朱元璋

片山洋一

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第十七話「十条龍の末路」

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   十条龍の末路

   一

 乱世の申し子――苗族の長・楊完者がまさにそうであった。
 苗族は流浪の民で、長江流域の支配者たちに傭兵として使われてきた。味方にすれば心強かったが、敵にすれば実に厄介であった。もっとも味方であっても決して油断はならない。なぜなら苗族は略奪をもって生活の糧としてきたため、治安維持の面からすれば彼らは目障りな存在でもあった。
 完者はそんな苗族の族長として生まれ、機を見るに敏で、その感性は天才的とさえ言える。
 完者の経歴は複雑であった。初めは流寇として長江付近を荒らし回った。そのため江浙地方の長官であったダッシティムールに嫌われて討伐しようとした。だが完者は苗族をたくみに采配して幾度も退けてきた。
 そうした中、張士誠が台頭し、元朝は焦燥した。その理由は「江浙稔れば天下足る」と謳われた地を奪われては国家運営ができなかったからである。
「ここは夷を以て夷を制しよう」
 と、元朝は自身も漢民族からすれば「夷」であることを棚に上げ、完者たち苗族軍を使って、士誠を討たせようと画策した。その代償として元朝は完者に元帥位を授けてしまったのである。
 ダッシティムールは苗族を「使った」つもりであったが、完者からすれば私腹を肥やすために元朝を利用しているに過ぎない。張軍征伐と称しながら関係のない地を略奪し、やがて裕福な杭州(こうしゅう)を拠点にして、苗族の力を増大させたのである。
 そうした時に元朝から朱軍を討つよう命が下り、完者は杭州から金華方面へと出陣した。 だが朱軍の李文忠に敗れて蒙古軍は壊滅し、完者は朱軍に降伏をした。降伏したものの、完者にとって朱軍ほど居心地が悪い所はなかった。
「軍律、軍律と縛りつけおって」
 完者は不満を抱き、朱軍を震撼させる行動に打って出たのである。
 金華やその隣にある処州を奪い、内部から崩壊させようと考えたのだ。ところがこの目論みは青田に帰省していた劉基に見抜かれ、あっという間に鎮圧されてしまった。完者は苗族軍を引き連れ、張軍に投降した。
 敗れた完者は苗族軍を率いて張軍の根拠地・蘇州(平江)より南に位置する嘉興(かこう)に駐屯している。その完者が何に戦慄を感じているのか――それは朱元璋が陳友諒を攻め滅ぼしたからである。朱軍は漢国を併呑し、今や張軍を遥かに上回る勢力に成長した。
 ――朱の野郎だけは嫌だ。
 完者は元璋のことを蛇蠍のように嫌っている。主を幾度も替えたが、誰の指図も受けずに気ままに暮らしてきた。  ところが元璋は苗族を厳しい統制化に置き、縛りつけた。そのことは完者にとって耐えがたいことであった。
 士誠は主と仰ぐべき器ではない。しかし放埓な士誠の性格が反映してか、張軍は無秩序で完者にとってこれほど居心地の良い軍団は他にはなかった。
 ――張士誠に朱の野郎を討たせなければならない。
 そのように考え、実行に移った。敵を崩すための力点があることを完者はよく知っている。朱軍を滅ぼす力点はいくつかある。もっとも大きな力点は言うまでもなく張軍であった。しかしすぐさま朱軍討滅に動き出すはずもなく、簡単に滅ぼせるほど朱軍の勢力は弱くはない。また豊穣なる地を手に入れている張軍は堕落しきっている。
 ――士誠が動かねばならぬ状況を作り出そう。
 士誠は現在、形式的に独立していない。元朝から太尉(国防相)の位を受けて隷属している。このままでは元朝の後ろ盾を良い事にぬくぬくと過ごし、動こうとしないであろう。
 ――ここはひとつダッシティムールに死んでもらう。
 完者は張軍を立ち上がらせるために、ダッシティムール謀殺を考えた。だが完者自らが殺しては意味がない。何が何でも士誠にやらさなければない。
 江浙の都督であるダッシティムールを張軍が殺したとなれば元朝から独立せざるを得ない。そして独立した張軍が生き延びるためには朱軍を倒さざるをえなくなる。なぜならば元軍の後ろ盾を失えば必ず朱軍が併呑すべく動くからである。
 二つ目の力点は朱軍内の反元璋勢力である。
 一時的であったが、完者はかつて朱軍に属していたため、朱軍における空気をよく知っている。軍律こそ天下統一への大きな武器だと元璋は考えている。しかしその軍律は厳粛で、息苦しさを感じている者は一人や二人ではない。邵栄や謝再興が裏切ったのは軍律に対する反感と疲労感が原因であった。あれから改善されているようだが、依然と不穏分子がくすぶっていることは間違いない。それら不平不満の徒をけしかけてやれば、きっと朱軍に大きな亀裂を生じさせることも可能であった。
 ――その火付け役に最適なのは謝再興だ。
 再興はかつて朱文正の後見人であり舅であった。そのため元璋から一族として厚遇され、対張軍の重要地であった諸曁(しょき)を任せられていた。
 三度に渡って張軍の重鎮である李伯昇(りはくしょう)が大軍をもって押し寄せてきたが、再興は一族挙げて奮戦し、諸曁を守りきった。ところが次第に再興は傲慢になり、自身と一族に対する待遇に不満を抱くようになった。
 そんな折、元璋の命で再興の次女が徐達の後妻にされてしまった。徐達は和州時代に妻を娶っていたが、死別したために独り身であった。元璋は宿将の結束を深めるためにこの縁組を考えたのだが、再興は謝一族への侮辱だと受け取った。
「わしは朱公の一族。徐達など一家臣であり、後添えにされるなど言語道断だ」
 と、誰彼なしに不平をぶちまけた。
 これを耳にした元璋は再興を諸曁の副将に格下げし、さらに謝一族が禁令品を売買していたことが発覚し、彼らを処刑してしまった。このことに再興は怒り、ついに一族挙げて士誠に寝返ってしまった。諸曁は朱軍から張軍のものとなってしまったのである。
 そんな再興にとって朱軍の隆盛は恐怖であり、張軍が滅ぼされてしまえば、謝一族は地上から抹殺されてしまう。
 ――謝再興は使えるぞ。
 完者の狙いは正鵠を得ていた。
 三つ目の力点は小明王である。安豊で救われた小明王は滁州に移され、名目的に皇帝として推戴されていた。朱軍は挙兵から現在に至るまで変わることなく「紅巾軍」である。
 今でも朱軍の中には多くの白蓮教徒がいる。四川の明玉珍(めいぎょくちん)が残っているとは言え、西系紅巾軍 ――天完国が滅びた今、小明王は唯一の白蓮教の教主であり、その影響力は決して侮れない。
 劉基は小明王救出に向かう元璋に対し、
「今さらあのような牧童を助けてどうするのです。皇帝として推戴するのか、それとも幽閉し、殺すのか。前者ならば主を設けるだけで何の意味もない。後者ならば助け出すことは無駄でありましょう」
 と言って、猛反対した。
 また朱軍にとって不都合なことは小明王の変貌であった。
 劉福通健在の頃は傀儡であったが、彼の死後、小明王は俄かに王として自覚が芽生え始めたのである。
 ――小明王は飾り物であれ。
 これが元璋の願いであったが、小明王はその意図に反して身を慎み、皇帝としての威厳を醸し出していた。
 少数民族とはいえ完者も乱世を生きる統率者である。一軍に統率者が複数いる不都合を熟知している。必ず元璋と小明王がぶつかり合うことは火を見るより明らかであった。この小明王に手を回せば、朱軍を根底から揺さぶることも不可能ではない。その工作を再興にさせれば効果的であると考えた。

