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第十六話「鄱陽湖(はようこ)」
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鄱陽湖(はようこ)
一
至正二十二年。
朱元璋にとって沈痛な年であった。苗族の反乱、胡大海の死、邵栄の謀反――そして謝再興の亡命。
そんな年も暮れ、至正二十三年を迎えた。
しかし多事多難のため、年賀の儀式は形ばかりのものになり、文武官たちは目まぐるしく立ち働いている。
金華が危うかった折、劉基は軍師として活躍し、その見事な采配は、「さすがは今孔明」と褒め称えられた。ところが応天府に帰還すると、以前のように元璋の顧問に戻り、軍務一切は相変わらず李善長が取り仕切っている。
そんな劉基であったが、緊迫した情勢のため、元璋に召しだされることがしばしばであった。
一月も終わり、雪積もる朝であった。湯和が出仕するべく渡り廊下を歩いていると劉基の姿が眼に入った。この寒い中、しかも雪が降る中で劉基は空を見上げながら立っている。
――やはり伯温(劉基)殿は奇人だ。
劉基が奇人であることは、彼が朱軍に仕えて二年ほど経った今、知らぬ者はいない。それにしても雪の中でたたずんでいる姿には疑問が沸いてしまう。
「風邪を召されますぞ」
穏やかに笑いながら湯和は声をかけた。劉基はちらとこちらを見ただけで、雪を避けようとしない。湯和があきらめて去ろうとすると、ようやく気が付いたような素振りで振り向いた。
「頭を冷やしていたのです」
湯和は思わず吹き出しそうになった。浙東の四先生の一人で、かつ「今孔明」と呼ばれる智謀の士が、雪で頭を冷やすとは何ともおかしかった。しかし劉基は至って真面目で、足元の雪を頭にかぶせた。
「伯温殿ほどのお方が何に立腹されているのです」
劉基は大きくため息をつきながら、怒っている訳を話した。
「ご主君が、安豊を救うと仰せなのです」
安豊とは開封を奪回され、蒙古軍に手痛い打撃を受けた龍鳳政権が逃げ込んだ地である。
命からがら逃げてきたものの、すでに紅巾本軍としての実力を喪失していた。今まで生き延びられた理由は二つあった。
一つは蒙古内でチャガンティムールとポロティムールが激しく内戦を繰り広げていたこと。もう一つは群雄同士が相争い、影響力のない安豊を攻める余裕も価値もなかったからである。
そんな安豊に食指を動かしたのが張士誠であった。
彼が安豊を狙った理由は戦略的な意味はほとんどない。意味があるとすればただ一つ、それは紅巾本軍を滅ぼすという示威的な意味があった。言わば面子のために安豊を滅ぼそうと言うのである。張軍は安豊攻略のため部将の呂珍を遣わした。
この窮地に際し、福通は独自の解決方法を有してはいない。ただ一つできたことは東系紅巾軍の大元帥である元璋に援軍を求めることのみであった。朱軍の誰もが「今更」と思い、落ちぶれた小明王たちを助けようという気持ちはなかった。ところが元璋は安豊を助けるべく兵を起こすと言い出したのである。
「聡明なるご主君が、何とも愚劣なことを」
劉基は小さく叫ぶと、雪を空に放り投げた。
多くの武将たちは単純に戦力的価値のみで龍鳳政権を無用の長物と見ていた。だが劉基の反対理由はそれ以外にあった。
まず龍鳳政権が民からの恨みを買っていたからだ。
安豊に撤退してからは何も手を打たず、ただ搾取をしている。そればかりか沸き起こる不平不満を愚かにも福通は恐怖政治によって抑えつけきた。民心を失った政権を抱え込むことは天下制覇のためにどれだけ障害となるかわからない。
――もう一つの問題こそ受け入れてはならない最大の理由だ。
それは龍鳳政権が形式的とは言え、朱軍の総帥格であるからだ。小明王を応天に迎え入れるならば、元璋の上に君主を置くこととなる。
さらに反対する理由がある。安豊を救出すれば朱軍は戦略的に危険にさらされてしまう。
応天の戦いで大敗を喫した陳友諒だが、この二年間で力を蓄え、前にもまして大軍と大船隊を編成している。いつ何時攻め入るか予断を許さないのだ。
友諒は虎狼のような男である。元璋が安豊に出陣すれば、大軍を起こすに違いなかった。この意見は、善長も同意見であったが元璋はかたくなであった。
「是が非でも安豊を救わねばならないのだ」
そう言い張って救援軍編成を徐達と常遇春に命じてしまったのである。
湯和は困ったものだと思いながら、何ゆえ、かたくなになっているのか察しがついている。
――例の悪癖だ。
悪癖とは、力の有無に関係なく庇護者を無条件に頼ろうとする癖であった。
元璋は後世の史家より、「蓋(けだ)し一人にて聖賢・豪傑・盗賊の性、実に兼ねて之を有する者なり」と、評された。
状況に合わせ、時に聖賢、時に豪傑、そして盗賊にもなった。いずれの時も高度な政治的計算に基づいての行動であり、ここまで勢力を拡大出来たのはこの能力を有していたからである。
しかし発作的に計算を度外視した理に合わぬ行動を時に起こすことがある。かつてお荷物となっていた郭子興を推戴した事などが良い例であった。真剣な表情をしながら、劉基に拱手の礼を取った。
「先生から見れば理に合わぬことでしょう。ですが長所あれば短所あり。ご主君も人であらせられる。難題だと思われますが、先生の智謀をもってお援けくださりませ」
しばらく劉基は黙っていたが、切実な湯和の顔つきを見て、苦笑した。
「……奥方様からも湯将軍同様のことをお願いされています」
湯和は驚き、同時にさすがは鈴陶だと感心した。彼女が側にいる限り元璋は決して道を誤ることあるまい、と改めて思うのであった。
劉基は体に積もった雪を払いながら、再び執務室へ戻っていった。
元璋は屈強の兵を率いて自ら安豊へ急行した。
麾下の将は徐達、遇春、鄧愈、李文忠、沐英といった面々で、いずれも野戦が得意な将たちであった。
安豊では福通が采配を振るい、防戦に当たった。だが、士気が一向に高まらず、苦戦を強いられている。
悪行の報いは人生で最も辛苦の時に襲ってくるものらしい。
福通は人を踏み台のように犠牲にして生き延びてきた。そのため誰もが福通を恐れ、同時に憎んできた。この期に及んで福通のような人非人のために命を張ろうとする者はいなかった。
呂珍が攻め入った時も、福通は人を盾にすることを思いついた。奇策と言うより悪魔の提言と云うべき案を小明王に奏上したのである。
「朱元璋が救援に向かっておりますが、このままでは持ちこたえることはできませぬ。そこで越の范蠡(はんれい)に倣ってみてはいかがでしょうか」
小明王は首をかしげた。
「越に呉軍が攻め入った時、范蠡は罪人を呉軍の前で自害させ、驚愕させました。その隙を衝いて大勝を得たのです。今、安豊には陛下に反逆した謀反人が多数おりまする。その者どもをお使いになれば……」
小明王は推戴されて以来、己の意見を述べることは皆無であった。何事も、「師父(しふ)(福通)の思うように」と、一任してきた。
ただ一度だけわずかながら異議を唱えたことがある。それは開封陥落時に母の楊太后や皇后を身捨てることであった。だがその時も最終的には福通の意見に従い、母たちを見殺しにしてきた小明王であった。その小明王が怪訝な表情ではっきりと異を唱えたのである。
「この期に及んで人を盾にするような策は使うべきではない」
「これはしたり。窮地だからこそ、非情の策が必要なのです」
意外な反抗に、福通は顔を真っ赤にして抗弁した。だが小明王は別人だと思えるほど理路整然と論破した。
「先帝(韓山童)が世上の人々を救うべく立ち上がり、志半ばで命を落とされた。幸い弥勒様は我らをお見捨てにならず、大宋復興が成った。しかし都を得た朕と師父は民に施すことなく、ついには母や后たち、そして数多の家臣や民を捨てるといった愚挙を犯してしまった。師父は罪人だと申すが、彼らは本来、朕の忠良なる臣たちだ。それらの者たちを盾にして生き永らえて弥勒様は我らをお許しになろうか――いや、なるまい」
この小明王の言葉に諸臣たちは思わず感嘆の声を上げた。一方、福通は顔面を蒼白にして立ちすくんでしまった。
龍鳳政権において福通の考えに異を唱える者などは誰もいなかった。反論する者は暗殺または謀反の罪で捕縛してきたため、誰も刃向うことができなかったのだ。
だが軍が崩壊の危機にさらされた今、福通に権力など残ってはいない。ここに至ってついに権力の座から突き落とされたのだ。
ところが小明王は引導を渡さず、優しく福通の肩を叩いた。
「朱元璋が間に合うかどうかわからぬが、弥勒様のご加護を願って戦おうぞ。また罪人たちを解き放ち、共に戦うよう朕が頼んでみる。師父と朕は一蓮托生。もしこれが最期となるなら、せめて潔く散ろうではないか」
この言葉に福通は感涙し、初めてこの小童に敬服をした。無論、ここで強行すれば命を失う計算も入ってはいた。
「この劉福通、陛下の御為に身命を賭します」
深々と拝礼をすると、城門の守りに死力を尽くすことを誓った。
――これにて一件落着。
福通はよほどの楽天家なのか、そのように安堵した。だが人の恨みはそのように軽々しいものではない。小明王は許してくれたかもしれないが、権威を失った福通は恨みを退ける力はもはやなかったのである。
――親兄弟を殺されただけではない。さらに己の命のために俺たちを盾にしようとした奴だ。
――この人非人を地獄に落としてやる。
罪人たちは、ひそかに彼への復讐を企てた。
だからと言って張軍に城を陥落されては兵たちの身が危なかった。白蓮嫌いの張軍に降れば何をされるかわかったものではない。要は福通一人を抹殺すれば事が足りるのである。つまり、どさくさに紛れて福通を殺してしまえば良い――そう考えたのである。
やがて攻城戦が始まり、双方は激しく干戈を交えた。
攻防戦三日目。
福通は懸命に指揮を執り続けた。双方必死になって戦い、混沌とした空気が流れている。
その時であった。
好機到来とばかりに、安豊軍の誰かが、福通の背を押して城壁から突き落としたのである。福通は何が起こったのか、死ぬ瞬間にも理解ができなかったに違いない。仮に死んだことを理解したとしても殺されたとは思えなかった。ここまで恨みを買っているため、殺されたことに思いが行くのだが、福通の異常さは人の恨みが理解できなかったことにある。
福通は異常な人ではあったが、乱世を動かすのは非情の人である。紅巾軍起義という歴史的大転換を起こした一代の梟雄はこうして世を去った。この兄と共に同じく野望の人生を突き進んできた弟の劉六もまた、恨みを抱く何者かに矢を射られて討死してしまった。
――好、好了、太好了ッ
劉兄弟の死を知った龍鳳軍の者たちは表立ってはいないが、顔を合わせるたびに喜び合った。
福通は必死になって安豊を死守しようとしたが、自身と弟の死が皮肉な結果へと繋がっていった。
「安豊は落ちたのも同然よ」
劉兄弟の死を知った敵将の呂珍はにんまりとしたが、それは糠喜びであった。憎まれ役の劉兄弟の死によって龍鳳軍は結束をし、安豊の守りが俄然堅くなったからである。
