほどですか」
「はい。生涯を捧げるに相応しいお方だと、芙蓉は思います」
鈴陶はしばらく目を閉じ、長らく沈黙した。
「……何とも不可思議ね……」
ため息まじりに鈴陶は一人ごちた。
「どうしてあんな岩のようなお顔がいいのか……物好きが多い」
「その物好きの始まりは姉様ではありませぬか」
「私は良いのです。私はあの方の顔を好きになったのではないですもの」
何とも理不尽な、身勝手な理屈であろうと芙蓉は苦笑した。だが乞食坊主であった元璋を初めて認め、そして支えてきた義姉への敬慕の念はさらに深まったように思えた。
「芙蓉。乗り気ではありませんが、義母上のお心に鈴陶は従いたい。やむをえませぬ。側室の件、認めましょう」
芙蓉が涙目になって鈴陶の手を取ろうとしたが、次の言葉がそれをさえぎった。
「でもね、芙蓉。義母上……母の志は私に、とのことですが、私はまだ若い。志だけでなく子を残すこともあきらめてはいません。芙蓉よりも深く深く国瑞様をお慕いしております。それだけは心得ておきなさい」
芙蓉は苦笑しながら力強くうなずいた。
かくして鈴陶は芙蓉のことを認めたのだが、その胸中は単純ではない。子を成せぬ悲しみが心底に深く漂っており、自責の念が不本意ながら義妹の件を認めさせたのだ。郭芙蓉は夫人の願い通りに後宮へと入り、後に元璋との間に子を成すことになる。
三
国家建設が順調に進んでいる。
南に割拠する方国珍および陳友定は征南将軍・湯和と水軍元帥・廖永安によってまたたく間に平定された。国珍は抗戦したが、戦い敗れて降伏した。降伏後は死一等を減じられ、名を「国珍」から「谷珍」と改めた。元璋の字「国瑞」をはばかってのことである。一方、友定は降伏勧告を蹴り、最後まで抗戦した。捕縛後も、「国敗れて家が滅びれば死あるのみ。余計なことは申すな」と、かたくなに拒絶したため、斬首された。
かくして南方は平定され、残るは四川であった。四川では明玉珍が逝去し、その子の明昇(めいしょう)が政権を継いでいる。跡を継いだばかりで体制が整っていなかったが、遠方であり、かつ友好を求めてきたため、征討は先延ばしされることとなった。
南方を固めた元璋は文武百官を召集し、ついに北伐決行を宣言したのである。
征虜大将軍には徐達、副将軍には常遇春が任命され、北伐の軍議が開かれたのは呉元年十月のことであった。
朱軍における軍議ではまず諸将が各々の考えを披露していく。そして整合性をつけながら、作戦を練っていくのである。その中で最も激しい意見は遇春から出された。遇春は壁に貼られた大地図を叩きながら大都を直接攻撃することを進言した。
「どのような大木でも根さえ絶ってしまえば枝葉が繁っていても枯れてしまう。南方は平定され、後顧の憂いはもはや皆無。百戦錬磨の我が軍をもってすれば腐りきった大都を落とすは容易である。大都を落とせば他の城は皆降伏するでありましょう」
遇春の意見はいつも威勢が良く、諸将も思わず同調してしまいそうになった。ところが徐達がこの意見に反対した。
「副将軍の案には賛同しかねる。大都は元朝が百年かけて築いた都。今まで我らが攻めた城とは比べ物にならぬほど堅固でありましょう。もし大都攻略に手間取れば必ず各地より援軍が馳せ参じ、我らは包囲されてしまう。根を絶つよりも枝と葉を落とし、かかる後に古き根を掘り出す――これぞ大木を切り倒す方法だと思います」
この徐達の理路整然とした案に諸将は感銘を受けた。元璋はいつものように黙って諸将の意見に耳をかたむけていたが、採決を下した。
「大将軍の策が最上に思える。まず大都の屏風とも言える山東を押さえ、これを倒す」
立ち上がった元璋は次に河南を指差した。
「次に右翼とも言える河南をもぎ取るのだ。さらに別派の軍を発し、喉元にあたる潼関(どうかん)を攻め落とす。こうすれば三面から取り囲むことができ、大都を陥落させることは容易であろう。大都をこのようにして落としてしまえば、それこそ十万の申す通り、残るはただの枝葉。軍を遣わせば雲南、九原(きゅうげん)、関隴(かんろう)を手に入れることができる」