   二

 張政権は蘇州を首都と定めていた。
 水運の街で、各地から物資が運ばれてくる。また春秋時代には天下に覇を競った呉が都に定めた地であり、江南文化の中心地であり続けた。百年ほど昔に蘇州を訪れたマルコポーロはその著書『東方見聞録』で「東洋のベニス」と賞賛したことはよく知られている。
 士誠が都に定めると、多くの文人たちが蘇州に集った。この時代、詩人の最高峰と謳われた高啓(こうけい)もその一人である。その張政権に独立の気運が高まったのは至正二十三年の夏ごろであった。
「張公の勢威は天をおおわんばかり。天命は張公に降り、蒙古どもを天は見放しつつある。その蒙古に臣従するは愚の骨頂」
 そうした市井からの声を受けて張士信(ちょうししん)たち高官もその気になっていた。
 ――民からの声はまさに天命。
 張政権の者たちは本気でそのように考え、その「裏」を考慮しなかった。
 だが古来よりこの類の「声」は意図的なものしかなく、政治を司る者たちは当然謀略を疑うべきであった。だが恐ろしいまでに素直でありすぎ、この一点だけでも彼らが乱世を生き抜く資格がないことは明らかであった。
 ――心細き連中だ。
 「天命」を流布させた張本人・完者は一抹の不安を感じずにはいられなかった。だが我が意に沿って事態が進行していることは、佳しとせねばなるまい。
 ――根回しが必要だ。
 完者は張政権を立ち上がらせるために、重臣たちの邸を訪れた。
 まず張政権の実力者である潘原明(はんげんめい)に面会した。
 ちなみに張政権の重臣たちに面会することはたやすい。それは賄賂さえ出せば誰にでも会ってくれたからだ。金銀財宝を完者が差し出したのは言うまでもない。原明は上機嫌で会ってくれた。完者は傲慢な性格であったが、時と場合によって慇懃な態度を取ることができる。この時も別人かと思われるほど低姿勢で進言したものであった。
「先日のことですが、我が家臣が北東に奇異なるものを目にしたとのこと」
「奇異なるもの、とは」
「何でもそれは龍であったとか。それがしも都に参ります途中、民が鳳凰を目にしたと申すのを耳にしました」
「龍に鳳凰、とな」
「これは誠王(せいおう)(士誠)様を天子にという瑞兆ではないかと拝察いたします」
「わしも宮殿の庭に麒麟が駆けるのを目にした」
「おお、それこそまさに天意。疑うべくもない。これら瑞兆の数々を是非、誠王様に奏上されてみてはいかがでしょう」
「奏上?」
「誠王様は天意を享けしお方。是非天子の位に登られ、我ら臣民に道をお示しになりますよう、宰相様からもお口添え願いたいのです」
 そう言うとはらはらと満面を涙で濡らし、原明の懐に金塊を忍ばせてささやいた。
「民の声をお聞きあれ」
 原明は金塊を受け取ると、完者の肩をさすりながら、深くうなずいた。どちらも煮ても焼いても食えない者であった。

 九月吉日。
「天意」を受けた士誠は呉王の位に登った。この日、蘇州の街は紅い灯篭で飾り立てられた。士誠は閶門(しょうもん)外に天壇を築かせ、天子の装束である黄龍袍をまとい、金銀で飾り付けられた馬車に乗って天壇へと向かった。
 この日、人々の眼を奪った集団がいた。それは呉王に随行した近衛兵で、「十条龍」と呼ばれる十人の若武者たちであった。十条龍とは「十匹の龍」という意味である。
 十条龍に選ばれたのは、いずれも蘇州を代表する富豪の次男または三男坊である。武勇だけでなく、容姿端麗、詩などもたちどころに詠んでしまうなど、まさに文武両道に秀でた者が選抜された。彼らは五行説に則った色の旗と甲冑を着用している。

 金鎧に緑袍は一条龍の陳季海(ちんきかい)。
 金鎧に紅袍は二条龍の朱河官(しゅかかん)。
 金鎧に黄袍は三条龍の秦維武(しんいぶ)。
 金鎧に白袍は四条龍の魏恩通(ぎおんつう)。
 金鎧に黒袍は五条龍の牛慶(ぎゅうけい)。
 銀鎧に緑袍は六条龍の梁義偉(りょうぎい)。
 銀鎧に紅袍は七条龍の郭積雲(かくせきうん)。
 銀鎧に黄袍は八条龍の孫六桂(ろんりくけい)。
 銀鎧に白袍は九条龍の唐福師(とうふくし)。
 銀鎧に黒袍は十条龍の陶羽(とうう)。

 それぞれ百人の精兵を率い、呉王の近衛軍として綺羅を飾った。蘇州の娘たちは挙って華やかな十条龍に憧れ、歓声を挙げた。呉王は終始上機嫌で蘇州に住まう者に祝い金を下賜し、そして一ヶ月もの間、連日連夜祝宴が催された。
 天に二日なしと云うが、士誠は許可なく呉王に即位したということは、元朝の皇帝を否定したことを意味する。つまり張政権は元朝と絶縁を宣言したのである。絶縁した以上、年貢を収める必要もなく、大都へ送っていた物資を全て差し止めた。この行為にダッシティムールは激怒し、蘇州討伐の軍を挙げたが、結果は火を見るより明らかであった。
 元朝はこの頃、派閥争いに明け暮れており、とても南方に兵を派遣することなどできない。そもそもダッシティムール自身が無能であり、兵に信頼されていなかった。
 張軍はダッシティムール軍を散々に打ち負かし、彼を追いつめることに成功した。ダッシティムールに残された道は自刎しかなく、張軍独立の背景にいた完者を呪いながらその生涯の幕を閉じたのである。
 完者は陣中でダッシティムールの最期を聞いたが、
「策も力もない豚は殺されるのは運命だ。自刎できただけもましというものよ」
 そう言ってせせら笑った。
 ――さて次は謝再興の出番だ。
 完者の企みは順調に進んでいく。