あてが外れた呂珍は苦戦を強いられた。それどころか背後に朱軍が迫っている報も飛び込んできたのである。
「安豊に残るのは、傀儡の韓林児のみではないか」
当然ながら呂珍は焦りに焦った。だが戦いにおいて焦燥は禁物で、将の動揺は兵たちを浮き足立たせてしまう。一方、援軍到来を知った安豊は士気が高まり、益々呂軍は劣勢となってしまった。やがて呂珍が最も恐れる事態――朱軍が到着したのである。
「四方より攻めて攻めまくれ」
元璋は朱色の手旗を振り、諸将に下知をした。
右軍に徐達、左軍に遇春、そして遊撃軍として鄧愈、文忠、沐英たち三将を配置し、彼らを自在に采配した。
「朱元璋に猶予などないはずだ」
呂珍は埒もないことを叫びながら、この事態を恨んだ。
朱軍は漢軍と対峙しており、龍鳳軍救出という意味のない戦いに元璋が来るはずがない、と叫び続けた。勇猛で名を知られている呂珍であったが、軍を率いる者は現実を誰よりも直視しなければならない。このような愚言を口にするようでは将として失格であった。
「無念であるが……やむなし」
あと一歩で龍鳳政権を滅ぼせた呂珍であったが、地団駄を踏みつつ、安豊から撤退することを決意した。
だがこの頃。劉基が懸念した通り、漢軍が大挙して東征を開始したのである。元璋は水軍元帥の廖永安に命じて、小明王を滁州へと移した。
二
元璋は多忙を極めている。
応天に帰還するや、慌ただしく諸臣を召集するよう命じた。
軍装を解くために奥へ渡ろうとしたが、劉基が待ち受けていた。
「今は忙しい。説教は後日」
「説教ではなく、大事なるお話があります」
元璋は披風(マント)を脱ぎ、劉基に手渡した。
「洪都に兵を送りなさりませ。かの地を墨守することが急務です」
「洪都?」
歩みを止めることなく、洪都の位置を脳裏に浮かべた。
洪都――別名・南昌という江南の主要都市である。
洪都は水運の要である鄱陽湖の南西に位置する。この地は友諒にとって喉元にあたる地で、ここを抑えれば陳軍の糧道を断つことができた。
「守将を決めねばなりませぬ」
劉基は息もつかず尋ねたが、その性急ぶりに元璋は苦笑せざるをえない。
「しばし待て。せめて鎧ぐらい脱がせてくれ」
そう苦笑いながら奥室に入った。
奥室に入ると、鈴陶が侍女たちに着替えを用意させて待っていた。
元璋が両手を広げると、わっと侍女たちが群がり、鎧を脱がせた。鈴陶は手際よく指示を出して、着替えさせていく。
平素、元璋は一人で着替えるのだが、戦を前にすると身支度は全て鈴陶に任せ切っていた。この間に戦略を練り、妙案が浮かぶと、元璋はつぶやき、それを鈴陶が書き留めるのである。その為に彼女は筆と短冊を常に携帯していた。
「洪都の守将……やはり思本(文忠)にすべきか」
いつもはただ書き留めているだけの鈴陶が口を挟んだ。
「思本はどうでしょうか?」
元璋は女子が政治や軍事に口を出すことを嫌っており、鈴陶を黙らせようとしたが、この日は引き下がらなかった。
「思本は朱家の千里駒と申すべき名将ですが……」
「思本のどこがいけないのだ」
「思本は城を攻め、敵を打ち破ることは得手でしょうが、城を守ることは不得手だと思います」
着替えを済ませると、侍女に運ばせた茶を口にして鈴陶の顔を見つめた。
「思本でなく、そなたは誰を推す」
この問いに鈴陶はにこやかに微笑んで、胸中の人名を口にした。
「伯隆(朱文正)です」
意外な名前に元璋は首をかしげげた。
文正は優秀であるが、慎重すぎて動きが鈍い。洪都のような最重要拠点を任せるには心許ない。しかしその考えを鈴陶は否定した。
「鋭い矛だけでなく、身を守る盾も大事です。伯隆は機を見るに敏ではないですが、愚鈍ではありません。守りで大事なのは機敏さではなく、いかなる窮地にも動じず、山の如く心を鎮めること。その点、思本より伯隆の方がはるかに向いております」
「山の如く、か」
「それと――」
もう一つ文正を推薦する理由を述べた。
「国瑞様が安豊へ出陣されましたが、その中に自分が含まれていないことを嘆いておりました。思本や文英(沐英)は陣に加えられているのに、伯隆だけが外されている、と。ひょっとすれば舅のことを懸念されているのではないか、と申しておりました」
元璋は茶碗を置き、目を閉じた。
文正は先年、後見人であった再興の娘を妻に迎えた。しかし邵栄の謀反に連動し、再興は一族ともども張軍に寝返ってしまったのだ。ただ一人、再興の娘だけが残され、周囲は離縁するよう文正に迫った。しかし文正は、
「ここで妻を身捨てるなど男が立たぬ。この首刎ねられようとも妻と別れぬ」
と、妻を離縁させなかった。このため朱軍における文正の立ち位置は微妙なものとなり、周辺の目もどことなく冷たいものになった。だが鈴陶は文正の態度を誰よりも評価していた。ここで妻を捨てるようならば文正の器量などたかがしれている。この篤実な性格こそこのたびの籠城戦を任せるには最もふさわしいと、確信していたのだ。
「鈴陶」
元璋は立ち上がり、佩剣を鈴陶から受け取った。
「洪都の守りは伯隆に任せよう」
そう決意すると、慌ただしく部屋を出た。鈴陶は満面に笑みを浮かべ、頭を下げた。
「我が君」
劉基は真剣な眼差しで元璋の答えに耳を済ませた。
「朱文正だ」
「ご卓見」
文正を起用する考えは劉基も同じであったのだ。こうして朱陳両軍の分水嶺となる洪都守護の役目は文正に託されることになった。
一方。友諒は友諒で今回の出陣に並々ならぬ覚悟を定めていた。思い立てば即行の人であったが、ここ一年ほどは不気味なほど大きな動きをしていなかった。それは一気に朱軍を滅亡させるべく、兵力と兵器を整えていたからである。
兵の数、公称六十万。船団数百隻。
また船団・兵装ともに燃えるような朱色に染め、東進を開始したのだ。相変わらず彼の船団は美しい。
――出遅れた。
陳軍の動きを耳にした元璋はわずかながらであったが、安豊救出を悔いた。だが一方でこうも考える。たとえ安豊に出陣をしていなくとも、陳軍は六十万で、どうあがいても朱軍にそれだけの動員力はない。兵力差があるが、と言って手をこまねいているわけにもいくまい。
とにもかくにも朱軍は出来る限り兵を集めなければならなかった。そのためには時間が必要であり、洪都に漢軍をどれだけ長く引きつけるかが、問題であった。守将に文正を選んだが、その補佐として鄧愈を起用した。元璋は二人を呼び尋ねた。
「軍を整えるには三ヶ月ほど時間を要するが、陳友諒の大軍を支えられるか?」
平素は穏やかで豪語せぬ文正であったが、この時は違った。
「支えられます」
「ならば行けッ」
元璋は佩剣を文正に、かたわらにあった弓矢を鄧愈に授けた。両名は深々と頭を下げ、勇躍して応天府より進発していったのであった。
まさに陳軍が鄱陽湖にさしかかる直前であった。急行した文正と鄧愈は敵が包囲する前に洪都に入城することができた。兵力はさほど与えられてはなかったが、その代わりに火銃類と兵糧は存分に持たせてくれている。鄧愈は漢軍の威容を聞き、
「城を守ることは容易ではないですね」
と、顔を凝固させた。ところが文正は哄笑して手を振った。
「断じて敢行すれば、鬼神もこれを避く、と申します。相手は鬼神でなくただの人。一兵になろうとも死守し、天下万民が安寧に暮らせるご主君の世の礎となりましょう」
文正は鄧愈がはっとするほど清んだ表情で決意を表明した。鄧愈も歴戦の強者である。文正同様死を覚悟し、改めて洪都墨守を心に誓った。
「朱文正……誰だ、それは?」
洪都に朱軍が篭ったことを耳にした友諒は早速、文正のことを調べさせた。
「朱元璋の甥で、副将は鄧愈と申す若者でございます」
「笑止千万。朱元璋め。韓林児救出と言い、この二年間で頭が惚けてしまったらしい。わずか数千の兵で青二才に洪都を守らせるとは愚かなことよ」
この友諒の見解にただ一人、異を唱えた人物がいた。
太尉(たいい)(国防相)の張定辺(ちょうていへん)であった。
友諒は独裁的で参謀など置かぬ主義であったが、その漢軍において数少ない謀臣がこの定辺で、知恵者としてその名を轟かせている。
「洪都など捨て置かれ、一挙に応天を衝くが上策かと思われます」
定辺の見る所、安豊から戻ったばかりの朱軍に防戦の準備などできていないと見ていた。 拠点を落としてしまえば、洪都など幹を失った枝葉に過ぎない。仮に洪都軍が打って出ればもっけの幸い、一気に洪都を手中にすることができる。だが、この案を友諒は一笑に付した。
「定辺ほどの者が軽はずみなことを申す。洪都は鄱陽湖の門にあたる地。このまま洪都を捨て置き、東進すれば糧道を絶たれる。そうなれば我らは大軍ゆえ、どうしようもなくなってしまう。それに――」
友諒は言葉を止めると、
「江東橋のような目に遭うのは二度と御免だ」
と、暗く沈んだ表情で冷笑した。
信頼していた康茂才に裏切られ、その結果、朱軍に付け込まれたあの敗戦は友諒を慎重にさせていた。あの裏切りで友諒は学んで成長したと言えるが、あの経験が今回の戦いで裏目に出るのではないか、と定辺は不安に感じた。
――しかし陛下のご気性……一度言い出されてはお考えを変えることはできぬ。
友諒の言葉は一度発せられると誰もそれを覆すことは出来ない。定辺は主の考えに従うしかなかった。
文正は洪都に入城するや、様々な行動を起こした。
――籠城に肝要なのは兵の士気。
文正はそう考え、まず己の覚悟を兵士に見せつけることにした。
「我が愛馬をこれへ」
何を考えたのか、文正は愛馬を城門壁に曳いてこさせた。
「者共、見よ」
そう叫んだかと思うや、元璋から授かった剣を抜き、愛馬の首を刎ねてしまったのである。
「心せよッ。我らが一日でも長く死守するか否かが我が軍、いや天下万民を救う分かれ目となる。敵の大軍にひるむ者がいるのなら、我が愛馬同様にその首を刎ねる」
この檄に兵たちは当初固唾を呑むばかりであったが、やがて顔を紅潮させながら興奮し始めた。主将のただならぬ気概は兵の士気を高める。狙い通り、文正の発破は将兵は心を引き締め、来る陳軍に備えたのである。
――城を墨守するにふさわしい。
鈴陶が見込んだ通り、守城を任された文正は溌剌としていた。
限られた時間の中で人数を効率よく使い、洪都の守りは考えうる限り、堅固なものとなった。
――これが伯隆殿か。
諸戦を切り抜けてきた鄧愈も文正の手腕に目を見張った。
平素の文正は寡黙で鈍重な印象を周囲に与えてきた。それゆえ才気活発な文忠に人気が集まっていたのだが、籠城戦を指揮する彼は光沢に満ちていた。
――まさに水を得た魚だ。
この防戦はきっと成功する、鄧愈はそう確信した。
防戦準備は予想を超えて早く完了した。漢軍が洪都を囲んで五日間で万全の体制を整えてしまったのである。
「このまま籠城してはなりませぬな」
東門の楼上から敵軍を観望していた文正は、鄧愈に相談した。
「仰せの通りです」
「敵は我らを若輩者と侮っている。今夜あたり奴らの鼻を明かす絶好に機会だと思うのだが……」
「ではこの伯顔が一軍を率い、夜襲をかけましょう」
文正はうなずき、三百の兵を授けた。