元璋の示した策は諸将だけでなく、臨席していた劉基と善長も驚いた。長年戦場を駆け巡った結果、元璋の戦略眼は大きく成長した。劉基たちに異存はなく、嬉しげにうなずいた。元璋はさらに宋濂に命じ、北伐の意義を天下に宣言するため檄文を書かせることにした。
その内容とは――。
「元朝は天命をもって天下を治めた。しかし天命が去りし今、中原を出て北帰せよ。また群雄立つと言えども、ある者は妖言を信じ、ある者は人民を害した。このような状況を見兼ね、余(元璋)は討伐の軍を起こし、かつ天命によって中原に進出するものなり。心ある者は北伐を援け、余の許に馳せ参じよ」
と、いったものであった。宋濂は北伐の意義を見事な文章表現で書き上げた。ここに軍議は一決し、いよいよ北伐軍が進発することとなった。中央には「駆逐胡虜、回復中華」の大旗が掲げられた。
一方、元朝は――。
未だ軍閥同士の争いが収まらず、その争いの中に皇帝と皇太子までも加わってしまっている。まさに末期的状況であった。ココは国家をまとめようとあがいているがどうしようもない。そうした中、朱軍が北上していることが知らされた。
「ついに来たか――」
ココは机を蹴り飛ばして、己の非力を嘆いた。
そんな中、先代チャガンの代から仕えてきた貊高(ばくこう)が夜半、執務室に訪れた。 貊高は武芸百般、孫呉の兵法に通じた文武両道の人物である。チャガンの死後は陽となり陰となってココを支えてきた。
「閣下。朱軍の北上をお聞きになりましたでしょうか」
「……聞いた」
「このままでは各個に撃破され、大元は滅びます」
「申すな。そのために河南王となり、各将を束ねて逆賊どもを討とうとしたのではないか」
「ですが李将軍たちは陝西で叛旗を翻し、都でも閣下を取り除こうとされています」
「まさに四面楚歌だな。余はただ大元を支えたいだけなのに……なぜ皆、余を疑う」
「妬みというものでござりましょう。畏れながら閣下は力を持ち過ぎておりまする」
「力を?」
ココは首をかしげた。今のココのどこに力があると言うのか。力があれば思斉たちを束ねることなど容易なはずである。だが貊高は哀しげにかぶりを振った。
「そなたは余こそ大元の病根だと思うのか」
ココはやや怒りを込めた表情で尋ねると、貊高はそうではないと答えた。
「思斉たちに全権を委ねよと申すのか。あの狭量どもに朱賊を打ち破れると思うのか」
この問いに貊高は嘲笑しながら、かぶりを振った。思斉は歴戦の強者ではあるが、大局を見る目がまるでない。今元朝で力を持つ者で、国家の軍を率いる器はココ以外にいない。
「閣下のご器量は誰よりもこの貊高が存じ上げております。ですがここは一つ離(り)が肝要ではありませんか」
「離?」
「皆が閣下を疎まれている理由はただ一つ。河南王であり、かつ大元帥であられるからです。この地位をお捨てになれば道は開けましょう」
「異なることを申す。尋ねるが力無き余に思斉たちが従うと思うか」
「閣下にお力があろうとなかろうと、李将軍たちは従わぬでしょう」
「話が見えぬ」
「大元において国家の軍を率いる才をお持ちなのは閣下お一人。ですが大元を束ねるにふさわしいのはあるお方以外ござりませぬ」
ココはしばらく瞑目し、そのお方とは誰か考えた。そして答えがわかると、手を打った。
「皇太子様か?」
「ご明察」
「だが殿下は余を疎んじておられる」
「仰せの通りです。ですが二つのことを除けば閣下は重用されましょう」
「二つのこと……一つは皇位だな」
皇太子アユルシリダラは今日の元朝の衰退は全て父帝にあると考えている。国家を救うためには父帝から皇位を奪おうとした。しかし律義者であるココは皇位簒奪を認めなかったため、皇太子から恨まれてしまった。
「もう一つは閣下が力を持ち過ぎていることです。この二つを解消すれば危急存亡の今、殿下は閣下の想いを受け止められましょう」
「だがな――」