   三

「苗族がよからぬことを企んでいる」
 いち早く見抜いたのはまたしても劉基であった。劉基から見れば、完者の策略など児戯に等しく、片腹痛い。
 ――だが今は我が君を王位に即けることが先決だ。
 そう考えて、劉基はしばらく様子を見ることにした。
 士誠が蘇州で即位した翌年。元璋を王位に即けるべく朱軍の主だった者は計画を勧めている。その準備に追われている元璋に劉基は完者の動きについて報告した。
 元璋は指示を出しながら、その報告に耳をかたむけた。やがてひと段落が着き、茶を共にすすりながら、私見を述べた。
「伯温先生。好きにやらせてみてはどうか」
 劉基は顔を上げて、小首をかしげた。
「楊完者は張士誠を焚き付け、我が軍に不平を抱く者をあぶり出している。これを逆手に取れば天下統一への道がより近くなるのではないのか」
「さすがは我が君。恐れ入ります」
 元璋の見解に劉基は驚き、嬉しげに何度もうなずいた。元璋の言うように十把一絡げにすれば一挙に事が片付く。完者の行動は朱軍にとってありがたいものであった。

 年明けて一月吉日。
 元璋は家臣に推戴される形で、呉王に即位した。同時期に応天と蘇州に二人の呉王が並び立ったわけである。蘇州は春秋時代の呉都であったかもしれないが、応天も三国時代の呉都として栄えた。その後も六朝文化の中心であり続けてきた応天が真の呉都であり、その主の元璋こそが呉王を名乗るにふさわしい。即位した元璋は、嫡男の標を王世子、善長を右丞相、徐達を左丞相、遇春を副宰相格の平章政事に任命した。
 文武百官の職制は宋濂たちが整え、次代を担う中央政権としての体制を天下に示した。
 即位を祝って宴が催されたが、至って質素なものであった。呉王即位はあくまで戦略の一環であって、乱痴気騒ぎをするものではなかった。それでも諸将には酒肴が振舞われ、多くの者は慶事として喜んだ。しかし中には笑止と思う者もいる。
 その一人が趙継祖(ちょうけいそ)であった。濠州時代からの同志で、幾多の戦場で活躍した功多き将である。謹直な人物で軍律を厳守してきたため、元璋の信任も篤い。その継祖が近頃、元璋に対して不満を抱いていた。理由は自分に対する褒賞や処遇についてではなかった。
 ――弥勒菩薩様をないがしろにすることは許さぬ。
 つまり宗教的なことに関しての不満であった。継祖は狂信的な白蓮教徒で、本気で弥勒菩薩の化身である明王が降臨し、世を済ってくれると信じていた。また小明王こそ明王であると信じており、彼を推戴することを誰よりも喜んでいた。
 ――しかるに何だ。
 継祖は怒りに体を震わせた。このたびの呉王即位に関して小明王の勅許が降りていない。宴が終われば報告をする、と元璋は言うが、これほど小明王をないがしろにする話はないだろう。そもそも友諒を破ってからは白蓮教から脱却しようという姿勢が見え始めている。
 小明王を「牧童」と言って憚らない劉基を重用していることでもわかる。劉基は終始一貫、誰よりも激しく白蓮教排除を訴えていた。安豊より小明王を救い出し、応天に迎えた時、元璋以下諸臣は臣下の礼を取って迎えたが、劉基だけはそっぽを向いたまま拝礼しなかった。そのことをとがめられると、
「韓林児などたかが牧童。あのような益体もなき者に下げる頭など持ち合わせておらぬ」
 と、言い捨ててその場を去ったのである。そんな劉基を元璋は黙認し、以後も側において重用している。この時からひそかに元璋を討ち取ろうと叛心を高まらせていた。
「良い人材はいないものか」
 この頃――完者は諸曁に赴いては朱軍崩壊をうながす者がいないか、再興に尋ねた。 「良い人材」とは元璋に反旗を翻す者のことである。再興は小声で何人か名を挙げた。その中に継祖も含まれていた。
「趙継祖……彼は篤実な男で、朱元璋の信任篤き者ではなかったのか」
「彼に元璋への忠誠心などない。元璋が白蓮教を信奉していると思っていたから忠義を尽くしてきたのだ。小明王をないがしろにする元璋に白蓮教徒たちは憤慨している」
「では小明王を挙兵させれば朱軍は内部から崩壊しますか」
「さて、それはどうか。小明王は名ばかりの皇帝ゆえ、元璋討伐の勅を発してもすぐに潰されてしまう。また趙継祖たち数人が反旗を翻しても意味がない」
「意味はありますよ。病も一つだけならば治すはたやすい。しかし体力が衰えている時に病にかかれば命取りとなるものです」
 完者の考えはこうであった。外敵のいない状態で継祖たちが小明王を担ぎ出してもすぐに鎮圧されてしまうが、張軍と全面対決している最中に叛旗を翻せばどうなるか――朱軍は内憂外患、大きな痛手を蒙るに違いない。だが肝心の士誠が動かなければどうしようもない。彼は万事腰が重く、動きも鈍い。
 彼の長所は物に執着せず気前が良い所である。そのため多くの人材が集まり、今日の隆盛を築いた。しかしその長所も裏を返せば致命的な短所となる。執着しない性格は一貫性がない。一貫性がないということは施策などもその場その場の雰囲気で変更してしまうため、結局何事も成すことができない。味方に対して度量広く寛容なのは良いが、敵を含め誰に対してもそうであったため、しばしば策略にかかってしまう。士誠がもし泰平の世に生まれておれば、自由闊達な世を築くことができたかもしれない。しかし今は弱肉強食の乱世である。隣接する元璋が天下統一のため大きく動いている中で士誠の温和な性格は仇となろう。
 張呉国で政治家と呼べる人物は二人いる。
 一人は士誠の弟で、故人の士徳(しとく)。物事を合理的に見ることができる人物で、初期段階において張軍が力を得たのは彼のおかげである。だが不幸にも朱軍によって捕殺されてしまった。その後、張政権が士徳なしに成長を遂げたのは豊穣な江浙地帯を有していたことと、周囲の敵に攻める余力がなかったからに過ぎない。
 もう一人は宿老と言うべき伯昇がいる。旗挙げ時からの同志で、智謀溢れる人であった。華奢を好む張軍の中では珍しく倹約家であった。積極性こそなかったが彼の質実剛健な施策が張軍を支えてきた。
 完者と再興はこの宿老を説得しようと、伯昇邸へと向かった。二人の来訪を受けた伯昇は、
 ――裏切り者風情が焦っておる。
 と、初めは片腹痛いものを感じていた。しかし再興はかつて元璋が一族に加えようと考えたほど説得力がある。半刻もすると伯昇の態度は一変した。
「このままでは朱元璋に併呑されてしまいます」
 このことに危惧を抱いていたのは完者と再興の二人だけではなかった。伯昇ほど朱軍の勢いを恐れていた人物は張政権では誰もいない。
 ――国を守るためには裏切り者であろうが何でも使わねばなるまい。
 再興に説得された、と言うより、この二人を利用しようと知恵者たる伯昇は目論んだのである。無論、完者たちも利用されることを望んでいた。双方の思惑は一致し、伯昇は士誠の説得を約束してくれたのである。再興は諸曁を死守し、また完者も嘉興を拠点に朱軍を混乱させることを誓って、帰っていった。
 ところが完者たちの計算を狂わせたのは張軍の鈍さであった。伯昇はすぐさま士誠を説得してくれたが、その命を実行する張政権の実務能力が不全状態に近く、朱軍の知れるところとなってしまったのだ。
 ――兵は神速を尊ぶ。
 兵法の初歩であるが、一部を除く張軍の首脳部は悉くそのことを理解していない。
 一方。張軍の動きを察知した朱軍は比べ物にならないほど迅速であった。
「先手を討つべし」
 劉基は即座にそう進言した。元璋も言われるまでもなく、先手を打つべく準備を整えていたのだ。
「徐達を大将軍、常遇春を副将軍とし、水陸より淮東へ攻めさせる」
 劉基は「お考えのままに」と満足気に拱手した。
「ところで先生」
 急に元璋は神妙な顔つきとなった。
「先生の申されたことは正しかった」
 劉基には意味がわからない。
「安豊の件だ」
 今さら何を言い出すのか不思議に思い、首をかしげた。友諒との決戦前、小明王を助けんがために安豊に向かおうとした時、劉基は危険だとして猛反対した。だが安豊救出は友諒を誘き出すことができたため、結果的には成功だった。だが元璋は戦略的な意味で後悔しているのではないらしい。
「滁州で妙な動きがある」
「力を奪われた君主は陰謀を巡らすもの。牧童でも君主である以上、自分よりも輝かしい太陽を快く思わぬが道理」
 元璋は劉基の顔を見ず、庭を凝視した。
「張士誠討伐にあたって八つの罪を天下に明らかにしたい」
 善長に起草させた「張士誠八大罪」という檄文を手渡した。その内容とは、
「天下の塩を密売し、兇徒を結集して反乱を起こした罪」
「元朝に降りながら官吏を害した罪」
「国を建て改元した罪」
「再び元朝にまた降る罪」
 と、いったものであった。
 劉基は一通り読み終えると、目を細めて元璋の顔を見つめた。「それならば大王こそ天下の咎人ですな」とは皮肉らない。勝手な理屈であるが、同じ行動でも天命を享けし者は正義で、そうでない者は悪となる。これが易姓革命思想で、多くの王朝創始者は堂々と天命を名目に矛盾を吹き飛ばして天下を制した。
 劉基は何の異論もなく読み続けたが、ある項目を目にして驚いた。天下の害悪として士誠を名指しで罵倒しているが、害悪の対象として「邪教・妖言を信奉する者」「無能にて民を救わず、贅の限りを尽くした者」という項目が含まれているのである。
 邪教・妖言を信奉する者とは白蓮教のことで、つまりは小明王を指している。士誠はかたくなまでに白蓮教との繋がりを絶ってきたため、「邪教・妖言を信奉する者」には当てはまらない。反対に弾劾をしている元璋こそ、その対象となる。
「時を経れば人は変わる。安豊におられた時は聖君であられたが、滁州にご動座されてからすっかりお変わりになった」
 この時、劉基は元璋の眼光に殺気を感じた。かつて元璋はこのような目つきをしたことがなかったが、天下統一を目前に何かが変わろうとしていた。
「我が君は天下万民の父にならねばなりませぬ。心に鬼を飼うは乱世を生き抜く主の宿命でありますが、鬼そのものになられまするな」
 乱世を制し、天下を治めるためには多かれ少なかれ手を血で汚さねばならない。しかしあまりにも血でけがれすぎると民の心が離れていってしまう。天下に二日は不要であるが、取り除く方法を吟味する必要があった。その筋書きを考え、実行するのは劉基や善長たち謀臣の仕事であった。劉基は天下安寧のためには自分が代わりに鬼にならねばならぬ、と覚悟を決めるのであった。