鄧愈は年若いが、十代の頃より戦場を駆け巡った歴戦の強者である。野戦における感性は朱軍随一であり、中でも夜襲を得意としていた。一方、漢軍は文正が睨んだ通り、洪都の将が若いことですっかり侮りきっていた。
――いざ洪都を攻めようぞ。
友諒の命が下されようとしていた七日目の夜に鄧愈は奇襲を敢行した。
――相手は所詮、若造よ。
皇帝・友諒とその家臣たちは誰もが文正たちを侮りきっていた。
将の甘さは軍の油断となる。さらに遠征をしてきた陳郡は行軍に疲れている。休息をしていた陳軍はまさか夜襲されることを想像せず、その陣は寝静まっていた。
「敵は皆、寝ておる。この機を逃すなッ」
鄧愈はそう叫びながら、陳軍の各所に火を放ちまくった。
油断している軍にとって火ほど恐ろしいものはない。俄然、陳軍は騒然となり、恐慌状態に陥った。
――漢の将兵は皇帝を信用していない。
鄧愈は陳軍の統帥状況をそのように見ている。友諒は急激に兵力を増してきたために、その統率が朱軍に比べて劣っていた。鄧愈は陳軍内にある疑心を最大限利用したのである。
「裏切り者が出たぞ」
鄧愈は火を放ちながら兵たちにそう叫ばせたのである。すると漢軍は大混乱を起こし、さらには同志討ちまでも繰り広げられてしまった。
「頃合か」
一刻ほど暴れ回ると、鄧愈は兵をまとめて城へ戻ることにした。
さすがは鄧愈と言うべきか、戦慣れした彼ならではの呼吸であった。
――頃合か。
鄧愈が引き際を判断したのは、友諒の器量を計算に入れてのことであった。調子に乗ってこのまま夜襲を続ければ少数ゆえ全員補殺されるに違いなかった。
「さて、ここからは我慢比べですぞ」
兵を引き上げた鄧愈はにこやかにそう述べた。
「敵の勢いが勝つか。我らが忍耐しえるか。我慢と知恵比べだな」
文正も異存はなく、哄笑しながら頷いた。
これ以後、洪都は貝が殻を閉じるが如く、一兵も外に出ることがなかった。文正と鄧愈の連携は至芸と言いほど、息が合っていた。
洪都の攻防戦は三ヵ月に及んだ。
その間、友諒は文正を挑発したが、一向に乗ってこない。攻めれば守り、退けば攻め込むなど洪都軍の進退は見事であった。
守城中の文正は一度も暗い表情を兵たちに見せなかった。どこまでも朗らかで、常にゆったりとした口調で語りかける。
「無駄に命を捨てるな。一日でも長く城を守れば我が軍の有利になる。また少しでも敵を疲弊させれば我が君の天下統一が近くなるのだ」
そう兵士たちを労い、そして励ました。
一方鄧愈は、
「我らに天のご加護あり。青史に名を留める絶好の機会だ。そなたらに朱都督あり。この鄧伯顔あり」
と鼓舞して、兵士たちを励ましたのである。
静と動――この二人の組み合わせは朱軍にとって幸いであった。
一方、漢軍は焦りといら立ちを覚えていた。
六十万もの大軍で攻めながら、洪都のような小城を陥落させることができない。このような小城にかまっているうちに朱軍本隊が来襲し、疲労した状態で決戦せねばならなくなるからだ。
――定辺の申す通りであったやもしれぬ。
今さらながら洪都を攻めたことを後悔した。この洪都攻防戦は朱陳両軍にとって一つの山場であった。その両軍の荒廃を懸けた戦いに友諒は負けた。洪都を落とせなかった陳軍にとって恐るべき事態――元璋が精兵二十万を率いて西進を開始したのである。
――たかが二十万。
敗北感に打ちのめされそうになった友諒は心内で幾度もそう唱え、己の動揺を抑えようとした。皇帝が動揺し、悲壮感を抱いてしまえば大軍であることがかえって禍となり、大敗を喫してしまう。
――我が大漢の三分の一の兵力ぞ。こうなれば鄱陽湖にて粉砕してくれん。
友諒は意を決した。洪都の囲みを解き、全軍挙げて鄱陽湖へ船団を進めることにした。ここに元末最大の決戦――鄱陽湖の戦いが始まるのである。
朱元璋軍二十万。
船艦は小型であったが、いずれも機動力に優れ、小回りが利く。ただし漢軍の大船とまともにぶつかっては簡単に撃沈されてしまう。色は陳軍と区別するために白色に塗装されていた。
陳友諒軍六十万。
巨額を投じた大船艦ばかりを揃え、船体は全て朱色に染められている。また水上の城壁を思わせる如く各艦同士鎖で繋がれている。
一見すれば朱軍は圧倒的に不利であったが、有利な条件もあった。
一つは士気の違いである。漢軍は三ヶ月もの間、益なき洪都攻略をしていたため、疲労しきっている。朱軍は出陣したばかりで士気は盛んであった。
組織力においてだが、両軍の間には天地ほどの隔たりがある。朱軍は元璋を中心に指揮系統と役割分担がなされており、一つの生命体を思わせるようなまとまりがあった。
一方漢軍は友諒のみが指令し、役割分担などない。大軍であったため意思疎通は朱軍と比べ物にならず、船艦も個々に動く始末であった。
兵数か統率力か――。
この相違が勝敗の鍵を握っていた。
決戦前夜。元璋は幕僚たちを集め、明日からの決戦について意見を求めた。
参席したのは劉基、善長、徐達、遇春、馮国勝、湯和、文忠、沐英、茂才と言った面々たちである。
机上には鄱陽湖付近の地図が広げられ、諸将は地図を指差しながら各々の意見を出し合った。最初に発言をしたのは善長で、状況を分析し戦略を述べ始めた。
「戦に勝つには敵味方の長短を知るべきです」
「長短とは?」
徐達が尋ねた。
「左様。まず漢軍の長所は何か――」
「兵の数、艦の頑強および大きさ」
「いかにも。しかし洪都攻略に失敗をして士気が著しく下がっております。船も鎖で繋ぎ、防御力こそ高いものの、その動きは鈍い。我が方の長短は漢軍のそれと逆でござります。つまり我らの長所をもって敵の短所を衝き、我らの短所を敵に衝かせぬが肝要です」
この意見に異論などあるはずもなく、皆一様に頷いた。
「百室殿は、どのようにして敵の短所を衝かれるのですか」
国勝がそのように質問をすると、不敵な笑みを善長は浮かべた。
「火。陳友諒の艦を滅ぼすには火計あるのみ」
なるほど、と国勝は納得した。
「しかし――」
国勝には一つ気がかりな点があり、そのことも尋ねてみた。
「風はどうなされるのです?」
火計を成功させるためには、風の力が必須である。
敵側に風が吹いてこそ火計は威力を発揮するのだが、こちら側に風が吹けば全滅するのはこちら側である。この時期、鄱陽湖には南西の風――つまり朱軍にとって向かい風が吹いている。そのことを指摘されると、善長は顔を曇らせた。
「懸念すべきことはそのこと。されば我が軍の軽快さをもって風上に回り込めば問題はないはず」
そのように説明した。
危うきかな――席上の誰もが善長の風対策に首をかしげた。果たして陳軍がそう都合よく朱軍を風上に回してくれるのかどうか。だからと言って祈りを捧げて風向きを変えてもらうなど、神ならぬ人に出来る業ではない。沈黙する中、それまで黙していた劉基が口を開いた。
「残念ながら軍師のお考え通りに事は進みますまい。我らが風上に動けば、敵も愚かではない。火計のことなどすぐに看破されましょう」
この発言に善長はむっとした。劉基の意見が間違っていたためではなく、どこまでも正しい指摘だからこそ余計に不快であった。
「ならば伯温先生は火計以外で陳友諒を打ち破る策をお持ちなのですか」
「我が軍が勝つは火計以外ありますまい」
ならば――と善長は詰め寄ろうとしたが、劉基は手でそれを制した。
「大事なるは我らの狙いが火計にあることを悟らせてはなりませぬ。相手を信じ込ませ、懐深く導き、そして倒す――これが策略と申すもの。敵に疑う気持ちを持たせて策は通じませぬ」
「ではどうするのです」
「風が変わるのを待つのです」
この言葉に皆が呆れ果てた。
風を待つと言うが、この時期の鄱陽湖に東北からの風など吹きはしない。風が変わるのは春先のことで、今回の決戦で待ってなどいられない。ところが劉基は穏やかに笑いながら、
「この伯温、湖神と話す術を会得しております。きっと風向きを変えてご覧にいれましょう」
そう自信ありげに請け負ってしまった。一同はこの発言に唖然とした。宗教的発想を忌み嫌っていたはずの劉基が決戦を前に気が触れてしまったのではないか、と疑ったのである。元璋はしばらく腕を組みながら、劉基の目を見つめていた。人が正気か否かは眼を見ればわかるからだ。
――この目は呆然自失しているものではない。
劉基の眼光は鋭く、静かな青い光を宿している。元璋は正気だと判断すると、ようやく口を開いた。
「ここは青田先生を信じよう。元より敵は大軍。これを打ち破るには奇跡がなければ、我らに勝機はない」
この元璋の言葉に劉基は感謝したが、微笑しながらかぶりを振った。
「畏れながらこの伯温、奇跡など信じておりませぬ。考えあってのことですので、進言申し上げている次第」
一旦、言葉を止めると指を三本立てた。
「三日間――。三日間、敵の攻撃に耐えていただければ、きっと我が軍に勝利の風が吹くことでしょう」
自信にあふれた声できっぱりと言い張った。この淀みのない言葉を一同は信じ、三日間、死を賭して戦うことを誓った。
一致団結。朱軍は漢軍目指して船団を進発させるのであった。
明朝。朱軍は船団を四つに分け、陳軍を包囲するように陣形を組んだ。
先陣は遇春で、朱船隊の中で最も頑強な船艦を与えられている。副将は国勝で、火銃をもって遇春を援護した。
右陣率いるのは徐達である。副将は茂才で最も軽快な快速艇を与えられた。徐達軍は右方を自由自在に動き、敵を撹乱する役目が与えられている。
左陣は文忠と沐英に将軍筒(しょうぐんとう)を積ませた重装備艦を率いさせた。将軍筒はかつて濠州攻防戦で元軍が使用した大砲である。この陣は先陣が動きやすいようにするための援護船隊で、そのため強力な火砲を多数与えられた。
本陣には謀臣として劉基と善長が側に控えている。
善長は幕僚長として総指揮を行い、連絡将校として湯和が快速艇十隻にて待機していた。
開戦直前。善長は様々な手配をした。
水軍元帥・廖永安にも策を授けたことも、その一つである。
永安は配下の水軍を率いて人知れずいずこかへと消えていった。
一方、囲みを解かれた洪都の文正は朱軍の補給路を確保し、鄧愈は遊撃軍を陸路で繰り出して、陳軍の補給路を脅かしたのである。
かくして決戦の火ぶたが切って落とされた。
両軍は激しく火砲や火矢を打ちあい、そしてたがいの船に飛び乗って壮絶に斬り合った。
血を血で洗い、広大な鄱陽湖が半日で紅く染まった。湖面には双方の死体が漂い、地獄絵図を現出させた。
両軍の将たちは血刀を振るい、戦鬼のような形相となった。
中でも遇春と友諒の弟・陳友仁(ちんゆうじん)の一騎打ちは壮絶であった。
船上で数十合打ち合っても決着が付かず、双方とも無数の傷を負って鎧を朱に染めた。また両軍が敵将を討たんと襲いかかったが、すべて二人の刀の錆にされてしまったのである。
二日目。
戦いは混沌たる様相を呈し、総帥である元璋と友諒も自ら剣を振るって戦わねばならぬほどであった。漢軍は巨艦をもって朱軍の船団を押し潰そうとするが、朱軍は巧みにかわした。反対に巨艦の周囲を取り囲み、矢を打ち込んで撃退したのである。
三日目。
「風を変わる」と劉基が予言した日が訪れた。
