14 / 20
第十四話「今孔明」
しおりを挟む今孔明
一
新しき世代が登場しようとしている。
一人は朱元璋の姉の子・李文忠。
一人は兄の子・朱文正。
そしてもう一人は元璋と鈴陶が濠州で仮子とし、育てた沐英。
乱世に生きる若者たちに有閑の時はない。元服を済ませるや、ただちに出陣することになった。
この頃、朱軍は四方に敵を抱え危機を迎えていた。
北は蒙古、南は方国珍。東は張士誠、そして西には陳友諒。
いずれも油断ならぬ敵であり、朱軍は一刻も早く周囲を固めなければならない。朱軍は竜蟠虎踞の地・応天を手中にしたものの、その基盤はまだまだもろい。兵力も足りなければ、人材もまだまだ乏しい。
だが天の助けと言うべきか、幾分か状況に猶予がある。
北方の蒙古軍は龍鳳政権を打破した直後から内部抗争が始まり、南征をする余裕がない。南方の国珍は天下争覇の志がなく、どちらも急襲してくることは考えにくい。
問題は東の士誠と西の友諒であった。双方とも朱軍への侵攻を企てており、予断を許さない。だがこの両軍もまだ足許が定まっておらず、本格的な動きが出来ないでいる。
――兵は神速を尊ぶ。一刻も早く足許を固めた者が天下を制するのだ。
元璋はそのように天下の情勢を睨んでいた。
まずは地固め――そのように方針を固めると、時をかけず麾下の軍勢に出陣を命じた。
三人の若武者はこの鎮定作戦で初陣を飾ることになった。彼らは元璋の身内で、いずれは一軍の将となるべき者である。だが初陣であるため後見人が必要であった。
それぞれに戦経験が豊富な将がその任に当たった。
文忠には胡大海。文正には謝再興。そして沐英には常遇春が後見人となった。
「我らが目指すは婺州(ぶしゅう)ぞ」
通称・金華(きんか)と呼ばれる地を元璋は目標に掲げることにした。
――天下を征するに必要なのは武と地のみではない。
元璋はそのように考える。
武と地以外の物――それは何か。
――人が欲しい。
朱軍に最も必要なのは人であった。人ならば、武においては勇猛果敢な徐達、遇春、湯和、鄧愈、文においても李善長や馮兄弟、陶安など智謀に長けた者が数多いる。ではどういった人材が足りないのか。
諸方の情勢を探っていく中で、元璋はあることに気がついたのである。
北伐を敢行した龍鳳軍であったが、各地で反撃に遭い、撤退を余儀なくされている。連戦連勝を重ねてきた龍鳳軍がなぜ、かくも簡単に敗れたのか。
――大いなる目がなかったからではあるまいか。
局地戦において強くとも、天下を征することは出来ない。天下に打って出るには大いなる目を以って戦わねばならないのだ。だが今の朱軍には天下全体を見渡すほど大きな視野を持った人物はいない。金華は学問の都と謳われている。この街であれば大きな視野を有した人物がいるのではないか――元璋は顧問とすべき人材を求めて攻略しようと思い定めたのである。
金華は南宋の頃より学問が盛んで、多くの学者を輩出している。
別名を「小鄒魯(しょうすうろ)」(鄒は孟子、魯は孔子の出身地)と称されるほど、その学名は天下に鳴り響いていた。
元代に入ると金華学派は軽視されていたが、漢地派であったトクトは彼らを重用し、国政改革に起用しようとした。トクトの腹心・賈魯も金華学派の流れを汲んでおり、黄河開拓の案も金華学界で議論された政策であったのだ。しかしトクトの死後は再び金華学派は軽視され、大都に出仕していた学者たちは故郷に戻ってきている。
なぜ元璋が金華の重要性に気づいたのか。それはある人物の進言がきっかけであった。その人物とはかつて軍律違反の咎で息子を処刑された大海である。
彼は朱軍において珍しく学識があり、若き頃より金華学者を師と仰いできた。それは彼の知己が金華周辺に多くいたことも無縁ではない。だが元璋は金華の学者を招聘することに意欲を燃やしたが、朱軍全てが賛成したわけではなかった。登用に消極的、いや反対を唱える者も少なくはなかった。その代表が軍師の善長であった。
彼の智謀は群を抜き、ここまで朱軍を成長させた人物であることは誰もが認めるところである。また軍略のみならず、一筋縄でいかない将たちの間を調整するなど統率面でも活躍した。そんな善長だが、彼には大きな瑕疵がある。それは同郷意識が人一倍強かったことであった。人間誰しも同郷の者を大事にしたい想いはある。だが善長は代々、郷紳の家柄ということもあってか、長江以北の者たちを偏愛した。また善長は知識人への嫉妬があり、特に金華学派の学者を嫌っている。
「彼らの学問は書生論。この乱世で何の役に立ちましょう」
そう冷やかに述べたことがあった。元璋は否とも応とも言わず、ただ苦笑いするだけであった。しかしこの考えには異論がある。
これからの戦や天下統一後の治世でも善長のような実地的な智者は必須であった。しかし支柱となるべき高度な政治学が必要となることは間違いない。
――金華は応天と同様、大志を遂げるには必要なのだ。
元璋は生まれついての統率者なのか、元璋は善長とはまるで違う大きな視点を有するようになっていた。とにもかくにも金華攻略を決意し、軍令を発するのであった。
金華攻略――そのように号令はしたものの、地理的に直接狙うことは出来ない。
なぜならば周辺には元朝麾下の勢力都市が取り囲んでおり、まるで貝殻のように強固であったからだ。金華という身を取りだすには、それらの貝殻を取り除かねばならない。
落とさなければならない城はいくつかあり、そのひとつが応天の東隣にある鎮江であった。
この城には元将・ディンディンと副将・段武(だんぶ)が守っている。
主将であるディンディンはさほどの器ではないが、問題は副将の持つ人脈であった。
段武は勇猛な将であったが智謀はさほどない。しかし素直な性格で、賢人を敬ったため、鎮江の知恵者たちが力を貸してくれている。中でも秦従龍(しんじゅうりょう)という老儒者の智謀は卓越していた。
従龍は洛陽出身で、漢民族でありながら元朝官僚として活躍した人物である。年老い、気候穏やかな鎮江に隠遁して余生を過ごしている。段武は腰を低くして彼を鎮江の顧問とし、城の防備についてはあれこれと師事していた。
次に南方に寧国(ねいこく)という要衝がある。
ここにはベクブカと楊仲英(ようちゅうえい)が守りを固めている。寧国は城壁が高く、兵糧も蓄えられており、難攻不落の城として知られていた。