 元璋は徐達と遇春に兵を与え、水陸から張呉国を攻め入らせた。
 もし友諒であったなら大軍を結集し、一直線に蘇州を衝いたに違いない。しかし元璋は無理な戦を決してしない。より確実に勝てる手を一つ一つ打っていく。
 張呉国は天下第一の豊穣の地を有している。戦意・戦術ともに朱呉国は大きく上回っているが、経済力において張呉国には遥かに及ばない。短兵急に本拠を衝けば、必ず周辺地の張軍に包囲され兵糧攻めにされる。そうなれば暗躍している完者たちの思うつぼで、朱呉国は一年もせずに内外から滅ぼされてしまう。
「時の流れは我が方にあります」
 そう進言したのは馮国勝であった。
「道無き者は強盛を誇ろうとも必ず時に敗れます。ですが道行く者は地に足をつけて歩んでいけば必ず時を味方にすることができましょう」
 張呉国の者――完者や再興、そして主たる士誠などに先見の明などない。彼らに見えているのは目先のことだけで、遠く輝く光明など見ようともしていなかった。長く辛い戦いが続くであろうが、元璋は己と朱軍を信じてじっくりと進んで行こうと心に決めた。
 至正二十五年十月。
 朱呉国は張呉国の淮東方面に侵入を開始した。朱軍発動の知らせを聞いた完者は、
「早くも動いたか」
 と、舌打ちした。と同時に張軍の遅さを嘆いた。朱軍の侵攻を受けながらも右往左往するばかりでどうしようもない。
 朱軍侵攻を受けて、張軍首脳は愚かな手を打ってしまった。
 兵の逐次投入である。戦いの法則として敵よりも兵数、装備、戦略、地理をどれだけ有利に用意できるかにかかっている。ところが張軍は行き当たりばったりで少数の兵を繰り出し、その都度全滅させるという最悪な対応をしてしまった。
 そのためこの年の戦闘で張呉国は泰州(たいしゅう)、通州(つうしゅう)、高郵(こうゆう)、淮安(わいあん)を奪われ、国中に厭戦気分が蔓延することとなる。厭戦気分こそ最も恐れなければならない現象であったが、士誠は頓着しなかった。
「地上の天堂たる蘇州と、神兵たる十条龍がある限り、何も恐れることはない」
 と、杯を片手にして士誠は豪語していると云う。伯昇や呂珍といった憂国の将たちはこぞって諌めたが、士信や原明などは主君と共に享楽にふけって聞く耳を持たなかった。 こうしてこの年は暮れていった。