しかし風向きは南西に吹くばかりで、一向に変わる気配がない。劉基はこの三日間、船室に籠りきったままで何もしようとしなかった。
戦況は朱軍に不利になっていく。
朱軍は見事な連携で陳軍を翻弄し、撃退した。しかし多勢に無勢でこのままでは敗退するのは時間の問題であった。
この窮地を脱するために善長は信号砲を打ち上げた。それは開戦初日、いずこかへ移動させた永安に対してのものであった。永安は南西の河口付近に船団を隠しており、合図とともに河口を封鎖してしまった。
南西の河口は漢軍の兵糧物資が運ばれる唯一の入り口であり、ここを封鎖されてしまっては武器弾薬が無くなり、兵糧攻めに遭ってしまう。
漢軍の軍師・定辺は血相を変えて友諒に報告をした。友諒は戦いにおいては冷静になる男で、顔色変えずその報告を聞いた。
「陛下。一刻も早く河口の封鎖を解くべきです」
そう進言したが、友諒はかぶりを振った。
「河口に兵を出せば背後を朱軍に衝かれる。そうなれば我が軍は崩壊する。それよりも朱軍はあとひと押しで崩せる。今は虎穴に飛び込むべし」
友諒の読みは当たっていた。たしかに朱軍は崩壊寸前で、このまま強襲すれば朱軍は崩れる。そうなれば河口を塞いだことなど意味が無くなってしまう。死中に活を見出すべく漢軍は猛攻を加えた。
その頃、朱軍は――。
善長の秘策が空振りとなり、動揺が起こりつつあった。
河口を封鎖することで敵を急転させることを目論んでいた。あの短慮な友諒ならば必ず掛かるであろう――善長はそのように考えていたのである。
ところが意外にも友諒は動ぜず、反対に朱軍に猛攻をかけてきた。
策、破れたり――と善長はほぞを噛み、己を責め立てた。元璋はあえて表情を穏やかにして励ました。
「軍師よ。あきらめてはならぬ。まだ戦に負けてはおらぬ」
この言葉は元璋自身に対するものでもあった。ここで首脳陣の心が折れてしまえば、朱軍は総崩れを起こしてしまう。
そんな時、劉基が立ち上がると、大声で元璋に船を移るよう申し出た。意味がわからない元璋を引っ張るように他船に移し、諸将たちも移動した。すると驚いたことに旗艦に砲弾が直撃し、撃沈してしまったのだ。
「青田先生は仙術を心得ているのか」
元璋は驚愕して尋ねた。しかし劉基は、
「砲の音が聞こえただけです」
と笑いながら、かぶりを振った。この危機的状況によく笑えるものだと元璋は呆れたが、心に芯が戻ったような心地となった。
「李軍師」
落胆する善長に劉基は声をかけた。
「没奈何(ぼつなか)の準備は整っておりましょうや」
善長が以前より開発していた新兵器について尋ねた。
没奈何とは、「如何ともしがたし」という意で、周囲五尺、長さ七尺の火器であった。可燃性が非常に高い火弾を発射する砲で、善長が火攻めのために考案した武器である。
「用意はしておりますが、まだ風向きは南西。ここで使えば我らの船は燃え尽きましょう」
眉をしかめて善長が使うことを反対したが、劉基は空を見上げながらかぶりを振った。
「もう間もなく風が変わります」
とても清んだ瞳で、そのように言い切った。その姿は神韻を帯びており、劉伯温は神ではないか、と元璋は密かに思った。
劉基は再度「没奈何をご用意あれ」と頼んだが、善長はなおも体を凝固させて動こうとしなかった。だが元璋が、
「軍師。用意せよ」
と命じたため、善長は没奈何を十五門用意させた。
――劉基は窮して破れかぶれになっているのではあるまいか。
劉基の心情を測りかねて、善長はそう邪推した。だが劉基は静かに空を見上げ、東北の風が吹くのを待っている。
奇蹟というものが世にはあるのだ――。
朱軍の誰もがそう思う瞬間がついに訪れた。
没奈何が用意されてから間もなく。それまで南西に吹いていた風が、にわかに東北に変わったのである。
――劉伯温は妖怪なのか。
善長には信じられなかった。だが劉基は人々の驚愕などどこ吹く風とばかり気にはしない。それまで穏やかであった表情を一変させて、大声を発したのである。
「今こそ好機。没奈何を放てッ」
諸将は身を躍らせ、没奈何を発射させた。また合図と共に、交戦していた朱軍は一斉に漢軍から離れ、本陣に合流した。
没奈何の威力は凄まじかった。
次々と漢軍の船団から火柱が立ち、東北の風は容赦なく、威容を誇った大船隊を紅蓮の炎で蓋わせた。
機動力に優れた朱船団はいち早く東北へと移動したが、鎖で繋がれた陳船隊は逃げる術もなく次々と炎上し、沈没していった。
「何たることだッ」
さしもの友諒も悲鳴を上げた。
拳から血が吹き出るほど、何度も船のへりを殴り続けた。長い歳月、努力を重ねて築き上げた大漢の艦隊が次々と沈んでいく。
「朕の水軍が……朕の水軍が……」
満面を悔し涙で濡らしながら、叫び続けた。しかし悲痛の声は虚しく響き、船隊は湖に灰となって沈んでいく。あまりの惨状に茫然自失していた友諒に代わって定辺が声を荒げて下知をした。
「急ぎ各艦の鎖を断ち切り、焔から逃れよ。まだ間に合う」
この声で友諒はようやく我を取り戻した。
友諒もただの人ではない。すぐさま冷静に指令を出し、燃えていない艦の確保に奔走した。
辛うじて全滅から免れたものの、その被害は甚大であった。
船隊の半分以上が湖に沈み、兵も三分の一は焼死してしまった。弟の友仁も焼死した一人であった。もう一人の弟・友貴(ゆうき)は大火傷のため意識不明の重体に陥っている。
だがまだ漢軍は滅んではいない。
残る艦と兵力を結集して、朱軍に最後の抵抗を見せたのである。鬼神であるまいか――元璋は友諒の頑強さに驚愕していた。
火攻めから三十日。
大半の船隊と将兵を失いながら、友諒は死力を尽くし元璋と戦い続けた。
劣勢ながらも時には肉薄し、幾度か朱軍を窮地に追いやった。しかし徐達や遇春たちの活躍で持ち直し、辛うじて優勢を保っている。
「陳友諒は人ではないのか」
劉基はあの火攻めの後は作戦に口を出さず、戦いの推移を見守っている。
「奇人でありましょうが、鬼神ではございませぬ」
「左様であろうか。わしが友諒なら、あのような火攻めを受ければ心が砕ける」
「それはこの伯温も同じこと」
「先生はてっきり神だと思うていたが」
半ば冗談、半ば本気で劉基をからかった。
「この伯温はただ餅を焼き、村の子供たちに読み書きを教えるだけが取り柄の者。ご主君や李軍師に比べれば尋常(ただ)の者でござります」
「異なることを。神でない者が南西から東北の風に吹かせることができるものか」
「ああ、そのことでございますか」
微笑しながら種を明かした。
「東北の風が吹くことは事前に知っていただけです」
「知っていた?」
「それがしの従者を鄱陽湖に遣わし、代々漁師をしている者から風向きについて聞いておいたのです。雲の形と湖の冷たさで風の変化がわかる――そう教わったのです。すると三日後に風向が変わるとわかりましたゆえ、あのように申し上げた次第」
他愛のないことだと笑ったが、やはり神人だと元璋は思った。劉基は簡単に言うが、得た情報を最大限に利用することは誰にでもできることではない。
――やはり今孔明であるな。
改めてそのように感じた。
「ご主君」
急に真剣な表情となり、漢軍を指差した。
「十日ほどすればきっと陳友諒は鄱陽湖から兵を退きましょう」
「どうしてわかる?」
「兵糧でございます。李軍師の計が功を奏しようとしているのですよ」
劉基が言うように、善長が永安に命じて敢行させている河口閉鎖策が効果を出し始めていたのである。漢軍の兵糧が底を尽き、朱軍と戦える状態ではなくなってきていたのだ。
「このままでは朱軍に敗れるよりも餓えに敗れてしまいます」
そう定辺は訴えた。友諒は連日の激戦で喜怒哀楽を表すことができないほど疲労していたが、ゆるやかにかぶりを振った。
「父君。太尉の申される通り、兵は餓え、逃亡または朱軍に投降を始めております」
そう諫言したのは友諒の皇太子・陳善児(ちんぜんじ)であった。
彼は経理に明るく、少ない兵糧を管理し、父帝の戦いを陰ながら支えてきた。だが糧道を断たれた今、それも限界に近づいている。
「ここで兵を退かねば、再起も望めませぬ。無念なれど……大業を成すために、ご決断を……」
「しかし皇太子よ。退路は断たれて敵に囲まれておる。今、兵を退けば追撃してこようぞ」
「この善児、身命を賭して殿(しんがり)を努めまする。父君は太尉と共に先陣に立たれ、血路を開かれますよう」
善児は必死の形相で懇願した。友諒は感極まり、皇太子の手を強く握って号泣した。
陳軍が撤退を開始したのは、翌朝のことであった。
その朝、鄱陽湖は濃霧に包まれており、友諒はその間隙を縫うことにした。
だが朱軍はその点抜かりはない。いち早く漢軍の動きを察知し、善長は徐達と遇春たち諸将に友諒追撃を命じていたのである。遇春の追撃は激しく、金鼓を叩かせ漢軍の背後を襲った。
善児は武の人ではないが、この戦いを限りと思って死力を尽くした。彼は父と違って、温和な性格であり、兵たちに人気があった。そのため、善児に殉じようと二百人ほどの決死兵たちが共に戦ってくれた。
だがいかに死兵と化そうとも餓えのため力は尽き、ましてや相手が猛将・遇春であったためどうしようもなかった。次々に漢軍は討ち取られ、ついに善児も壮烈な最期を迎えたのである。
一方、友諒も息子同様、いやそれ以上に奮起し、朱軍を突破しようとしていた。激戦の中、定辺の軍船と離れ離れになり、友諒の船艦だけが朱軍に取り囲まれた。友諒に無数の矢が襲ったが、刀を振るってそれを防いだ。
「さすがは陳友諒よ」
快速艇を走らせ弓矢を構えた者がいた。
それは湯和であった。五人張の弓に矢をつがえ、奮戦する友諒を狙った。友諒は湯和に気づかず、血刀を振るう。湯和は船先に立ち、弦を引いた。
「くわッ」
そう叫び、矢を放つと、矢は光陰の如く唸りを挙げて友諒に向かった。友諒はその音に驚き、振り向くと眼前がみるみる朱に染まっていく。
走馬灯のように――一介の漁師が青雲の志を抱き、世に出て、皇帝にまで登りきった。その波乱に満ちた人生が友諒の脳裏を駆け巡った。
――俺は太陽をつかみたかった。
矢は友諒の右目を貫通したが、鏃が脳にまで達しているせいか不思議と痛みは感じなかった。ただ鄱陽湖に輝く陽光が哀しいばかりにまぶしく、人生をかけてなりたかったのは、この世を照らすあの太陽であったのだと、益体もないことを友諒は想った。そんな想いが彼の両眼からとめどなく血と共に涙を流させた。
生き残った兵たちは突然の皇帝の死を、彼が倒れたその音でやっと知ることができた。 だが驚くことも、悲しむことも出来ず、迫り来る朱軍を防ぐことだけに追われ、何の感傷も抱けなかった。
呆気ないというべきか。果敢というべきか。
いずれにせよ、ここに大漢皇帝・陳友諒は波乱に満ちた生涯に幕を降ろしたのである。
友諒の死で漢軍の敗北は決定的となり、全軍総崩れとなった。
定辺は辛うじて鄱陽湖を脱出し、漢国の都であった武昌に帰還した。帰還後、留守居役であった友諒次男の陳理(ちんり)を皇帝に推戴したが、情勢は決していた。翌年には朱軍に降伏し、ついに大漢は滅亡したのである。
ここに元璋は最大の敵・陳友諒を滅ぼし、朱軍は江南の一大勢力に成長を遂げた。次に狙うのは東に割拠する張士誠で、彼を滅ぼせば天下統一への道を切り開くことができるのである。