さらに徽州(きしゅう)にバルスブカ、杭州には苗族の楊完者、青衣軍という遊撃軍を指揮する張明鑑(ちょうめいかん)が応天を取り囲む形で割拠していた。
目指すべき金華には契丹の名族・石抹厚孫(せつまつこうそん)が守っており、金華の隣にある処州(しょしゅう)には厚孫の兄・石抹宜孫(せつまつぎそん)が大軍を擁して連携の姿勢を保っている。
こうした状況を踏まえて早速軍議が開かれ、「まずは鎮江を攻略すべし」と決議された。
鎮江攻略の将は徐達、副将は湯和、そして文正と後見人である再興と定められた。
「伯隆(文正)に先を越された」
文忠は負けず嫌いであり、大いに悔しがった。だが、
「思本(文忠)殿には思本殿の戦場があります」
と、後見人の大海が諭した。
初めて出陣する文正は緊張していた。だがその緊張をほぐすために、あれこれと文忠は気を配ってやった。表向きは憎まれ口を叩くのだが、文正の武運を素直に祈っている節が見え隠れし、文正を苦笑させた。
沐英はすでに第二陣である寧国攻略軍に加えられており、その準備に追われている。そのため見送ることが出来なかったが、文忠と同じく文正の成功を誰よりも強く願っていた。
かくして鎮江攻略軍は応天を進発した。
徐達は鎮江近郊十里に迫ると、なぜか兵を留めて陣を敷いた。
「伯隆殿。君には陣を離れてもらう」
文正と再興の二人を呼びつけた徐達は唐突とも言える命を下した。
――しばしお待ちを。
文正が思わずこの命を拒否したのも無理はない。
彼にとってこの戦いは記念すべき初陣である。それが戦いもせずに陣を離れなければならないのか。文正は猛反発し、再興も後見人として徐達に異を唱えた。
徐達はしばらく腕を組みながら無言でいたが、微笑を浮かべながらその訳を話した。
「戦の真髄を学んでもらおうと考えてのことだ」
「真髄?」
「戦とはどれだけ兵を損ずることなく勝つことが出来るか。将はこのことに心を砕かねばならない。鎮江だが調略を施す余地があると私は見ている」
「ではこの文正が陣を離れることが兵を喪わぬ法なのですか」
「ただ離れるだけでは意味がない。ある御仁に会ってもらいたい」
「ある御仁?」
「秦従龍というお方だ。鎮江はかの先生の知識と人脈によって支えられている。段武から先生を引き離せば城を落とすことは容易だ」
文正はしばらく黙考した。文正は人として優しい。己の武名を高めるために敵味方を殺めてしまうことは無論望まなかった。
――徐将軍の申されることは理に適っている。
そのように悟ると、素直に徐達の命に従うことを諒承した。しかし再興は納得が出来ずに、なおも首を縦には振らなかった。
「若将軍は初陣にございます。かような大任は難しいかと……」
「謝将軍、貴方が後見人として付いているではないか。よろしく伯隆殿を補佐されよ」
柔和な面持ちであったが、武勲抜群の徐達にこう言われては再興も否とは言えなかった。
「伯隆殿。これをお持ちあれ」
徐達は説得に当たり、贈り物として白金を用意させた。文正は拱手の礼を取るや、そのまま陣を出立することになった。再興が同伴したのは言うまでもない。
「天徳」
二人を送り出した後、湯和は再興と同じく重荷ではないか、と眉をしかめた。
「鼎臣殿も謝将軍も、かの若者を侮り過ぎていますな」
「侮りはしていないが……」
「出陣前に伯隆殿と語り合ったのです。さすがは我が君の甥御。中々の人物ですよ」
いつの間に――湯和の表情に驚きの色が浮かんだ。
文正という青年だが、他の二人に比べてみると、地味で目立たない。そのためか実像以下の評価を人々から受けている。だが徐達は文正の秘めたる力を見出したようであった。
「華やかさこそありませんが、確かな芯を有し、物の本質を見極めている。その力はこの天徳も及ばぬほどです」
そう力強く答えたが、湯和には未だ信じられない。
――しかし他ならぬ天徳がこれほどまでに申すのだ。
ならば信じてみよう――湯和はそう思い、文正の背を見送るのであった。
鎮江の知恵袋――そのように敬慕されている従龍であったが、その暮らしは実に慎ましい。
住まいも鎮江郊外にある庵で、庭には鶏が駆け回り、わずかな畑しかない。日々畑に出て耕し、近所の子供たちに学問を教えて食を得ていた。
その庵に農夫姿の文正と再興が現れ、従龍を訪問した。
門前で呼んでみたものの返事がなく、不在であった。近所の子供に聞くと秦先生は畑に出ているらしく、二人はそちらに足を向けた。畑に行くと、従龍は黙々と耕していた。
文正はにこりと微笑み、上着を脱いで従龍に頭を下げた。
「お手伝いしましょう」
そのように申し出、従龍から鍬を受け取ると、手際よく農作業を開始した。
「お若いの。手際が良いの」
従龍は相好を崩して褒めたが、手際が良いのは当然であった。文正は農民の出身であり、武将業の方が本来は畑違いである。また久しぶりの土いじりが楽しく、従龍は嬉しげにこの若者の働く姿を眺めた。
やがて昼となり、
「まあ、一服なされ」
と、従龍は休憩するよううながした。文正は鍬を置き、汲んでくれた水を美味そうに飲み干した。
「……良いですな」
老人にとって若者が働き、元気よく物を飲み食いする姿は微笑ましい。
「何でも美味そうに飲み、そして食べる」
「はあ、そうですか。しかし……やはり土いじりはいい。私には野良仕事が性に合っています」
「農夫ではないと申されるので?」
「残念ながら……。世が平らかであれば、家族と共に田畑を耕せたのでしょうが……」
そう言うと寂しげな笑みを浮かべた。
「ご老人はご高名な学者様とお聞きいたしております」
「高名かどうかはわからぬが、世のため人のためになれば、と学んできたつもりです」
「世のため人のため、でございますか」
文正は足許の雑草を抜きながら、真剣は表情で尋ねた。
「先生の学問を蒙古は役立ててくれましたか?」
従龍はしばらく言葉を途切らせ、うつむいた。やがて顔を上げると哀しげな表情で、
「残念ながら」
と、静かにかぶりを振った。
「朝廷は何も聞き届けてくだされなかった」
「先生はまだご自身の学問を世のため人のためにお使いになりたいとお思いですか」
この問いに従龍は力強くうなずいた。
従龍は年老い、そして隠居している。世に絶望し、ただ畑を耕すのは己の心を慰めているためだが、未だ心の片隅に学者として役に立ちたいという気持ちがくすぶっている。そのくすぶりが段武に智恵を与えていたのだ。
――だが段武では鎮江を治めることが精一杯であろう。