ココはこの考えに異論を挟んだ。河南王および全軍指揮権の返上はまだ良いとしても、皇太子の簒奪に同意することはできず、そのことを真顔で話した。
「閣下のご性分はよく存じ上げております。ですがここは貊高にお任せ願えませんか?」
「そなたに?」
「皇位につきまして閣下は否とも応とも申されますな。ただ流れに沿い、殿下をお助けください」
そう述べると、貊高は目に涙を浮かべ、拱手の礼を取った。貊高からはただならぬ気迫が漂い、ココは無言でうなずいた。
貊高は一軍を率いて陝西へ向かった。出陣の理由は反逆者・思斉たちを討つというものであった。ところがその途上、突如ココに反旗を翻したのである。
「我らは朝廷より妖賊を討つべく命を受けている。しかるにココティムールは官軍である李将軍を討とうとしている。ココティムールを降格させ、皇太子殿下に御出馬いただかなければ兵は退かぬ」
そう大都に向けてココの解任を奏上したのである。
皇帝はこの奏上文を奇貨とした。常々ココに兵権が集中していることを不満に感じていたために、嬉々として大元帥の地位を取り上げてしまったのだ。だが朱軍は大挙し北上している。そこで皇太子を大元帥とし、全軍の統括を命じた。ココは地位を失ったように思えたが、それは名ばかりで実は失ってはいない。兵権は以前のように有したままであった。
ここに皇太子の許、ココや思斉たち諸軍閥は一つに結集された。貊高は知枢密院兼平章に任じられ、皇太子の参謀として抜擢された。ところがこの人事に思斉たちが再び噛みついた。今度は反貊高同盟を結び、彼を糾弾したのである。貊高は人が変わったように傲慢となり、諸将から兵権を奪おうと目論み、さらには皇太子を意のままに操ろうともした。
敵の敵は味方――。そんな言葉がある。思斉はココの専横を憎んだが、貊高に比べればはるかにましだと思い始めたのだ。思斉は早速、ココが盟主になるよう申し入れをした。しかしココは、
「私は才なく徳がないために、諸将の反感を買った。あくまで一部将として殿下の指揮に従いたい」
と、総指揮を執ることを固辞した。しかしココ以外に貊高を抑え、北伐軍と対峙する者はいない。皇太子も三顧の礼をもってココを参謀として迎えるべく、何度も使者を送った。再三固辞したが、ようやくココはその任を受け、立ち上がった。ココの挙兵に対し、貊高は抗戦したもののあえなく敗死してしまった。この戦いの後、ココは参謀を引き受けたが、あくまで全権は皇太子に委ねた。この結果、思斉たちも素直に従い、一致団結―北伐軍に備えることができた。
貊高は悪名を一身に背負うことで、ココに実質的な指揮権を持たせたのである。それも皇太子という錦の御旗を掲げさせることにより、元軍を団結させることにも成功した。
ココだけは貊高の真意を知っていたが、決して口に出すことはなかった。彼の犠牲に報いるために、ただ身命を賭して元璋を打ち破り、大元を復興させる他にないと、固く心に誓った。
――だがここに至るまであまりに回り道をしてしまった。
もう少し――一年でも早くこの体制になっていれば、朱軍を打ち破る余力があったはずだが、これまでの内紛は蒙古軍を疲弊させ、厭戦気分が広がってしまっている。ココは暗澹たる気持ちで対朱軍の策を講じた。
呉元年十一月。
山東の沂州(きんしゅう)と益都をまたたく間に朱軍は陥落させた。沂州都督・王宣(おうせん)は死力を尽くして戦ったが、反乱が相次ぎ、持ちこたえることができなかった。
山東を征した徐達は兵を進め、済南に進出した。済南はココが思斉との対峙の際、拠点にしていた地である。しかしココの兵権が削減されたため、無人の城同然になっており、済南も徐達は難なく手に入れることができた。
――恐るべき速さ。
予測をはるかに超えた朱軍の速さにココは戦慄した。皇太子も山東陥落の知らせを受けるや、危機感を覚え、ただちにココを呼んだ。
「山東が落ちたそうだな」
「残念ながら……」
皇太子は指の爪を噛みながら、机上の地図を凝視した。そしてつぶやくようにココに語りかけた。