一
至正二十二年。
朱元璋にとって沈痛な年であった。苗族の反乱、胡大海の死、邵栄の謀反――そして謝再興の亡命。
そんな年も暮れ、至正二十三年を迎えた。
しかし多事多難のため、年賀の儀式は形ばかりのものになり、文武官たちは目まぐるしく立ち働いている。
金華が危うかった折、劉基は軍師として活躍し、その見事な采配は、「さすがは今孔明」と褒め称えられた。ところが応天府に帰還すると、以前のように元璋の顧問に戻り、軍務一切は相変わらず李善長が取り仕切っている。
そんな劉基であったが、緊迫した情勢のため、元璋に召しだされることがしばしばであった。
一月も終わり、雪積もる朝であった。湯和が出仕するべく渡り廊下を歩いていると劉基の姿が眼に入った。この寒い中、しかも雪が降る中で劉基は空を見上げながら立っている。
――やはり伯温(劉基)殿は奇人だ。
劉基が奇人であることは、彼が朱軍に仕えて二年ほど経った今、知らぬ者はいない。それにしても雪の中でたたずんでいる姿には疑問が沸いてしまう。
「風邪を召されますぞ」
穏やかに笑いながら湯和は声をかけた。劉基はちらとこちらを見ただけで、雪を避けようとしない。湯和があきらめて去ろうとすると、ようやく気が付いたような素振りで振り向いた。
「頭を冷やしていたのです」
湯和は思わず吹き出しそうになった。浙東の四先生の一人で、かつ「今孔明」と呼ばれる智謀の士が、雪で頭を冷やすとは何ともおかしかった。しかし劉基は至って真面目で、足元の雪を頭にかぶせた。
「伯温殿ほどのお方が何に立腹されているのです」
劉基は大きくため息をつきながら、怒っている訳を話した。
「ご主君が、安豊を救うと仰せなのです」
安豊とは開封を奪回され、蒙古軍に手痛い打撃を受けた龍鳳政権が逃げ込んだ地である。
命からがら逃げてきたものの、すでに紅巾本軍としての実力を喪失していた。今まで生き延びられた理由は二つあった。
一つは蒙古内でチャガンティムールとポロティムールが激しく内戦を繰り広げていたこと。もう一つは群雄同士が相争い、影響力のない安豊を攻める余裕も価値もなかったからである。
そんな安豊に食指を動かしたのが張士誠であった。
彼が安豊を狙った理由は戦略的な意味はほとんどない。意味があるとすればただ一つ、それは紅巾本軍を滅ぼすという示威的な意味があった。言わば面子のために安豊を滅ぼそうと言うのである。張軍は安豊攻略のため部将の呂珍を遣わした。
この窮地に際し、福通は独自の解決方法を有してはいない。ただ一つできたことは東系紅巾軍の大元帥である元璋に援軍を求めることのみであった。朱軍の誰もが「今更」と思い、落ちぶれた小明王たちを助けようという気持ちはなかった。ところが元璋は安豊を助けるべく兵を起こすと言い出したのである。
「聡明なるご主君が、何とも愚劣なことを」
劉基は小さく叫ぶと、雪を空に放り投げた。
多くの武将たちは単純に戦力的価値のみで龍鳳政権を無用の長物と見ていた。だが劉基の反対理由はそれ以外にあった。
まず龍鳳政権が民からの恨みを買っていたからだ。
安豊に撤退してからは何も手を打たず、ただ搾取をしている。そればかりか沸き起こる不平不満を愚かにも福通は恐怖政治によって抑えつけきた。民心を失った政権を抱え込むことは天下制覇のためにどれだけ障害となるかわからない。
――もう一つの問題こそ受け入れてはならない最大の理由だ。
それは龍鳳政権が形式的とは言え、朱軍の総帥格であるからだ。小明王を応天に迎え入れるならば、元璋の上に君主を置くこととなる。
さらに反対する理由がある。安豊を救出すれば朱軍は戦略的に危険にさらされてしまう。
応天の戦いで大敗を喫した陳友諒だが、この二年間で力を蓄え、前にもまして大軍と大船隊を編成している。いつ何時攻め入るか予断を許さないのだ。
友諒は虎狼のような男である。元璋が安豊に出陣すれば、大軍を起こすに違いなかった。この意見は、善長も同意見であったが元璋はかたくなであった。
「是が非でも安豊を救わねばならないのだ」
そう言い張って救援軍編成を徐達と常遇春に命じてしまったのである。
湯和は困ったものだと思いながら、何ゆえ、かたくなになっているのか察しがついている。
――例の悪癖だ。
悪癖とは、力の有無に関係なく庇護者を無条件に頼ろうとする癖であった。
元璋は後世の史家より、「蓋(けだ)し一人にて聖賢・豪傑・盗賊の性、実に兼ねて之を有する者なり」と、評された。
状況に合わせ、時に聖賢、時に豪傑、そして盗賊にもなった。いずれの時も高度な政治的計算に基づいての行動であり、ここまで勢力を拡大出来たのはこの能力を有していたからである。
しかし発作的に計算を度外視した理に合わぬ行動を時に起こすことがある。かつてお荷物となっていた郭子興を推戴した事などが良い例であった。真剣な表情をしながら、劉基に拱手の礼を取った。
「先生から見れば理に合わぬことでしょう。ですが長所あれば短所あり。ご主君も人であらせられる。難題だと思われますが、先生の智謀をもってお援けくださりませ」
しばらく劉基は黙っていたが、切実な湯和の顔つきを見て、苦笑した。
「……奥方様からも湯将軍同様のことをお願いされています」
湯和は驚き、同時にさすがは鈴陶だと感心した。彼女が側にいる限り元璋は決して道を誤ることあるまい、と改めて思うのであった。
劉基は体に積もった雪を払いながら、再び執務室へ戻っていった。
元璋は屈強の兵を率いて自ら安豊へ急行した。
麾下の将は徐達、遇春、鄧愈、李文忠、沐英といった面々で、いずれも野戦が得意な将たちであった。
安豊では福通が采配を振るい、防戦に当たった。だが、士気が一向に高まらず、苦戦を強いられている。
悪行の報いは人生で最も辛苦の時に襲ってくるものらしい。
福通は人を踏み台のように犠牲にして生き延びてきた。そのため誰もが福通を恐れ、同時に憎んできた。この期に及んで福通のような人非人のために命を張ろうとする者はいなかった。
呂珍が攻め入った時も、福通は人を盾にすることを思いついた。奇策と言うより悪魔の提言と云うべき案を小明王に奏上したのである。
「朱元璋が救援に向かっておりますが、このままでは持ちこたえることはできませぬ。そこで越の范蠡(はんれい)に倣ってみてはいかがでしょうか」
小明王は首をかしげた。
「越に呉軍が攻め入った時、范蠡は罪人を呉軍の前で自害させ、驚愕させました。その隙を衝いて大勝を得たのです。今、安豊には陛下に反逆した謀反人が多数おりまする。その者どもをお使いになれば……」
小明王は推戴されて以来、己の意見を述べることは皆無であった。何事も、「師父(しふ)(福通)の思うように」と、一任してきた。
ただ一度だけわずかながら異議を唱えたことがある。それは開封陥落時に母の楊太后や皇后を身捨てることであった。だがその時も最終的には福通の意見に従い、母たちを見殺しにしてきた小明王であった。その小明王が怪訝な表情ではっきりと異を唱えたのである。
「この期に及んで人を盾にするような策は使うべきではない」
「これはしたり。窮地だからこそ、非情の策が必要なのです」
意外な反抗に、福通は顔を真っ赤にして抗弁した。だが小明王は別人だと思えるほど理路整然と論破した。
「先帝(韓山童)が世上の人々を救うべく立ち上がり、志半ばで命を落とされた。幸い弥勒様は我らをお見捨てにならず、大宋復興が成った。しかし都を得た朕と師父は民に施すことなく、ついには母や后たち、そして数多の家臣や民を捨てるといった愚挙を犯してしまった。師父は罪人だと申すが、彼らは本来、朕の忠良なる臣たちだ。それらの者たちを盾にして生き永らえて弥勒様は我らをお許しになろうか――いや、なるまい」
この小明王の言葉に諸臣たちは思わず感嘆の声を上げた。一方、福通は顔面を蒼白にして立ちすくんでしまった。
龍鳳政権において福通の考えに異を唱える者などは誰もいなかった。反論する者は暗殺または謀反の罪で捕縛してきたため、誰も刃向うことができなかったのだ。
だが軍が崩壊の危機にさらされた今、福通に権力など残ってはいない。ここに至ってついに権力の座から突き落とされたのだ。
ところが小明王は引導を渡さず、優しく福通の肩を叩いた。
「朱元璋が間に合うかどうかわからぬが、弥勒様のご加護を願って戦おうぞ。また罪人たちを解き放ち、共に戦うよう朕が頼んでみる。師父と朕は一蓮托生。もしこれが最期となるなら、せめて潔く散ろうではないか」
この言葉に福通は感涙し、初めてこの小童に敬服をした。無論、ここで強行すれば命を失う計算も入ってはいた。
「この劉福通、陛下の御為に身命を賭します」
深々と拝礼をすると、城門の守りに死力を尽くすことを誓った。
――これにて一件落着。
福通はよほどの楽天家なのか、そのように安堵した。だが人の恨みはそのように軽々しいものではない。小明王は許してくれたかもしれないが、権威を失った福通は恨みを退ける力はもはやなかったのである。
――親兄弟を殺されただけではない。さらに己の命のために俺たちを盾にしようとした奴だ。
――この人非人を地獄に落としてやる。
罪人たちは、ひそかに彼への復讐を企てた。
だからと言って張軍に城を陥落されては兵たちの身が危なかった。白蓮嫌いの張軍に降れば何をされるかわかったものではない。要は福通一人を抹殺すれば事が足りるのである。つまり、どさくさに紛れて福通を殺してしまえば良い――そう考えたのである。
やがて攻城戦が始まり、双方は激しく干戈を交えた。
攻防戦三日目。
福通は懸命に指揮を執り続けた。双方必死になって戦い、混沌とした空気が流れている。
その時であった。
好機到来とばかりに、安豊軍の誰かが、福通の背を押して城壁から突き落としたのである。福通は何が起こったのか、死ぬ瞬間にも理解ができなかったに違いない。仮に死んだことを理解したとしても殺されたとは思えなかった。ここまで恨みを買っているため、殺されたことに思いが行くのだが、福通の異常さは人の恨みが理解できなかったことにある。
福通は異常な人ではあったが、乱世を動かすのは非情の人である。紅巾軍起義という歴史的大転換を起こした一代の梟雄はこうして世を去った。この兄と共に同じく野望の人生を突き進んできた弟の劉六もまた、恨みを抱く何者かに矢を射られて討死してしまった。
――好、好了、太好了ッ
劉兄弟の死を知った龍鳳軍の者たちは表立ってはいないが、顔を合わせるたびに喜び合った。
福通は必死になって安豊を死守しようとしたが、自身と弟の死が皮肉な結果へと繋がっていった。
「安豊は落ちたのも同然よ」
劉兄弟の死を知った敵将の呂珍はにんまりとしたが、それは糠喜びであった。憎まれ役の劉兄弟の死によって龍鳳軍は結束をし、安豊の守りが俄然堅くなったからである。
あてが外れた呂珍は苦戦を強いられた。それどころか背後に朱軍が迫っている報も飛び込んできたのである。
「安豊に残るのは、傀儡の韓林児のみではないか」