かつて朝廷に仕えた彼は天下万民のために励んできたが、夢破れ、田舎で朽ち果てようとしている。
「若い方よ」
従龍は文正から鍬を取り戻すと、再び耕し始めた。
文正は膝間つき、老人の言葉に耳をかたむけた。しばらく無言で耕し続けたが、従龍は苦笑しながらかぶりを振った。
「なるほどのう」
従龍は鍬を捨て、にこりを笑った。
「……君は朱軍の方じゃな」
「朱元璋の甥にて朱文正と申します」
「朱公の甥御自らのお越しとは恐れ入る。して、この老いぼれに何の御用かの」
「先生なら、おわかりのはず。今一度、天下万民の為に先生の学問を役立てていただけませんか」
従龍はすぐに答えなかった。ただ黙って畑を凝視し、子供たちの笑い声に耳をすませている。
「先生」
文正は静かに目を閉じた。
「子供たちの笑い声はどの音曲よりも心を和やかにいたします」
従龍も異存はなく、無言でにこやかにうなずいた。
「ですが、今のままでは先生の学問はあの笑い声を掻き消し、あの子たちやその父御、母御の穏やかな営みを奪うだけになりましょう」
聞き捨てならぬことを――初めて従龍の表情から和やかな笑みが消え失せた。だが文正は構わず続ける。
「先生が鎮江を思われる気持ちは尊い。ですが朱軍に抗しても、やがて鎮江は陥落いたします。先生が力をお貸しになればなるほど鎮江は奮戦し、より多くの死傷者が出ます」
この言葉に目を細めるだけで何も言い返せなかった。文正はさらに続ける。
「私は蒙古の暴政によって父母を失い、故郷を追われ、一軍の将という性に合わない身分になっております。ですが将となった以上は民が民として仲睦まじく生きていけるような世を創っていきたいのです」
「君の叔父上は……」
従龍はようやく口を開き、尋ねた。
「その願いを聞き届けることが出来るのかね」
「そう信じています。叔父上は不殺、不奪を掲げられ、いかにすれば民が安らかに暮らすことが出来るか日々お考えです。先生に志があれば、どちらに力を貸すことが民のためになるのか、おわかりになるはずです」
言うべきことは言った――これ以上の言葉はなかったが文正の笑みはそれを雄弁に語っていた。一礼をするや再び畑に戻った。
本当に土いじりが楽しいらしく、従龍はただ彼の姿を眺めた。
このような青年が田畑を離れ、血刀を振るわなければならないとは何という世の中か。その世を創ってきたのは老人である己であり、そしてこれからも乱世を続けていくつもりなのか。枯れ果てたと思われた心に熱い思いが沸々と蘇るのが感じられた。
――この若者の言うように朱元璋は只者ではない。
朱軍の動きを見ている限り、期待を寄せて良いと従龍は見ていた。何よりもこの青年が仕える主ならば信じてみても良いのではないか、と考えた。
従龍は立ち上がり、文正に声をかけた。
「老骨ではありますが」
従龍は、しわだらけの手で拱手の礼を取りながら、頭を下げた。
「この学問を朱公のために、いや天下万民のために使わせていただきたい。ただし……」
「ただし?」
「朱公に力をお貸しするのは鎮江が落ちてからです」
この言葉に文正は沈黙した。
「お若き貴方にはくだらぬと叱られるかもしれぬが、長く生きれば生きるほど通さねばならぬ節と言うものがある。鎮江に力は貸さぬが、朱公にも貸さぬ。それでもよろしければ……」
この答えに文正は笑みを浮かべながら、従龍の手を取った。
鎮江を支えているのはもはや兵力ではなく、この老人の智恵と人徳であり、この老人の助力が無ければ鎮江は丸裸も同然であった。
「寡少ではありますが……」
当座の費用として持参した白金を差し出したが、従龍は固辞した。
「この白金は鎮江の民のために使うべきでしょう」
文正は深くうなずいて、この白金は陥落させた後の救済金として遣うことを約束した。
かくして文正は見事、従龍を説得した。
従龍はその日から身を隠し、見捨てられた段武は路頭に迷った。徐達はすぐさま兵を動かし、鎮江を包囲した。また湯和に命じて矢文を城内に射させて、流言をばらまかせたのである。そのため城内は大混乱をきたした。統制が取れない軍勢ほどもろいものはない。
徐達はこの機を逃さず、総攻撃をかけて、あっけなく鎮江を落城させた。
この時、文正は「不殺、不奪」と大書された旗を掲げ、鎮江の人々を投降させた。そして困窮した人々には、あの白金を分け与え、朱軍に心服させたのである。この戦いでディンディンは逃亡し、段武は自刎して果ててしまった。
「見事初陣を飾られましたな」
徐達は改めて文正の将器を認め、兵士たちに凱歌を奏させたのであった。
二
鎮江は平定された。
次に朱軍が目指したのは寧国であった。
寧国攻略の将帥は遇春で、その配下に鄧愈と初陣の沐英が付いた。沐英の後見人である遇春は沐英を呼び、
「天徳が見事、伯隆に初陣を飾らせたと云う。そなたも負けてはならぬぞ」
と、叱咤激励した。沐英は生真面目に返事をしたが、かたわらにいた鄧愈は苦笑しながら肩を叩いてやった。
「十万殿は何でも徐将軍と張り合っておられる。そなたはそなただ。無理をされるな」
この鄧愈の言葉に遇春は、「要らざる口を挟まれるな」と烈火の如く怒った。しかし鄧愈は動じない。
「十万殿は十万殿。この伯顔は伯顔。そして文英(沐英)は文英でござるよ」
鄧愈は戦場でこそ遇春も舌をまくほどの猛将であったが。平素はこのように飄々としている。このような男にかかってはさしもの遇春も敵わない。舌打ちをして二人を部署に戻らせた。
遇春は寧国に攻め入ったが、寧国は要害の地で、容易に落とせる城ではなかった。主将・ベクブカは固く門を閉ざし、籠城に徹した。
「ええい、臆するなッ。攻めよ、攻めよ」
遇春は鐘鼓を盛んに鳴らして総攻撃を命じた。
先陣は沐英とされたが、初陣であるため鄧愈が補佐を、遇春が後ろ盾として後詰を務めている。
攻撃が開始されて半刻ほど経つと、沐英の戦いぶりに遇春は密かに感嘆していた。
沐英軍自体はさほど猛烈な攻撃をかけていなかったのだが、友軍の鄧愈が動きやすいように巧みに兵を動かしていたのである。
鄧軍が猛攻している時は敵兵の気を逸らせるべく囮となり、鄧軍が攻め立てられると敵兵の背後を突き、その兵威を削いだ。
――これほど戦いやすいことはない。
今までにない感覚を鄧愈は感じていた。沐英は初陣のくせに戦場の空気を感じ取れるようであった。遇春も同じく五感で感じ取ることの出来る男である。
「青二才がやりおる」