「丞相は……トクトは我らを見守っていてくれようか」
「きっとご覧になられておりましょう。丞相から教わった兵法を存分に大元のために使いましょう」
皇太子は目頭を熱くして、力強くうなずいた。
ココは形勢逆転のために洛水(らくすい)北部にある平原で大決戦を仕掛けようと試みた。これまで反乱軍は水郷や森林を駆使して蒙古軍を苦しめてきた。だが北方は平原が多く、騎馬民族である蒙古軍にとって有利な戦場が数多い。洛水北の平原は騎兵の威力が存分に発揮できるはずであった。またここを奪わねば河南の拠点である開封は奪えず、朱軍が北伐を完遂させるためには是が非でもこの決戦で勝利をつかまねばならなかった。
朱軍陣営ではすぐさま軍議が開かれた。相変わらず遇春は正面からぶつかり、短期決戦すべしと訴えた。だが徐達はうんとは言わない。
元軍を調べてみた所、皇太子の許、士気が盛んだと云う。また陣構えも名将・ココが指揮を執っているだけあって理に適っている。
――さすがはココティムール。
敵ながら天晴だと徐達は感心した。まともに戦って勝てぬことはないが、手痛い打撃を受けることは間違いない。そもそも騎馬戦において朱軍は不利である。
「衰えたとは申せ、敵は蒙古。平原での戦は我が方の不利」
そう述べると、遇春は反発した。
「決戦を恐れて蒙古を駆逐はできぬ。ここは天に命をあずけて決戦すべし」
「副将軍。この決戦は圧勝せねばならぬ。人智を尽くさず天に命をあずけるべきではない」
「では大将軍には何か策をお持ちか」
徐達は微笑しながらうなずいた。
「まず洛水の南に本陣を移す。さすれば洛水が自然の濠と化し、蒙古は容易に攻めてはこられぬ」
「ではそのまま持久戦をされるおつもりですか」
そう尋ねたのは参将に任じられた馮勝であった。馮勝とは馮国勝のことで、元璋が即位する前に「国」を避けて「勝」と名を改めている。
「いや。その間に彼らの手足をもぎ取る」
「馮参将は湯(和)参将と共に潼関を陥落してもらう。そして華州(かしゅう)から開封を攻略されよ」
「なるほど。敵の主力を引きつけ、その隙を衝くのですな」
徐達はにこやかにうなずいた。
「征戎将軍」
徐達は征戎将軍に封じられた鄧愈を呼んだ。
「将軍は襄陽を攻められよ。しかる後に南陽、帰徳(きとく)、許州(きょしゅう)へと進み、開封を馮参将と共に挟撃されよ」
鄧愈は謹直な面持ちで拝礼した。
「薛右丞(せつうじょう)、傅参将。そなたたちは一軍を率い、敵の左右に軍を展開せよ。ただし攻撃をしてはならぬ。昼は無数の旗を掲げ、夜は鐘鼓を盛んに鳴らして敵を疲れさせよ。一方に敵襲、もう一方が攻める姿勢を見せれば、敵は何もできまい」
薛顕(せつけん)と傅友徳は拱手して拝命した。
「さて副将軍」
遇春は待っていましたとばかり、大声で返事をした。
「貴公は殿(しんがり)を任せる」
徐達が命じ終わる前に、遇春は怒号を発した。
「大将軍はこの十万を侮るか」
「勘違いをされては困る。副将軍には我が軍を大勝利に導く役を担っていただきたいのだ。藍将軍」
徐達は遇春の秘書役となっている藍玉に声をかけた。
「君は副将軍の側にあって機を見るべし」
「機とは?」
「恐らく各軍が開封を攻撃すれば眼前の敵は浮足立つ。敵旗が乱れあればこの錦袋を開けるのだ」
徐達はそう言うと、懐から錦袋を取り出した。
「錦袋に副将軍が採るべき道をしたためてある。藍将軍。君の目を信じる」
藍玉は瞳を輝かせて拝命した。遇春は首をかしげていたが、
「まあ大将軍は策あると仰せじゃ。それを信じることにしよう」
と、拝命してくれた。こうして徐達は全ての手を打ち、諸将を進発させた。
なぜ攻めて来ないのか――対岸に陣を敷くココにはわからず、首をひねった。
皇太子の許に一つにまとまっているものの、先日まで相争っていたのである。時間が経てば思斉たちが妙な動きをしないとも限らない。騎虎の勢いで攻めて来てくれれば、騎兵を駆使して朱軍を撃破することもできる。だが徐達は一向に兵を動かす気配がなく、洛水南に陣取ったままであった。