当然ながら呂珍は焦りに焦った。だが戦いにおいて焦燥は禁物で、将の動揺は兵たちを浮き足立たせてしまう。一方、援軍到来を知った安豊は士気が高まり、益々呂軍は劣勢となってしまった。やがて呂珍が最も恐れる事態――朱軍が到着したのである。
「四方より攻めて攻めまくれ」
元璋は朱色の手旗を振り、諸将に下知をした。
右軍に徐達、左軍に遇春、そして遊撃軍として鄧愈、文忠、沐英たち三将を配置し、彼らを自在に采配した。
「朱元璋に猶予などないはずだ」
呂珍は埒もないことを叫びながら、この事態を恨んだ。
朱軍は漢軍と対峙しており、龍鳳軍救出という意味のない戦いに元璋が来るはずがない、と叫び続けた。勇猛で名を知られている呂珍であったが、軍を率いる者は現実を誰よりも直視しなければならない。このような愚言を口にするようでは将として失格であった。
「無念であるが……やむなし」
あと一歩で龍鳳政権を滅ぼせた呂珍であったが、地団駄を踏みつつ、安豊から撤退することを決意した。
だがこの頃。劉基が懸念した通り、漢軍が大挙して東征を開始したのである。元璋は水軍元帥の廖永安に命じて、小明王を滁州へと移した。
二
元璋は多忙を極めている。
応天に帰還するや、慌ただしく諸臣を召集するよう命じた。
軍装を解くために奥へ渡ろうとしたが、劉基が待ち受けていた。
「今は忙しい。説教は後日」
「説教ではなく、大事なるお話があります」
元璋は披風(マント)を脱ぎ、劉基に手渡した。
「洪都に兵を送りなさりませ。かの地を墨守することが急務です」
「洪都?」
歩みを止めることなく、洪都の位置を脳裏に浮かべた。
洪都――別名・南昌という江南の主要都市である。
洪都は水運の要である鄱陽湖の南西に位置する。この地は友諒にとって喉元にあたる地で、ここを抑えれば陳軍の糧道を断つことができた。
「守将を決めねばなりませぬ」
劉基は息もつかず尋ねたが、その性急ぶりに元璋は苦笑せざるをえない。
「しばし待て。せめて鎧ぐらい脱がせてくれ」
そう苦笑いながら奥室に入った。
奥室に入ると、鈴陶が侍女たちに着替えを用意させて待っていた。
元璋が両手を広げると、わっと侍女たちが群がり、鎧を脱がせた。鈴陶は手際よく指示を出して、着替えさせていく。
平素、元璋は一人で着替えるのだが、戦を前にすると身支度は全て鈴陶に任せ切っていた。この間に戦略を練り、妙案が浮かぶと、元璋はつぶやき、それを鈴陶が書き留めるのである。その為に彼女は筆と短冊を常に携帯していた。
「洪都の守将……やはり思本(文忠)にすべきか」
いつもはただ書き留めているだけの鈴陶が口を挟んだ。
「思本はどうでしょうか?」
元璋は女子が政治や軍事に口を出すことを嫌っており、鈴陶を黙らせようとしたが、この日は引き下がらなかった。
「思本は朱家の千里駒と申すべき名将ですが……」
「思本のどこがいけないのだ」
「思本は城を攻め、敵を打ち破ることは得手でしょうが、城を守ることは不得手だと思います」
着替えを済ませると、侍女に運ばせた茶を口にして鈴陶の顔を見つめた。
「思本でなく、そなたは誰を推す」
この問いに鈴陶はにこやかに微笑んで、胸中の人名を口にした。
「伯隆(朱文正)です」
意外な名前に元璋は首をかしげげた。
文正は優秀であるが、慎重すぎて動きが鈍い。洪都のような最重要拠点を任せるには心許ない。しかしその考えを鈴陶は否定した。
「鋭い矛だけでなく、身を守る盾も大事です。伯隆は機を見るに敏ではないですが、愚鈍ではありません。守りで大事なのは機敏さではなく、いかなる窮地にも動じず、山の如く心を鎮めること。その点、思本より伯隆の方がはるかに向いております」
「山の如く、か」
「それと――」
もう一つ文正を推薦する理由を述べた。
「国瑞様が安豊へ出陣されましたが、その中に自分が含まれていないことを嘆いておりました。思本や文英(沐英)は陣に加えられているのに、伯隆だけが外されている、と。ひょっとすれば舅のことを懸念されているのではないか、と申しておりました」
元璋は茶碗を置き、目を閉じた。
文正は先年、後見人であった再興の娘を妻に迎えた。しかし邵栄の謀反に連動し、再興は一族ともども張軍に寝返ってしまったのだ。ただ一人、再興の娘だけが残され、周囲は離縁するよう文正に迫った。しかし文正は、
「ここで妻を身捨てるなど男が立たぬ。この首刎ねられようとも妻と別れぬ」
と、妻を離縁させなかった。このため朱軍における文正の立ち位置は微妙なものとなり、周辺の目もどことなく冷たいものになった。だが鈴陶は文正の態度を誰よりも評価していた。ここで妻を捨てるようならば文正の器量などたかがしれている。この篤実な性格こそこのたびの籠城戦を任せるには最もふさわしいと、確信していたのだ。
「鈴陶」
元璋は立ち上がり、佩剣を鈴陶から受け取った。
「洪都の守りは伯隆に任せよう」
そう決意すると、慌ただしく部屋を出た。鈴陶は満面に笑みを浮かべ、頭を下げた。
「我が君」
劉基は真剣な眼差しで元璋の答えに耳を済ませた。
「朱文正だ」
「ご卓見」
文正を起用する考えは劉基も同じであったのだ。こうして朱陳両軍の分水嶺となる洪都守護の役目は文正に託されることになった。
一方。友諒は友諒で今回の出陣に並々ならぬ覚悟を定めていた。思い立てば即行の人であったが、ここ一年ほどは不気味なほど大きな動きをしていなかった。それは一気に朱軍を滅亡させるべく、兵力と兵器を整えていたからである。
兵の数、公称六十万。船団数百隻。
また船団・兵装ともに燃えるような朱色に染め、東進を開始したのだ。相変わらず彼の船団は美しい。
――出遅れた。
陳軍の動きを耳にした元璋はわずかながらであったが、安豊救出を悔いた。だが一方でこうも考える。たとえ安豊に出陣をしていなくとも、陳軍は六十万で、どうあがいても朱軍にそれだけの動員力はない。兵力差があるが、と言って手をこまねいているわけにもいくまい。
とにもかくにも朱軍は出来る限り兵を集めなければならなかった。そのためには時間が必要であり、洪都に漢軍をどれだけ長く引きつけるかが、問題であった。守将に文正を選んだが、その補佐として鄧愈を起用した。元璋は二人を呼び尋ねた。
「軍を整えるには三ヶ月ほど時間を要するが、陳友諒の大軍を支えられるか?」
平素は穏やかで豪語せぬ文正であったが、この時は違った。
「支えられます」
「ならば行けッ」
元璋は佩剣を文正に、かたわらにあった弓矢を鄧愈に授けた。両名は深々と頭を下げ、勇躍して応天府より進発していったのであった。
まさに陳軍が鄱陽湖にさしかかる直前であった。急行した文正と鄧愈は敵が包囲する前に洪都に入城することができた。兵力はさほど与えられてはなかったが、その代わりに火銃類と兵糧は存分に持たせてくれている。鄧愈は漢軍の威容を聞き、
「城を守ることは容易ではないですね」
と、顔を凝固させた。ところが文正は哄笑して手を振った。
「断じて敢行すれば、鬼神もこれを避く、と申します。相手は鬼神でなくただの人。一兵になろうとも死守し、天下万民が安寧に暮らせるご主君の世の礎となりましょう」
文正は鄧愈がはっとするほど清んだ表情で決意を表明した。鄧愈も歴戦の強者である。文正同様死を覚悟し、改めて洪都墨守を心に誓った。
「朱文正……誰だ、それは?」
洪都に朱軍が篭ったことを耳にした友諒は早速、文正のことを調べさせた。
「朱元璋の甥で、副将は鄧愈と申す若者でございます」
「笑止千万。朱元璋め。韓林児救出と言い、この二年間で頭が惚けてしまったらしい。わずか数千の兵で青二才に洪都を守らせるとは愚かなことよ」
この友諒の見解にただ一人、異を唱えた人物がいた。
太尉(たいい)(国防相)の張定辺(ちょうていへん)であった。
友諒は独裁的で参謀など置かぬ主義であったが、その漢軍において数少ない謀臣がこの定辺で、知恵者としてその名を轟かせている。
「洪都など捨て置かれ、一挙に応天を衝くが上策かと思われます」
定辺の見る所、安豊から戻ったばかりの朱軍に防戦の準備などできていないと見ていた。 拠点を落としてしまえば、洪都など幹を失った枝葉に過ぎない。仮に洪都軍が打って出ればもっけの幸い、一気に洪都を手中にすることができる。だが、この案を友諒は一笑に付した。
「定辺ほどの者が軽はずみなことを申す。洪都は鄱陽湖の門にあたる地。このまま洪都を捨て置き、東進すれば糧道を絶たれる。そうなれば我らは大軍ゆえ、どうしようもなくなってしまう。それに――」
友諒は言葉を止めると、
「江東橋のような目に遭うのは二度と御免だ」
と、暗く沈んだ表情で冷笑した。
信頼していた康茂才に裏切られ、その結果、朱軍に付け込まれたあの敗戦は友諒を慎重にさせていた。あの裏切りで友諒は学んで成長したと言えるが、あの経験が今回の戦いで裏目に出るのではないか、と定辺は不安に感じた。
――しかし陛下のご気性……一度言い出されてはお考えを変えることはできぬ。
友諒の言葉は一度発せられると誰もそれを覆すことは出来ない。定辺は主の考えに従うしかなかった。
文正は洪都に入城するや、様々な行動を起こした。
――籠城に肝要なのは兵の士気。
文正はそう考え、まず己の覚悟を兵士に見せつけることにした。
「我が愛馬をこれへ」
何を考えたのか、文正は愛馬を城門壁に曳いてこさせた。
「者共、見よ」
そう叫んだかと思うや、元璋から授かった剣を抜き、愛馬の首を刎ねてしまったのである。
「心せよッ。我らが一日でも長く死守するか否かが我が軍、いや天下万民を救う分かれ目となる。敵の大軍にひるむ者がいるのなら、我が愛馬同様にその首を刎ねる」
この檄に兵たちは当初固唾を呑むばかりであったが、やがて顔を紅潮させながら興奮し始めた。主将のただならぬ気概は兵の士気を高める。狙い通り、文正の発破は将兵は心を引き締め、来る陳軍に備えたのである。
――城を墨守するにふさわしい。
鈴陶が見込んだ通り、守城を任された文正は溌剌としていた。
限られた時間の中で人数を効率よく使い、洪都の守りは考えうる限り、堅固なものとなった。
――これが伯隆殿か。
諸戦を切り抜けてきた鄧愈も文正の手腕に目を見張った。
平素の文正は寡黙で鈍重な印象を周囲に与えてきた。それゆえ才気活発な文忠に人気が集まっていたのだが、籠城戦を指揮する彼は光沢に満ちていた。
――まさに水を得た魚だ。
この防戦はきっと成功する、鄧愈はそう確信した。
防戦準備は予想を超えて早く完了した。漢軍が洪都を囲んで五日間で万全の体制を整えてしまったのである。
「このまま籠城してはなりませぬな」
東門の楼上から敵軍を観望していた文正は、鄧愈に相談した。
「仰せの通りです」
「敵は我らを若輩者と侮っている。今夜あたり奴らの鼻を明かす絶好に機会だと思うのだが……」
「ではこの伯顔が一軍を率い、夜襲をかけましょう」
文正はうなずき、三百の兵を授けた。
鄧愈は年若いが、十代の頃より戦場を駆け巡った歴戦の強者である。野戦における感性は朱軍随一であり、中でも夜襲を得意としていた。一方、漢軍は文正が睨んだ通り、洪都の将が若いことですっかり侮りきっていた。
――いざ洪都を攻めようぞ。