口汚くではあるが、沐英の資質を褒めそやしてやった。
だが思う通りにいかないのが戦である。有利に戦いを進めていたものの、堅牢な寧国はびくともせず、時間ばかりが過ぎ去ってしまった。
「やむをえぬな」
遇春は猛将であるが愚将ではない。無理強いの愚を熟知している遇春はすぐさま応天に救援を求める使者を送ることにした。
「相わかった」
さすがは元璋であった。問いただすことなく、すぐさま救援軍を出すことを決断した。帰陣した徐達と善長に留守を任せ、自ら大軍を擁して寧国に出陣したのである。
「随分手強いようだな」
出迎えた遇春たちの姿を見て、元璋はねぎらった。見れば遇春は腕に矢傷を負っており、見るからに痛々しい。遇春は赤面しながら、
「ご期待に沿えず、面目次第もございませぬ」
と頭を下げた。しかし寧国の堅固さは最初からわかっていたことでもあり、遇春たちの怠慢ではないことを承知している。
――それよりも……。
元璋が驚いたのは軍の士気が全く衰えていないことであった。
城攻めが膠着すると、士気が鈍るものである。しかし常軍は鈍るところか、気が満ちている。
「文英の力です」
元璋の疑問に遇春は素直に、そして即座にそう答えた。
「十万が人を褒めるとは珍しい」
遇春はいかなる相手にも遠慮はせず、おべっかが言えない性分である。しかし今の言葉はまるで遇春がおべっかをしているとでも取れる内容で、不機嫌な面持ちでかぶりを振った。
「この十万を見くびられては困ります。使えぬ者はいかにご主君のお身内でも褒めはしませぬ」
「ではまことに文英はよく働いておるのか」
「働く、と申しましょうか……軍の中にあってよく周旋をいたします。文英が軍に加わってから、我らはいつも以上に立ち働きやすくなりました」
沐英の才覚をそのように評した。
この評価を聞いた元璋は、
――文英は将の将たる器なのかもしれぬ。
と、ひそかに思って満足した。
将の将たる器――この才覚は実は臣下としては危うい。
天に二日はいらぬ、と古人は云う。
将の将たる才は主君のみに必要であり、家臣が有すれば軍を割ることになり、これほど危険なことはないからだ。
だがここが沐英の不思議さであった。彼は淡泊な性格であり、自己の勢力を伸ばす気など全くない。育ててくれた朱家への思いは人後に落ちず、生涯、元璋一家に深く信任された。君主に一切の疑いを抱かせぬ――これこそが沐英最大の才覚であるのかもしれなかった。
とにもかくにも寧国攻略のために手を打たなければならない。元璋は援軍に当たって強力な新兵器を用意していた。
飛車と呼ばれる高速戦車と、高い防御力を誇る竹矢来がそうであった。
寧国は堅固な城であったが、肝心の守将たちは私利私欲の徒で、兵士と民衆の心をつかんでいない。城壁さえ破壊してしまえば内乱を誘致することも可能であろう。
「猛攻あるのみ」
元璋はこれら新兵器をもって総攻撃を命じたのである。
だがこの総攻撃に待ったをかけたのは軍師として随行していた馮国用であった。
いくら新兵器を導入したとは言え、正面攻撃は控えるべきであった。そこで一つの策を献じた。国用が見る所、東門の守りが薄く、反対に西門の守りが強固であった。
「三日三晩強固な西門を攻めましょう」
「それでは無用の死者が出よう」
「敵を西門に集中させ、虚を衝くのです」
元璋は手を打ち、「好」と声を上げた。
単純な手ではある。だが相手が凡将ゆえ、この策は効果的であった。かくして国用の献策通り西門を集中攻撃するよう全軍に通達した。
それから三日三晩、朱軍は新兵器を駆使して西門に猛攻をかけた。城兵は必死に防戦したが、新兵器を駆使した朱軍は強かった。
飛車の動きは迅速で、城兵が手薄な所に連弩を浴びせた。また城兵からの攻撃は国用が改良した竹矢来のため無効となり、日に日にその抵抗力は弱まった。そしてすっかり疲れ果てた寧国軍の隙を突いて、電光石火、脆弱な東門に奇襲をかけたのである。
ベクブカと仲英は右往左往し、東門を破壊した朱軍は城内に突撃した。仲英は血刀を振るって壮絶に戦いその命を散らした。しかしベクブカは恐れおののいて、城外へ逃亡してしまった。
この戦いで遇春と鄧愈が獅子奮迅の働きをしたのだが、沐英の補佐力を誰もが認めた。
つぶさに様子を見ていた国用は、
「良きお身内を得られましたな」
と祝賀した。元璋は陥落した寧国城を見回りながら、有能な将を得たことに心を躍らせたのである。
――あとは思本だな。
残る文忠がどのような活躍を見せるのか、元璋は期待を寄せるのであった。
三
文忠は大海とともに、西進することになった。
寧国攻略に参陣していた鄧愈は参軍として西進軍に加わるよう命じられたのである。
文正と沐英は見事初陣を飾ったが、どうにも文忠の評判は芳しくない。
事あるごとに主将である大海と対立し、鄧愈が両者を取り持つことが度々あったからである。その報告を聞き、
――上手くいかぬものだな。
と、元璋は落胆せざるをえなかった。このことを鈴陶に話すと、「あの子らしい」と笑った。
「伯隆と文英は素直な子でしたが、思本は利かん坊でしたものね」
「一度言い出したら聞かぬ子であった」
三人はよく一緒に遊んでいたが、いつも文忠が他の二人を引き回して悪戯などしたものであった。
「思本は誰かの下では上の者とよく言い争っていましたが、自身で考えさせた時はよく皆をまとめていました。あの子の上に人を置くのではなく、あの子がやりやすいように補佐を付けてあげれば良いのではありませぬか」
この提案に元璋は眉をしかめた。鈴陶の考えもわかるのだが、文忠は初陣の身である。
そのことを話すと、鈴陶は弾けるようにして笑い出した。
「国瑞様も濠州に来られてすぐ人を率いられたではありませんか。人の上に立つ才は天賦のもの。それに胡将軍は主将よりも補佐に向いたお方だと思います」
ここまで意見を述べると、後は何も話さなかった。表向きのことはあくまで元璋に決めてもらうべきだからだ。
元璋は迷った。迷い、そして考え抜いた末に徐達を呼び、その意見を求めた。
「さすがは我が君。思本殿は人の上に立たせてこそ本領を発揮される方です。将にとって経験は大切ですが、しかるべき立場にあってこそ力が発揮出来るものです。胡将軍に補佐をさせれば、きっと戦果を挙げましょう」
この徐達の助言を受け、ようやく元璋の迷いを捨てる決意をした。
すぐさま文忠を主将に任じ、大海には補佐役を命じたのである。配置換えに際して、元璋は一つの書状を大海に与えた。