 翌二十六年は張呉国にとって深刻な年となった。昨年の無策が張呉国を破滅へと誘うのである。
 八月。元璋は再び徐達と遇春に張呉国征伐を命じた。前回は張呉国の国力を削ぐことを主眼としていたが、今回は蘇州を落とし、張呉国を滅ぼすことを目的としている。遇春は良くも悪くも単純であり、一気に蘇州を攻めることを進言した。しかし元璋は首を縦に振らなかった。
「湖州(こしゅう)に張天騏(ちょうてんき)、杭州に潘原明が兵を駐屯させておる。彼らを無視して蘇州を進めば必ず背後を衝かれる。それよりもまず湖州、杭州を攻略するのが順序だと思う。蘇州はしかる後に攻めるのだ」
 戦は化学反応のように一つの手によって様々な動きを見せる。敵は蘇州を攻められることを警戒し守りを固めているようだが、意表を突いて湖州と杭州を襲えばどうなるか。
 ――個々に立ち上がるのではないか。
 元璋はそのように計算をした。湖州は蘇州にとって生命線で、杭州は喉元にあたる。ここを攻めればいくら暢気な士誠でも自ら兵を率いて救援に来る。また完者は略奪のみを生計としてきたため、これ以上持久戦に持ち込みたくはないはずで、彼も必ず動き出す。
「戦は長引くであろう?」
 元璋がそう尋ねると、善長は苦い表情でうなずいた。湖州と杭州、その後蘇州を攻略すれば張呉国の経済力を考えれば一年以上は戦いが続くに違いない。善長は暗澹たる思いになったが、元璋はにやりと笑い「そうか」と答えたのみであった。
 長期間出征すれば違う化学反応が起きるに違いない。元璋はただ笑むだけで胸中を誰にも明かさない。
 朱軍二十万はまず湖州に攻め入った。湖州の守将・天騏は城門を閉じ、杭州に援軍を求めた。杭州の原明は直ちに出陣し、救援に向かった。この動きはすぐさま徐達の知る所となり、早速副将軍の遇春と軍議を開いた。徐達はまず文忠に一軍を与え、杭州方面を攻略するよう命じた。
「杭州は湖州に援軍を出したゆえ、手薄になっている。この間に諸曁を攻め、杭州への道を切り開かれよ」
「大将軍。もし敵の本軍が出て参りましたら、いかがいたしましょう」
「張士誠が出てくれば、挑発をしながら湖州へ誘ってもらいたい。湖州を彼の死に場所にするか、または張軍を根底から叩き潰す」
 次に遇春を呼んだ。
「副将軍。敵の張天騏は短慮な人物。副将軍の得意な悪口雑言で立腹させ、敵を誘き出されよ」
「悪口雑言が得意とは心外な。それならば大将軍などはこの十万よりも才覚をお持ちじゃ」
 口でこそ遇春は徐達に苦情を述べたが、その実不満のかけらもなかった。徐達と遇春は性格が正反対であったが、元璋はあえて異なる二人を組ませることによってたがいを高めさせようと考えていた。平素はくだらないことで口論するのだが、いざ作戦となれば不思議と息が合った。
 翌朝。遇春は兵を率いて湖州城へと向かい、城外で天騏に罵詈雑言を投げかけた。遇春は敵を挑発することが得意で、ほとんどの者は立腹して打って出てくる。徐達の思惑通り天騏は短慮者で、すぐに城から飛び出た。遇春は一旦逃げると見せかけ、敵を懐深くおびき寄せた。そして周囲を取り囲み、天騏軍を徹底的に叩きのめした。
「追撃せよ」
 そう遇春は号令したが、徐達から留まるよう伝令が送られてきた。戦場において遇春は気が荒い。理由如何によっては伝令すら斬り捨てようという気迫がある。だがこの伝令はよほど豪胆な男であるらしく、おびえる様子がまるでなかった。
「小僧、中々の肝っ玉だな。名は何と申す?」
「大将軍麾下・藍栄(らんえい)が弟、藍玉(らんぎょく)と申します」
「そうか。大将軍の許で手柄を立てるが良い」
 遇春は豪胆な者が好きであった。この気概あふれる青年のおかげで強情を引っ込め、天騏軍を湖州へ逃がしてやった。ちなみにこの藍玉の姉は後に遇春の妻となり、彼は遇春の義弟として活躍することになる。
 徐達が天騏を討ち取らなかったことには理由があった。徐達の見るところ、蘇州の守りは想像以上に堅く、他城の守りはもろい。このまま進めば蘇州以外は簡単に落城させることができるが、敗残兵は全て蘇州に集結し、厄介なこ とになる。
 ――湖州を囮にし、蘇州を手薄にしてやる。
 徐達は周囲の地理を調べ、十か所土塁を築いた。その間、火砲を湖州城に撃ち込むばかりで、一向に城を攻めようとしない。すると二日後に杭州から原明率いる援軍が来着した。来着したのは良いが、すぐさま遇春の野戦軍に打ち破られ、ほうほうの体で杭州へ逃げ去った。さらに三日後に各地から援軍が現れるのだが、全て個別に撃退されてしまった。
 ――張軍に人はいないのか。
以前より張軍は兵力の逐次投入を繰り返してきた。兵力の逐次投入ほど愚かなことはない。そのようなことをすれば個々に撃退されてしまい、ただ国力を費やすだけだからだ。 この稚拙な戦い方に業を煮やしたのは完者であった。幼少の頃より戦場で育った完者にとって張軍の戦い方は我慢ならない。
 ――こうなれば俺が。
 完者は嘉興を出て湖州に向かうことにした。湖州を救援する――これが完者の表向きの理由であったが、実は嘉興から脱出したいと考えがあった。完者率いる苗族は略奪暴行をすることで生計を立てている。彼らは城を占拠しても政治はせず、ただ奪い尽くすだけであった。そして何も無くなれば次の城へと移動していくのである。嘉興に駐屯して一年以上経つが、その略奪は言語を絶するものがあった。そのためこの頃になると嘉興は廃退し、民衆は完者と苗族を呪った。このまま待機していればそのうち嘉興の者たちが襲ってくるのは火を見るより明らかで、完者は追われるようにして出陣した。
 ――俺は今、どこにいるのか。
 完者は自分がどのように動いているのかわからなくなっていた。当初は士誠に元璋を攻めさせ、自身の安泰を画策した。ある時期までは思いのままに事が進んだのだが、その計算が狂い始めている。今回の出陣にしても完者に主体性などない。蜘蛛の巣にかかった小虫の如く、もがけばもがくほど自身の立ち位置がわからなくなっている。湖州に軍を進めたが、手持ちの兵糧がないため、各地で略奪を繰り返した。このため士誠は激怒した。
「あの者は獅子身中の虫。湖州を援けに来たと申すが、どのような下心があるかわからぬ。討ち取ってしまえ」
 以前の完者ならすぐさま士誠の行動を察知できたのだが、今は違った。周囲が全く見えなくなっており、ただ湖州へと進軍する。士誠はかつて安豊で福通を討ち取った呂珍に大軍を与え、湖州へ急行させた。その途中で苗族軍に遭えばこれを討つべし、と密命を与えた。湖州に着くまであと一日という所で、苗族軍は野営した。この日も付近の村々を襲い、多くの村人を殺戮した。