友諒の命が下されようとしていた七日目の夜に鄧愈は奇襲を敢行した。
――相手は所詮、若造よ。
皇帝・友諒とその家臣たちは誰もが文正たちを侮りきっていた。
将の甘さは軍の油断となる。さらに遠征をしてきた陳郡は行軍に疲れている。休息をしていた陳軍はまさか夜襲されることを想像せず、その陣は寝静まっていた。
「敵は皆、寝ておる。この機を逃すなッ」
鄧愈はそう叫びながら、陳軍の各所に火を放ちまくった。
油断している軍にとって火ほど恐ろしいものはない。俄然、陳軍は騒然となり、恐慌状態に陥った。
――漢の将兵は皇帝を信用していない。
鄧愈は陳軍の統帥状況をそのように見ている。友諒は急激に兵力を増してきたために、その統率が朱軍に比べて劣っていた。鄧愈は陳軍内にある疑心を最大限利用したのである。
「裏切り者が出たぞ」
鄧愈は火を放ちながら兵たちにそう叫ばせたのである。すると漢軍は大混乱を起こし、さらには同志討ちまでも繰り広げられてしまった。
「頃合か」
一刻ほど暴れ回ると、鄧愈は兵をまとめて城へ戻ることにした。
さすがは鄧愈と言うべきか、戦慣れした彼ならではの呼吸であった。
――頃合か。
鄧愈が引き際を判断したのは、友諒の器量を計算に入れてのことであった。調子に乗ってこのまま夜襲を続ければ少数ゆえ全員補殺されるに違いなかった。
「さて、ここからは我慢比べですぞ」
兵を引き上げた鄧愈はにこやかにそう述べた。
「敵の勢いが勝つか。我らが忍耐しえるか。我慢と知恵比べだな」
文正も異存はなく、哄笑しながら頷いた。
これ以後、洪都は貝が殻を閉じるが如く、一兵も外に出ることがなかった。文正と鄧愈の連携は至芸と言いほど、息が合っていた。
洪都の攻防戦は三ヵ月に及んだ。
その間、友諒は文正を挑発したが、一向に乗ってこない。攻めれば守り、退けば攻め込むなど洪都軍の進退は見事であった。
守城中の文正は一度も暗い表情を兵たちに見せなかった。どこまでも朗らかで、常にゆったりとした口調で語りかける。
「無駄に命を捨てるな。一日でも長く城を守れば我が軍の有利になる。また少しでも敵を疲弊させれば我が君の天下統一が近くなるのだ」
そう兵士たちを労い、そして励ました。
一方鄧愈は、
「我らに天のご加護あり。青史に名を留める絶好の機会だ。そなたらに朱都督あり。この鄧伯顔あり」
と鼓舞して、兵士たちを励ましたのである。
静と動――この二人の組み合わせは朱軍にとって幸いであった。
一方、漢軍は焦りといら立ちを覚えていた。
六十万もの大軍で攻めながら、洪都のような小城を陥落させることができない。このような小城にかまっているうちに朱軍本隊が来襲し、疲労した状態で決戦せねばならなくなるからだ。
――定辺の申す通りであったやもしれぬ。
今さらながら洪都を攻めたことを後悔した。この洪都攻防戦は朱陳両軍にとって一つの山場であった。その両軍の荒廃を懸けた戦いに友諒は負けた。洪都を落とせなかった陳軍にとって恐るべき事態――元璋が精兵二十万を率いて西進を開始したのである。
――たかが二十万。
敗北感に打ちのめされそうになった友諒は心内で幾度もそう唱え、己の動揺を抑えようとした。皇帝が動揺し、悲壮感を抱いてしまえば大軍であることがかえって禍となり、大敗を喫してしまう。
――我が大漢の三分の一の兵力ぞ。こうなれば鄱陽湖にて粉砕してくれん。
友諒は意を決した。洪都の囲みを解き、全軍挙げて鄱陽湖へ船団を進めることにした。ここに元末最大の決戦――鄱陽湖の戦いが始まるのである。
朱元璋軍二十万。
船艦は小型であったが、いずれも機動力に優れ、小回りが利く。ただし漢軍の大船とまともにぶつかっては簡単に撃沈されてしまう。色は陳軍と区別するために白色に塗装されていた。
陳友諒軍六十万。
巨額を投じた大船艦ばかりを揃え、船体は全て朱色に染められている。また水上の城壁を思わせる如く各艦同士鎖で繋がれている。
一見すれば朱軍は圧倒的に不利であったが、有利な条件もあった。
一つは士気の違いである。漢軍は三ヶ月もの間、益なき洪都攻略をしていたため、疲労しきっている。朱軍は出陣したばかりで士気は盛んであった。
組織力においてだが、両軍の間には天地ほどの隔たりがある。朱軍は元璋を中心に指揮系統と役割分担がなされており、一つの生命体を思わせるようなまとまりがあった。
一方漢軍は友諒のみが指令し、役割分担などない。大軍であったため意思疎通は朱軍と比べ物にならず、船艦も個々に動く始末であった。
兵数か統率力か――。
この相違が勝敗の鍵を握っていた。
決戦前夜。元璋は幕僚たちを集め、明日からの決戦について意見を求めた。
参席したのは劉基、善長、徐達、遇春、馮国勝、湯和、文忠、沐英、茂才と言った面々たちである。
机上には鄱陽湖付近の地図が広げられ、諸将は地図を指差しながら各々の意見を出し合った。最初に発言をしたのは善長で、状況を分析し戦略を述べ始めた。
「戦に勝つには敵味方の長短を知るべきです」
「長短とは?」
徐達が尋ねた。
「左様。まず漢軍の長所は何か――」
「兵の数、艦の頑強および大きさ」
「いかにも。しかし洪都攻略に失敗をして士気が著しく下がっております。船も鎖で繋ぎ、防御力こそ高いものの、その動きは鈍い。我が方の長短は漢軍のそれと逆でござります。つまり我らの長所をもって敵の短所を衝き、我らの短所を敵に衝かせぬが肝要です」
この意見に異論などあるはずもなく、皆一様に頷いた。
「百室殿は、どのようにして敵の短所を衝かれるのですか」
国勝がそのように質問をすると、不敵な笑みを善長は浮かべた。
「火。陳友諒の艦を滅ぼすには火計あるのみ」
なるほど、と国勝は納得した。
「しかし――」
国勝には一つ気がかりな点があり、そのことも尋ねてみた。
「風はどうなされるのです?」
火計を成功させるためには、風の力が必須である。
敵側に風が吹いてこそ火計は威力を発揮するのだが、こちら側に風が吹けば全滅するのはこちら側である。この時期、鄱陽湖には南西の風――つまり朱軍にとって向かい風が吹いている。そのことを指摘されると、善長は顔を曇らせた。
「懸念すべきことはそのこと。されば我が軍の軽快さをもって風上に回り込めば問題はないはず」
そのように説明した。
危うきかな――席上の誰もが善長の風対策に首をかしげた。果たして陳軍がそう都合よく朱軍を風上に回してくれるのかどうか。だからと言って祈りを捧げて風向きを変えてもらうなど、神ならぬ人に出来る業ではない。沈黙する中、それまで黙していた劉基が口を開いた。
「残念ながら軍師のお考え通りに事は進みますまい。我らが風上に動けば、敵も愚かではない。火計のことなどすぐに看破されましょう」
この発言に善長はむっとした。劉基の意見が間違っていたためではなく、どこまでも正しい指摘だからこそ余計に不快であった。
「ならば伯温先生は火計以外で陳友諒を打ち破る策をお持ちなのですか」
「我が軍が勝つは火計以外ありますまい」
ならば――と善長は詰め寄ろうとしたが、劉基は手でそれを制した。
「大事なるは我らの狙いが火計にあることを悟らせてはなりませぬ。相手を信じ込ませ、懐深く導き、そして倒す――これが策略と申すもの。敵に疑う気持ちを持たせて策は通じませぬ」
「ではどうするのです」
「風が変わるのを待つのです」
この言葉に皆が呆れ果てた。
風を待つと言うが、この時期の鄱陽湖に東北からの風など吹きはしない。風が変わるのは春先のことで、今回の決戦で待ってなどいられない。ところが劉基は穏やかに笑いながら、
「この伯温、湖神と話す術を会得しております。きっと風向きを変えてご覧にいれましょう」
そう自信ありげに請け負ってしまった。一同はこの発言に唖然とした。宗教的発想を忌み嫌っていたはずの劉基が決戦を前に気が触れてしまったのではないか、と疑ったのである。元璋はしばらく腕を組みながら、劉基の目を見つめていた。人が正気か否かは眼を見ればわかるからだ。
――この目は呆然自失しているものではない。
劉基の眼光は鋭く、静かな青い光を宿している。元璋は正気だと判断すると、ようやく口を開いた。
「ここは青田先生を信じよう。元より敵は大軍。これを打ち破るには奇跡がなければ、我らに勝機はない」
この元璋の言葉に劉基は感謝したが、微笑しながらかぶりを振った。
「畏れながらこの伯温、奇跡など信じておりませぬ。考えあってのことですので、進言申し上げている次第」
一旦、言葉を止めると指を三本立てた。
「三日間――。三日間、敵の攻撃に耐えていただければ、きっと我が軍に勝利の風が吹くことでしょう」
自信にあふれた声できっぱりと言い張った。この淀みのない言葉を一同は信じ、三日間、死を賭して戦うことを誓った。
一致団結。朱軍は漢軍目指して船団を進発させるのであった。
明朝。朱軍は船団を四つに分け、陳軍を包囲するように陣形を組んだ。
先陣は遇春で、朱船隊の中で最も頑強な船艦を与えられている。副将は国勝で、火銃をもって遇春を援護した。
右陣率いるのは徐達である。副将は茂才で最も軽快な快速艇を与えられた。徐達軍は右方を自由自在に動き、敵を撹乱する役目が与えられている。
左陣は文忠と沐英に将軍筒(しょうぐんとう)を積ませた重装備艦を率いさせた。将軍筒はかつて濠州攻防戦で元軍が使用した大砲である。この陣は先陣が動きやすいようにするための援護船隊で、そのため強力な火砲を多数与えられた。
本陣には謀臣として劉基と善長が側に控えている。
善長は幕僚長として総指揮を行い、連絡将校として湯和が快速艇十隻にて待機していた。
開戦直前。善長は様々な手配をした。
水軍元帥・廖永安にも策を授けたことも、その一つである。
永安は配下の水軍を率いて人知れずいずこかへと消えていった。
一方、囲みを解かれた洪都の文正は朱軍の補給路を確保し、鄧愈は遊撃軍を陸路で繰り出して、陳軍の補給路を脅かしたのである。
かくして決戦の火ぶたが切って落とされた。
両軍は激しく火砲や火矢を打ちあい、そしてたがいの船に飛び乗って壮絶に斬り合った。
血を血で洗い、広大な鄱陽湖が半日で紅く染まった。湖面には双方の死体が漂い、地獄絵図を現出させた。
両軍の将たちは血刀を振るい、戦鬼のような形相となった。
中でも遇春と友諒の弟・陳友仁(ちんゆうじん)の一騎打ちは壮絶であった。
船上で数十合打ち合っても決着が付かず、双方とも無数の傷を負って鎧を朱に染めた。また両軍が敵将を討たんと襲いかかったが、すべて二人の刀の錆にされてしまったのである。
二日目。
戦いは混沌たる様相を呈し、総帥である元璋と友諒も自ら剣を振るって戦わねばならぬほどであった。漢軍は巨艦をもって朱軍の船団を押し潰そうとするが、朱軍は巧みにかわした。反対に巨艦の周囲を取り囲み、矢を打ち込んで撃退したのである。
三日目。
「風を変わる」と劉基が予言した日が訪れた。
しかし風向きは南西に吹くばかりで、一向に変わる気配がない。劉基はこの三日間、船室に籠りきったままで何もしようとしなかった。
戦況は朱軍に不利になっていく。
朱軍は見事な連携で陳軍を翻弄し、撃退した。しかし多勢に無勢でこのままでは敗退するのは時間の問題であった。