――何か策があるのではないか。
当然そのように考え、徐達の行動を疑った。
数日後。ココは徐達の策がどのようなものか思い知らされた。まず襄陽が鄧愈によって陥落されたのである。いや陥落というより守将がろくに戦いもせず開城したのが実相であった。そのため南陽城も戦わずに降伏し、さらに馮勝と湯和が潼関に攻め入ったと云う。
潼関は思斉たちが守っていたが、徐達が洛水の蒙古本軍との連絡を絶ち切っていたために、情報面で孤立無援となっていた。思斉は歴戦の強者であるが、大局を見渡せる目が全くない。そのため目先の事象にすぐとらわれてしまう。
――援軍は来ないだろう。ならば多勢の無勢、ここは退くべし。
三日三晩防戦した後に潼関を放棄して、長安へと逃げ帰ってしまった。潼関を落とした馮勝は電光石火、華州に攻め入り、そして開封を目指した。
ココは完全に裏をかかれてしまい、打つ手を無くしてしまった。平原にて決戦だと考えていたが、徐達はそれに乗らず、四方に手を打ってココを封じ込めてしまったのだ。
皇太子はココに、
「何とかならぬのか」
と苛立ったが、ここまで手を封じられてはどうしようもない。次々と状況が不利になっていく中、次第に蒙古軍の規律が乱れ始めた。旗幟の動きがまとまりなく、対岸の朱軍にもそれがありありとわかる。この様子を監視した藍玉は、今こそ大将軍の言った「機」であると見た。早速遇春のもとに行き、錦袋を広げた。すると中に一枚の紙片が入っており、四つの文字が記されている。
「囲魏救趙」
魏を囲んで趙を救う――。孫子兵法にある用語である。
その昔、孫臏が用いた経略であった。魏の龐涓が趙都を攻め、その救援に孫臏と斉の将軍・田忌が向かった。しかし魏軍は精強でまともに戦っては勝ち目がない。そこで孫臏は魏都を攻め、龐涓を帰国させたのである。
徐達が示した策とは遇春に一軍を率いさせ、大都を攻めさせるものであった。大都は空き家同然であり、都を落とされてしまっては元朝が滅亡してしまう。すなわちこの魏とは元朝のことであり、趙とは朱軍のことであった。
「さすがは大将軍」
遇春は歓声を上げて大都に急行した。
この動きは当然ココの知る所となった。
「大都が狙いであったか」
ココは驚愕し、すぐさま皇太子に報告した。そして全軍率いて大都に引き返すことにした。
我が策成れり――徐達は蒙古軍撤退の知らせを聞くや、全軍をもって洛水を渡った。洛水を渡ると大都を目指す蒙古軍の背後を急襲した。だがさすがにココは名将であった。巧みに軍を指揮し、追撃を防いだ。その戦いぶりは敵味方から称賛され、その武名を両軍に轟かせた。
徐達は追撃しながら、一方で深入りさせないよう急使を遇春に送った。しかしその急使は不要であった。なぜなら遇春は戦の駆け引きに長けていたからで、大都近郊まで迫ったが、危険性を察知して兵を留めていた。
かくして徐達は蒙古軍を見事打ち破ることに成功したのである。その後、朱軍は各地を制圧し、残すは大都のみとなった。年は明け、四月を迎えようとしている。
大都は恐慌状態に陥った。
民衆は逃げ惑い、兵たちは規律をなくして富豪邸に押し込んでは金品を強奪した。大都に戻った皇太子とココは治安を維持することに追われ、とても防戦どころではない。朝廷では連日善後策が練られたが、会議は紛糾し、何も定まらない。その間、トゴンは朝廷にも出ず、ラマ寺院に籠って祭事に没頭する始末であった。そのため多くの朝臣が日を追うごとに姿を消し、それをココが討ち果たすといった悪循環が繰り広げられた。
閏七月。元朝は最後の時を迎えようとしている。トゴンは皇太子や奇皇后を初め、重臣たちを清寧殿(せいねいでん)に集めた。皆を集めたものの、経を唱えるだけで何も話そうとしない。やがて読経を終えると、長く細い息を吐いた。
「朕は大都を出て、上都(じょうと)へ参る」
――気が狂われたかッ。
この発言に座はどよめき、悲しみと殺意に似た怒号が渦巻いた。大都を出るとは国都を放棄することであり、それは国家滅亡を意味する。