「明日は朱軍と戦い、あの者どもから食糧を分捕る」
 そう兵たちを鼓舞し、眠りに就いた。だが蘇州より参った呂珍は完者を謀反人として討ち取るつもりであった。
 苗族軍はまさか友軍に狙われているとは露知らず、夜襲の備えなど全くしていない。こうした時に呂珍率いる大軍が夜襲をかけてきたのである。完者はすぐさま応戦したが、多勢に無勢で多くの苗族軍が殺されていった。それでも必死に采配を振るったが、あっけない最期が待ち受けていた。
「頭。あんたは道を違えた」
 突如同族に刺殺されたのである。完者は凄まじい形相で、
「恩知らずめッ」
 と叫んで、絶命してしまった。元朝、朱軍、張軍と渡り歩いた完者はここに波乱に満ちた生涯を閉じた。
 完者の死は張軍に負の連鎖を起こさせた。もっとも衝撃を受けたのは言うまでもなく再興である。再興が守る諸曁は杭州の入り口に当たり、文忠の分隊がこれを攻めていた。さすがに歴戦の強者である再興はこれをよく防いでいた。そんな再興であったが完者の死が伝えられ、すっかり動揺していた。
 ――次に誅殺されるのは謝一族ではないのか。
 恐怖心のあまり、彼もまた自身が見えなくなっていたのである。完者の考えに従い、朱軍の継祖に調略を施していた。白蓮教存亡の危機を訴え、反乱の気運を高めさせていた。そしてこのたびの張呉攻略の隙をついて小明王独立させる計画も進めている。全て上手くいっていると思っていたが、完者があろうことか朱軍にではなく張軍に滅ぼされたことを聞き、彼の計画も瓦解してしまったのだ。
 ――味方を討ち果たすような者の許にいては身が危うい。
 再び朱軍に戻れぬか模索するようになっていた。諸曁を取り囲む朱軍の将は文忠である。 彼とは共に金華や諸曁を守った同志であった。また文忠は戦場において一騎当千の猛者だが、ひとたび戦が終われば孤児を義子として引き取るほど心優しい青年である。仲間にも寛容で、彼を通してなら朱軍への帰参が許されると一縷の望みをかけて文忠に使いを送った。文忠は快く元璋に取り次いでくれたが、その返事はにべもなかった。
「爾ら謝氏は我が朱家の一族であった。一族を裏切り、さらには干戈まで交えておきながら帰参を願うなど言語道断。断じて許すまじ」
 そう言って再興の願いを一蹴した。ところが五日の後。突如として朱軍は包囲網を解いたのである。
 ――さては思本(文忠)殿のお計らいか。
 そう再興たち謝一族は窮地を脱したと喜んだ。だが彼らはあまりにも元璋のことを甘く見すぎていた。元璋は彼ら一族を赦す気はなく、また文忠も叔父の命に背いて温情を示さなかった。全ては謝一族を短期間で滅亡させるための罠であった。包囲が解けるや否や、妙な噂が広まっていった。
「謝再興は朱元璋の許しを得て、軍を諸曁から退くらしい」
 この噂はすぐさま杭州に帰還していた原明の耳にも入り、彼は激怒した。
「楊完者と同じく謝再興も裏切るか」
 原明は呂珍に連絡を取り、諸曁を挟撃することにした。どこにも味方がいないと悟った謝軍は次々に張軍に投降した。中には恩賞目当てに諸曁に火をかけるものもあり、再興は追い詰められてしまった。再興は一族と共に諸曁の名刹・永安寺に籠り、自害して果てた。ここに張軍はまた一つ友軍を滅ぼしてしまったのである。
 友軍――張軍にとっての謀反軍を鎮圧した後、六万の兵を率いた呂珍が湖州に到着した。
 徐達は即時決戦を主張する遇春を抑え、築いた十か所の土塁に分かれ、呂珍軍の糧道を断つことに成功したのである。呂珍は糧道を確保するために戦いを挑んだが、そのたびに撃退された。兵糧なくして大軍は維持できず、崩壊寸前におちいった。この危機的状況を受けてようやく士誠自ら大軍を率いて湖州へと出陣してきたのである。
 ――士誠自らがやって来たか。
 徐達はこの知らせを聞くや手を打って喜んだ。
「十万殿。お待たせいたしました。思う存分、暴れてくだされ」
 徐達は満面に笑みを浮かべながら遇春に五万の騎馬兵と、策を授けた。
「任せられよ」
 遇春は腕をさすりながら、兵とともにいずこかへと消え去った。また文忠にも徐達は密使を送って策を伝えさせた。いよいよ張軍と雌雄を決する戦いが近づいたのである。
 かくして両軍は湖州にて激突した。
 士誠は天騏を城外に出陣させ、挟撃の姿勢を取った。徐達は十の防塁を巧みに使い、互角に渡り合った。敵が攻めれば退き、敵が退けばこれを追い、その用兵術は神業のようで敵味方共に驚かせた。
 激戦は三日三晩行われ、両軍共に疲労の色が見え始めていた。しかし挟撃されている徐達軍が不利であり、士誠は勝利を確信し始めていた。
 ところがその確信を揺るがす知らせが士誠に入った。何と朱軍の別働隊が蘇州を目指しているとのことであった。
「不覚であったッ」
 士誠はそう叫び、急ぎ兵を取りまとめた。張軍はなりふり構わず蘇州に向かって軍を発進した。
「今こそ青史に名を残す好機なり。皆の者、攻めよ、攻めるのだ」
 徐達は声を励まして兵たちを鼓舞し、追い打ちをかけたのである。さらに遇春の軍が反転をし、張本軍を急襲した。
 今度は張軍が挟撃される運命になった。本軍の窮地を救うべく、湖州軍が打って出て、徐達軍と激闘を開始した。両軍入り乱れての戦いであったが、徐達最後の秘策が張軍を待ち受けていたのである。
 文忠率いる別働隊が、手薄になった湖州城を陥落させてしまい、このため湖州軍は浮足立ち、壊滅的打撃を受けてしまった。張本軍は三方から攻め立てられることになってしまい、士誠はやむなく全軍撤退を命じた。
 ――手を緩めるなッ。
 張軍の撤退を何もせず徐達が見逃すはずがない。蘇州に逃げ帰る張軍を執拗なまでに追い討ちをかけたのである。
 この追撃に張軍は悩まされたが、十条龍たち近衛軍が士誠を守り、命からがら蘇州城へ逃げ込むことに成功した。   
 士誠は蘇州に帰城することに成功した。しかし湖州での敗北は張呉国にとって致命的なものとなってしまった。
徐達はこの機を逃さず兵を急行させ、またたく間に蘇州を取り囲んだ。さらに元璋が応天より出陣し、蘇州包囲網を強化させたのである。
 蘇州には巨万の富が集まっている。しかし度重なる敗戦で、豪商たちは財産を持って逃亡してしまった。また食糧も多くは残されてはいない。元璋は無用の被害を出さぬよう兵糧攻めにすることにした。その間、湯和や鄧愈、沐英たちに一軍を与え、各地を鎮圧させた。張軍は幾重にも囲まれ鬱屈の日々を過ごす他なかった。