「保指揮(文忠)は若い。若き者は体力みなぎり、ひらめきに富んでいる。このたびの西進には若き力とひらめきこそが肝要と考える。しかし若さだけでは大事を誤ることもあろう。そこで千軍万馬の胡院判(大海)には保指揮が道を違えぬよう、また正しき道を進めるよう補佐してやってほしい。心が体を制すればきっと大事がなると余は信ずるものなり」
思慮深い大海は素直にこれに従い、文忠が総大将として道を違えぬよう補佐することを心に決めたのである。
この人事は見事図に当たった。
主将に任じられた文忠は水を得た魚のように見事、軍を統率し、次々と戦果を挙げていったのである。
西進にあたってまず障害となったのは徽州であった。徽州のバルスブカは老練の将で、進軍してくる将が初陣の文忠だと知ると、声高に嘲笑した。
「気負いだった青二才に指揮をさせるなど、このバルスブカもなめられたものよ。戦の恐ろしさをとくと教えてやる」
そう豪語すると、勇躍城外に打って出た。また徽州を救えば、多大な恩賞を与えることを条件に、杭州に援軍を求めた。苗族の完者はこの援軍要請に応え、十万の大軍を率いてくると云う。徽州・杭州の動きを聞いた文忠は早速、大海と鄧愈の二人を本陣に召集した。
「胡将軍。貴公は一軍を率いて婺原(ぶげん)へ向われよ」
「お言葉ですが若将軍。今は兵を裂いてはなりませぬぞ」
そう諌めると、文忠は不敵な笑みを浮かべて一筆したためた。大海は不審な顔つきで一読したが、その内容に驚き、顔を上げた。
「一軍を率いて婺原へ向かってくれるな」
文忠は笑みを浮かべながら、大海の顔をのぞき込んだ。大海は感心した表情で首を振った。
「さすがは朱家の御曹子。恐れ入りました。李指揮の命に従いましょう」
「褒めるのは事が上手く進んでからになされよ」
文忠は目許だけを笑ませて、うなずいた。
次に鄧愈に命を下した。
「この思本は五百の騎兵を伴って陣を出る。伯顔殿には残る兵を預けるゆえ、よろしく敵と対峙されよ」
「承知。一歩も退かず、本陣を死守いたしましょう」
そのように拝命すると、文忠は「それでは困る」と言って手を振った。
「いやいや。守り抜いてもらってはならぬのだ。敵に負け、退いてくだされ」
「しかし、それでは……」
そのように難色を示すと、また一筆をしたためて胸中の策を示した。鄧愈は一読すると、大海同様、喜色を浮かべた。
「この策は歴戦の強者たるお二人でなければ成さぬもの。命に相違なく軍を進めてくだされ」
そう言って拱手すると、二人とも哄笑しながら拝命した。
文忠はその夜、選抜した騎兵五百を従え、その夜のうちに姿を消した。また大海も一軍を率いて、婺原へと向かうのであった。
戦いの火蓋は二日後に切って落とされた。
鄧愈率いる本隊は、懸命にバルズブカと戦ったが、敗れて五里後退した。
戦っては敗れ五里退く――これを五日間繰り返した。
やがて杭州の完者軍が現れ、前後から鄧軍を挟撃したのである。しかしこの攻撃に対して鄧愈は一歩も退かず、戦況は膠着状態に陥った。
この戦況は三日間続いたが、バルズブカにとって驚愕すべき知らせがもたらされた。
婺原に向かっていたはずの大海が徽州城を攻めていると言う。
「しまった、謀られたかッ」
本拠の徽州にはわずかな守備兵しか残っておらず、兵を戻さねば元も子もないであろう。
鄧愈はこの機を逃さず、バルスブカ軍の背後を急襲した。すると今度は完者が鄧軍の背後を攻撃したため、玉突き状態のようになり、大混戦が展開されたのである。
実力伯仲、どちらが勝利をつかむのか、わからないほどの激戦であった。
ところが夕刻、双方の疲労が極限に達した頃、蒙古軍は再び思わぬ奇襲を受けることになった。いずこかへと姿を消していた文忠の騎兵五百が夜半、徽州・杭州軍の境に奇襲を仕掛けたのである。文忠は敵の強弱を肌で感じることが出来る将で、弱い個所を見出しては強襲をかけ、蒙古軍を大混乱に陥れた。
「今が好機だ」
鄧愈はそう叫ぶと、総攻撃を敢行した。また大海も時同じくして突撃を開始した。
大軍において混乱ほど恐ろしいものはない。いかなる名将でも大軍の錯乱を収めることは不可能である。
挟撃と、鋭い錐のように突き進む騎兵のため、蒙古軍は大敗を喫してしまったのである。
弱り目にたたり目という言葉があるが、バルスブカが必勝を期して呼んだ苗族軍が彼にとどめを刺すこととなった。
完者は――と言うより少数民族である苗族は生き残るために利害関係に聡い。この大敗を見た完者は、
――蒙古を見限ろう。
と、冷徹な判断を下したのである。
苦戦に陥っているバルスブカを身捨て、朱軍に寝返ることを決意したのだ。力の切れ目こそが縁の切れ目であった。
完者は投降を許されるや、猛然とバルスブカを攻め立てた。ただでさえ挟撃され、苦戦している。そのような時に裏切られては、バルスブカの命運は尽きたも同然であった。
バルスブカは血刀を振り回しながら、悔し涙を流した。
「我が生涯を苗族のような輩によって閉じさせられるとは、恥辱の限りだ」
そう完者と苗族を呪いながら壮絶に討ち死にをした。その言葉を聞いた完者は、
「死にゆく者の遠吠えは間抜けなものよ。弱肉強食は蒙古族も同じではないか」
と、せせら笑った。バルスブカは勝つために散々敵を騙してきた男であり、その男が今さら裏切りを呪うなど笑止千万であった。こうして文忠は苗族と元軍残党の十万の兵を収拾したのである。
「鉄は熱い時に打たねばならぬ」
文忠は勝利に酔いしれることなく、兵を鼓舞してさらに西進させた。
それからの文忠の働きは目覚ましく、連勝を重ねて、瞬く間に浙江西域を平定してしまった。
文忠は猪武者であったのかと言えば、そうではない。快進撃をしたかと思えば兵を留め、民を慰撫することも怠らなかった。彼は乱世において孤児になった経験を持つ。そのためか、戦が終わると身寄りのない子たちを救済し、見込みのある子は仮子として養った。
そのため占領先では民が朱軍になびき、治安は安定したのである。一方、朱本軍も応天を脅かしていた青衣軍の張明鑑を討ち取って、これを平定した。ここに目指すべき金華は裸城のようになってしまい、王手をかけられてしまったのだ。
四
「金華の主が代わったらしい」
金華学者たちは顔を合わせればそのことばかりを語り合った。
「邪教徒に奪われるとは金華も終わりだ」
頭から紅巾軍を嫌う者もいれば、