「言語道断、烏滸なる振舞いでござりましょう」
皇太子は口泡を飛ばして、猛反対した。
「陛下は蒼き狼と白き牝鹿の誇り高き末裔でございますぞ。あのような南人どもにおびえ、都を捨てるなど父祖の御霊(みたま)に向かって何と申し開きをなされるのですか?」
この皇太子の言い様にトゴンは珍しく感情を露にして激怒した。
「何たる雑言か。皇太子如きが天子たる朕に意見するとは無礼なり。そもそもそなたが己の力量も弁えず、無用の師(いくさ)を起こしたのが全ての誤りではないか。そちこそ父祖に対して何と詫びるのか」
皇太子は言葉を詰まらせた。しかし逆上の余り、すぐさま顔を真っ赤にして父に詰め寄ろうとした。まさに父子が掴み合いをせんとする中、丞相のシムレンが進み出た。
「陛下。殿下のお振舞いは不遜。ですが都をお捨てになることは断じてなりませぬ」
「そなたまで逆らうかッ」
トゴンは怒号を発するや、剣を抜いてシムレンの喉元に切っ先を押し付けた。シムレンは閉目し、胸襟を開いて刺し殺すよう示唆した。すると今度は宦官の趙バヤン・ブカが満面を涙で濡らしながら、訴え出た。
「大都は世祖皇帝(フビライハーン)が築きし夢の都。陛下は世祖皇帝の裔(すえ)として死守せねばなりませぬ。我ら臣が身命を賭し、賊共を防いでみせます。我らに京城を死守せよとお命じくださりませ」
二人の必死なる嘆願にトゴンはおびえきってしまった。力無く剣を落とし、半狂乱したように叫んだ。その声はまさに元王朝の断末魔であった。皇帝の狂態を皇后や皇太子、丞相以下重臣たちはただ呆然と眺めるしかなかった。
やがてトゴンは叫ぶのを止め、一同を見渡した。そして皆がはっとするほど冷静な口調で語り始めた。
「皆は思い違いしておる。朕は敵を恐れて逃げるのではない……」
トゴンはつぶやくように話しながら、再び剣を手にした。
「大都を父祖の地だと申したな。だがよく考えてみよ。この地は本来蒙古族の物ではない。我らは草原の民。このような宮殿を造ったのが誤りの始まりであったのだ」
トゴンは頭脳明晰である。だがその頭脳はついに国家運営ではなく、皮肉にも逃げ口上のためだけに使われようとしている。トゴンは足をふらつかせながら、皇太子のあごをつかんだ。
「アユルシリダラ。そなたは蒼き狼と白き牝鹿の誇りを失うな、と申したな。だがここに蒙古族の誇りがあろうか。……そのようなものはない。ではどこにあるのか――それは北の草原のみだ」
トゴンは再度声を荒げた。
「今一度命ずる。大元の皇帝としてではなく蒙古の大ハーンとして命ずる。これよりこの大都を捨て、北へ帰る。今一度草原にて民族の誇りを取り戻し、しかる後に漢人や南人どもに鉄槌を与える。これは逃亡にあらず。北帰なり――」
この理屈に一同は唖然とし、誰も反論できなかった。ただ悔し涙を流しながら大都を捨てることに同意せざるを得ない。郊外に陣を敷いていたココはこの決定を聞き、当然反対をしたが、勅命である以上背くことは許されない。彼も皇帝一行を守るべく随行を命じられた。
その夜。夜陰に紛れてトゴン一行は建徳門(けんとくもん)から大都を抜け、居庸関(きょようかん)に向かった。居庸関は北の地への玄関口で、中原の出口でもある。トゴンは一族を伴って大都を捨て、上都へと逃亡した。
それから四日後。徐達率いる朱軍は大都に入城し、そして占領した。
――これが長年恐れ続けてきた蒙古の終焉なのか。
大都の大路を進みながら、徐達は喜びよりも虚無を感じていた。だがここに元王朝は百有余年の歴史に幕を降ろしたのである。そして元朝に代わって中原の主となったのは、この年の正月、皇帝に即位した元璋であった。
――いよいよ我らの時代がやってきたのだ。
徐達たちには元璋が創始した明(みん)王朝によって新たな人生が用意されている。それを思うと生命のみなぎりを感じずにはいられなかった。
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