 至正二十六年も暮れ、翌二十七年春。
 蘇州はひたすら耐えている。地上の天堂と称せられた街であったが、それにも限界がある。このまま籠城を続けていては張軍には絶望しかない。いつかは食糧が途絶え、滅びてしまう他ない。
 ――餓えて死ぬよりは天に命を預け、戦ってみよう。
 士誠は最後の決断を下した。
 十条龍を中心に五万の精兵をもって朱軍の包囲網を突破しようと考えた。士誠は王后の劉氏、士信たち重臣、そして十条龍を王府に召集し、別れの盃を交わした。挙兵時でもそうであったが、士誠には追い詰められると人々を感動させる不思議な魅力がある。
「余が不明なばかりにかかる仕儀となった。このままではただ指をくわえて我らの滅亡を待つのみ。ここを出でていずこへと逃げるも手だが……蘇州は我らが得た地上の天堂。また蘇州の民は我らと共にあった。ここは命を惜しまず、名を惜しみたい」
 この言葉に全員涙を流した。士誠は呉王にふさわしく、九匹の天龍が刺繍された黄金鎧を身に纏った。士誠の周りを十条龍たち近衛兵が固め出陣をしたのである。
 士誠が決戦に定めたのは閶門であった。閶門は長江や大小の沼沢が入り組んでおり、朱軍の包囲網も他の門に比べては少ない。また大軍が展開出来る場所でもないため、ここを決戦場に選んだのだ。
 ――俺は王だ。最期はきらびやかに出陣してやる。
 士誠は鐘鼓を鳴らしながら、門を八の字に開かせた。
 一方閶門を攻略していたのは遇春である。張軍の迎撃を知り、喜色を浮かべて武具を取った。副将には水戦に慣れた康茂才がついている。遇春は茂才に船を出させ、敵の様子を遠望した。張軍の旗幟は壮気に満ちており、今までとは雰囲気が違っている。
「老康」
 目を細めながら茂才を呼んだ。
「どうやら敵は死を決したようだな」
「そのようで」
「死兵を正面から迎え撃つなど愚かなことよ」
「ほう、ではお逃げになるので?」
「俺を誰だと思っている。常十万ぞ。逃げはせぬ。敵の鋭意を避け、避けた後に取り囲んで死兵の意気を削ぐ」
「副将軍の仰せの通り」
「老康。この戦は決して負けてはならぬ。ここで大勝すれば蘇州は陥落する」
この決戦で張軍に敗北すれば戦いは長期化してしまう。そうなれば北の元朝、南の方国珍、西の玉珍、さらには不穏な空気を放っている小明王がどのような動きをするかわからない。遇春は必勝の心構えで張軍を迎え撃った。
 張軍の先陣を務めたのは原明であった。彼は一万の兵を率い、果敢に遇春軍に突撃した。その意気は凄まじく、遇春軍はこれを上手く交わした。原明は勇猛であったが、智謀がない。何度も単調な突進をしてはかわされて周囲を取り囲まれた。原明軍は当初その意気は天を衝くものであったが、この遇春の作戦で戦意をくじかれ、半刻もしないうちに半数以上の兵を失ってしまった。
 士誠は馬上で激怒し、次々に兵を投入した。だがこの時も士誠の悪癖が出て、少数を逐次投入してしまった。軍師とされていた伯昇だが、かれは参謀として失格で、この期に及んでもこの愚挙が愚挙であることがわからなかった。
 ――まだ同じ過ちを犯すのか。
 茂才が哀れさに思うほど、張軍は愚策を摂り続けている。同じ作業を続けていくだけで張軍は崩壊していく。
「おのれ、こうなれば王自ら軍を進める」
 士誠は怒号を発し、周囲が止めるのも聞かず、十条龍と二万の精兵を引き連れて前線に出た。士誠が軍を進めたのは閶門近くにある山塘(さんとう)という小高い丘であった。本営をその丘に移し、激しく陣太鼓を鳴らした。そして十条龍を先陣に遇春の陣に目がけて突撃した。また突撃軍をいなして取り囲むのかと思いきや、遇春は血刀を振るって張本軍の攻撃を塞いだ。
「死兵と戦うな」
 そのように遇春が命じていたにも関わらず、二刻ほど両軍は激突した。張軍はすでに死兵と化している。猛将・遇春といえども死兵相手は厄介であった。じわりじわりと朱軍は押されつつあった。だが遇春は勇猛だけの将ではない。何の策なく正面から戦いを受けたのではなかった。いつの間にか張軍の背後に別働隊を派遣し、急襲させたのである。
「どこから現れおったッ」
 士誠は目を真っ赤にしながら狂乱するように叫んだ。別働隊は常軍に配属されていた周徳興で、あらかじめ山塘付近に伏兵させていたのである。この急襲で張軍は総崩れとなった。
 遇春はすぐさま包囲するべく、次々と手を打った。茂才に信号を送り、張軍左方から攻めさせた。また蘇州包囲直前に徐達から譲り受けた藍玉に一軍を与え、右方から攻めさせた。藍玉は軍を統率することは初めてであったが、手練の将の如く、見事兵を指揮した。
「ここからは我らが死兵と化す時。命が惜しければ命を顧みるな。無事家族に遭いたければ家族を思うな。命を天に、いやこの常十万に預け、青史に残る働きをせよ」
 遇春は叱咤激励をするや、自身もかつて一騎で戦場を駆け巡っていた頃に戻り、張本軍に突撃した。
 この勢いに張軍は恐れおののいた。いくら士誠が声を涸らして叱咤しても意味はない。 十条龍だけは最後まで勇猛で、士誠の命に従い、奮戦した。
 だが時が経つにつれ、十条龍も一人が死に、二人が死に、そして閶門近くの沙盆潭(さぼんたん)にたどり着く頃には一条龍の沈季海だけを残し、全て討ち死にしていた。その季海も満身創痍で、槍を杖代わりにしている。
 季海は蘇州の大富豪・沈万三(ちんまんさん)の末っ子で、文武両道、秀麗な容貌で知られていた。士誠がもっとも目をかけた青年であり、十条龍に任命した日に愛用の佩剣を特別に贈ってやった。
「そなただけか……」
 士誠の問いに季海は肩で息をしながらうなずいた。
「もはやこれまでだな。こうなればここを死に場所と心得、気に入ったそなたと死のう」
 そう染み入るような笑顔で言った。季海は目から涙をあふれさせながら激しくかぶりを振った。
「王が何を仰せか。まだ蘇州は堕ちておりません。城内へ戻りましょう」
 士誠は嬉しげな表情をし、力無く首を横に振った。そんな士誠を季海は配下の者に命じ、引きずらせるようにして城内へと逃した。
 季海は残った二十名ほどの近衛兵を激励し、自らも死力を振り絞って常軍に突撃したのである。全身を朱に染めながら戦ったが、ついに力尽き、万里橋(ばんりきょう)から落ちて溺死してしまった。ここに張政権隆盛の象徴であった十条龍はことごとく滅んでしまったのである。
 朱軍は手を緩めなかった。
 閶門での大勝が知らされると、徐達はすぐさま全軍を動かした。そして蘇州城内に兵を雪崩込ませた。
 閶門で戦った兵は張軍最後の精兵であった。城内にはなおも二万の兵が駐屯しているが、年老いた兵ばかりで戦力にはならない。
 士誠が残兵をまとめてみると一万ほどの兵が残っていたが、どの兵も気力を失い、精兵とはもう呼べなかった。
 この機を徐達は見逃さず、瞬く間に蘇州城内へと兵を進めたのである。士信と伯昇たちは残る兵を最後の拠点・万寿寺(まんじゅじゅじ)に結集させ、張一族は境内にある斉雲楼(せいうんろう)へと避難した。満身傷だらけの士誠は劉氏に会うと、清んだ瞳で見つめた。
「余は王らしく命を絶つ。そなたはどうする」
「私は呉王の后。王名を辱めることはいたしませぬ」
「生きてはくれぬのか?」
「あのような者が張士誠の后だったのか、と後ろ指を指されとうはございません」
 この言葉に感極まった士誠は劉氏を力強く抱きしめた。そしてしばらく長年付き添った妻の顔を眺め、優しく微笑んだ。
「辰保(しんほ)に火薬を与えた。後は辰保に任せよ」
 辰保とは張夫妻の養子で、特に劉氏が可愛がった子であった。
「辰保をおつけいただけるとは……君恩に感謝いたします」
 礼を述べると、士誠は振り向かずに万寿寺本堂へと向かった。劉氏は塔に登り、侍女たちと共に自害して果てた。辰保は火薬を塔の周囲に撒き、火を放って劉氏たちの亡骸を爆破した。そして彼も後を追うように自刎して果てた。
 士誠は死に装束である白服を着用し、決戦場である万寿寺東街が一望出来る楼閣に登った。張軍三万は誰も彼もが奮戦した。しかし勢いはなく、次々と朱軍に討たれていく。
 原明はなますのように斬られ、伯昇は絶望しつつ自害。士信は懸命に督戦している最中、額を矢に貫かれ討ち死にした。陽が沈む頃には、張軍は壊滅状態となっていた。
 ――すべて見届けた。後は余が死ぬだけだ。
 士誠は楼閣から降りると本堂に赴き、梁に絹布を輪状に括りつけた。これで首を吊ろうというのである。
「余は呉王なり――」
 士誠はそう叫ぶと首を吊った。ところがその場に朱軍が駆けつけ、士誠を助けてしまったのだ。士誠は半狂乱になり、
「下郎ども、触れるな」
 と叫んだが、無残にも猿ぐつわをされて捕縛されてしまった。士誠はその後応天に連行されたが、一切口を利かないために斬首された。その首は悪逆の者として応天にさらされることとなった。ここに張士誠は滅亡し、元璋はついに江南の覇権を握ったのである。