「不殺、不奪を掲げ、秩序だった軍らしい」
と、評価する者もいた。
賛否両論であったが、金華学全体の去就を方向づける一人の男がいた。
鄭鉉(ていげん)――金華で最も名高き老学者である。
彼は代々、金華学派の中心であった鄭氏の家長で、金華において象徴的な人物であった。 もちろん鄭氏の家長として学識、人格、人脈を有しており、彼を尊敬しない者はいない。
亡きトクトも鄭氏を大切にし、鄭鉉を学問の師として仰いだ。そのため一族を大都に出仕させて国土の再建策を提言させた。
金華の太守・石抹厚孫は凡庸な男であった。だが金華学者を大切にし、その学問を保護してきたため、鄭鉉は弟子たちを厚孫の許に出仕させている。その厚孫が紅巾軍の元璋に敗れ、金華は朱軍の支配下に入ってしまったのだ。
金華を落としてから数日後、元璋は諸臣の推戴を受け、応天府にて呉国公の位に登った。
――国公とは恐れいる。
この知らせを聞いた時、鄭鉉は表情をゆがめて嫌悪感を露わにした。邪教徒の頭目風情が国公を称するとは何と片腹痛いことか。だが、かたくなに新たな金華の主を拒めば、金華学を滅ぼすことにもなりかねない。いかに相手が野蛮で邪な連中であろうとも、正統な学問を受け継いできた金華学派が正しい治世を行うよう統治者たちを導かねばならない。
――気が乗らぬが……。
気鬱であったが、まず元璋がどのような人物なのか弟子たちに調べさせることにした。
調べが進むにつれ、鄭鉉は認識を改めねばならなくなった。
――どういうわけか白蓮臭がしない。
不思議な話であった。朱軍は今も昔も紅巾軍であることに間違いないのだが、どこにも宗教色が見当たらないのである。また他の紅巾軍と大きく違うのは軍律を厳守し、民と善良なる土豪や知識階級を保護している。
認識を改めたきっかけは、金華入城の先陣を務めた文忠の行動であった。
入城するやただちに「不殺」「不奪」の厳命を下した。それだけでなく城外に避難し、空き家となっていた鄭邸に鍵をかけ、兵士たちに指一本でも触れないよう命じた。鄭一家が戻ると、邸を明け渡し、今も狼藉がないように警備兵をつけてくれている。
――それと彼の許にいる人材だ。
そのことにも着目した。徐達や遇春を初めとする猛将が配下となっていたが、それと同じく善長や馮兄弟、陶安、そして従龍など学識豊かな文人たちも多く家臣として仕えている。それだけでなく、元璋がこの金華を欲したのは、金華学者を幕下に迎え入れ、彼らの学問を政策に生かそうと考えているからだと聞く。
――一度会って真贋を確かめてみるか。
そう考えて弟子の一人である許瑗(きょえん)と共に元璋を尋ねることにした。
鄭鉉来訪の知らせを聞いた元璋は香を焚き、師を迎える態度で二人を迎えた。鄭鉉は観相も心得ている。密かに元璋の相を観てみたのだが、驚きを隠せなかった。
――なるほど噂に違わぬ醜相だが……。
だが美麗な容貌が良き相とは限らない。鬼のような容貌だが、どこか愛嬌があり、風格が漂っている。こうした相は将来大事を成すと云われている。
――話し方、いや聞き方が巧みだ。
いつの間にか様々なことを教えている自分に気が付いた。
元璋は無類の聞き上手で、鄭鉉は自身の知識を伝えることに心地よさすら感じていた。
――この男なら中華を復興できるかもしれぬ。
そう思うと、柄にもなく胸をときめかせてしまった。
この日、鄭鉉は大いにもてなされ、上機嫌で帰路についた。帰り道、かたわらにいた許瑗に、
「呉国公は力を貸すに値する」
と、出仕するよう勧めた。
鄭鉉は気難しい人物であり、このように手放しで仕官を勧めることは実に珍しい。
「よほど呉国公をお気に召したのですね」
「らしくもないがね……。しかし呉国公と語り合うはまさに酔うが如く――じゃ」
鄭鉉は嬉しげに歩いていたが、ふと足を止め、真剣な表情となった。
「許君よ。天はお望みなのかもしれぬ」
「何をです?」
「浙東(せっとう)の四先生を世に出すことをじゃ」
許瑗は驚いた。まさか「四先生」まで元璋に仕えるよう鄭鉉が口にするとは思わなかったからである。四先生とは金華学最高の学者たちで、そのうち一人でも得られれば天下を取ることも容易だ、と云われている。
「四先生が、世に出るのですか」
「石抹兄弟は無害であったが、無能であった。とても四先生が力を貸す価値などない。トクト殿は彼らが仕えるべき御仁であったが、惜しむらくは朝廷が腐りきっていた。他の反乱軍など話にもならぬ。だが……」
鄭鉉は大きく息を胸に吸い込んだ。
「呉国公ならば天下安寧のために四先生を使いこなすことが出来るのではあるまいか。わしはそう思う」
「それほど……それほどまでの器量があるとお考えなのですか」
「まだわからぬ。が、呉国公には天下を安寧に導く可能性がある」
許瑗は息を忘れたかのように、ただ師の顔を見つめた。この師がこれほどまでに可能性を信じた人物が他にいたであろうか。
二人はしばらく無言でいたが、やがて目許を笑ませ足を進めた。
南宋滅亡から百余年。中華の復興を金華学派は夢見てきた。その長年の夢が叶うかもしれない――鄭鉉と許瑗は喜びの声を挙げたい衝動を抑えながら、深く目を閉じた。
学府の象徴的存在である鄭鉉だが、膝を屈して敬慕する天才学者がいる。
その人物とは宋濂(そうれん)。字は景濂(けいれん)、号は潜渓(せんけい)。
浦江(ほこう)の人で、年は五十近くと、鄭鉉より十ほど年若い。気の若い人で、見た目は三十ほどに見える。
外見は平凡であるが、全ての学問に通じる金華学最高の学者で、鄭鉉が敬慕する数少ない人物である。彼は学識だけでなく、その性格は温和で誠意に満ちていたため、尊敬しない者はいない。そのため鄭鉉は三顧の礼をもって宋濂を鄭家の師傅(教師)に迎えた。
「先生、いかがでありましょう」
辞を低くして話を持ち出したのは、子弟たちへの講義が終わった後であった。宋濂は茶菓を口にしながら穏やかな表情で鄭鉉の話に耳をかたむけた。
「新しく金華を治めている呉国公より賢人を推挙してもらいたいと相談を受けているのです」
「鄭先生がそのようなお話をお受けになるとは、相当な人物なのですね」
「少なくとも蒙古や有象無象の反乱軍に比べれば、力を貸す価値があるかと思います」
熱っぽく語ったが、宋濂はにこにこと笑みを浮かべるだけで否とも応とも言わなかった。ただ、
「近頃良き茶葉を手に入れましたので、いつでも客人をお迎え出来ます」
と答えて、帰っていった。