この窮地を脱するために善長は信号砲を打ち上げた。それは開戦初日、いずこかへ移動させた永安に対してのものであった。永安は南西の河口付近に船団を隠しており、合図とともに河口を封鎖してしまった。
南西の河口は漢軍の兵糧物資が運ばれる唯一の入り口であり、ここを封鎖されてしまっては武器弾薬が無くなり、兵糧攻めに遭ってしまう。
漢軍の軍師・定辺は血相を変えて友諒に報告をした。友諒は戦いにおいては冷静になる男で、顔色変えずその報告を聞いた。
「陛下。一刻も早く河口の封鎖を解くべきです」
そう進言したが、友諒はかぶりを振った。
「河口に兵を出せば背後を朱軍に衝かれる。そうなれば我が軍は崩壊する。それよりも朱軍はあとひと押しで崩せる。今は虎穴に飛び込むべし」
友諒の読みは当たっていた。たしかに朱軍は崩壊寸前で、このまま強襲すれば朱軍は崩れる。そうなれば河口を塞いだことなど意味が無くなってしまう。死中に活を見出すべく漢軍は猛攻を加えた。
その頃、朱軍は――。
善長の秘策が空振りとなり、動揺が起こりつつあった。
河口を封鎖することで敵を急転させることを目論んでいた。あの短慮な友諒ならば必ず掛かるであろう――善長はそのように考えていたのである。
ところが意外にも友諒は動ぜず、反対に朱軍に猛攻をかけてきた。
策、破れたり――と善長はほぞを噛み、己を責め立てた。元璋はあえて表情を穏やかにして励ました。
「軍師よ。あきらめてはならぬ。まだ戦に負けてはおらぬ」
この言葉は元璋自身に対するものでもあった。ここで首脳陣の心が折れてしまえば、朱軍は総崩れを起こしてしまう。
そんな時、劉基が立ち上がると、大声で元璋に船を移るよう申し出た。意味がわからない元璋を引っ張るように他船に移し、諸将たちも移動した。すると驚いたことに旗艦に砲弾が直撃し、撃沈してしまったのだ。
「青田先生は仙術を心得ているのか」
元璋は驚愕して尋ねた。しかし劉基は、
「砲の音が聞こえただけです」
と笑いながら、かぶりを振った。この危機的状況によく笑えるものだと元璋は呆れたが、心に芯が戻ったような心地となった。
「李軍師」
落胆する善長に劉基は声をかけた。
「没奈何(ぼつなか)の準備は整っておりましょうや」
善長が以前より開発していた新兵器について尋ねた。
没奈何とは、「如何ともしがたし」という意で、周囲五尺、長さ七尺の火器であった。可燃性が非常に高い火弾を発射する砲で、善長が火攻めのために考案した武器である。
「用意はしておりますが、まだ風向きは南西。ここで使えば我らの船は燃え尽きましょう」
眉をしかめて善長が使うことを反対したが、劉基は空を見上げながらかぶりを振った。
「もう間もなく風が変わります」
とても清んだ瞳で、そのように言い切った。その姿は神韻を帯びており、劉伯温は神ではないか、と元璋は密かに思った。
劉基は再度「没奈何をご用意あれ」と頼んだが、善長はなおも体を凝固させて動こうとしなかった。だが元璋が、
「軍師。用意せよ」
と命じたため、善長は没奈何を十五門用意させた。
――劉基は窮して破れかぶれになっているのではあるまいか。
劉基の心情を測りかねて、善長はそう邪推した。だが劉基は静かに空を見上げ、東北の風が吹くのを待っている。
奇蹟というものが世にはあるのだ――。
朱軍の誰もがそう思う瞬間がついに訪れた。
没奈何が用意されてから間もなく。それまで南西に吹いていた風が、にわかに東北に変わったのである。
――劉伯温は妖怪なのか。
善長には信じられなかった。だが劉基は人々の驚愕などどこ吹く風とばかり気にはしない。それまで穏やかであった表情を一変させて、大声を発したのである。
「今こそ好機。没奈何を放てッ」
諸将は身を躍らせ、没奈何を発射させた。また合図と共に、交戦していた朱軍は一斉に漢軍から離れ、本陣に合流した。
没奈何の威力は凄まじかった。
次々と漢軍の船団から火柱が立ち、東北の風は容赦なく、威容を誇った大船隊を紅蓮の炎で蓋わせた。
機動力に優れた朱船団はいち早く東北へと移動したが、鎖で繋がれた陳船隊は逃げる術もなく次々と炎上し、沈没していった。
「何たることだッ」
さしもの友諒も悲鳴を上げた。
拳から血が吹き出るほど、何度も船のへりを殴り続けた。長い歳月、努力を重ねて築き上げた大漢の艦隊が次々と沈んでいく。
「朕の水軍が……朕の水軍が……」
満面を悔し涙で濡らしながら、叫び続けた。しかし悲痛の声は虚しく響き、船隊は湖に灰となって沈んでいく。あまりの惨状に茫然自失していた友諒に代わって定辺が声を荒げて下知をした。
「急ぎ各艦の鎖を断ち切り、焔から逃れよ。まだ間に合う」
この声で友諒はようやく我を取り戻した。
友諒もただの人ではない。すぐさま冷静に指令を出し、燃えていない艦の確保に奔走した。
辛うじて全滅から免れたものの、その被害は甚大であった。
船隊の半分以上が湖に沈み、兵も三分の一は焼死してしまった。弟の友仁も焼死した一人であった。もう一人の弟・友貴(ゆうき)は大火傷のため意識不明の重体に陥っている。
だがまだ漢軍は滅んではいない。
残る艦と兵力を結集して、朱軍に最後の抵抗を見せたのである。鬼神であるまいか――元璋は友諒の頑強さに驚愕していた。
火攻めから三十日。
大半の船隊と将兵を失いながら、友諒は死力を尽くし元璋と戦い続けた。
劣勢ながらも時には肉薄し、幾度か朱軍を窮地に追いやった。しかし徐達や遇春たちの活躍で持ち直し、辛うじて優勢を保っている。
「陳友諒は人ではないのか」
劉基はあの火攻めの後は作戦に口を出さず、戦いの推移を見守っている。
「奇人でありましょうが、鬼神ではございませぬ」
「左様であろうか。わしが友諒なら、あのような火攻めを受ければ心が砕ける」
「それはこの伯温も同じこと」
「先生はてっきり神だと思うていたが」
半ば冗談、半ば本気で劉基をからかった。
「この伯温はただ餅を焼き、村の子供たちに読み書きを教えるだけが取り柄の者。ご主君や李軍師に比べれば尋常(ただ)の者でござります」
「異なることを。神でない者が南西から東北の風に吹かせることができるものか」
「ああ、そのことでございますか」
微笑しながら種を明かした。
「東北の風が吹くことは事前に知っていただけです」
「知っていた?」
「それがしの従者を鄱陽湖に遣わし、代々漁師をしている者から風向きについて聞いておいたのです。雲の形と湖の冷たさで風の変化がわかる――そう教わったのです。すると三日後に風向が変わるとわかりましたゆえ、あのように申し上げた次第」
他愛のないことだと笑ったが、やはり神人だと元璋は思った。劉基は簡単に言うが、得た情報を最大限に利用することは誰にでもできることではない。
――やはり今孔明であるな。
改めてそのように感じた。
「ご主君」
急に真剣な表情となり、漢軍を指差した。
「十日ほどすればきっと陳友諒は鄱陽湖から兵を退きましょう」
「どうしてわかる?」
「兵糧でございます。李軍師の計が功を奏しようとしているのですよ」
劉基が言うように、善長が永安に命じて敢行させている河口閉鎖策が効果を出し始めていたのである。漢軍の兵糧が底を尽き、朱軍と戦える状態ではなくなってきていたのだ。
「このままでは朱軍に敗れるよりも餓えに敗れてしまいます」
そう定辺は訴えた。友諒は連日の激戦で喜怒哀楽を表すことができないほど疲労していたが、ゆるやかにかぶりを振った。
「父君。太尉の申される通り、兵は餓え、逃亡または朱軍に投降を始めております」
そう諫言したのは友諒の皇太子・陳善児(ちんぜんじ)であった。
彼は経理に明るく、少ない兵糧を管理し、父帝の戦いを陰ながら支えてきた。だが糧道を断たれた今、それも限界に近づいている。
「ここで兵を退かねば、再起も望めませぬ。無念なれど……大業を成すために、ご決断を……」
「しかし皇太子よ。退路は断たれて敵に囲まれておる。今、兵を退けば追撃してこようぞ」
「この善児、身命を賭して殿(しんがり)を努めまする。父君は太尉と共に先陣に立たれ、血路を開かれますよう」
善児は必死の形相で懇願した。友諒は感極まり、皇太子の手を強く握って号泣した。
陳軍が撤退を開始したのは、翌朝のことであった。
その朝、鄱陽湖は濃霧に包まれており、友諒はその間隙を縫うことにした。
だが朱軍はその点抜かりはない。いち早く漢軍の動きを察知し、善長は徐達と遇春たち諸将に友諒追撃を命じていたのである。遇春の追撃は激しく、金鼓を叩かせ漢軍の背後を襲った。
善児は武の人ではないが、この戦いを限りと思って死力を尽くした。彼は父と違って、温和な性格であり、兵たちに人気があった。そのため、善児に殉じようと二百人ほどの決死兵たちが共に戦ってくれた。
だがいかに死兵と化そうとも餓えのため力は尽き、ましてや相手が猛将・遇春であったためどうしようもなかった。次々に漢軍は討ち取られ、ついに善児も壮烈な最期を迎えたのである。
一方、友諒も息子同様、いやそれ以上に奮起し、朱軍を突破しようとしていた。激戦の中、定辺の軍船と離れ離れになり、友諒の船艦だけが朱軍に取り囲まれた。友諒に無数の矢が襲ったが、刀を振るってそれを防いだ。
「さすがは陳友諒よ」
快速艇を走らせ弓矢を構えた者がいた。
それは湯和であった。五人張の弓に矢をつがえ、奮戦する友諒を狙った。友諒は湯和に気づかず、血刀を振るう。湯和は船先に立ち、弦を引いた。
「くわッ」
そう叫び、矢を放つと、矢は光陰の如く唸りを挙げて友諒に向かった。友諒はその音に驚き、振り向くと眼前がみるみる朱に染まっていく。
走馬灯のように――一介の漁師が青雲の志を抱き、世に出て、皇帝にまで登りきった。その波乱に満ちた人生が友諒の脳裏を駆け巡った。
――俺は太陽をつかみたかった。
矢は友諒の右目を貫通したが、鏃が脳にまで達しているせいか不思議と痛みは感じなかった。ただ鄱陽湖に輝く陽光が哀しいばかりにまぶしく、人生をかけてなりたかったのは、この世を照らすあの太陽であったのだと、益体もないことを友諒は想った。そんな想いが彼の両眼からとめどなく血と共に涙を流させた。
生き残った兵たちは突然の皇帝の死を、彼が倒れたその音でやっと知ることができた。 だが驚くことも、悲しむことも出来ず、迫り来る朱軍を防ぐことだけに追われ、何の感傷も抱けなかった。
呆気ないというべきか。果敢というべきか。
いずれにせよ、ここに大漢皇帝・陳友諒は波乱に満ちた生涯に幕を降ろしたのである。
友諒の死で漢軍の敗北は決定的となり、全軍総崩れとなった。
定辺は辛うじて鄱陽湖を脱出し、漢国の都であった武昌に帰還した。帰還後、留守居役であった友諒次男の陳理(ちんり)を皇帝に推戴したが、情勢は決していた。翌年には朱軍に降伏し、ついに大漢は滅亡したのである。
ここに元璋は最大の敵・陳友諒を滅ぼし、朱軍は江南の一大勢力に成長を遂げた。次に狙うのは東に割拠する張士誠で、彼を滅ぼせば天下統一への道を切り開くことができるのである。
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