 朱軍と張軍が死闘を繰り広げられていた頃。秘密裏に二人の男が命を奪われていた。
 一人は継祖で、再興との関係が露顕したために処刑されたのである。そしてもう一人は小明王であった。継祖が処刑された後に、
「君側の奸から陛下をお守りするため、応天府にお移りいただく」
 として、滁州から応天へ動座するよう言上した。無論小明王に拒否権などなく、それに従った。ところがその途中、瓜歩(がほ)の渡しで小明王の御座船が嵐のために転覆してしまった。小明王以下、宋朝の廷臣たちもことごとく溺れ死んでしまった。迎えに行ったのは水軍元帥の廖永安であった。
 この頃、元璋は張軍壊滅のため、蘇州に出陣していた。事が事なだけに永安自らが小明王溺死の報告にやってきたのである。この報告に対する元璋の反応に永安は身震いするほど恐ろしげなものであった。
「陛下が――」
 元璋は両眼にあふれんばかりの涙を浮かべ、手で口を覆った。
「ようやく……ようやく張賊を滅ぼし、大宋の天下が安寧に向かう時であったのに」
 ――空々しい。
 決して口には出せなかったが、今回の溺死は元璋が命を下し、そして永安が実行したのである。その事実を前に空涙を浮かべる元璋に永安は恐怖を覚えた。
「永安よ」
 緊張した面持ちで永安は拱手した。だが必要以上の言葉を出そうとはしない。下手なことを言えば口封じで処刑される恐れがあったからだ。
「天はむごいものだな。だが……いかなる方も天命には逆らえぬもの。哀しき限りだが、致し方ない」
 そう言うと、元璋は沈鬱な表情で嘆息をした。
 ――このお方は……。
 永安は顔を青ざめさせながら、息を呑んだ。劉基が不安に感じたように、元璋はとんでもない怪物になろうとしている。
「永安よ」
 おびえの色を見せる永安に元璋は笑みを浮かべながら声をかけた。だがその眼光を見た永安はさらに恐怖を覚えた。
 ――何と冷たき眼か。
 永安が抱く恐怖を元璋は気づかぬふりをしながら、その肩に手を触れた。
「世上は力ある者をとかく申すものだ。陛下の死をあれこれと邪推するかもしれぬが……それに力を与えることは忌まねばなるまい」
 永安は声なくうなずいた。
「将軍(永安)は余の片腕の如き者。よもや将軍が要らざることを口にする愚は犯さぬとは思わぬが……」
 そうつぶやくと元璋は無言になり、永安の肩においた手に力を込めた。
「畏れながらこの永安は将でございます。将は要らざることを口にせぬもの。どうかこの私を信じていただきますようお願いいたしまする」
 永安は一気に言い切ると、伏せるようにして頭を下げた。元璋は笑いもせず、手を離しその場を去っていった。 
 こうして南方における大敵を元璋は平らげることに成功した。そしてついに最大の敵である蒙古を中原から駆逐する時が迫っているのであった。
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