茶をもって客人を迎える――。これはつまり元璋が招聘の使いを寄越すのなら、会っても良いという返事に他ならなかった。鄭鉉は早速、金華太守に任命されていた大海に急使を送り、宋濂の許へ訪問するよう知らせた。
それから数日後。宋濂は三人の友人を自邸に招いた。
一人は竜泉(りゅうせん)の章溢(しょういつ)。
一人は麗水(れいすい)の葉琛(ようちん)。
もう一人は、青田(せいでん)の劉基(りゅうき)であった。
彼らこそ鄭鉉の言う「浙東の四先生」であった。
章溢と葉琛はすぐにやって来たが、劉基は遅れると使いの者が告げてきた。宋濂は、
「相変わらずですな」
と、苦笑した。
劉基はいわゆる奇人で、およそ時間を守る概念がない。このことは他の三人はよく知っており、腹を立てることもなかった。しかしいつまでも待っているわけにいかず、早速話を始めることにした。
「浦江先生」
章溢は茶の香りを楽しみながら、宋濂に話しかけた。
「聞けば胡大海とお会いになったそうで」
「さすがは竜泉先生。お耳が早い」
「その胡大海という男はそれほどの器量ですか」
「胡将軍は一廉の人物でありましょうが、彼が仕える主はそれ以上だと思いました」
「それは何ゆえでござるか」
そのように尋ねたのは麗水先生こと葉琛であった。
彼は学者であったが、頑強な体格の持ち主で一見すればそうは見えない。だがその行動は礼に適っており、何事も理路整然に進めることの出来る人物であった。
「胡将軍だけでなく、呉国公を知る方たちの態度を見てそう感じたまでです」
「人物を見るには周りを見よ、そういうことですな」
「そうです。麗水先生」
「浦江先生は参られるので?」
「応天府に礼賢館を建て、我らに教示してほしいとのことですので、一度足を向けてみようかと考えています。また鄭先生のご推挙でもありますゆえ……」
宋濂が鄭鉉の名を出すと二人は驚いた。あの鄭鉉が推挙するなど極めて稀有なことであったからだ。
「ところで青田先生は遅いですな」
葉琛が苦笑すると、章溢は嘆息した。
「どうせ焼餅(しょうべい)作りで忙しいのだろう」
宋濂は章溢の言葉を聞くと、よほど可笑しかったらしく、弾けるようにして笑った。
ここで言う焼餅とは米製のものでなく、いわゆる「おやき」のような小麦製のものを指す。青田先生は自分の田で収穫した麦で焼餅を作ることに熱中していた。
結局、青田先生はやって来なかった。それどころか下僕によると家を出たきり、どこに行ったのかわからなくなったと云う。劉基は若き頃から放浪癖があり、一度家を出ると消息を断つことがしばしばであった。
青田先生こと劉基。字は伯温(はくおん)。
どの時代よりも狭き門であった元代の科挙に合格した秀才で、一時は元朝に仕えていたこともある。しかし正義感の強すぎる性格で、度々上官と諍いを起こした。
やがて国珍が挙兵をすると、断固これを征伐することを進言した。だが元朝は国珍に官爵を与えて懐柔するやり方に嫌気がさして隠遁してしまったのだ。
青田に戻った劉基は晴耕雨読の生活を送り、一部の人間以外、交流することを拒んだ。
しかしその相手は鄭鉉や宋濂と言った一流の学者で、いずれも天下を左右する学識を有した人物ばかりであった。
ある日、三先生と酒を酌み交わしていた時、誰かが劉基を「今孔明」と評したことがある。劉基は肯定も否定もせず、ただ酒を飲んでいただけであった。すると葉琛がからかうように、
「ならば仕官するとすれば、青田先生には三顧の礼が必要だな」
と、笑いながら言った。だが劉基は静かにかぶりを振った。
「仕えるべき人が現れたならば三顧の礼など不要。しかしつまらぬ者ならば何度請われても、またこの身に刃を突き立てられようとも断固として応じぬ。そもそも私は孔明ではないがね」
そう微笑しながら、酒を口にした。ならば、と葉琛は重ねて尋ねる。
「孔明でなければ君は何者なのかね」
「劉伯温さ。伯温以上でもなければ伯温以下でもない。我が人生は己の足でのみ進むのみ」
そう言うと、劉基は大声で哄笑し、三先生たちを唖然とさせた。劉基とはこうした人物で、とにかく彼の行動は誰も読むことが出来ない。宋濂たちはやむなく劉基を残し、応天府へと足を向けた。
応天府にたどり着いた三先生は文武官を従えた元璋の出迎えを受けた。
「ようこそ応天へお越しいただきました。先生方のご高名はかねがねお聞きいたしております。今宵は宴にご出席いただき、我らにご教授いただきますようお願いいたします」
元璋は笑みを絶やさず、三先生に挨拶をした。
この後、四先生のために新設された礼賢館へと案内され、その夜は歓迎の宴が催された。
元璋は宴を開くに当たって、一つのことを請うた。
「先生方のご来訪を聞き、是非ご教授願いたいと応天やその近郊から文人が参っております。願わくは宴の席にて先生方のご高説を賜りたいのです」
この依頼に宋濂は二つ返事で承諾した。
許しを得た元璋はただちに触れを出し、一般の文人たちも宴に参加出来るよう公示した。そのため礼賢館は名士によって溢れかえった。
宴もたけなわとなり、元璋は酒を注ぎながら話しかけた。
「今宵は皆も先生のご高説を賜り、喜んでおります。ただ……」
「青田先生ですか?」
宋濂は盃に口をつけながら微笑した。
「今孔明と評されます青田先生には是非ご教授願いたかったのですが、残念です」
「何しろ奇人ですので。ただ本人は今孔明と呼ばれることを嫌がっております」
二人がそのように劉基の話をしていると、末席の方で激論が交わされているらしく、騒々しかった。
「騒がしい」
元璋は湯和を呼んで叱りつけた。
「申し訳ございませぬ。ただ一人の論客が参っておりまして、これが中々弁の立つ御仁にて、皆言い負かされております」
興味を持った元璋が首を伸ばしてみると、善長を相手に論じているようであった。
応天一の智恵者である善長を言い負かせるとはいかなる人物か、気になった。そこで元璋は三先生と共にその論客の許へ足を運んだ。
その論客は長身の男で、論ずれば立て板の水の如く、鮮やかに他の者たちを論破して行った。善長ですらこの論客には敵わず、憮然としてしまったほどである。
どのような男なのか――宋濂たちも首を伸ばして見てみると、あっと思わず声を上げてしまった。
「青田先生ではありませぬか」
この言葉に一同は唖然とし、宋濂の顔を凝視した。
男は――つまり劉基は微笑しながら立ち上がり、拱手して自己紹介をした。
「皆々様。お初に目にかかります。私は青田の劉伯温。旅がてらに応天へ参ったのですが……まさか三先生方とお会い出来るとは思いませんでしたな」
抜け抜けとまあ――呆れる三先生を他所に劉基は高らかに笑った。
驚きのあまり、しばらく元璋は呆然としていた。やがて我に返って慌てて拝礼をした。劉基は手を振りながら己の無礼を詫びた。
「この伯温は天邪鬼にて、無礼をいたしました」
「こちらこそ知らぬこととは申せ、家臣が失礼をいたしました」
「様々な方がおられ、まさに多士済々。兵たちも厳粛に軍律を守り、民の顔つきは穏やか。呉国公のお力、感服いたしました」
そのように応天府と朱軍を劉基は評価した。
実は――宋濂から知らせを受けてすぐ劉基は出掛けたのだが、向かった先がこの応天であった。理由は元璋という人物を見極めるために、まず応天を見てみたかったからである。応天の秩序や隆盛、そして論じた人々から我が身を預けるにふさわしい人物だと劉基は判断したのだ。
「三先生」
にこにこしながら劉基は他の先生に声をかけた。
「情けない話なのですが、礼賢館に泊めていただくわけには参りませぬか。宿に泊まるにも金がないのです」
この申し出に元璋は笑いながら、手を振った。
「この礼賢館は青田先生を含め、浙東の四先生のために建てたものです。どうか今宵から礼賢館をお使いください」
元璋は湯和に命じ、早速四先生をそれぞれの寝室に案内した。この日より浙東の四先生は朱軍の顧問として留まることになったのである。
至正十九年十二月。
浦江の宋濂、竜泉の章溢、麗水の葉琛、青田の劉基の浙東の四先生は応天府の礼賢館へと入った。元璋は四先生を家臣ではなく、あくまで政治顧問として遇した。
さすがに金華が誇る最高学者で、早速その手腕を発揮したのである。
宋濂は朱軍で定められし法を総点検し、過去のあらゆる法典に照らし合わせて整備をした。宋濂の素晴らしさはただ知識だけがあるのではなく、現実に沿って整合させる能力を有していた。このため朱軍内での法的矛盾が解消されていった。
章溢は司法において活躍した。
朱軍における司法はあくまで軍事裁判であったが、章溢は宋濂が整合させた律(刑法)を運用させ、その公平な裁きに人々は歓声を挙げた。
葉琛は行政において手腕を発揮した。民の声をよく聞き、事細やかに事務を進めた。またかねてより朱軍が力を入れていた屯田制も葉琛が司ると、その効果は目を見張るばかりであった。長江付近の屯田を指揮していた康茂才であったが、葉琛の助言を取り入れた途端、困難を極めていた工事を終了させてしまった。この結果、朱軍の収入は倍増し、経済的な余裕が生まれることとなったのだ。
さて残る青田先生であるが、何もせず、日々方々を出歩いている。呉国公府にも出仕せず、与えられた礼賢館の部屋にいることも稀であった。多くの時間は厨房で餅を焼いているか、子供たちに読み書きを教えるなど、悠々と過ごしている。この様子を見た善長は不快な表情をし、
「青田先生は腐れ儒者ではあるまいか」
と、あからさまに罵った。
善長は、「浙東の四先生何するものぞ」と息まいていたが、宋濂たち三先生の活躍は認めざるを得なかった。しかし劉基はただ無為に遊んでいるばかりで、今孔明などと評することは出来なかった。善長と親しい国用は宋濂に劉基のことを尋ねたことがあった。
「我らは常人の才。青田先生は鬼神の才。小事に関して青田先生はあるいは無能な方でしょう。しかし国運を左右するような大事において我らは到底足元に及びませぬ。もう少し長い目でご覧くだされ」
そう言って、にこやかに答えた。この回答は他の二先生も同様であった。
年が明け至正二十年。
宋濂の言う「国運を左右する大事」が朱軍を襲った。
天完国の友諒が皇帝・徐寿輝を推戴し、太平に進軍したのである。
太平の将・花雲は奮戦したものの、多勢に無勢で敗れてしまい、太平は陥落してしまった。花雲は天完軍に捕縛され、ついには処刑されてしまったのだ。
元璋以下、旗挙げ以来の同志を失ったことに衝撃を受けた。かつ朱軍にとって要所であった太平の喪失も大きな打撃であった。しかし東の士誠がいる限り、朱軍は身動きがとれずどうしようもない。
劉基はその知らせを聞きながら、黙々と餅を焼き続けていた。焼き続けながら、彼の目には人には見えぬ一条の光がはっきりと映っている。
危急を脱し、天下統一へと続く大きな道――。彼の胸に大海のように雄大な策が広がっていく。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

融女寛好 腹切り融川の後始末
仁獅寺永雪
歴史・時代
江戸後期の文化八年(一八一一年)、幕府奥絵師が急死する。悲報を受けた若き天才女絵師が、根結いの垂髪を揺らして江戸の町を駆け抜ける。彼女は、事件の謎を解き、恩師の名誉と一門の将来を守ることが出来るのか。
「良工の手段、俗目の知るところにあらず」
師が遺したこの言葉の真の意味は?
これは、男社会の江戸画壇にあって、百人を超す門弟を持ち、今にも残る堂々たる足跡を残した実在の女絵師の若き日の物語。最後までお楽しみいただければ幸いです。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

近衛文麿奇譚
高鉢 健太
歴史・時代
日本史上最悪の宰相といわれる近衛文麿。
日本憲政史上ただ一人、関白という令外官によって大権を手にした異色の人物にはミステリアスな話が多い。
彼は果たして未来からの転生者であったのだろうか?
※なろうにも掲載
燃ゆる湖(うみ) ~鄱陽湖(はようこ)の戦い~
四谷軒
歴史・時代
一三六三年、中国は元末明初という群雄割拠の時代にあった。中でも、江西・湖北の陳友諒(ちんゆうりょう)の勢力は強大で、隣国の朱元璋(しゅげんしょう)は食われる運命にあるかと思われた。しかし朱元璋は詭計により陳友諒を退ける。業を煮やした陳友諒は六十万もの兵員を擁する大艦隊を繰り出す。朱元璋もまた二十万の兵を動員して艦隊を編成する。そして両雄は鄱陽湖で激突する。数で劣る朱元璋だが、彼は起死回生の火計にて陳友諒を撃破、その後朱元璋は中国を統一し、明を建国する。
(表紙画像は、「ぐったりにゃんこのホームページ」様より)
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる